<1> 幾多の思いの交錯する始まりの場所で
「ハイ、こちら、ベイグリフトシティ消防本局。火事ですか、救急ですか」
「……。――」
「……? 落ち着いてゆっくりとお話いただけますか?」
「――市立病院を……」
「市立病院を……? どうかしましたか?」
「燃やしてやったのさ……、へへっ。プツ、ツーツーツーツー」
珈琲ミルで豆を挽く音がして、パサッとスプーンでフィルターの上に乗せられる。カタン、パタパタ。沸かしたお湯の入った小さな銀色のポットを取りに少しだけ小走り。
「ねぇ、ベルクール。あなたの言ってた、ホラ、あのさ。何とかってお兄さん」
「ウィリアム?」
ベルクールは手を休めないで、お湯を注いでいた。近ごろは、放っておいても最初から最後までやってくれる“珈琲メーカー”なるものがあるらしいが、ベルクールはいまいちそれが好きになれなかった。機械で淹れるより、手で淹れたほうがおいしいから。
「いや、そっちの方じゃなくてさ、ホラ、消防士の……。えい! もう、判ってる癖に」
「まぁ、ねぇ」クスリとする。「でも、レイ兄さんはあげないよ? ハイ、珈琲ね」
話し相手の前に、淹れ立てのコーヒーをトンと置いた。すると、焦げ茶色の波紋が描かれる。
「そんなぁ〜。ね、ね、ちょっとだけでいいから、教えてよ。好物とか、好みとか。レイトグリフの事ならどんな些細な事でもいいから? ね? 珈琲もう一杯飲んでくから、ね?」
「本人に聞きなさい。わたしに聞くよりその方が楽しいでしょ?」
「だって、恥ずかしいし……」もじもじっとする。
「何を今更、うぶな子供でもあるまいし……。ね、ミーくん」
カウンターのはじっこの方で丸くなっていたトラ猫のミーくんに話を振る。
「ナ〜」何だか、“こんな話聞いていられないよ”とでも言いたげに面倒がる鳴き方だ。
「ホラ、ミーくんもそうだって言ってるよ? ふふ、珈琲飲んで、目を覚ましなさいよ。夢見る少女は卒業しなきゃね!」
「けち……」
「何か言いましたか? フィントさん」微笑みながら言うも、刺があった。
「いえいえ、とんでもございませんわ、ベルクールさま」首を左右に振って半分投げやり。
*
「お〜い、ミーナ。どこでもここでも勝手に行くなよ。迷子になったら困る」
ミーナと呼ばれた少女はコクリと静かに頷いて、大男の上着の裾をシッカと掴んでいた。
「あい、次の停車駅はベイグリフトシティ。停車時間は列車待ち合わせのため十分です。ベイグリフト近郊線・モーリー行きは連絡橋を渡って五番線、二十一時ちょうど。次はベイグリフトシティ。どなたさまのお忘れ物なきよう、お支度願います……」
(ベイグリフト……か。ここに来るのも二年ぶりだな)
カタンカタン、カタン、カタタン、カタタ、カタン。プラットホームへのポイントを通り抜ける度に大きな車体が左右に揺れた。車窓からベイグリフトの街並みが開け始める。皓々と灯る明かりは見慣れた光景。ではなくこの街を離れたときとは幾分の違いを見せていた。街は生きている。そんなことを男に感じさせ、過ぎた“時”を思わせた。
「……ベイグリフトシティだす。停車時間は十分」
列車は駅のプラットホームに滑り込んだ。鉄製ブレーキの軋みが聞こえ、線路上に火花が散る。
「行くぞ」
男は扉を手前に引いて、ベイグリフトに一歩を踏み出した。ミーナは大男の上着の裾を掴んだまま必死に付いていこうとする。タラップを踏み外しそうになって男の背中に顔からぶつかった。
「〜〜!」鼻が潰れるくらい痛かったらしく、鼻をさすっていた。けれど、それでも手は離れない。
「大丈夫か、ミーナ? 足下にも気を付けるんだぞ」ポンと軽く頭をたたいた。
「只今、到着の列車は二十時五十五分発、バグラント行き快速列車です。ココアシティへお越しの方は乗り換え、連絡橋を渡りまして二番線。二十二時三十分発です。改札までお時間がありますので駅・待合室をご利用ください」雑踏に掻き消されそうに構内アナウンスが聞こえてくる。
大男はミーナを背後に伴って改札口を抜けた。懐かしい香がする。車窓から眺めた風景が移ろってもまだ、駅は変わっていない。はがれかけた床のタイルやごちゃごちゃとした印象を与えるベイグリフトの玄関口。昨今、建て替え案が浮上しているのが男にとっては淋しいかぎりだった。
(……この駅も二、三年経てばいかにもモダンな駅舎になっちまうんだろうな)
心の拠り所が失われるような感覚に支配される。
「二十一時十分発アイ・ディシティ行き改札です。乗り場三番でお待ちください」
幾つもの構内アナウンスが錯綜していく。行き交う様々な人のお喋り。雑音。町々で微妙に異なるカラーの中ではベイグリフトのものが一番の好みだった。
「いいか、ミーナ。ここが、オレの生まれたベイグリフトシティーだ」
「――」ネオンの街。には程遠かったけれど、仄かな暖かさが明かりにこもっていた。
「何もないところだが、いい街だ。気に入ったか?」
コクンと頭だけで頷いた。瞳はキラキラと輝いていてにこやかだった。
「そう思ってもらえると嬉しいね。ミーナ」
男はミーナの背中を軽くポンと叩いた。
「さ、今晩泊まるホテルでも探そうか?」
すると、急にミーナは心配そうなこわばった表情をした。
「そう心配するな。やつを逃がしたりはしない。気配を感じるんだ。やつはこの街にいる……。――、そして、取り戻そうな」男の表情は険しくなったけれど、決してミーナには見せない。
そう言う男の言葉にケロッとすると、ミーナは男の袖を引っ張って走り出そうとした。
「おいおい、よせよ。よそ見してると危ないぞ」
けれども、男はまんざらでもない様子で引きずられていた。と、楽しげに男を先導していたミーナは何か壁のようなもの、でも柔らかかった、にぶつかってどすんとしりもちを付いた。
「〜〜!」また、鼻の頭を強打したようでさすりながら涙目だった。
「ホラ、言ったそばから」
男は腰をかがめ手を差し伸べ、ミーナを立たせると“壁”に振り返った。
「いや、うちの子が失礼を……」頭を下げる。「ミーナも!」
パタパタと慌てふためいてミーナは、手を前で合わせてしおらしく頭をぺこりと下げた。
「ハイ、ハ〜イ、お気になさらずに、お父さん。コチトラ急いでんだ。細かいことは言わないよ」
「お? おう……おう?」不思議な感性が男を覆った。
「?」首を傾げてキョトンとする。
「――けれど……、お代はちゃんといただいたよ」
「お代?」
意味の解釈が出来ない。その間にミーナのぶつかった相手は人込みに紛れてしまった。そして、夜の雑踏が蠢きだす。駅近くの歓楽街が賑わいを増すのもこの時刻。近郊への最終列車が駅を離れるまで色とりどりのネオンが光を放ち続ける。駅前広場、男とミーナはまだそこにいた。
「……ミーナ、大変だ――」
「?」ミーナは不思議そうな表情を浮かべて大男を見上げた。
「お金?」男は懐をまさぐったが、あるはずのものがある感触がないことに気が付いた。次には顔から血の気が引いて、ちょっと汗ばんでいた。「財布をすられた……。スリかあいつ!」
「……!」ミーナの表情に険しさが宿り、瞬間、肩までの髪の毛がふわりと逆立って見えた。
美しい? 可愛らしい? ミーナは自分の思いを素直に身体で表現していた。
「いいよ。やめておこう。この程度で腹を立てていたら……切りがないし、見られたら厄介だ」
「……」ミーナはうつむきかげんにシュンとなった。
「何もミーナが責任を感じることはないさ。気は進まないが……、寄っていくか。先立つものがなければ旅は続けられんし……。ま、この街に来たからにはな、それもいいか」
男は四角く切り取られた都会の夜空を見上げていた。 |