fairyfiery

<7> 思い出して、珈琲娘の思い


 

「……どうにもならないとはいえ、退屈だな」
 ウィリアムはベイグリフトシティの目抜き通りを当てもなくふらふらと歩いていた。することは何もない。なんせ無一文のわけだから、時間潰しに喫茶店に入ることもままならない。
「ちょっと……、お兄さん?」
「?」
 何者かに呼び止められた。ベイグリフトには知り合いもたくさんいるけれど、“お兄さん”などと呼ばれる覚えはない。ついでにその声色にぎこちなさと幾許かの違和感を感じた。どこかで聞いたことがあるようでいて、ないような奇妙さ。
 ウィリアムはおもむろに振り向いた。
「な! お前の昨日のすり!」
 雰囲気で判る。でも、それ以外にもどこかで会っているような感じもする。既視感? にしては異常なくらいにリアルに見える。記憶の彼方の幻ではなくて、ホントに近くで見て話た気がする。
「やっぱり、そうだったね。後ろ姿からそうじゃないかと思ったんだ。それでサ、おかげさまであいつを逃がさずに済みそうでショ? どう? 首尾よくいって――ないよね……この感じじゃ」
「何?」
「お〜こわ」震え上がるふりをする。「それににすりとはずいぶんな言い草だよネ。おっと、待ちなヨ。せっかちな乞食はもらいが少ないって言うぜ? それにミーナのいないお前はオレに手出しのひとつも出来なさいサ」
「何故、ミーナの名前を……?」
「それは知っているヨ。だって、昨日聞いたもん」
「昨日、聞いた?」ウィリアムは訝しげに顔を歪めて問い返した。「誰にも話した覚えはない」
「でも、聞いたものは聞いたんだから仕方がないでショ?」
「……珈琲好きか?」何とは無しに聞いてみた。
「嫌い!」
「何が望みだ」
「べ〜つに〜。ただ、しけた財布でも返してやろうかと思ってサ。いいやつだろ? オレって」
「フ・ザ・ケ・ル・ナッ!」
「ホラホラ、短気だよ。これでナイト気取りなんだから参っちゃうよな」からかい半分、茶化し半分だ。「まあ、それはそれとしてサ、お前はこんなところで油を売っていていいのかい?」
 それは意地の悪い含み笑いを浮かべていた。
「ミーナがいなけりゃ、オレはな〜んにも出来ないんだろ?」ふてくされる。
「ま、それでもいいけどね。後悔するんじゃないのかい? お、早いネ、消防車が行くよ」
「消防車?」
「そ。消防車サ。ここまで言ったらフツウ、判るだろ?」
「お前、まさか……」声が知らず知らずのうちに震えていた。
「おっと、スナック『停車場』じゃあないぞ?」
「喫茶だ! 喫茶。勝手にスナックにするな」
「そんなのご愛嬌に決まってるだろ。全く、おばかじゃあるまいしサ。でも考えはかたいよナ」
「ゴチャゴチャ言わない! だが、何故、お前は……」
「知りたい? 今、さっき、やつが電話してるの見たんだよネ、あれ。判る?」
「電話? ……通報? お前、まさか」歯がみする。
「そ、まさかだよ」悪戯な笑みの中に酷薄なせせら笑いが見え隠れする。「で、どこだと思う?」
「市立・病院……」
「お、何だ、全然ダメかと思ったら、結構、勘いいじゃん。ナイト気取りのおばかだとずっと思っていたんだけど、考えを改めなきゃダメのようだね。オレの方が石頭になっちゃうよ」
 面白そうにくすくすと笑う。
「お前は一体どこまで本気なんだ?」
「さあね? でも、そうサ」おちゃらけた輝きを秘めた瞳が、険しい閃きを宿す。「おっとっと、オレとしたことがつい乗せられるところだったゼ。なかなか腕を上げたネ」
 ウィリアムはムカムカして、相手をどこかへ消し飛ばしたい衝動に駆られていた。
「オヤ? よく我慢したね。じゃあ、一つだけ教えてやるヨ。十五年前のあれはやつの仕業さ。事実、放火魔だなんて捕まらなかっただろ? ま、そんなもの最初からいもしなかったんだけどサ」
 意味深な含み笑い。ふわりふわりとした掴み所のなかったそれが不意に存在を主張する。
「じゅうごねん……まえ?」
「忘れた?」腕を組んで、少しのけ反り具合にへへ〜んとした。「お前の親父が死んだあれだよ」
 眼光の鋭さが時折見え隠れするものの、それは嬉々としていた。
「あれ?」
「そう、あれサ。ご明察かな?」ふざけた口調でウィリアムを挑発する。
「『停車場』の話か?」
「やっぱ、流石に判ったよね? そ、先見の明というか何というかだね。やつにとってお前は邪魔者なのさ。と言うより、ミーナと出会ってしまったお前が差し障りだったのさ」
「……オレの……せい?」
「まあ、遠因はそんなものかもしれないね。けど、気が付いたときにはもう手遅れだったんだ。それがやつの大誤算だった……。しかも、やっちゃったあとで気が付いたから、最悪だよネ」
「何だそれは?」
「さあ? ブレーズにでも聞いてみたら? 教えてくれないだろうけどネ」
「……」ウィリアムはむかっ腹が立ってきた。けれど、それをぐっと堪える。「判った。大した情報をよこさんなら放っておいてくれ。構ってられん」
 ウィリアムはしっしっと追い払おうとした。すると。
「どうせ無理だよ。お前一人じゃあね」ニヤリと笑う。「だから……オレが助っ人をしてやるよ。いるだろう? アクアフェアリーの水の力」
「アクアフェアリー?」疑問を投げ掛ける。「妖精ってそんなにデカいのか?」
「ミーナはフリージングフェアリーでしょ?」
「! お前は誰の味方だ?」訝しげな視線を投げ掛けて、ウィリアムは問う。
「さあね。でも……。少なくともオレは誰の味方でもないし敵でもない。オレは自らの自由意志にのみ従って行動する。オレは誰からの指図も受けないのさ! さてネ、行きますか。ウィル兄さん。協力のお代は……ベルクールのまず〜い珈琲でも構わないワヨ?」
「さっき、珈琲は嫌いだって言わなかったか。それにベルも知ってるのか?」
「あらら、結構細かいんだネ、ウィル兄さん。でも、これ以上はひみつだよ」
「……? まあいい、助けてくれるのなら名を教えてくれ」
 釈然としないものの、これ以上の問答は埒が明かないような気がしたので切り上げる。
「いいゼ、そうだな」ちょっと迷う。「とりあえず、ピクシードとでも呼んでもらうかな」
「ピクシードだな?」
「でも、判んないかなぁ? 昨日も会ってるのに。やっぱ、鈍いのかなぁ」
「すりだろ?」
「すりじゃないよ。ホラホラ。ダメかなぁ。一日くらいじゃ、覚えられないのかなぁ。それとも、やっぱり、この」服の裾を両手でピッと引っ張ってみる。「汚い格好がいけないのかな」
「知らない」
「チェ! つまんないの。でも、いいか……。どうせあとで判ることだしね。――火事場に行くんでしょ? レイトグリフのいる」
 ウィリアムは奇妙な違和感を覚えていた。何故、ピクシードが家族の名前と抱えた事情を知っているのか。どうして、そんなにウィリアムにちょっかいを出してくるのか。
「行く、けどな。どうして……」
「それは聞かない」
 そう言って、くるりと身を翻すと汚れた洋服だけが地面にふわっと崩れ落ちた。その後には、ウィリアムの大きな手にすっぽり収まってしまうような小さな妖精が宙で羽ばたいていた。
「さあ、急がないと焼け落ちちゃうよ。黒い煙が上がってる……」
 ピクシードの声にウィリアムはハッと我に返った。理由はどうあれ、手助けしてくれると言うのなら拒む理由はどこにもない。ウィリアムは事の起こりも何も呑み込めないままに、小さな妖精・ピクシードを伴って市立病院へとひた走った。