12の精霊核

←PREVIOUS  NEXT→

18. conjuncture sieze(ジーゼの危機)

「久須那、聞こえるか? 何かが泣いてる」
 レルシアを例の喫茶店に預けて小一時間。サムと久須那はシメオン、テレネンセスを直線で結んだシメオンより三分の一あたりの上空に達していた。その頃から、サムは不穏な空気を感じた。
「ああ、泣いてる」久須那は瞳を閉じて、耳を澄ませる。
 凄まじく不安をかき立てられるいたたまれない空気。心臓がドキンドキンと脈打つ音まで異常なほど大きく感じられる。緊張と不安が混ざり合って耐え難い圧迫感が生まれる。
「エルフの……森――?」久須那はパッと目を開いた。「サム、あれ……」
 久須那がその方角を指さした瞬間、緋色の何かがまだ醒めやらぬ空に向かって立ち上った。
「――あいつら、やりやがった」

 テレネンセス教会。申はシェイラルから色んな話を聞いて、頭の中が混乱していた。ジーゼを連れて森へ行くことに今更迷いはない。けど、こんなことになる前に誰かが何かを出来たはずではと考えてしまう。三年あった。三年あれば……。
「きゃぁぁぁあぁああぁ! サムッ、サムッ! 申! 申ッ! た、助け……」
 二階からジーゼの悲鳴とも似つかない絶叫が小さな教会に響き渡った。
「ジーゼ!」申は椅子をひっくり返して立ち上がるとダイニングを駆けだしていった。
「申ッ!」ダン。二階の一室の扉が壊れんばかりの勢いで開け放たれて。と、同時に闇に閉ざされた廊下に橙色の光が溢れた。
「申ちゃまぁ! どおしよ、ジーゼちゃまが、ジーゼちゃまが」
 珍しくちゃっきーが血相を変えて(?)階段を転げ落ちてきた。
「ちゃ、ちゃっきー? どうした? ジーゼがどうした!」
 申は思わずちゃっきーを握りしめて、ぶんぶん振り回しながら問いかけた。
「ひぃ〜。く、苦しい〜、吐く〜。やめてぇ〜」
「申、落ち着きなさい。あれはジーゼが燃えているのじゃありません。森が燃えているんです」
「え?」申にはシェイラルの言いたいことが瞬時には判らなかった。
「……ジーゼは精霊核に映った森の姿なんです」キョトンとしている申にシェイラルはほとほと困り果てた。ここを理解してくれないと次に行けない。「あ〜。この一大事に!」
 最初に説明しておけばよかったと思うも後の祭り。
「いいですか、申。ジーゼの実体は森なんです。ジーゼという精霊はいわば精霊核という鏡に映し出された森の投影図みたいなものなんですよ。だから、ジーゼを助けるには森に行かないと」
 そこでようやく申の思考が追いついてきた。
「と言うことはつまり、森が燃え尽きてしまったらジーゼは死んでしまう?」
「その通りです。ですが、恐らく、精霊核を見つけるために場を揺らしているのでしょうから、全焼させる気はないのだと思います。が、……精霊核は無事でも……森が痛めつけられると映し出されるものは幼く、数百年の森の記憶が失われる。ジーゼは……あなたを知らない子供になります」
 今までとは逆だと申は思った。ジーゼだけが消えるのではなくて、このままだとリテールのエルフの森そのものがなくなってしまうんだと。
「俺、行きます」そこから先は考えるよりも先に言葉が出た。自分の知らないジーゼがいるなんてもはや考えれなかった。明け方近く、申の足はエルフの森を向こうとする。
「申、ジーゼも連れて行きなさい。それが申の役割です」
「でも……」戸惑いを隠せない表情で申はジーゼを見やった。
「まやかしに惑わされてはいけません」落ち着いた口調のシェイラルがいる。「あれは炎ではなく、いわば映像です。ですから、その中に身を置いても……」
 シェイラルは物怖じする様子もなくジーゼに近づいた。赤い光に入ってもシェイラルの黒服が照らされるだけでそれ以上の変化は何も起きなかった。
「ああ……。司祭さま、森が……わたしの森が……どうして?」
 涙目、涙声。申はこんな展開を全く予想していなかった。協会の天使兵団がくるとは聞いた。そうなったら、リテールは無事では済まないだろうと思ったけれど、こんなことがあっていいのか。申は思う。シェイラルの話を聞いたとき、自分はどうなるか判らないと思った。でも、ジーゼだけは自分のまだ見ぬ森で静かに以前と変わらない生活を取り戻すんだと信じていたのに。
「ジーゼ! 俺がいるから、大丈夫だから」
 呪縛から解き放たれて、申は階段を駆け上った。
「さよならだね、申。せっかく、ここまで来たけど、さよならだね」ジーゼの儚い笑みが申の胸に染みる。色んなことしてくれたのに。森がなくなったらわたしは……」
「ジーゼ。し、司祭さま。あ、う……俺」もどかしさがつもる。
 森へ行けばいい。けど、それでどうなる? 自分に何が出来る。森の火事は申一人だけではどうにも出来ない。でも、ただ指をくわえてこの状況を見ているわけにはいかない。

『ねぇ、ジーゼ。明日もまた来てもいい?』
『いいけど、毎日一日中いて、お父さんお母さんに怒られないの?』
『平気だよ。だって、ジーゼといたら楽しいんだ。どんなことがあたってへっちゃらなのさ!』
『そおなの?』
『そおだよ。ここにいる時が一番好き〜。ジーゼがいて、エルフの森があったら他に何もいらないよ。俺、この森が好き。ジーゼがだぁ〜い好き!』
『ありがとっ!』
《でも、このままでいたら、わたしはこの子の将来を奪ってしまうことになる》
『ジーゼー! どこへ行くんだよぉ〜!』
《さようなら、イクシオン……。明日になったら、きっと、みんな忘れている。ここでのこと。わたしのこと。そして、わたしも……》
『また、いつか、夢の向こうで会おうね……イクシオン』

「も、あと一度でいいからまた、イクシオンと会いたかった」
 申はドキリとした。アルケミスタの一件でさえ、ジーゼはどこか諦めていなかった。それなのに、今、ジーゼは完全に諦めてしまってる。初めてあったアルケミスタで、あれだけ朗らかでサムを追っかけていたジーゼはどこに行ってしまったの。
「申……? 手のひらから零れ落ちていく水滴みたいなの」
「ジー……ゼ?」いつの間にかシェイラルを押しのけて、申はジーゼを抱きかかえていた。
「森の記憶はわたしの記憶。わたしの記憶は森の記憶……。どっちが消えてもわたしじゃなくなる。さよならだよ、申。あなたと会えてよかった。楽しかったんだよ。ずっと昔を思い出した」
 赤い炎の幻影の中、申はジーゼの涙を見た。胸が詰まる。ジーゼが泣いてる。困ってるジーゼ。淋しげなジーゼ。楽しそうなジーゼの笑顔。けど、泣き顔は一度だって見たことはない。
「だんだんと色んなものがシャボン玉が弾けるように消えていくの。わたし、消えないで残ったとしても、誰も覚えていないよ申もイクシオンも森を通り過ぎた誰も。わたしは子供に戻るの……」
「子供に戻る?」ジーゼの言うことが判らなくて、申はシェイラルに助けを求めた。
 しかし、シェイラルも平静を装っていても、だいぶん落ち着きをなくし始めていた。
「精霊にも幾つかの種族みたいのがあるのですが……。土着の精霊、といいますか、ジーゼのように精霊核を媒体にして存在する精霊は……」シェイラルは一呼吸間をあけた。「記憶こそが全て」
「記憶こそが全て?」申はおうむ返しで精一杯。
「そうです。ですから、ジーゼは森の記憶そのものとも言えますし、精霊核はある意味、記憶が結晶化したものと言えるのかもしれません」
「だったら、ジーゼが消えてなくなることはないだろう?」藁にもすがりたい気持ちだった。
「さっきも言いましたよ、申。少なくとも精霊の存在に関してだけ言えば精霊核はただの鏡です。中身に何が詰まっていたとしても、映すものがなければ、映し出されるものもないんです。そう言うものだから、森がなくなってもしばらくは精霊核という存在は残ります。でも、森という“身体”をなくしたら精霊核という“記憶”は存在価値をなくし、やがて消滅します……」
「じゃあ、ジーゼは何なんだ? 俺の手の中にあるジーゼは何なんだよ。生きて、動いて、哀しんだり笑ったりする暖かいジーゼは何者なんだ」
「わたしは――わたしだよ。申……」ジーゼの儚い声色が申の耳の奥底に響く。
「それで……いいんじゃないですか、申。ジーゼがここにいる。それだけで……」
「あ……」大切なことを忘れていた。
 あの時、ジーゼが生きてさえしたら他のことなんかどうなってもいいと思ったはずだった。何度も思った最後の一言。「行くしかないんだ」決めたはずの心がどこかで自分を裏切ってためらっていた。ジーゼの“今”を見て恐怖があおられた。もしかして、自分はとんでもない集団を相手にしようとしているのかもしれない。
「申……」シェイラルは申の肩にポンと手を置いた。「あなたは無理をしなくてもいいんです」
 でも、ことの顛末を最後まで追いかけたい。
「司祭さま、俺、行きます。ここでごちゃごちゃ考えてても仕方がない。ここまで関わったから最後まで見てみたい。――だから、行きます。ジーゼと一緒に」
 そう言って、申はジーゼをシェイラルに任せると、部屋に駆け込んでいった。そこには申のいつもの荷物がある。薬箱と剣。そして、手の中にはシェイラルの魔力がかけられた久須那の羽根。ジーゼが初めて会ったときから大切に抱えていた十字型の銃を手にとって。
「ちゃっきー? お前は行くのか?」
「アイアイサー! もちろん、行くのであります。おいらだって毒小人の端くれ、ないよりはあった方がお得なこと間違いなし!」
「非常食とか、非常食とか、非常食とか?」
 ちゃっきーの下らない物言いに少しだけ緊張感が和らぐ。事態の根本的な打開にはならないかもしれないけど、戦いに赴くまでにはこんな和らいだ空気も重要なのかもしれない。
「け? この前まで気色悪くて嫌だぁ〜って駄々こねてたのに〜」
「ジーゼ、行くよ。キミの森、取り返してみせる」
 申はシェイラルの助けを借りてジーゼをおんぶした。しかも、身体の前には薬箱、右手には剣と銃、更に背中にジーゼ。こんな重たい荷物を持って、こんな時間に一体どこに行くんだろう。どっこらしょとたどたどしい足取りで階段を下りてゆくとそう思わざるをえない。
「申! 必ず帰ってきなさい。森で死ぬことは許さない」
「ええ、必ず戻ってきます」
「信じてますよ。申」シェイラルの瞳には真摯な眼差しを送る申の凛々しい姿が映っていた。

 森の北東部から火の手はあがった。その緋色の包囲網は猛烈な勢いで森の中へと差し迫ってゆく。夜明け前の澄んだ空気を突き破って現れた破滅を望む緋色の猛獣。とどまることを知らずにわきあがる炎に小動物たちは逃げまどい、森を去った。
(ここら辺にあるはずだ……)
 ジングリッドは森で一番の巨木の傍らで佇んでいた。そこはちょっとした広場みたいになっていて、膝丈くらいの草がぼうぼうに生えている。古い家の土台のような石が残っていたり、錆びて鉄くずになってしまったらしい鐘のようなものが無惨に転がっていた。
(場を揺らせば、隠していても揺らいだ影が見えるはず……)
 研ぎ澄まされた鋭い視線を森の中の小さな空間を隈無く巡らしていた。ジングリッドには確証がある。鏡はより強い思いの残る場所に。いつか誰かに聞いたのを覚えていた。精霊核は鏡なのだ。古い森や泉、そう言ったものの秘められた思念が結晶化したのが精霊核と呼ばれるもの。普通は八面体のクリスタルとして知覚される。
(……やはり、ここか)
 ゆらゆらと揺らめく鮮やかな緑色の物体がジングリッドの瞳に映った。ジングリッドの背丈の倍はゆうにある。地上の草むらからフワリと浮いている不思議な物体。フォレストグリーンのクリスタル。ジングリッドはそれに引き寄せられるように歩み寄った。
「記憶という名のエネルギーが結晶化したもの……。美しい――」
 パキッ。背後から枯れ枝の折れる音が聞こえた。その瞬間、ジングリッドはそちらの方向に瞳だけを滑らせた。予想通り。ここまでの全ての事象がジングリッドの思うがままに進んでいた。あと一歩でほぼ確実に胸中の望みは達成される。
「――その美しいものを蹂躙するのがてめぇの趣味ってわけだな?」
「来たか、イクシオン」ジングリッドは振り向きもせずに言った。
「ああ、来たさ。来て欲しかったんだろう?」サムは腕を組む。
「久須那も一緒か」首だけを少し左に振って、眼だけが後ろを向いた。
「ジングリッドさま」
 久須那はサムの傍らから一歩踏み出した。それにジングリッドは一瞥をくれた。
「……裏切り者に用事はない。邪魔だ、とっとと消え失せろ」
「……嫌です! もう、ジングリッドさまの言いなりになどなりません! そして、わたしは裏切ってはいません。……協会の勢力拡大と言う意味で、シオーネさまを裏切ったのはあなたでは」
「フン。教皇、枢機卿共々、権力の虜さ。わたしの真の目的の隠れ蓑にされていたとも気付かずに精力的に働いてくれたよ。だが、わたしこそ裏切りはしていない。彼らに見返りはくれてやった。ここ数十年のうちに協会はエスメラルダを越える影響力を持ち得たのだから。それはシオーネとイグザイアの欲したもの。違うか、久須那」
「でも――」
 悔しいけれど、久須那には否定できなかった。久須那の信じた協会は“力”を求めていた。精霊核の魔力を手にして、利用できたなら世界だって手の上にあるのと同じ。人の使える魔法の範囲を超えて、ありとあらゆるものを破壊できる。実際、久須那はどういうつもりでシオーネが“狩り”を続けてきたのかは判らない。けれども、それはジングリッドの言ったことを裏付けるだけのことで、久須那の苦悶の種が増えただけだった。
「久須那」サムが久須那の肩を押さえて前に出た。「こんなところで、悩むんじゃねぇよ。今はこいつを止めるのが先だ。こいつが止まれば協会のことなんかレルシアや司祭さまが何とかするさ」
「本人を目の前にして言いたい放題言ってくれるじゃないか。人間ごときとたかだか“エンジェルズ”風情が何が出来る?」理知的な嫌らしい笑みがこぼれる。
「この前とは訳が違うぞ、ジングリッド」
「どこら辺が違うのだ?」ジングリッドの眼が意地悪に煌めいた。
「そおだな。とりあえず、久須那との親密度が倍増ってとこか」
 と言われて、ジングリッドはちょっとの間、サムと久須那を見比べていた。
「あまり変わらんのじゃないのか?」
「さあ? これから一戦やらかそうって相手にホントのことを教えるわけないだろ」ニヤリ。
「まあ、そうだろうな。――では一つ、賭けをしようか? イクシオン」
「へっ。俺が勝てば火を消して、精霊核を諦めてくれるって賭けなら乗るぜ?」
「なかなか、話せるな。その代わり、わたしが勝てば……」
「サム! ジングリッドさまの口車に乗るな」久須那はいよいよ黙って見ていられない。
「フン……。それがかつての同志に、向かって言う言葉か」
 ジングリッドの冷たい視線が久須那を突き刺した。
「言う言葉だ!」身を乗り出してジングリッドの噛みつきそうな勢いだ。
「――久須那は下がれ」
「でも!」振り返った久須那の瞳はサムに哀願していた。
「下がれ! てめぇにはまだすることが残ってるんだよ」
「――お前の……骨拾いでもさせるつもりなのか?」
 久須那は唇をきつく結んでキッとジングリッドをにらみ据えた。
「ほう、シオーネは裏切ったくせに、イクシオンには背かないのだな――。そう……、イクシオン。せっかく、シメオンまで行ったのに幼馴染みのレルシアは連れてこなかったのか?」
 突然思い出したのか、計算尽くなのかジングリッドは話題にレルシアをのぼらせた。
「ジングリッドさまは何もかもお見通しってワケだ。今更、隠し立てしたって意味ねぇしな。そ、レルシアを連れてくるのはやめにしたさ。よぉく考えりゃねぇ、レルシアは協会のお偉いさんかもしれねぇが、ここじゃ何の切り札にもなんねと気付いたのよ」
「ほう!」蔑みを含んだ声色で、サムを見下す。
「レルシアの召喚術で追い返してやろう思ったんだが……失敗したんだろ? てめぇら」
「よく知ってるじゃないか、イクシオン。流石、もと魔法騎士団団長と言うべきかな?」
「チャチャを入れるな。だから、こんな強行手段に出たんだろう。この二年間。触媒のねぇ魔法には膨大なエネルギーが必要だもんな。……精霊核はまさに打ってつけだ」
「――呑気に召喚術の研究などやっていられなくなったのでね」
「何故?」サムは訝しげに問いかけた。「……玲於那に色々と嗅ぎ回られたからか?」
「それもなくはないがな。逆の召喚術を完成させるには時間とコストがかかりすぎるのだよ」
「つまり、手っ取り早い方法に流れたってわけか」
「フン? 何とでも言うがいいさ。ともかく、……こんな茶番には飽きたんでね、早めに終わらせて、とっとと帰らせていただくよ」 ジングリッドの口元が微かにニヤッと歪む。
「そおはいかねぇ。こんなところで精霊核のエネルギーを解放されたら困るんだ。できれば、新しい方法が見つかるまで大人しくしていて欲しいもんだが……。時間がかかると言っても、てめぇが生きている間にそれくらい何とかなるだろ?」
「却下する。ま、そもそも古い精霊核に限界が来ていてね。一個壊れたら、その後は連鎖反応だ。拠り所を失った精霊核はもろいからな……。指向性だけ定めてやれば、膨大なエネルギーの渦が異界への扉を解放する。それで終わりだ」
「――てめぇは帰っちまうからいいかもしれねぇが、リテールの連中にゃぁ始まりだ」
「かもな。だが、わたしには関係のないことだ。それに今更わたしを倒したとしても手遅れだよ。精霊核の崩壊は止められない。今か、それより少し先か。指向性か、無秩序か。それだけの差だ」
「てめぇはやっぱ、悪魔だな」
「最高の褒め言葉だよイクシオン」
 激しく燃え盛る炎がエルフの森全域に勢力を拡大していく中、ジングリッドの高笑いが非現実的な響きを持って死にかけた森にこだましていた。