Aqua + illusion

08. 緑柱石と石榴の思い(1)


 

 大断絶を飛び越えて、あたしたちは再びグリーンズに帰ってきた。そこの緑はこの前までと何も変わらない。変わったことがあったとしたら、あたしがフゥリュージョンを手にしたこと。ユメもクロウもあたしに対する態度を変えないからとても嬉しかった。
「ねぇ、どこに行くの?」
 あたしは聞いた。問い掛けたところでまともな答えが返ってくるとは思ってないけど。
「さぁてね。まさき嬢がお望みならば、どこへでも……」
「そう言う言い方はやめなさいよね。何か、他人行儀でバカにされてるみたい……むかつく」
「むかつく? まさきの口からそんな言葉が飛び出るなんて思ってなかった」
 わざとらしく驚いてる。
「何だよ、それ?」
 あたしは腕を組んで頬を膨らませた。そうしたら、ユメのやつ、張り倒したいくらいに大笑いした。そして、急に真顔になってあたしを見詰める。
「ここから先はまさきが決めろ。俺はどこでもついて行くぞ」
 でも、“セリフ”を言い終わったら目が笑ってる。
「ウソつけ」
 あたしは横目でクールな視線をユメに送った。けど、目をまん丸に輝かせて、笑うのを必死に堪えているように見えた。
「ま、突拍子もないこと以外は聞いてやるよ」
「はぁ〜ん?」あたしはできる限りのクールな装いをユメに見せた。けど、やっぱり笑ってる。
「ねぇ、ユメ。とりあえずさ、大断絶の横に降りてよ。帰るのにあっちはあまり関係なさそうだし」
「シャンルーのところに行くのか?」あまり嬉しくもなさそうにクロウが言う。
「ううん」あたしは首を横に振る。「眺めがいいし、風が心地いいから……」
「ふ〜ん?」どうしてそこで半信半疑そうな返事をするかな。
 あたしのリュックに収まったフゥはあたしは行くべき場所を見付けてると言っていた。
「数百年の長すぎた時の潮流、五年という制約……」
 いまいち、意味がよく判らない。けど、あたしはフゥの言ったことを呟いていた。
「何だって? よく聞こえないぞ?」それは聞こえるように言ってないもん。
「何でもないっ」
 あたしは知ってる。フゥのその言葉があたしの頭の片隅からずっと離れなかった。
「ねぇ、ユメ? あの」あたしはその方向を指さした。「鉄橋ってさ。いつからあそこにあるの?」
「俺に聞くな。フゥのやつがいるだろ? 折角いるんだから、聞けばいいのに」
 凄く当たり前のことなんだけど、さっきぶん投げちゃったことがあって気が引ける。
「だって、ぶっ叩いても起きなさそうなんだもん」
 あたしはリュックに手を突っ込んで、ファイアレッドのそれを手にした。
「放り投げてみたら?」
 無茶を言ってるよ。放り投げたら、今度こそ粉々になっちゃうよ。それだけは勘弁。どっちが彼でどっちが彼女なのかよく判らないけど、ここまで来て引き裂くなんてひどすぎる。その前に性別なんてあるのかな。愚にもつかないような思いを巡らせて、あたしはじっと球を見詰めていた。
 そうしたら、急にパッチリと目が開いた。
「うわっ! 驚かさないでよっ」勢いであたしはそう言った。
『……驚かすつもりはない』
 フゥは一つ目であたしをまじまじと見詰めて言った。アクアはガラスケースの向こうでよく観察できなかったけど、フゥはあたしの手のひらの上。あたしの好奇心は大満足。そのフゥをよく見てみるとやっぱりアクアとは微妙に違うんだね。大きさは同じくらいだけど。
『……?』お互いに意味もなく見つめ合ってる。
「……何やってるんだ? お前ら」ユメが呆れたように言った。
「うん? 何でもないんだけど。目が離せなくなっちゃって」照れ笑い。
 綺麗な瞳。初めて見た時はちょっとだけ恐そうに見えていたけど、ホントは違う。とても優しくて暖かそう。そして、アクアのあの硬い口調じゃなくて、少し柔らかめなんだ。もし、性別があるならフゥが女の子なのかな。口に出したら、浅はかだと言われそうだからここは沈黙。
「ねぇ? 突っついてもいい?」黙っていられなくなってつい口走ってしまった。
『……ダメ』
「あっ、やっぱり」ちょっぴり残念。「ううん。そうじゃなくて、教えて……」
『……教えてあげない』キュッと目を閉じちゃった。眠っているように見せかけて、その実、あたしたちのやり取りを全て聞いていたのかもしれない。そして『対になるもの……。』
 キョトッとした眼差しであたしを見ながら、それだけ教えてくれた。たった一言だけだったけど、それでも何もないよりはずっとまし。そしてまた、フゥのやつ目を閉じて、眠ったの?
「対になるもの……」あたしは呟く。
 二つの秘宝、二つの世界は焦がれ、互いに互いを探し求めた。キーワードはパートナー? あたしとゆうや。ユメとセイ。マスターとあのお墓の下で眠るマスターの大切な人。クロウとマイ。つまり、足りないものを埋められるもの。
「シャンルーと……。……」
「何、さっきからぶつぶつ言ってるんだ? まさき」あれ。声にでてたんだ。
 と、考えてる間にクロウは着陸していた。滑るように滑らかに。地面に降り立った時の衝撃は全然感じなかった。初めての日のアクロバット飛行はどうなったのと言うくらいに。けど、あたしはそんなことには気も止めず、ずっと考えていた。答えがもうすぐ見えそう。
「――シャンルーは一人か……。シャンルーは……、ユメ! シャンルーの架け橋」
 あたしは思わず、ユメの上着の裾を掴んで思い切り引っ張った。
「シャンルーの架け橋がどうかしたのか?」とっても嫌そうにユメが言う。
「判んない? ユメ。シャンルーの架け橋。片割れ、パートナー。だって、きっと、そうだよ。あたしとゆうや。アクアとフゥ。そして、半分になってしまった鉄橋。あたしが知った中で、中途半端な存在はあそこだけしかないんだものっ」
 あたしは必死に訴えた。ユメとクロウが納得してくれないといけない。いや、納得してくれなくても行くつもりだけど、仮にそれが最後なんだとしたら、みんなで行きたい。
「行こう……」その静かな声色はクロウだった。いつもは何かをやると言ったら、真っ先にいやがるクロウなのに、どういう風の吹き回しなんだろう。
「お前がそう言う発言をするとは……珍しいな……」
「フゥも認めたまさきだぜ? 言うこと聞かないと、あとで何があるか?」
 あたしの目を見てニカッてしやがった。結局、こいつもこうなのか。ちくしょう。だから、あたしは背中から何事もなかったかのように、降りてきて、ニコニコッとして近づいて、クロウの脇腹を思い切りよく蹴ってやった。
「何をしやがる、この野郎! 下手に出たら、いいきになりやがって」
「ふふぅん、やっぱ、クロウはこうじゃないとね」と言えば、呆れた顔をしていた。
「おい、ユメ! リンゴ、もう半月分よこせっ! 納得できん」
「……納得しろ。気に入らないなら、報酬はなしだ」ユメはクロウの鼻面に向かって話していた。「こんなんでもうちのお姫さまなんだぞ?」ユメこそ、不満そうじゃないか。
「もうっ! そんなの今さらどうだっていいよ」あたしは声を大にして言いたい。
「どうだってよくないっ!」二人して、恐い形相をしてあたしに振り向いた。
「契約は既に履行されてるんだ。今さら、変更なんて許さないぞ、クロウ」
「契約に脇腹を思い切り蹴られるなんて入っていないだろ? 追加料金をよこせ!」
「リンゴ、一ヶ月分以上、払う気はない!」ユメは腕を組んでがなってる。
 あたしはそんな口げんかにつきあってるのがバカらしくなってきた。二人だけなのに喧々囂々と繰り広げられる罵声と怒号なんて聞いてられない。だから、あたしは一人でシャンルーの架け橋に向けて歩き出した。ここからだった、十五分もあればつくと思う。
 ずんずんとあたしは歩く。後ろではまだぎゃーぎゃーやってるよ。と、不意に静かになった。
「待てよ、まさき。慌てるな。シャンルーの架け橋は逃げないぞ」ユメだ。
「架け橋は逃げなくても、凪は逃げてくでしょ?」あたしは突っ慳貪に答える。
「凪?」ユメの声がひっくり返った。
「そう凪だよ」あたしはユメの感情を逆撫でするように、わざと冷たく言った。
「わ、渡るつもりなのか?」少しうろたえてる。
「うん、もうすぐ夕方だから、そろそろ海風と山風が切り替わる時間も近いでしょう?」
「それは、そうだけど……」
 もっとうろたえてる。あたしはユメが二の句を継がないうちに言った。
「真ん中までの距離はどのくらい?」
「聞いた話じゃ、一・五キロだけど……、測ったやつなんていないぜ」
「……四分三十秒だね。凪は五分、十分だったっけ? もっと急げば何とかなるかな」
「十分もない。行きでぎりぎりだろ? 帰りはどうする」
「判んない」ちょっとだけキュートに冗談めかしてあたしは言った。でも、きちんと考えてはいるつもりだった。「何なら、クロウに拾ってもらう」
 そう言ったら、ユメは引きつけを起こしそうな顔をしてあたしを睨んでいた。
「バカか、お前は。自分の命、もっと大切に」
「だから、行くんだ」見つめ返す。
「だからって」こんなに困り切ったユメの姿なんて初めてだった。
「きっと、ここ! 一度、真ん中まで行って、そしたら判る気がする」
 とは言っても、シャンルーの架け橋は鉄橋だった。鉄の軌道は人は通れない。あるのは作業用の狭い通路だけで、太い金網で出来て足場は悪く、走るには最低の条件だった。でも、絶対にここなんだ。あたしには何故か判らないけど確証があった。
 強気な視線でユメを睨む。
「……破壊的な好奇心と狂気の行動力が目覚めちゃったのね」
 ユメは両手で髪の毛をぐしゃぐしゃにして諦めたみたいだった。今回はあたしの勝ち。あたしは黙ってユメを見詰めた。
「いいか、絶対に凪まで待てよ。まさきは何でも、行動が早すぎるから」
「判ってるよっ」
 ユメが心配する気持ちは判っているつもりだった。けど、そんなつもりはさらさら無い。
 あたしは行くんだ。自分の足でこの鉄橋を越えていけばきっと何かが見える。グリーンズやノーシーーランドのごく狭い地域だけど、を見て歩いて判ったこと。シャンルーの架け橋、ここだけが他と比べて明らかに異質だった。
「ねぇ、ユメ……」立ち止まる。
「何だ?」
「ここにこの鉄橋とレールを敷くだけの技術ってあるの……」
 それがどんなに失礼なことか知っているつもりだった。けど、聞かずにはいられなかった。車も自転車もないような世界でどうして全長三キロもある鉄橋を架けられるのか。
「今はないな……。でも、マスター来た頃はあったらしいぜ」
「四十三年前?」
「ああ……。大体それくらいか、四つになったのは」
「四つ?」あたしは目をまん丸くしてユメに聞いたのに違いない。だって、そんな話は聞いていない。フゥだって、二つの世界をとしか言っていないのに。「水、火、風、土。四大精霊? でも、あの、その、フゥは言及していなかったよ?」
「そりゃそうだろ? フゥとアクアには関係のないことだからな。敢えて言及しないのか……、それとも、まさきに要らない心労をかけたくないのか……。どっちにしても、ここは四つの世界が重なってるおかしな場所だ」
 多重世界? ユメのSFチックな発言にあたしの口はパクパク。でも、同時にファンタスティック。あたしたちが知らないだけで世界のどこかにそんな場所もあるかなと思う。誰も知らない! 素敵な響き。あたしが求めてるのはこれなのかもしれない。
「けどさぁ? 知ってるならどうして教えてくれないの? キミもフゥもさぁ?」
 あたしはユメをしたから覗き込みつつ、上目遣い。
「特に聞かれなかったからな。それに、以前、飛竜さんたちはここじゃないところから来たっていったぜ? ヨウやマスターやシャンルーと散々探った結果さ。けど……、判ったからと言って何ができた訳じゃないんだけどな。俺たちはフゥを手にできる誰かを待つしかなかった」
「……待つだけなんてサイテーだ」あたしはべーっと舌を出した。
「お前ならそう言うだろうな」ユメはふぃっとあたしから視線を外した。「しかし、勘違いしてもらったら困るな。やることやった結果がこれだ。アプローチの仕方が判っても、フゥを持たない限り、二つの世界が再び出会うことはあり得ないからだ」
「……ごめんなさい」あたしは頭を下げた。ユメたちが一生懸命だったってことを忘れてた。
「ま。いいさ、そんなの」ユメはあたしの頭をクシャクシャとなで回した。「でな、折角、聞かれたから、答えてやるよ。まさきと俺の世界がアクアとフゥに支配されるなら、残り二つは風と土に支配される。けどな、そっちの世界は遠すぎてここからは見えない……。アクアとフゥほど近くないんだ。やつはアクアとフゥがくっついて初めて姿を見せる――」
「ユメ……。あたし、いつも思ってた。どうしてそんなに知ってるの?」
 すると、ユメはあたしから再びスッと視線を逸らした。腕を後ろで組んで、地面を見て、あたしに背を向けて谷に向かって歩き出した。淋しげで、何かを隠してる背中に見えた。
「それ以上は聞くな」きっぱりとした言葉だった。
「気になる」あたしはユメに一歩にじり寄る。
「気にするな」
「それは無理」
「じゃ、忘れろ」
「もっと、無理」
 と言ったら、ユメは額を押さえて首を左右に振りながらため息をついた。でもね、とっても嬉しそうな顔をしているよ。今すぐは教えられないけど、そう聞いてくれたことが嬉しいみたいだった。いつか、話せる時が来たら話す。その表情はそう言ってるみたいだった。
「……また、会えたら教えてやる」ユメは言った。
 風がだいぶん、緩んできた。その頃にはあたしたちはシャンルーの架け橋の袂に辿り着いていた。錆び付いて、赤茶けた無様な姿をさらしている。荒涼。静寂。吹き抜ける冷たい風。途方もない虚無感。見るもの全てに無力感を与えるような何かがここにはある。
 始点がどこにあるのか判らない鉄路。袂から見える限り、断絶の真ん中へんで途切れていた。
「――ちょっと、行ってみる」
 あたしはリュックをユメに手渡した。作業用の通路があって、あたしはその前で今一度、靴のひもを締め直した。完全な凪はまだ来ないけど、凪ぐまで待っていたら真ん中まで行けないかもしれない。ホントの凪は日も落ちて暗くなってからなんだ。暗くなりつつあったけど、まだ明るい。暗くなったら渡れない。だから、あたしは今、行かなくちゃならない。
「まさき、凪いでる訳じゃないぞ。無茶だ」
 あたしは立ち上がると横目でユメを見た。
「判ってる。でも、今行かなきゃ。凪じゃなくても、風が緩んでる今しかないよ。暗くなってからじゃ周りが見えない。けど、朝までなんか待つ気もないよ」あたしは譲らない。
「そうか、その代わり、何か変なことがあったらすぐに戻ってこい」目がマジだった。「クロウ、まさきをサポートするぞ。……まさきが行ったら、俺たちも架け橋の横を追い掛ける」
「判ったよ」いっつもふざけた光を宿したクロウの瞳が真摯に鋭く輝いて見えた。
 クロウの返事をうけて、ユメは目で合図を送ってくれた。
 ファーストチャレンジ。まずは何でも試してみないとね。クロウとユメがいたら万一、架け橋から飛ばされそうになっても、時間が足りなくなった時、飛び降りてもきっと拾ってくれる。ここまで一緒に来た友達だから、あたしは信じ切れる。
「そ〜んじゃ、行ってくるね」
 軽く手を振って、あたしはスタート。まだ、本番じゃないんだから、本番があるのかも判らないから、気負いすぎても意味がない。ウォーミングアップのつもりで軽く足慣らし。トットット〜と軽やかに。とは行かないみたいだ。
「あららぁ?」
 作業用通路は金網で、あたしがいつも走ってる通学路や、グラウンドとは感触が違う。足が金網に降りると、ブヨンと嫌な感触。さらに靴の裏が引っかかるような感じがあって走りにくい。
「一・五キロかぁ……。ちょっと難しいかな……。帰れないかも……」
 困ったな。思った以上に早く走れない。足元が安定していない上に、錆び付いた鉄橋はかなり傷んでいた。あちこちから鉄骨があらぬ方向に伸びている。もしかしたら、下の金網も抜けちゃうかも。と思ったら、背筋が凍るような思いがした。けど、クロウなら大丈夫だよね。
「四分三十秒……」
 予定タイムは余裕でオーバー。八分近くもかかった。しかも、鉄骨を避けたり、叩いたりしていたら、周り様子を観察する余裕はなかった。それでも、あたしは切れ目に辿り着いた。綺麗にそぎ落としたかのように架け橋の続きはなかった。壊れてなくなってしまったんじゃなくて、人工的に綺麗にすっぱり切り取ったみたい。さびて赤茶けているけれど、切断面も不自然なくらいにまっすぐだった。そして、風が変わったのをあたしは感じた。
「来た……!」心臓がドキンと胸の中で踊る。
 オオォォオォオオオ。大地の裂け目を縫って風が来る。髪の毛を揺らす心地よいそよ風が強風に変わっていく。気がついた? あいつがあたしを邪魔しに来る。それとも、初めからそのつもりだったのか。凪いで見せて、あたしを誘き寄せ、奈落の底までご案内。
 絶対に考えすぎだと思う。だけど、捨てきれない何かがあたしの心を揺さぶった。
「まさきぃ。急げ。やつが来る!」
 クロウに乗ったユメが怒鳴る。その瞬間、あたしには見えた。鉄橋の向こう側が。一瞬、微かに。まるで幻のように。けど、その刹那の出来事であたしは確信した。二つの世界は重なっている。その接点がここなんだ。フゥの世界がはみ出してここにはさび付いた鉄橋と地平まで続く鉄路がある。どうしてこれだけなのか、この場所なのかは判らない。でも、きっと、二つの世界は同じ場所に、SF風に言えば次元を違えて並行に存在してるんだ。
 でも、フゥを持ってこなかったあたしにはこの狭間を飛び越えることはできない。理由もなく感じた。フゥを手にするものを待つしかなかった。その意味がようやく通じる。フゥが鍵だ。アクアがするようにただ送り込めばいいと言うだけではない。だから、好きな場所からフゥの世界に帰すことはできない。どうしても、この場所から二つの世界のつながりを広げなくちゃならないんだ。
 みんなを信じて、フウを携え、勇気を持って一歩目を踏み出さなくちゃならない。
 だから、今は渡れない。でも、次に同じことをしたら、きっとフゥの世界に渡れるよ。
「クロウ! 拾って!」
 あたしは後先を考えずに鉄橋から飛び降りていた。バンジージャンプなんてしたことないし、遊園地のアトラクション、フリーフォールだって大嫌いだった。でも、クロウだったらどんなことがあったって拾い上げてくれると信じていた。
 風が切れる音だけがあたしの耳に届いていた。怖すぎて、目は開けられなかったし、クロウが拾い損なったらあたしは谷底まで真っ逆さま。
「まさきぃ!」
 きっと、このまま意識が遠くなって、目の覚めない眠りのように死ぬんだね。
「まさきぃ!」ユメの呼び声が遠くで聞こえた。
 と、思った瞬間、背骨が砕けるかと思うほどの衝撃があたしを襲った。クロウの上に落ちたんだ。
「はぁっ! ゲホッ、ゲホッ。うぅ……」息が出来なくて、あたしはクロウの背中を転がった。
「まさき。大丈夫か?」
 慌てた風でもないクロウの声が遠くで聞こえる。あたしはクロウの背中に乗ったはずなのに。耳が遠くなって、涙がにじむ。やっぱりちょっと無茶だったみたい。
「おい、大丈夫か?」ユメの心配そうな声。大丈夫な訳ないでしょう。
 けど、まだ息が苦しくてまともに返事も出来ない。
「もお、無茶はやめてくれ……」
 あたしはユメの本心を聞いた。でも、二つの世界を一つに重ねるまであたしは無茶をやめない。だって、ユメが言ったから。ここにあたしの居場所はない。自分の世界に居場所を作れと言ったのはユメだから。あたしはユメの膝から起きあがってじっと真摯な眼差しで瞳を見詰めた。
「やめない」そして、たった一言だけ言った。けど、それでユメには通じたようだった。
「それでこそ、まさきは最後のファイナリストだ」安心した瞳だった。
「そユメ……どうしてそんなに知っているの?」あたしはまた同じことを聞いていた。
 大断絶を渡った人、フゥまで行き着いた人、そして、ファイナルまで行って帰らなかった人。ユメはどうしてこんなに知ってて、あたしに色々教えてくれるのか。あたしは知りたい。ユメってホントは何者なのか。
「知りたいか?」すごく落ち着いた静かな口調でユメは話した。「リンネが言った通りだよ」
 それだけじゃ納得出来ない。リンネの言ったようにユメが例外的な挑戦者でも説明出来ないことが幾つもあった。ユメは知りすぎてる。百二十八人目だと言うなら、何故、二百五十六人目のりんちゃんをユメが知ってるのか。あんな森の奥に住んでたのに。
「あれより先はただのファーマーだ。それだけ。俺は……ね」
「ウソだ」あたしは仏頂面をしていたかもしれない。騙されない。ユメは絶対にただのファーマーなんかじゃない。隠してる。ユメはあたしに何かを隠している。
「じゃあ、何であたしがファイナリストだって判るんだ。ユメは最後まで付き合った人はいないって言っていたよ。誰がそんなこと教えてくれたの? そう、どうしてここが最後の場所だって知ってるの……? ヨウやみんなで調べたって言っても納得しないよ」
「……今はまだ教えられない」
「どうして……?」冷たく言い放たれて、でも、あたしは追及をやめなかった。
「約束だ。教えられてここに来たんじゃ意味がない。自分で考えて、自分で行く……」
「誰との約束なの?」子供のようにあたしは問い続ける。
 すると、怖いぐらい真摯なユメの眼差しがあたしを突き刺してきた。
「……マスター」
「マスターぁ?」思わぬ答えに声が裏返った。「だってだって、マスターはただのマスターじゃないの? 喫茶店・シェンリースーのマスターじゃないの? それは呼ばれたのかもしれない。けど、昔のコトでしょ?」あたしは訝しげな眼差しをユメに向けていた。
「……アクアの化身」あたしの発言を無視してユメは呟いた。
「そ、そんな突拍子のないこと言われても信じられない!」食ってかかった。
「……信じられないなら、無理に信じる必要はないよ……」
 長い沈黙。ユメはあたしに背を向けて押し黙っていた。あたしはそれでも、まだ聞き足りない光線をユメの背中に浴びせかけた。すると、
「それ以上は言えない。言うことがあるとしたら、もう一度出会うときだ……な」
 ユメが喋ってくれないのなら、あたしは我慢するしかなかった。でも、何回こんなことを思ったんだろう。ジュンのINNを出発してからこんな不思議な思いを何度感じたんだろう。ユメはたくさん知っていて、あたしにたくさん隠している。とわの瞳の秘密。そんなにあたしに知られたら困るのかな。今更、黙ってったって仕方ないような気もする。
「明日……。あたしが最後のファイナリストになる。あの鉄橋を渡りきれたら……」
「でも、あの端から先がないことはまさきも知ったはずだよ」
 ここが終わりな場所だと知っていても、架け橋の先端のことは判らないんだね。
「あるっ」根拠のない自信を従えてあたしは言った。「シャンルーの架け橋。そう名前が付いてるんだから、向こう岸まで届いてる。見えないだけ。疑いを持たず信じる人だけに渡れる」
 あたしはユメの瞳をキッと見詰めて視線を外さずに言った。
「……明日の早朝にしよう」ユメは重たい口を開いた。「大気が安定しているから、凪の時間が一日のうちで一番長い。早朝なら、そうだな」ユメは上を向いて少し考えた。「最長で十分。シャンルーの鉄橋に向こう側があるとしたら、まさきの足で余裕で渡りきれるはずだ」
 その声色から、ユメがあまり乗り気でないことは確かだった。
「ユメは端っこまで行ったことないの?」
「ない」ユメは向こう岸をじっと眺めていた。
 近くて遠い向こう側。クロウの翼ではすぐだけど、空を越えたのならあたしの世界にはたどり着けない。不思議。不自然に途切れた鉄橋からしかフゥの世界には届かないんだ。何故? 科学的な根拠なんて超えて、それはそこにあるからあるんだ。
「そっか、ないんだ」ちょっと淋しかった。「ねぇ、フゥを持っていったら、アクアは喜ぶかなぁ? 二つに分かれちゃうまでステキな恋人同士? どっちが男の子、どっちが女の子?」
 あたしは思いついたことをそのまま言葉に出していた。
「……あいつらに性別なんてあるのか?」
 愚問だったか。けど、こんなにまでも互いを焦がれるなら、恋人同士なのがロマンチックだと思う。あたしはジュンからもらったリュックにしまい込んだフゥを手に取った。まだ寝てる。寝息こそしていないけど、気持ちよさそうな雰囲気。どんな夢を見てるんだろう。
 今度、目覚める時、キミはきっとアクアの隣にいるからね。