どたばた大冒険

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01. an encounter with...(出会い……)

 今でもよく覚えている。十六世紀最後の年の暮れも差し迫った頃だった。雪の降る夜。雪明かりに照らされた街路を二階の窓から眺めていた。カーテンの裾を掴んで、まるで帰りの遅い母親を待つ子供のように。
「……いくら待ってもあいつは帰ってこないよ。ずっと昔に言わなかったかしら。あいつはシメオンの地下墓地で死んだんだって」
 どこか投げやりの響きを持った声が背後から聞こえた。振り返ると、黒い翼に、黄金色の輝きを放つ光輪を頭に乗せた天使が戸口に寄りかかるように佇んでいた。
「迷夢……。何しに……来たの?」
「あら、セレス、馴染みに向かってずいぶんな口をきくじゃない?」
 迷夢は腕を組んだまま、セレスに近づいた。
「だから、何をしに来たのよ」セレスは憤慨したかのように大声で怒鳴った。
「はぁ……。せっかちなのは変わらないのね……」迷夢はやれやれと言うように頭に手を置いて首を横に振った。「じゃ、あたしが何しに来たか教えてあ・げ・る。――キミがまた無謀なことをしようとしてるって聞いちゃったのよね?」
「……止めに来たの? だったら、無駄だから、さっさと帰って」
 セレスは不機嫌さをあからさまにして、戸口を思いきりよく指さした。
「止めに来た? 何で? あたしがキミの無謀を止める理由なんてどこにあるのかなぁ? あたしは面白そうだから来ただけよ。ま、陣中見舞いってところかしら。だってねぇ、クロニアスに真っ向から挑もうなんてお馬鹿さんになんて滅多にお目にかかれないし。それよりも何よりも、キミ、クロニアスとどうやったら会えるのかなんて知らないでしょ?」
 迷夢はにやりと意地悪に瞳を煌めかせた。
「……それを今から教えてあげる」
 セレスは迷夢からの思わぬ提案に呆気にとられた。普段の迷夢なら、天変地異が起きようともセレスにクロニアスとの出会い方など教えてはくれないだろう。無論、あの策略を巡らせるのが大好きな迷夢がまともにヒントを教えてくれるとは思えないが、それでも、渡りに船で何もないよりも遥かにましだった。
「ホントに……教えてくれるの……?」
「ええ。あたしがウソをついたことがる?」
 胡散臭い。迷夢がこういう物言いをする時は大抵、大ウソだ。そうでなかったとしても、迷夢の言った通りに行動するとろくな目には遭わない。けれど、今は信じる以外に方法はない。何故なら、セレス自身が自分の願いへの解決策を持たなかったからだ。と言って、素直に“教えてください”なんて、口が裂けても言えたものではない。
「……毎度毎度、飽きもせずに大言壮語を言う事……」
「あら〜♪ 信じたくないなら信じなくてもいいのよ。けど、あ〜あぁ〜、クロニアスへ続く唯一無二の道筋を棒に振ろうだなんて、勿体ないわねぇえ?」
 迷夢は流し目をして、すすすーっとセレスの横に並んだ。口先では強がっていても、迷夢の持つ情報を知りたがっていることはその目を見ればよく判る。迷夢が目を合わせようとすると、セレスはそれを嫌って逸らそうとする。それが面白くてたまらなく、迷夢はさらにセレスの顔を覗き込むようにした。
「あ〜もうっ! しつこいっ。判ったから、あたしにクロニアスのことを教えてください」
「始めから素直にそう言えばいいのよ」勝ち誇った笑みを浮かべて迷夢は言う。「ほら、ここに行ってみ?」紙ぺらをポケットから取り出すと、セレスに差し出した。
 セレスは胡散臭そうな目付き全開で迷夢を見詰め、紙を受け取った。
「……。風の双塔……?」
「そう、双子のシルフェにに訊いてご覧なさい。ま、ルシーダもエミーナもかなり気紛れだから、教えてくれるかどうか知らないけど。うまくご機嫌取りできたら、教えてくれるかもねぇえ? でもさ、キミの努力は徒労に終わると思うけどなぁ? あたしは」
「そんなことない。あいつは帰ってくる。あたしと約束したんだから」
 セレスは決然とした態度を示した。同時に迷夢はその自信が一体どこから湧いてくるのか不思議で仕方がないという複雑な表情をしていた。
「そう。まぁ、せいぜい頑張ってちょうだい。……ただ、生きてるあいつと会えたとして、キミの言う事を聞いてくれるのかしら?」
 迷夢は面倒くさそうに発言すると、手を振り振り姿を消した。

 十三世紀末。セレスは夜の街をひた駆けていた。追われているのだ。この時代のエルフの間では闇の狩人と異名をとるほどの猛者たちに。それに目をつけられると逃げ切るのは限りなく不可能だと言われ、事実、闇の狩人に遭遇して無事生還を果たしたのは数えるほどしかいないと言う話だった。
「はぁはぁ……。あいつら、――しつっこい……」
 背中から響く複数の足音が遠退いたあたりでセレスは足を緩めた。流石に息が切れる。体力十分、気力があっても町内をぐるぐる何週も走らされたのではかなわない。セレスは民家の壁に寄り掛かり、夜空を見上げた。
「……あと、三日しかないのに……」呟きが漏れる。
 この街に辿り着いてから、既に三日。その間、“あいつ”に関する手がかりは一つも掴めていなかった。この前は初日に、しかも、向こうから声をかけてくれたのに。今度はろくでもない連中からしか声をかけてもらえない。闇の狩人がその際たる例だし、その他諸々、エルフを快く思っていない連中が多いのも確かだった。
 しかも、毎朝、リテール協会からのエルフ狩り魔法を避けるために、街から退去しなければならなくて精神的にも肉体的にもかなり辛いものがある。
「何か、手がかりになりそうなことをたくさん仕入れておけばよかった」
 後悔先に立たずをまさに地でいっている。いつもいつも、同じことを思うのだが、実践された試しは一度もない。実際、今まではそれでも何とかなっていたから、危機感が薄いのだろう。けれど、今度ばかりはかなりまずい。何よりも時間が足りず、おまけにエルフ狩りの変な連中にも追われているのだから、最悪なこと極まりない。
「おい、お前、いい加減に観念しろっ!」
「ちっ、見つかったか……」
 セレスは再び走り出し、低い塀の在る場所を見つけるとヒラリと飛び越えた。比較的重装備のあの連中は追ってこられないと踏んだ。それでも、先回りされれば余裕で追いつかれてしまうから、油断は出来ない。セレスはできる限り、闇の狩人に気取られることなく身を隠せる場所がないか、思考を巡らせた。
 けれど、そんな場所は欠けらほども知らない。
 セレスは駆けながら、しばらく身を隠せそうな物陰や、茂みを探した。と、セレスの目に入った。壊れかけ歪んだドアと割れた窓。ここだ。瞬時に判断を下すと、セレスはその廃屋に飛び込んでいた。
「何か……、惨め……」
 セレスは廃屋の床に座り込み、ポツリと呟いた。少なくとも、こんなはずではなかった。セレスの計画では来訪初日に彼を見つけ、色々と何とかしているつもりだった。それなのに、これまでに何一つ進展していないし、むしろ、追い込まれているのが現実だ。
「はぁあぁ〜〜。どうしたらいいんだろぉ〜」
 セレスは両手で髪の毛を掻きむしると、そのままうずくまった。けれど、決して失意に打ちひしがれているのではない。タイムリミットまでになんとしても、彼を見つけ出し、自分の世界に連れて行く。それが無理難題だったとしても、必ずやり遂げる。彼を救うにはそれしかなかったし、それがおごりだと言うのなら、自分が救われたいと言う理由でも構わなかった。とにかく、彼ともう一度会いたいのだ。
「……絶対に……見つけ出す……」
 再び、決意を固めるとセレスはもぞもぞと動き出した。
 まだ、闇の狩人がこの廃屋周辺をうろついているかもしれない。セレスは床を這って進み、壊れた窓からそっと顔を覗かせた。物音もしなければ、人のいる気配もない。さらに、セレスは戸口によって、軋むドアを軋ませないように細心の注意を払いながら、開いた。
「……。今なら、行ける……かな……?」
 セレスは用心に用心を重ね、廃屋を後にした。
 しかし、もはや、行くあてなどない。既に三日、市内、市外を転々としてきたが、どこに隠れようとも闇の狩人たちはその鋭敏な嗅覚と機動力を駆使してなのか見つけ出されてしまう。何も悪いことはしていないのに、自分がエルフというだけでここまで理不尽な扱いを受け、悔しく、惨めに思ったことはない。
「……流石に諦めてくれたようね……」
 メインストリートを完全に外れて、そろそろと路地裏を歩きつつ、ポツンと呟いた。
 が、現実は思いの外に厳しかった。セレスはさして気に留めてもいなかったが、この時代、この街で、エルフを狩ることは全てに優先する至上命令なのだ。それ故、一般市民さえもエルフを忌避し、闇の狩人を召喚する。
 だから……。
「いたぞ! あそこだっ! 金髪の島エルフ? が徘徊しているぞ!」
「は、徘徊だなんて、人聞きの悪いことを言うな!」
 構っている余裕なんてないはずなのに、セレスは思わず叫んでいた。そして、闇の狩人がセレスの言葉にたじろぐはずもなく、迫ってきた。向こうは十数人。セレスは一人。まさに多勢に無勢で太刀打ちできるはずもなかった。
「ちっ!」
 セレスは舌打ちをした。この時代のエルフ狩りがここまで執拗なものだとは思わなかった。無論、気軽に行くはずもないだろうが、もっと、抜け道くらいは余裕で見つけられるだろうと踏んでいた。それが出来ないとなると、幾ら俊敏で身軽なセレスといってもかなり厳しい。
「どこに行ってもこんな有り様じゃ、あいつを捜せない……」
「逃げ場はないぞ。大人しくしていろ」
 重装備の巨体を前にセレスは激しく歯がみをした。相手の眼を真っ直ぐに見据え、威嚇しても全く効果がない。それどころか、ますます調子づいてセレスににじり寄ってくる。
「――大人しく捕まれば、痛い目に遭わなくて済む」
 コン、カラカラカラ――。小石がどこからともなく飛んできて、セレスの靴にあたった。
「……?」
 何だろう。と思っているうちにまた一つ。セレスに向かって小石が転がってくるのだ。それは意図的のようだったが、何のために、どこから転がってくるのかはすぐには掴めなかった。ともかく、誰かがいる。そこだけが確実で、外は不確定。しかも、闇の狩人はその“異変”には全く気が付いていない様子だ。
 気が付けば、セレスの足下には五つの小石が無造作に転がっていた。その様子はまさに“こっちを向け”と言わんばかりの存在感を醸しているが、時たま、小石にチラリと目線を送るのを精一杯で、小石の転がってくる方向の確認には至っていなかった。
 少なくとも、その方向に路地があることは判る。そして、うまくやればその路地に飛び込んで、一目散に逃げていくことも出来るかもしれないが、それはあまり自信がない。
 と、
「お姉ちゃん、何をぼ〜っとしてるの、早くこっちに、急いで!」
「え……?」瞬間、何が起きたのか判らず、完全に不意を突かれた。「男の子……?」
「あ〜、もうっ!」苛立ちが募る。

1

 次の瞬間、その子はセレスの右手をつないで裏路地に飛び込んだ。
 走る。男の子はセレスの手を引いたまま狭い路地を軽快に走る。男の子の身長に合わせて屈まなければならないセレスには少々辛いが、それでもスピードに乗って駆けてゆける。風景が左右に流れ、感じる風が心地いい。闇の狩人に追われていることさえ、忘れてしまいそうなほどに。
「ちょっと待って、キミはあたしをどこに連れて行くつもり?」
「いいから、黙って、俺について来いよ。大丈夫、悪いようにはしないって」
「悪いようにはしないって、信じられると思う?」
 けれど、今はこの男の子を信じて、一緒に走るしかない。その先に罠が待ち受けているにしても、ここで闇の狩人に狩られてしまうよりは百倍はましだろう。
「フツーは信じないと思うけど。信じるしかないでしょう?」
 見事な正論だ。振り返った笑顔がとても可愛くて、セレスは心を奪われる。
「まー、そうなんだけどね。キミがあたしをあの連中に引き渡さないなんて保証はないでしょ。あいつらに捕まったらあたしはお終い、身の破滅なのよ」
「まーね。それでも、俺を信じなよ」
 見澄ました瞳はその向こうが透けてしまうほどに澄んでいた。この男の子が何かを企んでいると思うのは勘ぐりすぎで、窮地に立たされたセレスを助けたいだけのようだった。
「お姉ちゃん、エルフだろ? 俺、エルフに会うのって初めてなんだ」
「あははは……はぁ……」
 セレスはカクンとうなだれた。何だか、拍子抜けだ。けれど、どこか嬉しかった。この街にはエルフを敵視するものしかいないのかと思い始めた矢先のことだっただけに。
「……? どうかしたの?」
「いや、別に、何でもない……」
 男の子の純粋さがセレスにはとても眩しかった。
「ふ〜ん? ところで、お姉ちゃん。どうしてこんなところを一人でふらふらしてるの? 知ってるでしょ? だって、エルフは誰もこの街に寄りつかないんだから」
「そうだね。けど、お姉ちゃんにはこの街で、どうしても見つけなくちゃならないことがあるの。あたしは真っ白でふわふわな綿毛みたいなオオカミさんを捜してるの」
「バカだな、お姉ちゃん。真っ白な綿毛みたいなオオカミなんて、いる訳ないよ」
 フェンリルなんて、男の子がそう思うほどに認知度が低いのだろう。実際、セレスも彼に出会うまで真っ白けっけの動物がいるとは信じられなかったのだから。
「そう思うだろうけど、いるのよねぇ、それが?」少しだけ意地悪そうに。
「いないよ。だって、俺、見たことないもん」
「じゃあ、いつか、会わせてあげるよ」
 軽く男の子に向かっていった言葉が自分自身に突き刺さった。男の子に彼を会わせる前にセレス自身が彼を探し出せるかさえも全く判らないし、目処すらも立っていないのに。
「あっ! ここっ!」男の子は急に立ち止まった。「しばらくの間なら、ここに隠れていたら、見つからないと思うよ。ここは俺しか知らない場所なんだ」
 そう男の子の言った場所はとある小さな教会のようだった。しかし、その教会は今現在のセレスにとって、まさに敵の懐に飛び込むようなものだった。
「――あ、あたしは――」セレスは哀れなくらいに狼狽えた。
「判ってるよ。協会はお姉ちゃんの敵なんだろ?」
 セレスは頷く。“敵”と言うカテゴリーが最適かどうかは判らないが、とかく、お互いに目の上のたんこぶのような存在なのは間違いない。
「でもね。ここは特別なんだ。――始めに言っただろ、ここは俺しか知らないんだって」
 それが何を意図して発言されているのかセレスには全く理解不能だった。
「とくべつ?」
「そう、特別。だから、安心して俺に付いてきて」
「……判った。あたしはキミを信用するしかないんでしょ。――けど、もし、何かあったら、化けてでてやるんだから」セレスは少しばかりオドロオドロし気に言った。
「心配しなくたって大丈夫だよ。どこかの何だかみたいに取って喰ったりはしないから」
「キミに取って食われるようじゃ、あたしも終わってる」
「そこは否定しないよ」ステキな笑顔で男の子は言う。「それじゃあ、こっちから、中へどうぞ。ここなら、しばらく隠れていても大丈夫だよ」
 セレスは男の子の言うがままに、その教会へと足を踏み入れた。

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改