7 Wonders

セカンド・ワンダー(初めて追い掛ける二つ目の謎)



 結局、トワと出会った初めての日には、トワがどうしてここにいるのかと言う、単純にして深い謎を解くことは出来なかった。が、あれから、一つだけわかったことがあった。カナと同じような事例に出会った人がここ数ヶ月の間に何人かいるようだ。ただ、"セブンワンダーズ"の謎に迫れたヒトは誰もいないようだった。
「あ〜あ〜。これから、どうしようか、トワぁ」
「ボクにどうしようかと聞かれても、どうしようもありません……」
 所在なさげにトワは言う。
「まあ、それもそうよね」納得は出来るが、それはそれで困った状況に他ならない。「でもねぇ、トワ。もしかしたら、キミみたいな境遇の子が他にもいるかもしれないんだよ」
「……。知らないし、わかんない」
「あ〜う〜……」カナは頭を掻きむしりそうになるのを必死にこらえた。
 トワだって、"無"から急に生まれたのでもないだろうし、元いた場所がどこかにあって、そこでの暮らしがあったはず。似たような事例があるということはもしかしたら、トワも以前に自分のいた場所で何かを知っているのではと思ったのだ。
「トワの記憶とか、思い出とかを頼りにしたかったのにな」
「ボクは全く頼りになりません」何となく、カナの口調をまねて発言してみた。
 けれど、言ってみて、それはとても恥ずかしいことを言ったことに気がついた。
「あ、あぅ、そうじゃなくて……、その……」
「言いたいことはわかるから、いいよ、別に言い訳しなくても」
 カナは言う。それはそれとしておいて、むしろ、カナ自身がどうやって、セブンワンダーズの謎に迫っていくのかの方が大問題なのだ。コンピューターに願掛けしてみたところで、画面の向こう側にもセブンワンダーズについてそんなに詳しいヒトがいるのでもないようなので、大きな意味は持たないだろう。結局、カナにはセブンワンダーズのかけらを掴む術さえない。
 と、不意につけっぱなしになっていたコンピューターがぽんと可愛らしい音を立てた。フォーラムに新しい書き込みがあったらしい。
「……。ツカサ……」
 知らない名前だった。
「――タルホのガラスのピラミッドにセブンワンダーズの片鱗を知るものがいる」
 初めて出てきた具体的な話だった。今まで、フォーラムに寄せられた意見には建設的なものは何一つなく、こんな噂があるという程度のものばかりだった。そこに現れたツカサのメッセージは特筆すべきものだった。
「ねぇねぇ、カナ。タルホって何? それ、おいしいの?」
「……トワってば、そればっかり。――タルホは地名、土地の名前よ。でも、ナエホからは遠いんだよなぁ。徒歩や自転車で行けるような距離でもないし。でも、セブンワンダーズのかけらを知っている人がいるというなら、行きたいな……」
 カナは腕を組んでコンピューターの前を行ったり来たり。
「……。何やってるの、カナ?」不思議そうにトワは問う。
「う〜ん、別に何もしていないけど」
 そして、カナは再び、コンピューターの画面を食い入るように見つめた。ツカサのメッセージにはまだ、続きがあるようだった。
「……。ガラス工芸品にヒントを求めよ……。わからん」
 カナはとっても渋い表情をして、黒い画面の緑色の文字をじっと睨み付けていた。そして、カナは考える。タルホにあるガラスのピラミッドはとても幻想的な場所だという。夜間は特にこの世のものとは思えないほどの異彩を放っているらしい。カナとしてはそれだけでも興味いっぱいであるわけだが、ガラスのピラミッドとガラスの工芸品の関連性が読めない。それにそもそも、ガラスの工芸品が何ものなのかさえわからない。
「行く……」カナは画面から目を離さずに、フッと呟いた。
「は?」トワは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「行くったら、行く!」カナは心を決めたようだ。
「どこへ?」キョトとして問う。
「キミがここに現れた理由を探しに……。キミのおうちを見つけてあげる」
 それが的を射た言い方なのかはともかくとして、カナはあのホログラムが言い放ったセブンワンダーズを見つけたい。そうしたら、きっと、トワが自分の元にトワが現れた理由も、帰るべき場所もわかるのに違いない。
「さてと……、行くと決めたら、即実行」
 半ば独り言のように呟いて、カナは早速、行動を起こす。バタバタと階段を下りて、カナはガレージへと入り込んだ。タルホへ行くのならば、絶対に必要だ。
「お父さんのモーターサイクル……。勝手に使ったら、怒られるかな?」
 モーターサイクルの免許を取ったのは十七の時。モーターサイクルでは学校へこそ通わないが、それ相応のドライブテクニックは身に付けているつもりだ。父親に言わせれば、『カナの運転は犯罪』らしいが、運転する本人は全く気にも留めていない。
 カナは"ナナハン"と呼ばれた大型モーターサイクルに被せられたシルバー色のカバーを外した。全長はカナの身長よりも長く、ご丁寧にも立派なサイドカーまで付いている。
「しばらく使ってなかったから、動くかなぁ……?」
 カナはカバーをキレイに畳んで棚に置くと、モーターサイクルにまたがった。父親と母親が出会ったその頃からこのモーターサイクルはあったのだと言う。むしろ、このモーターサイクルがあったからこそ、二人は出会えたと父親はよく言っていた。
 カナはハンドルに無造作にぶら下げられたヘルメットを手に取った。
「トワ。トワー。ガレージまで来てくれないかなぁ。出掛けるよ?」
「……ガレージって何〜、どこ〜」
 遠くからトワの声が聞こえる。そして、ついでにトワにはガレージについて何の説明もしていなかったことに気が付いたけれど、説明するよりきてもらった方が早いだろう。
「わたしの声のする方に来てちょうだい」
「カナの声のする方ぉ?」
 トタトタっと言う可愛らしい足音を立ててトワがカナの元へとやってきた。
「うわ、デカっ! ねぇ、これ、なんて言うの?」
「モーターサイクル。隣に乗って」
 カナは持っていたキーを差し込んで回した。すると狭いガレージにエンジンの爆音が響く。しばらく、動かしていなかったけど、何とか走らせることが出来そうだ。
「何とかなりそうね」
「何? 何の音?」トワはびっくりしてガレージの壁際にぴったりと張り付いた。
 ドドドドドドなんて、妙に規則正しくて耳障りな音なんて聞いたことがない。その上、何だか、煙たくなってきた。
「トワ、そんなところにへばり付いてないで、隣に乗りなさい」
「い、いや……」トワは涙目で、首を左右に振る。
「乗らないとどこへも行けないでしょ。時間はたったの二週間」
 カナは喋りながら近づいてくると、トワの首筋をむんずと捉まえて、モーターサイクルへと歩み寄る。そして、トワをサイドカーに落とすと、さらにトワの上にフルフェイスのヘルメットを有無を言わさずに被せてしまった。
「……前が見えなひ……。重たい……」
「文句は言わない。――前を見たいなら、自分で適当に何とかしてね」
 カナは正面を向いて無下に言う。実はモーターサイクルに乗るのは久しぶりで、ちょっぴり緊張気味なのだ。トワの挙動を気にしている心の余裕なんてありもしない。
「え、え〜と。クラッチを切って、ギアを一速に入れて、クラッチをつなぎながら、アクセルをひらく……」
 操作を口に出して確認している時点でもはや危険域だ。モーターサイクルをよく知らないトワでさえ、直感的にまずいと判る。そもそもこういった一連の動作は考えなくても身体が勝手にやってくれるくらいに慣れていなければ、ギクシャクしてしまうものなのだ。
「あ、あの〜」
 トワはヘルメットのマスク部分からようやく顔を出して、真剣、真顔のカナの横顔を覗き込んだ。出会って数日、カナの真顔なんて初めて見る。
「話しかけないでください!」
「でも、その、カナぁ? 出口、開いてないけど……」
 何だか、邪魔をしてはいけないような気がして、トワはそっと小声でポツポツと言う。
「そんなことは初めからわかってます!」
 いや、絶対にわかってない。と、トワは声を大にして言いたいものの、それ以上は恐ろしくてとても言えたものではない。トワはヘルメットの中で縮こまって、カナの次の行動を上目遣いに黙って見守る。そのカナはと言えば、モーターサイクルから降りて、ギクシャクした雰囲気を醸しながら、ガレージのシャッターを開いた。
 そして、また、緊張感を漂わせながら、カナはモーターサイクルにまたがった。
 言葉にもならない緊張の瞬間。カナはハンドルに手をかけ、クラッチをつないで、アクセルをゆっくりと開いて……。と思ったら、手が上手に動かない。クラッチをそっと優しくつなげなくて、アクセルはいきなり全開、キョキョキョと異音を放って初速でほぼ全速。色んなものが後にぶっ飛んでいきそうな加速度だ。
「いやあぁああぁあああぁ」
 トワの悲鳴を残してモーターサイクルは走り去る。
 カナも自分がモーターサイクルをトワやその他のことに構っている余裕はない。ハンドルをぎゅうっと握って、真剣に前方だけを凝視。頭と手と足はてんでばらばらで、やっぱり、モーターサイクルはギクシャクした様子で走っていく。
 それ故、トワはなかなかヘルメットから頭を出すことが出来ないでいた。
「ううぅうぅ」
 何しろ怖い。どう考えても、このモーターサイクルは自分がどんなにがんばっても出来ないような速さで走っているのだ。頭を出して、外を見たら、どんな恐ろしいことになるのか、想像もつかない。
「トワ、いつまでもそんな狭いところにいないで、外を見てごらん」
「ひー。怖いよぅ。ボクの足より速いなんて絶対なんかおかしいよぉ」
 トワはそう言って、ヘルメットの下から顔を出す気配すら見せない。
「でも、モーターサイクルってトワの足よりも速く走るためにあるんです」
「それでも、怖いものは怖いんだよぉ」
「怖くても関係ありません」無味乾燥な口調でカナは言う。
「そんなこと言ったてぇ……」怖々。
 トワは爆音とともに勢いよく流れる風景を見ないようにヘルメットの中で丸くなった。それでも、ビュンビュンと風を切る音や、ドドドドドと絶え間なく響くモーターサイクルのエンジンの音が聞こえてきて、トワの恐怖心を煽るのには十分すぎた。
「……ねぇ、カナぁ? どこに行くつもりなの?」
「……その中でうずくまってないで、外を見たら、きっと、わかると思います」
「わかんないよ。だって、ボク、カナのおうちしか知らないし」
 言われてみればそうだった。カナとトワが初めて会った日、トワは時計台の下でただ一匹(?)で雨降りの寒さに震えながら座り込んでいたのだった。そして、それ以前にトワがどこにいて何をしていたのかもカナも知らないし、実際、トワ自身もこっちに辿り着いてからの始まりの記憶はあの時計台の下からのようだった。
「セブンワンダーズの最初の手掛かりがあるところ」
「……何、それ?」
 多分、トワの口からはそんな答えが返ってくるんじゃないかと予想はしていたが、いざ、その言葉を聞いてみると妙に腹立たしい。どちらかと言えば、カナは巻き込まれただけのはずで、ことの全容はトワが知っていなければならないような気がしないでもない。
「何、それ? って、何ですか?」
「……何ですかって、その、何ですか?」
 半ばとんち大会のようになる。結局、どう突っついてみたところで、トワは何も知らないことには変わりがないのだ。それはトワと出会った日に気がついていたはずなのに。トワがそれがわかるだけでも、カナの苦労は半減するのに違いない。
「ま、行けばわかると思うから、何も言わない」
「けちっ!」
「けちではありません」
 その後はひたすら無言の我慢大会が続く。トワが口を開いてもカナは何も答えない。終いにはトワもカナに何を喋ったらいいのか判らなくなって、トワも押し黙ってしまった。
「……! カナ――。カナぁ! 道がない。道がないって!」
「曲がってるだけだから、大丈夫だよ」こともなげにカナは言う。
「……。でも、こんなに速くて大丈夫なのぉ?」
 と会話を交わしている間にも恐怖の曲がり角が近づいてくる。もう、モーターサイクルが曲がり始めてないと、曲がり切れなさそうな感じのカーブなのにカナのモーターサイクルは未だ直進中だ。
「きゃー、助けてー、曲がってない、曲がってないよ。ぶつかるー」
「ダイジョウブ」
 もはや、トワは前を見ていられないし、その上、何がダイジョウブなのかわかりはしない。けれど、モーターサイクルはキョキョキョとタイヤが滑る異音を残し、壁にぶつかる直前で直角ターンを決めた。
「ほら、ダイジョウブだった」
「カナといたら、命が幾つあっても、足りない……」
「とりあえず、一つあれば十分だと思うけどな」
 カナは静かに言うと、アクセルを吹かす。曲がる曲がらないなんて別の次元のお話で、今日中に目的地について、しかも、帰ってくるのが至上命題だ。戻ってこられなければ、父親からは大目玉だろうし、きっと、モーターサイクルを貸してくれなくなるだろう。そもそも、モーターサイクルはカナが勝手に持ち出したのだから、ばれただけでも大目玉は間違いない。結局、乗ればガソリンが減るのだから、いずれはばれるのだけど、今すぐバレルは何としても避けなければならない。
 けど、そんなことをごちゃごちゃと考えていても始まらない。
 今はただ、目標に向けて前進あるのみ。そこで、何かに出会えたら、それでよし。何にも出会えなかったら、次へ向かっていくしかない。後ろ向きな発想は投げ捨てて、ひたすらに前向きに進んでいくのがカナの信条だ。
「……それにしても、タルホって遠いよなぁ」
 ブチブチ。よりによって、最初がそこか。と言う気もしないでもない。けど、そう思ったところで、他に手がかりも何もないのだから、ツカサがフォーラムに書き込んでくれた情報を信用するしかない。それが、もどかしいが今のカナにはどうしようもなかった。
「……。ねぇ、何か、しょっぱいにおいがする」
「しょっぱい……? 海が近いから、磯の香りかな」
「海……、って何?」まるで何も知らないかのようにトワは問う。
「あれ? トワって海を知らないの?」
「知らない……と思う」トワは自信なさげに呟くように言った。
 正直なところ、知ってるのか知らないのかすらもわからない。そもそも、"海"と言う言葉の指す意味もわからなかった。流石に、カナもそこまでのこととも思ってもいなかったし、言葉の意味をわかりやすく説明するスキルに長けているのでもなかったので、結局、上手に海というものを説明しきれなかった。
「まぁ、何というか、もうすぐ、海の近くを通るから、見てちょうだい」
 すっかり、諦めて、しかも、投げやりだ。
「何か、テキトー」と、トワに評される始末。
 けれど、結局、通じない言葉を使って一生懸命、無駄に説明するよりも実際にそのものを見てもらった方が話は早い。それ故に、カナのアクセルを握る手は否応なしに力が入る。当然、モーターサイクルは加速して、より早く海に到達するはずだ。
「……ほら、しょっぱいにおいがどんどん、どんどん強くなってきたでしょう?」
 もうすぐだ。目の前に迫るカーブを曲がれば、一気に視界が開けるはず。
 そして、真っ青に広がる大海原がトワの前に姿を現した。
「その、青い大きな水たまりが海だよ」カナは言う。
「……凄い――。向こうの端までずっと、ずっと、水たまりだよ。ねぇ、カナ! ボク、こんな大きな水たまりは初めて見た。これが海、海なんだね!」
 トワは瞳をキラキラさせて、大海原に見入っていた。
 初めて。トワの感動しきりの様子を見てカナは思う。カナ自身が何かの初めての時に感じた感動もこんな感じだったのだろうか。まだまだ長く生きているわけでもないけれど、随分と色んな初めて体験からは遠くなってしまったような気がする。変に賢しくなって、そう言った新鮮さを感じられなくなったのかもと思ってしまう。
「あぁぁ。見えなくなっちゃった……」
 流れ去っていく海を身体で追いかけて、トワはとても残念そうに呟いた。
「ダイジョウブ。帰りにも見られるし、もっと、変わったものもあるから」
「ふ〜ん?」トワは半信半疑そうな生返事。
 そうこうしている間にも海岸線をあとにして、モーターサイクルはどんどん進む。もうすぐ辿り着くはずのタルホは古くから、ガラスの街、町の中に運河が張り巡らされていて水運の町として有名だった。とはいうものの、カナは実際にタルホを訪れるのは初めてのこと。トワのために大義名分もあるけれど、それよりも、ガラスのピラミッドを見ると言うことにドキドキワクワクを感じる。
 しかし、その前にやはり気になって仕方がないことがある。
「……ねぇ、トワ。やっぱり、キミはどうしてここにいるの?」
 風切り音にかき消されそうなほどの小さな呟きにも、自問にも思える問いかけをする。セブンワンダーズの謎よりも、トワの存在そのものが謎。けれど、その本人が自分自身が大きな謎なのにそのことに全く気がついてもいないし、無頓着だ。
「え〜? カナ。何か、言ったぁ?」
「何も言っていません!」つんつん。
 モーターサイクルはタルホの町中に入っていた。カナはそのまま町を突っ切って、反対側に出る進路をとった。水路、運河が張り巡らされた古い町並みを横目に見ながら、トワカナのモーターサイクルはピラミッドに向かう。
「トワ。ほら、右の前の方を見てごらん。大きな三角形が見えるでしょ?」
「うん」トワは重たいヘルメットをひっかぶったままサイドカーの中で伸び上がる。「ねえ、もしかして、あれが今から、いくところなの?」
「そうだよ。もう少しだから、大人しくしていてね」
 カナはアクセルをふかして目的地へ一直線。
 もはや、トワの悲鳴なんか何のその。激しく風を切り、規則正しくうなりを上げるエンジン、あっという間にうしろに流れ去っていく風景。スピードが速すぎると恐怖が先立つものの、トワはヘルメットの隙間から、ちらちらと外をのぞき見ていた。
 そして。
「ふぅ。お疲れさまでした。今日の目的地はこちらになります」
「うわぁ……」トワは感嘆の声を漏らした。「向こうが透けて見えるんだけど、これは何? ボク、今までにあんなステキなものを見たことがないよ」
「ここがガラスのピラミッドだよ」
「ガラス……って何?」
 一度も問われたことのない問いにスパッと答えるのは難しい。材質を問われたら、珪酸塩を主成分とする硬く透明な物質などと化学的に答えてもみようともカナは思ったが、変な答え方をすると余計に突っ込まれて困惑する羽目になりそうだ。
「――ガラスはガラスよ……」面倒くさくなった。
「それ……答えになってない……」
「じゃあ、透明な板の塊と言うことで……」
「……それも何か違うような気がするけど、よくわかんないから、もういいや」
 ぶつぶつと文句を言うトワを伴って、カナは先を急いだ。ここで何か手がかりを掴めるだろうか。掴めなかったらどうしたらいいのか。そんなマイナスの考えばかりがカナの頭をよぎって、何一つプラスのイメージに変換する事が出来ないでいた。
「トワ、ここからは歩くよ」
 モーターサイクルを駐輪場に止めて、カナはヘルメットを脱いだ。そして、それをハンドルに引っかけると、反対側に回ってトワの乗ったサイドカーに歩み寄った。
「ほら、いつまでもヘルメットの下にうずまってないで、行くわよ」
「そーですねぇ。じゃあ、そのガラスのピラミッドのところに行ってみよーか?」
 トワは怪しげな口調で言うと、サイドカーからぽんと飛び降りて、カナの横に並んだ。正直、ドキドキである。自分の知らないものに迫るのは緊張でいっぱいになってしまう。
「タルホのガラスピラミッドにセブンワンダーズの片鱗を知るものがいる……」
 カナはフォーラムに寄せられたツカサの書き込みを無意識のうちに声に出していた。手がかりはそれだけ。そんな人が本当にここにいるのかいないのかの裏もとれていない。だから、ひょっとしたらここタルホのガラスのピラミッドを訪ねてきたことはただの無駄足になってしまう可能性だってある。
「ねえ。トワはどう思う?」
「え〜と、何をどう思えばいいのぉ?」
「……そんなことは知りません!」
 つんつんして、カナはトワの先を歩いていく。トワはカナの苦労をまるでわかっていない。つきあって、日は浅いけれど、カナがコンピューターの前でうんうんと唸っていても、トワはのんびりとご飯を食べていたりするのだ。別にそうだからと言って、セブンワンダーズの謎をやめるつもりはないが、少しばかり向かっ腹が立つ。
「――それでも、まあ、可愛いんだけどな……」
 カナはさっきまでのいらいらを忘れて、クスッと微笑む。
 そして、そのままカナはトワを伴ってガラスのピラミッドに近づいた。周辺に人影はない。昼間の明るい時間帯に誰もいないなんてことはないはずなのに。まるで、トワとカナがこの場を訪れるのを知っていたかのような、二人の行く先を誰にも邪魔させないかのような静寂に支配された不思議な空気にあたりは包まれていた。
「……静かだね……」トワはくるりと見回して、ポツンと言った。
「そうだね」カナも言葉少なく、辺りを見回す。
 誰もいないとはいっても、フォーラムの書き込みにあった"セブンワンダーズの片鱗を知るもの"はいてくれなければ困る。カナはちょっぴりの不安を抱えて、ピラミッドの入り口をくぐった。中はとても広い。"わっ"と叫べばそれが無機的に反響しそうだ。
「……ガラス工芸品にヒントを求めよ……」急にピンと来た。「トワ、貸して!」
「な、何を?」ちょっとびっくり。
 カナは振り向くなりしゃがみ込んで、トワの首にぶら下がったものを握りしめた。
「ちょ、待って、そ、そんなにしたら首がもげちゃうよぉ!」
「このくらいじゃ、もげないって言ってるでしょ?」
「無茶苦茶だっ」
 結局、カナはその無茶苦茶の状況のまま、トワの首からペンダントをもぎ取った。そして、カナはそれを持ったまま、人捜しを始めた。いないいないと思っていても、施設が開放されているからには必ずどこかに人がいるはず。
 と、カナは隅の方で作業をしているらしき人を見つけた。
 作業着を見事に着こなしているところから類推すると、ここの係員さんなのは間違いないはず。カナはぽかんとするトワを置いてきぼりにしても、全くかまうことなく、凄い勢いで係員の目の前に立ちはだかった。
「これを見て欲しいんですけど」
「ほう。珍しいガラス細工だね」
 男の人は突然の出来事にも驚きもせずに、フツーに受け答えをしていた。
「これってただのガラス細工なんでしょうか?」
「と、言うと?」不思議そうな表情をしてカナに問い返した。
「いえ、特になんでもないんですけど。ちょっと珍しいものだったんで」
 何だか意味不明な返答をしてしまった。それでも、男の人はカナのリクエストに応えて、トワのペンダントを色々と調べてくれることになった。その間に、トワとカナはガラスのピラミッドの内部をうろついてみることにした。
 別段、ガラスや建築物に詳しいわけでもない。けれど、素直に凄いと思った。
「ね! 猫がいる! 真っ白いの。 ボク、猫嫌い。しっ、しっ」
 どっちがしっしなのかわかりはしない。トワはかなり失礼な発言をしつつ、カナの足のうしろにすっぽりと隠れてしまった。
「どうしたんだい。トキが粗相をしたのかな?」男の人が戻ってきた。
「いえ、その、うちのトワが猫が嫌いで、驚いただけですから」
「そうですか……」
 そのまま、カナと男の人は短い言葉を交わして、別れてしまった。
 で、結局、トワのペンダントはただのペンダントのようだった。光に透かしたり、カナもトワも知らないような分析にかけてみたりしたようだけど、偏光ガラスを使ったちょっとだけ珍しいタイプの。
「何か、がっかりなんだけど」期待が大きかった分、カナの落胆の度合いも相当に大きかった。「……何かさぁ、ホログラムみたいのが現れたから、とっても特殊な何かがあるんじゃないかと思っていたのに……」
 けれど、それもまた不意なことだった。
「セブンワンダーズを見つけなさい」
 聞いた声。その澄んだ声を聞いた瞬間、カナは心臓が凍り付きそうなほどに驚いた。それはどんなに呼びたくても絶対に現れなかったエバの声色だった。
「エバ!」叫んでトワは威嚇のうなり声を上げる。
「答えはセブンワンダーズの謎を探すものの近くにあります……」
 トワの威嚇を完全に無視して、というよりは全く届いていないのだろうが、エバは淡々と自分の言いたいことを話し続けていた。あの時と、同じだった。
「エバ……。エバさん?」
 エバはカナの声のする方に向くことはなかった。不意に現れて、自分の言いたいことだけを喋るとふっと姿を消すだけ。そして、その言葉の断片からは未だに全容を掴み切れていなかった。
「……。ねぇ、トワ。エバって、本当は――キミの何なのかな?」
 カナは素朴な疑問をトワに投げかけた。
「……知らない……」トワはうつむいてぼそりと答えた。
「え?」聞き取れない。
「何度、訊かれても、知らないものは知らないんだよぉ!」
 瞳に涙をためて声を上げるトワにカナも追及をためらった。それ故に、エバという謎めいた人物の謎は深まっていくばかり。そこから思い浮かぶ色んなことに思いをはせて、カナは大きなため息をついた。結局、生まれがどうであろうと、人語を解して喋ることが出来ようともトワは子オオカミなのだ。
「トワ……。帰ろうか……」
「うん……」
 短いやりとりのあと、二人はとぼとぼとモーターサイクルまで歩いた。そして、トワはサイドカーに飛び乗り、カナはモーターサイクルの運転席に座ってエンジンをかける。緊張の一瞬。カナはクラッチを切り、ギヤを一速に入れ、アクセルをふかしながら、ゆっくりとクラッチをつないだが……。
「ねえ! だから、どうして、こうなっちゃうの〜?」
 どっかんスタートを見事に決めた。
 モーターサイクルは急加速をして、元来た道を逆にたどった。その間、カナは終始無言。運転に集中しているからと言うのもでもなく、前を見ながら考え事をしていた。結局、トワとは何ものなのか。自称とはいえ、子供オオカミが喋るなんてあろうはずがない。幻のように、ホログラムのように現れては消えるエバとは何なのか。
 そんなことをとりとめもなく思うカナの横で、疲れ切ってしまったのかトワはとっても怖いはずのモーターサイクルのサイドカーですーすーと寝息を立てていた。
「……眠ってるトワも……可愛い……ね」
 そのままカナとトワを乗せたモーターサイクルとサイドカーは青かった大きな水たまりの縁を越えて、自分たちの町、ナエホまで帰ってきた。
「ふぅ。お父さんが帰ってくるまでに間に合ったよ」
 カナは出発したときと全く同じ場所にきっちりとモーターサイクルを停めた。それから、エンジンが完全に冷え切った頃合いを見計らってカバーを掛けておけば完璧だ。
「トワ−、お部屋に戻るよ〜」
「は〜い」トワもサイドカーから降りてカナのうしろにくっついていった。
 結局、タルホのガラスのピラミッドでは大きな収穫はなかった。エバが現れたものの、ガラスのペンダントはやっぱり、ガラスのペンダントに過ぎなかったし、ここにいた男の人もセブンワンダーズの何かを知っているのでもないようだった。
「ねぇ。トワ……。どうして、キミはここにいるのかな?」
 トワと出会ってから何度も頭をもたげる問い。そして、何度問いかけてもトワからは答えはなかった。もちろん、カナ自身も同じ質問をされたらきっと、答えられないのに違いない。けれど、少なくともトワが時計台の前で震えていたワケくらいは知りたかった。
「え〜? 知らないよぉ」
「そっか。そうだよね……」
 そして、今日もカナはコンピューターの黒背景の緑色の文字を目で追った。学校に行って帰ってきた時、トワとどこかに行って戻ってきた時。そうでなくとも、コンピューターの前から離れて、戻ってきたら必ずフォーラムを確認するようになった。
「――。タルホのガラスのピラミッドでは何か情報を掴めましたか……。何で、フォーラムの人がわたしたちがタルホに行ったことを知ってるんだろう……」
 そんなはずはない。フォーラムには不特定多数の人たちが参加する。情報をくれてありがとうくらいの書き込みは当然しているが、その情報を使って何をしたか、いつ、どこへ行ったかなんて一つも報告していない。カナの参加したフォーラムに本当の意味での知人・友人はいないのだから。
「どうかしたの、カナ。とっても、真剣な顔をしてる……」
「……ツカサ」
「ツカサって、誰ですかぁ」眠そうな間抜けた声がカナの足下から聞こえる。
「ううん、何でもない。知らないヒトだよ」
 カナはウソをついた。本当はツカサを知っている。何故かわからない。ただ、今はトワに彼の名前を告げない方がいいような気がしていた。

2nd