どたばた大冒険

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04. in a storm(嵐の中で)

 これが最後のになろうことは彼も判っていた。最後の時。流れる風、しとやかに感じる街の香り。今まで普通だったことも、これから続くと思ってきたことも今日で最後。だが、それも悪くない。“あいつ”と出会えたのだから。この間近、数年をあいつとともに様々な場所を渡り歩き、色々に有意義な時間を過ごせたのだから。
 その白くて長いふさふさの毛並みの彼は耳を小さくピクリと震わせると立ち止まった。
(あいつが……この街にいる……)
 彼は遠い目で空を見上げた。そんなはずはない。けれど、彼の感じた気配は間違いなく長い間に慣れ親しんだ彼女のそれだった。そう、今、この時点でいるはずのない彼女の気配を彼は感じている。
(……あれほど、待てと言ったのにな……)彼はフと口元をほころばせた。(だが、帰ってこない相手を待ち続けろと言うのもあいつには酷な話か……)
 再び、彼はふさふさの白い尻尾を振りながら歩き出した。
 もう一度、キミと会える。

 そして、最後の一日も終わろうとしていた。彼を見つけられても、見つけられなくても今日でお終い。強制的に出発の日まで押し戻されてしまう。それがクロニアスとかわした約束だった。およそ一週間の滞在期間がセレスに許された時間だった。
(……いよいよ今日でお終い。あいつを見つけても、そうじゃなくても。もう、この街にはいられなくなるんだ)
 そう思えば妙に感慨深い。しかし、ゆったりとその思いを噛みしめている時間はない。一分、一刻を惜しんで行動をしなければ、彼との再会は果たせない。
(――あの時、あたしたちはどこにいたんだろう……?)
 セレスは改めて最初から道筋を辿ってみることにした。急がなければならない時ほど、回り道をした方が時間短縮につながることも多いものだ。しかし、セレスにとっての“この日”はすでに八十年以上も昔のこと。思い出すのも容易ではない。
 ただ。あの日、地下墓地から抜け出した自分たちはどこに向かおうとしていただろうか。
(……時計塔……!)
 日付から考えて、今日と言う日はマリスと迷夢だけの小競り合いが遭った日で、デュレと自分はあるものを見つけるために時計塔へと足を向けていた。だとしたら、自分のすべきことはまずは時計塔へと進路をとること。あの日、彼とともに時計塔の機械室で極く短い時間を過ごしたことは疑いようのない事実だったのだから。
 と、
 街に半鐘が響き渡った。突如という訳でもない。明らかとまではいかなかったが、異変が起きつつあることは肌で感じた。空気が異常なまでの緊張感を孕み、それがピリピリと肌を逆撫でしていくのだ。
「そこの女、何を呑気にしている! シメオンからの退去勧告が出されたのだぞ。時間はないんだ。勧告に従い、速やかにシメオンから退去しなさい」
 セレスは通りがかった兵士の言葉をそのまま聞き流した。
 ずっと昔、この街を訪れた時にこんなことはあったのだろうかと、考えを巡らせていた。答えは否。セレスが知らない事件が今、起きているとしたら、ここは自分が帰って以降のシメオンということになる。或いは、セレスだけが知らないのかもしれなかったが。
「おいっ! 貴様、聞こえないのか!」
 兵士の怒声にセレスはピクリと身を震わせた。闇の狩人ではない一般の兵士のようで、セレスはほっと胸をなで下ろした。
 今こそ、時計塔に行かなければならない。セレスは兵士の声が全く聞こえなかったかのように無視して、駆け出した。きっと、これが最後のチャンス。本当に彼が“ここ”に居残ったのならば、最後であろうはずもないが、何故か、最後のチャンスになるような気がしてならなかった。
 しかし、この場から時計塔への道筋が全く判らない。もともと、シメオンでの土地勘が全くない上に、この街区を訪ねたのも今日が初めてだった。
「……。どうしよう……」
 闇雲に走り出したものの、行く先を定められずにセレスは足を止めた。
 止めどない焦燥感が心を支配する。街を逃げ出そうとする人たちがたくさんいるというのに、立ち尽くすセレスは全くの孤独だった。
 ポツン……。大きな水滴がセレスの鼻の頭に当たって弾け飛んだ。無意識のうちに手を差し出してみると空から落ちてくる水滴がセレスの手のひらを濡らした。
「……雨……か……」セレスは暗い空を見上げる。
 ゴーン……、ゴーン……、重苦しい調子で時計塔らしき鐘の音が五つ。
「十七時……」セレスはハッとした様子で時計塔を見上げた。
 覚えている。当時、デュレとセレスの二人はちょうどこの時間、時計塔に向けて走っていた。しかも、時計塔を目指す直前にはアルタと言葉を交したのだ。セレスの考えが正しければ、今朝会ったアルタがその後に地下墓地にいた自分に声をかけてきたのに違いない。それはともかくとしても、時計塔のすぐ近くにまで行けたなら、絶対に彼と会える。
 セレスはそう信じた。
 けれど、同時に大きな懸念も存在していた。この時間帯に時計塔に行くことはそのまま、災いを呼ぶ天使・マリスと接触する可能性を大幅にアップすることも意味している。あの時の記憶をよく辿ってみる限り、迷夢とマリスの果たし合いの中に自分が紛れ込んでいたと言う気配も記憶も全くない。
 だとしたら、自分は彼と会え“た”のだろうか。
 本来、この時点にいるはずのない自分の未来は定まっていなくとも、初めからここにいて、ここで過ごした彼の未来はもう決まっているのではないだろうか。幾ら考えないようにしても、ロクでもないことを考え鬱になってしまうのだった。
「お姉ちゃん、こっち! こっちから、時計塔に行けるよ」
 と、不意に聞き覚えがあり覇気の在る声色がセレスの耳に届いた。目を凝らすと、惑う人並みの間隙から手を振るカイトの姿が見えた。
「――カイト。どうして、こんなところに。お母さんは、お母さんはどうしたの?」
 このカオスチックな状況をどうやって抜けてここまで辿り着いたのだろうか。
「へへっ、大丈夫。母ちゃんは隣のおじさんと一足先に逃げたよ。……俺は……お姉ちゃんが心配だったんだ」ちょっぴり恥ずかしそうにカイトは言った。
「説明になってない。キミん家はここから大聖堂を挟んだ反対側でしょう?」
「う〜ん、反対かもしれないけど、今は関係ないだろ? だって、俺がいないとお姉ちゃんは時計塔まで行けないよ?」
 真剣な眼差しがセレスに突き刺さる。まさにその通りなのだ。この辺りは複雑に道路が絡み合い案内人なしに短時間で突破するのは不可能に思われた。ここはカイトの力を借りるのが妥当な線だとは思うが、この非常時に子供を巻き込むのは気が引ける。
 けれど、よく考えると何かがおかしい。
「……ちょっと待って。何で、キミはあたしが時計塔に行きたいって判ったの?」
「――だって、お姉ちゃんの顔に書いてある」カイトはにっと笑った。
「大人をからかわないの。本当のことを言いなさい」
 セレスはカイトの肩を両手で掴んで、軽く揺さぶった。
「寝言だよ。それで、さ、何となく、そうなんじゃないかと思っただけ」
 鋭い。それよりも、自分が寝言にしろそんなことを呟いていたという事実の方がショックだった。誰にも聞かれていないのならまだしも、人に、しかも、カイトに聞かれていたなんて。激しい自己嫌悪に陥りそうな気持ちだった。
「何でしょんぼりしてるんだよ。折角、俺が来てやったのに。ホラ、いいから、俺について来いよ。――時計塔まで案内してやるから」
 カイトは燦然と輝く太陽のような笑みをセレスに向けた。
「よしっ! 判った。時計塔まで案内を頼む。けど、そこまでよ」
「俺もそこまでのつもりだよ。変なことには巻き込まれたくないしさっ」
 とびきりの笑顔で言うと、カイトはセレスに先んじて駆け出した。カイトはこの街を知り尽くしている。セレスはそう感じた。初めて会った時も、路地裏を駆け抜けて迷うことなくカイトの目的だった教会まで辿り着いているし、今度もきっとそうなるだろう。
「カイト、速過ぎ! あたしをおいていったら意味がないでしょ」
「大丈夫。お姉ちゃんなら、ついて来られるよ」
「ついて来られるって言っても、初めにおいていかれたら追いつけない」
 聞いているのか、いないのか、カイトは軽快に走っていく。身軽なセレスでも、慣れない道をカイトのようにスイスイと進めるはずもない。さらには自分たちとは逆方向に進もうとする人の群れを交わさなければならないのがそれに輪をかける。

4

 みんな、この街から逃げようとしてるのに、自分たちは彼らとは全く逆の行動を取っていた。ある意味、劇的で血湧き肉躍るような興奮も覚える。けれど、一歩間違えば、この街・シメオンとともに身を滅ぼすことになる。
「――お姉ちゃん、急いで。」甲高い声でカイトは言う。「半鐘がなったからにはきっと、何かがあるんだよ。だから、早くそこまで行って、早くやることをやって、ここから、逃げよう? ホントはみんな、お姉ちゃんのことを心配してるんだ」
「みんな……?」
「そう、みんなだよ。母ちゃんも、司祭さまもお姉ちゃんのことを気にかけてるんだ。だって、心配になるでしょう? こんな危ない街にエルフのお姉ちゃんが一人でいると思ったら。だからね、用事がすんだら急いで逃げるんだよ」
 この街で、この時に自分のことを気遣ってくれるヒトたちがいるなんて幸せかもしれない。けれど、セレスはその思いを無にしてまでも自分の目的を果たさなければならない。それだけの賭けと覚悟をしてセレスはこの時代に飛び込んできたのだ。
「うん、ありがとね。必ず、ちゃんと戻るから……」
 フッと零れ落ちたその言葉にどれだけの真実が含まれていただろう。感謝の気持ちは確かにある。けれど、セレス自身はその発言とは裏腹にカイトの元には戻れまい。この世界にずっと留まることは禁じられているのだから。
「信じてるからね」カイトの無垢な言葉がセレスの胸に突き刺さった。「そして、ほら、この角を曲がったら、お姉ちゃんの探してた時計塔が見える」
 カイトの指さす方向に見えた。降りしきる雨に霞ながらもその存在はハッキリと。
 あそこがこの旅の終着点になる予感がした。あの場所で、時計の文字盤から暖かい光の漏れる時計塔できっと彼に会える。何十年と願ってやまなかった思いはきっと叶う。彼と会えたなら、遠い昔に置き去りにしてきた何かを取り戻せそうな気がしていた。
「待ってて、リボンちゃん、必ず会いに行く……」
 セレスはポツンと呟いて、時計塔へとさらに足を進めた。

「迷夢……。迷夢! どうせ、そこらへんにいるんでしょう? 出てらっしゃい」
 ルーンはドラゴンズグレイブの端まで届きそうな大声を出した。すると、窓の外から待ってましたと言わんばかりの勢いで迷夢が飛び込んできた。そもそも、セレスがこの風の双塔に辿り着く直前から問うのてっぺんで待っていたし、どうせだからと言うことで、過去への旅路からセレスが帰ってくるのも待ちかまえていた。
 ちょうど、屋上で気持ち良く羽を伸ばしていたところで呼ばれた格好だ。
「お呼びになりまして? クロニアスのお嬢さん?」
「ふざけないで。ここに来たらわたしたちと会えるとあの娘に入れ知恵をしたのはあなたでしょう?」迷夢の鼻っ柱を突っつきそうな勢いでルーンは言う。
「その通りっ! 愛しのキミになりふり構わずまっしぐらの可哀相な小猫ちゃんをただ黙って見ているのに耐えられなくなっちゃって、ステキなアドバイスをしてあげちゃったワケ」ケロッとした表情で言うも、その瞳の奥底には意味あり気な光が宿っていた。「と、言ってもさぁあ? これも予定調和のうちなのよねぇえ?」
 ならば、特に問題はないでしょうと態度で迷夢は語った。
「そうなんだけどね、そういうことを言いたいんじゃないと思うな、ボクは」
 ラールはもったいぶったように発言し、苛立たしげなルーンをちらちらと見やった。
「……何かむかつくわね、その言い方」ジロリと一瞥。
「あら? それはキミのセリフじゃなくて、あたしのセリフよ。――この際だから、ついでに言っちゃうけどさぁ、キミの言う事っていちいち腹立つんだけど、何とかならない?」
 笑顔を装いつつ、半ば言いがかりのように迷夢は言い放った。
「なんともならないです。出来れば、避けたかったことだから。いらない口出しはして欲しくなかったんですけどねぇ? 少しはその迷惑な唇を閉じてなさいよ」
「ほほぉ、キミはあたしにそんな偉そうな口をきいてしまう訳ですか?」
 ひどく不穏な雰囲気を醸して、迷夢はルーンと対峙する。無論、強気で勝気なルーンが迷夢のはったり九割の挑発にのらない訳がない。
「……どっちが勝つと思う、お二人さん?」ラールはシルフェの二人に問いかけた。
「性格の悪さなら二人とも引けを取らないから、勝敗の予想は難しそう」
「でも、どっちが勝っても、この塔の平和は守られそうにもないわね」
「それには同意。全く、ちょっと意見が食い違うとすぐこれなんだから」
「あらぁあ? エミーナったら、おいたが過ぎるわよ」迷夢はエミーナの発言を聞きとめて、嫌みたらしいニュアンスを込めてそっと抗議した。「こう言っちゃあ何だけど、この塔をぶっ壊して、キミたちのお家を綺麗さっぱり砂漠の砂にしちゃうのなんて、朝飯前なんだから、少しは気を使った方がよろしくてよ?」
「けど、迷夢ならそんなことしないから大丈夫」
 朗らかにエミーナが言い、その横には何とも言えない複雑な表情のルシーダがいる。
「……妙な具合に信用があるのね、あたしってば」
 ルーンと息巻く論戦を繰り広げようとしていたのも忘れて、迷夢はキョトとしてしまった。お行儀がいい訳でもなく、どちらかと言うといたずらっ子的な迷夢がルシーダ、エミーナの風の双子の目にそう映っていたとは迷夢自身が意外だった。
「じゃあ、これはこれとして、ちょっとだけ出張してこようか。姉さん? イレギュラーがさらにイレギュラーになったら、あとで大騒ぎするでしょ?」
 悪ふざけが大好きな年頃の男の子のような笑みをラールは浮かべた。

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改