12の精霊核

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13. become frayed(ほつれかけた糸)

「ダークエルフ……、ここに入ってこられるとはお前は何者だ?」
 デュレは腕を組んだまま、セレスを組み敷いた久須那を鋭い視線で貫いていた。そして、久須那を悪戯に刺激しないようにそっと歩み寄ろうとする。久須那とは初対面。少なくとも、久須那にとってデュレは初対面のエルフのはずだった。
「デュレ。――デュム・レ・ドゥーア。お目にかかれて光栄です。久須那さん……」

 見渡す限りの灰色の廃墟が広がっていた。さわさわと心地よく風に揺られてるはずの草さえも生えていない。ここはデュレの知る限り、協会の第一級危険地区に指定された立ち入り禁止区域だった。そして、ずっと向こうのエルフの森が見える以外、何も存在していなかった。
「……」デュレは心臓を締め付けられるような思いをした。「……テレネンセスが復興したのは――シメオンが滅んでから……?」デュレはサムには聞き取れないような小声で呟いた。
「そんで、デュレはこの何もないテレネンセスに何の用があるんだ?」
 サムはデュレに背を向け、ティアスの背中を優しくなでていた。
「……いえ、特に然したる用事はあるような、ないようなですけど……」
 デュレは困惑を隠せない様子で半分しどろもどろになりながら言った。サムにテレネンセスまで行きたいと言った時にはこの場に“街”があると信じて疑うことは考えてもいなかった。今この瞬間、デュレが知ったこと。シメオンが滅ばなければテレネンセスが復興しないかもしれないと言うこと。
「――オレに隠し事はいらねぇぜ。シェイラルを知っててめぇがここに来たのなら俺たちはある意味で他人じゃないのかもしれねぇしな……」
「――? どういう意味ですか?」
 デュレは不思議そうな眼差しでちょっとだけ切なそうにしているサムの横顔を眺めていた。
「運命の時が再び訪れた。だから、俺はここにいる」そして、サムはニヤリとしてデュレを見詰めると先を続けた。「時を越えこの時代に降り立ったのはてめぇらだけじゃねぇってことさ。ま、そんなのはいずれ判ることさ。だから、今は教えてやらんっ!」
 訝るデュレをよそにサムは上着のポケットに手を突っ込んでずんずん歩いていってしまった。
「……ついて来いよ。てめぇの行きたいところはおおよその見当はつく」
「でも、ここはわたしが思っていたのとは……」
「ああ、違うだろうな」サムはデュレに振り返ることなく背中で答えた。「……俺の思い出もここにあったんだがなぁ。また、見事になくなったもんだとつくづく思うぜ」
 サムはその昔には道があっただろう石畳の跡に転がる小石を蹴っ飛ばした。
 確か、リボンと共に来たときは協会から攻め立てられると思って、戦々恐々と周りを落ち着いてみている余裕がなかった。けど、今は無惨な姿をさらすテレネンセスを見て取れた。風化した瓦礫の山に草が生い茂り、あるいは森のように木が茂っていたのなら、安心できたのかもしれない。
「千五百年……。ホントにここには千五百年の時が流れたのですか? 十二の精霊核の伝説に残る最後の戦いのあと、時が止まってしまったかのように――」
(千五百年か――)サムはデュレのつぶやきにおかしなところを見つけたがあえて指摘はしなかった。
「――本当に止まってしまってるのかもしれねぇぜ?」
 サムはただ前だけを見て静かに答えた。真面目な返答がくると思ってなかったデュレは当惑する。
「え? ……しかし、そんなことはあり得ない――」デュレの瞳が揺れた。
「真に受けるんじゃねぇよ。ジングリッド配下の天使たちが焼き払った。イグニスの炎は特殊だからな。ちっちゃくほんの少しだけ焼けただけなら草木の生命力の方が強い。が、広範囲に渡れば……ご覧の通りになるわけさ。これが……協会の覇権を一時は握った天使の力」
 サムは瞬間立ち止まって、真摯な眼差しでデュレの顔を見つめると再び歩き出した。
「――?」デュレは意図がつかめなくて、ちょっとの間、きょとんとしていた。
「……マリスが覚醒する」サムは必要最小限のことだけをデュレにかまをかけた。
 シメオンで出会ってシェイラルの名を出されたとき、デュレたちがなぜここに来たのかうすうす気がついていた。が、あまり喋りすぎるのも危険な賭だったのだ。
「どうして、そんなことが判るんですか? 伝説にそんなくだりはありませんし、予言だなんて非現実的なことを言うつもりじゃないでしょうね?」デュレはもちろん、サムに詰め寄る。
 けど、サムはデュレの発言を無視して喋った。
「予言なんざぁ信じたいやつだけが信じたらいいのさ。けどな、歴史の片隅にでも残ったものには何かしの意味があるもんだ。真摯に受け止めておくべきだぜ?」
「う……」
 気ばかり焦って、自分は何を言ったのだろう。デュレは少しばかり後悔した。サムは反省したかのようにちょっとだけ肩を落とすデュレを見て、微かに微笑んだ。
「……マリス自身が残した言葉だ。『来るべき運命の波打ち際にかくして小舟は辿り着き、始まりが始まる』てめぇらがシメオンに現れるまでさっぱりだったぜ。が、ようやく、答えが見えだした。……小舟に乗ってやってきたのは――デュレとセレス。てめぇらだ」
「え、あの、ちょっと、言ってる意味がよく判りません」
 しかし、デュレはサムから答えを得ることはできなかった。
「てめぇが来たかったのは多分、ここだろ?」
 サムが立ち止まった場所はデュレも知っていた。ついこの間、リボンと一緒にここに来たのだった。玄関前の壊れた階段を上ると仄かなオレンジ色をした蜃気楼のように揺らめくものが見えていた。それは玲於那の魔力の残像だった。
「それは知ってる顔だな? デュレ? てめぇがどうやってこれを知り得たのか、多少の興味はそそられるが……、そんなもん、どうでもいいな。――これから起こることに比べたら」
「いちいち、そうやって焦らさないで、ちゃんと最後まで言ってください!」
「あん?」サムは頭の後ろで手を組んで面倒くさそうにデュレを見つめた。
「だから! はぐらかさない。そういう中途半端なこと、わたし、嫌いなんですっ」
 デュレは腕を組んでつんとサムから顔を背けた。そして、サムは思わず頭をかく。
「……てめぇもきっつい性格してるな。久須那顔負けだぜ?」
「そうですか? じゃあ、きついついでにちょっと気になってることがあるんですが……」
 好奇心いっぱいの子供のような眼差しで、デュレはサムを見つめた。
「何だ?」いやな予感がするようで、サムは少し後ろに半歩くらい退いた。
「あなたと久須那さんの関係」くるりと瞳を閃かせる。「ちゃっきーがちらりとなんか言ってましたよね? それにサムは久須那さんと知り合いのようなそんな口振りでしたから。わたしと深く、知り合うにはまず、そこらあたりのことをはっきりさせていただかないと……?」ちょっと色目使い。
「そんなつもりもねぇくせに、よく言うぜ。その口は。――が、最初の質問には答えてやる」
「それはありがとうございます」デュレは右手をすっと腹の前で折って深々と礼をした。
「やりにくいな」左手は腰に当て、右手は頭をボリボリとかく。「――黒い翼の天使・マリス。てめぇなら、知ってるよな?」
 サムの問いかけにデュレは黙ってうなずいた。それを確認すると、サムは続けた。
「その昔、久須那が封印される要因を作った災厄の天使。俺も人づてに聞いただけだから、詳しくは知らねぇが、シリアは知ってる。……あいつが唯一の生き証人なのさ。あの時、大事な相棒を亡くしたらしくてな。バッシュが現れるまで見てる方が切なくて、辛かったぜ――」
「フェンリル……氷の精霊王は絶えずフラウと言う氷の精霊を連れていると……」
「そお言うこった。あいつがマリスに固執するワケの一つなのさ」
「……復讐……なのですか?」デュレはあまりの信じられなさにボウッとしてサムに尋ねていた。
「は? そんな心の狭ぇやつじゃねぇよ。敵に塩だって送っちまいそうなやつなのに」
 それを聞いてデュレはほっと胸をなで下ろした。自分がリボンの復讐を果たすために利用されてるなら、例えそこにどんな事情があったとしてもデュレは許せなかった。綺麗事と言われようとも、それは少なくともデュレにとってあってはならないことだった。
「だとしたら、シリアくんはどんな気持ちで“今”を待ってたんでしょうね?」
「そんな湿っぽいことは本人に直接、聞きな。俺は知らねぇし、やつの過去に興味はねぇよ」
 サムはデュレを伴い壊れかけた階段をポーチまで上った。すると、ふわふら当て所もなく彷徨っていたオレンジ色の光がデュレとサムの周りに集まってきた。暖かい。
「……デュレは玲於那に受け入れられるのか……」
「玲於那さんも知ってるんですか?」
「あ? ああ」余計なことを口走ったと思ったのか、サムは少しだけ狼狽していた。「知っているというか何というか……」サムはごにょごにょと口ごもってお茶を濁した。
 デュレはサムの予想しなかった行為に好奇心がくすぐられた。が、久須那に戦いを挑みに行ったセレスのことを考えていると呑気に好奇心を満たしてる場合ではない。デュレはぐっとこらえた。と、そんなこんなを考えているうちに、デュレとサムは玲於那の魔力に誘われてテレネンセスの小さな教会跡に入っていた。
「……」デュレは神妙な面持ちになった。「どうして、サムはわたしをここに連れてきたのですか?」
「別に連れてきた訳じゃねぇよ」
 歯切れの悪いサムの言動を見て、デュレはやはりサムは何かを隠していると思った。それは少なくともデュレやセレスに知れては困るようなことで、けど、いつかは話す必要があることのようだった。
「……素直じゃないですね。――わたしが久須那さんに顔負けなら、サムはセレス似ですね♪」
「素直じゃないところがって言いたいんだな、てめぇはよ」
 小さな教会の廊下を歩きながら、デュレは再びあの日と同じ光景を見ていると考えると不思議な感じがした。一言では説明できない大きな流れの中に巻き込まれてしまったかのよう。自分とセレスはその行く末を知っているのに、ここにいる誰もにとってそれは見も知らぬ遠い未来の出来事だった。
「あ〜、やっぱ、何も残ってねぇか。千三百年だもんなぁ」サムはほとほと困り果てたように頭をボリボリとかいた。「しっかし、ま、派手にやってくれたもんだぜ、ジングリッドのやつ……」
 そこかしこを眺め回して、サムはとうとう大きなため息をついた。
「けど、もしかしたら、あそこは無事かもしれねぇな……」
 ふと何かを思い出したかのようにサムはデュレの存在を忘れてしまったかのように歩き出した。
「サム? どうかしたのですか?」ちょっぴり不安になってデュレは尋ねた。
「あ? ああ。ちょっとな」けど、デュレを見ようとはしない。「……祭壇があってな。そう、玲於那の祭壇――。あそこは頑丈だから無事だとは思うんだけどな。てめぇの欲しい何かがあるとしたら、多分そこだろう。そこに何もねぇとしたら――この街には紙切れの一枚も残ってねぇぜ」
「……わたしの欲しかったもの――見たかったものはもう何もありません」デュレは瞳を閉じて正直に言った。「わたしはテレネンセスは生きてると信じてました。けど、ここは――」
 デュレはキュッと唇をかんだ。
「なるほど。てめぇはシェイラル血族の生き残りに会いたかったって訳だ。この街で」
「!」デュレはドキンと心臓が胸の中で小さく飛び跳ねるのを感じた。
「誰に聞いたんだか知らねぇが、生きてるこの街に用があるってならそんなとこだろ? と言うことは……てめぇらの目的は久須那の封印を解くことってわけだな。そして、てめぇの様子を見てりゃ何となく判るが、過去か未来か、てめぇはこの場所で何かを知った」
 サムは話をしながら崩れた壁に埋もれた扉を蹴り倒して強引に開けるとその中に入った。そこは半地下の礼拝堂。何もかも同じだった。床に倒れたままになっている天使の彫像も、このさほど広くもない空間を支配している奇妙な波動も。
「いつか、こんな時が来る。そう思っていました」
 どこからともなく聞こえたセリフすら同じだった。
「十二の精霊核。意図的にねじ曲げて残した伝承。ホントのことを知りたいですか?」
「……壊れたレコード……。同じところだけを無限にループする傷の付いたレコード――」
 デュレの聞き覚えのある声はあの日、リボンと共に訪れたときと同じように無機的に言葉を繰り返していた。ここで、デュレが口を挟めば少しはセリフも変わるのだろうけど、それは予めプログラムされた範囲でしか変わらないとリボンが言っていたのを覚えていた。シルエットスキルほどの柔軟性は備えていないと。
「シェイラルのおっさんもまた、面白いものを残していったな」
 サムは感慨深げにキョロキョロしながら散策を始めた。サムはサムで別に目的があるようだった。天井から降り注いだ石膏の粉や、ほこりを吹き飛ばしながら探し物。けれど、意図したものは見つけられないようで落胆した風にそこら辺をぷらぷらし出した。
 と、全くの不意だった。サムを追いかけていた目線を天使の彫像に戻す途中、デュレは床に真っ白く真新しい紙切れを一枚発見した。それは確実にあの日になかったもの。それに昔からあったものだとしたら黄ばんでいてもおかしくない。デュレは思わず駆け寄って拾い上げ、たたまれた紙を開いた。
「――セレスへ、1292,Gemini 24。地下墓地大回廊にて待つ。……そんなこと――」
「どうした? デュレ」デュレの変な声を聞きつけて、向こうにいたサムが戻って来た。
「いえ、何でもありません。それより、早く帰らないと、セレスがやられてしまいます」
「……『勝ってもらわないと困る』んじゃなかったのか?」ニヤニヤしながらサムは言う。
「あの状況で本人に向かって絶対負けるなんて言えますか」憤慨してデュレは怒鳴った。「けど、久須那さんとセレスの実力差を考えれば、結論はその一点しかあり得ません。だから、手遅れになる前に行かないと……」声色が少し上擦っていた。
「……久須那はセレスを殺したりしねぇし、てめぇが行ったところでどうなるワケでもねぇだろ」
「それは判ってますけど、勝つ必要なないし、かえってコテンパンにされた方がちょうどいいかも……」と不意に、デュレは微笑んだ。「とは言っても、負けない自信……久須那さんと引き分ける自信はありますよ。いえ、――心配してるのはそんなことじゃなくて……」
「じゃ、何だ?」サムはそれ以外に何の心配があるのかと言いたそうにしていた。
「セレスのプライド。あの娘、大雑把に見えて、かなり繊細だから。……ケアしてあげないとショックからなかなか立ち直らなくて……」
「そうは見えないが……」サムはデュレの心配そうな顔を見詰めて訝った。
「意外そうですね……。けど、あの娘はあなたの想像以上に脆いんです。虚勢を張ってるワケじゃないんだけど、それはフツーですよ。何というか……。その説明しにくいんですけど、セレスのあのあっけらかんとした楽観的で朗らかな性格って、小石の上に建ってるお屋敷というか……」
「まぁ、何となく判った。セレスには心の傷みたいな何かでもあるのか?」
「よく判りません。セレスとは幼なじみというワケではないですし、昔のことはあまり話したがらないから……。私が知ってるのは――セレスが暗くて狭いところが嫌いってことかしら……」
「暗くて狭いところね。――じゃ、俺んちの地下室はちーとばかりまずかったか?」
「いえ、好奇心が勝った時はどうってことないみたいです」
「はん? 結構、現金なやつなのな」
 サムの言葉にデュレは瞳を閉じて首を大きく横に振った。
「淋しがり屋で、一人取り残されるのが怖いんです。あの娘。だから、わたしがいてあげないと」

「デュレか?」リボンは燻っていた尻尾を何とか落ち着かせるとようやく喋った。涙目で毛並みをふーふーと吹いて何だか可愛らしい。「お前はサムと一緒に……ティアスに乗ってテレネンセスに行ったんじゃなかったのか?」
 デュレはフッと力を抜いた笑みをリボンに向けた。
「行って来ましたよ。そして、判ったことが幾つか……。けど、そんなのは後でいいです。……今は――久須那さんとの腕試しが先。選手交代。よろしいですか?」
「……わたしは構わないが、セレスのプライドが許すのか?」
「このざまであたしに何をが出来るってさっ」久須那に下敷きにされたままセレスは毒づいた。
「じゃあ、シリアはどうだ?」久須那は短剣をセレスの首に押し当てたままリボンを見た。
「オレはレルシアとの約束を果たせるならそれでいい。お前も知ってるだろ? オレはただのお目付役で、主役はお前だろ? お前がいいというのなら、オレに文句を言う道理はないってワケさ」
「そうか?」久須那はちょっとキョトンとしたように返事をした。
「なら、あなたの下にいるセレスを放してください」デュレは強い口調で言った。
 久須那はデュレの顔をしげしげと見詰めて、セレスの上から立ち上がった。そして、視線をセレスに落とすと、手を差し伸べる。セレスはそんな久須那を胡散臭そうに睨め付けた。罠じゃないとは言い切れない。戦いを繰り広げたばかりで少し久須那に対して疑心暗鬼になっていた。
「試験はお終いだ。不意打ちはしない」
 心からの笑みを見せられてセレスはちょっとだけほっとした。正直なところ、勝つつもりで挑んで歯牙にもかからなかったのだから、大ショックだった。けど、それでも久須那をホントに敵に回してしまうよりは百倍ましだった。
「ありがとっ」セレスは久須那の手をとった。でも、いまいち素直になれない。
 セレスは立ち上がると、ちょっとしたもどかしさを感じながら久須那から離れた。
「では、お手合わせ願えますか? ……ダークエルフ、闇の魔法使い、デュレ」
「その前に幾つか聞きたいことがあります」デュレは瞳を鋭く閃かせて久須那を見た。
「これから戦う相手とお話ししたいとは変わってるな、お前。ま、いいだろう。……が、わたしもその前に、――セレス、短剣を返すぞ」
 久須那は短剣をくるりと回して、セレスに方に柄を向けた。セレスはコメントを控えて、短剣だけを受け取ってバッシュの傍らに落ち着いた。そうでもしなければ、悔しさが先に立って余計なことまで口走ってしまいそうだった。デュレは微かに塞ぎ込んだセレスを見てちっちゃな不安を感じた。セレスは大概、こういう不安や悔しさでいっぱいの時は饒舌なお喋りになるのだった。
「天使は……この世界に召喚された天使は召喚師あるいはあなたをうち負かしたものに絶対服従だと聞いたことがあります」デュレは久須那の瞳に何か動きが見えないかずっと注視していた。けど、思うような成果は得られなかった。「あなたのマスターは誰ですか?」
 が、久須那は沈黙を守った。と、そこへコツコツと石の部屋に足音が響いた。
「てめぇが十二の精霊核の伝説を知っているなら、判るはずだ」
 その時、デュレは自分が大切なことを忘れていることに気がついた。サム。イクシオンは十二の精霊核の時代が“今”だった頃、サムという偽名を使っていたという。けど、そんなことはあるはずがない。彼は千五百年前に死んだはずだった。この時代にいていいはずがない。
「しっかし、ま。俺とティアスをおいて行っちまうんだから、酷いやつだよな、てめぇも」と、サムは大笑いをした。「ティアスのやつはデュレに嫌われたと思ってすっかりしょげてたぜ。それにしてもすっげ〜、熱い眼差しだな、デュレ。さては俺に惚れたな?」
「……」熱い眼差しは即冷めて蔑みを含んだ眼差しに変化した。「そんなことは絶対にあり得ません。しかし、その、あなたはあのイクシオンだと……?」
「実際、そうなんだから仕方がないだろ?」サムは両手を広げて久須那に歩み寄った。「が、俺はもう久須那のマスターじゃねぇよ」手をひらひらさせる。「久須那はもう“召喚の呪縛”から完全に解放されてる……。俺が死んだあの日にね」
「……サム――、どうしてしばらく会いに来てくれなかった……?」
「俺だって、色々事情があるのさ」見つめ合って、サムは優しく答えた。
「……また、女か?」語気が荒々しくなった。「お前の頭の中は女のことしかないのか!」
「い?」サムは焦った。「ち、違うって」
「は〜ん? サムって久須那には形無しなんだね。バッシュ?」
「本気で惚れた女にゃ弱いんだろ? 男なんて」
「けど、あれはかなりマジに怯えてるんじゃないの?」
「ジーゼならまだ許してやってもいいが……。もし、他の女だったら……張り倒すぞ」
「って言うか、てめぇ、シルエットスキルだろ? 何で俺がそこまで言われる?」
「……かも知れないが、わたしとオリジナルも結局のところは同じだぞ?」
「ごもっともなご意見で――」
 サムがそのまま押し黙ると、また、あらぬ方向から賑やかな声が届く。
「へっへ〜ん♪ 張り倒されるだけすんだらラッキーだね。きっときっと、ホントのことがばれたなら、サムっちは……ふったたび、黄泉の国まで一っ飛びだ、ね〜〜♪」
「なぁ」そこへリボンが口を挟んだ。「どいつもこいつもどうして話がすぐにそれるんだ?」
「……シリアを筆頭にしてな」静かな口調でバッシュが言えばリボンはぐうの音も出せなかった。
「すまんね。どうせ、オレはお喋りオオカミだよ。黙ってりゃいいんだろ?」
 話がもつれてしまってデュレは瞬間、困った素振りを見せた。さっきから見ていたら、みんなは全員知り合いのようだったけど、まるでまとまりがない。自分とセレスのことを考えてもその傾向が強いからよそのことまでは言えないが、類は友を呼ぶとはよく言ったものだとつくづく思った。
「それで、仮にわたしが久須那に勝てばどうなりますか?」
「仮にも勝てねぇよ。てめぇじゃな。言ったろ? 技の切れが甘いんだ」
 デュレはやってみなければ判らないじゃないとでも言いたげにサムを目線で突き刺していた。
「へぇいいぃ。そちらの黒髪、黒瞳の勝ち気なお嬢様は天下無敵の久須那っち……のシルエットスキルに勝つ気でいるじぇ? けちょんけちょんにされるとは夢にも思わず、行けるとこまで行っちまえ! あ〜う〜。若くて幼いっていいねぇ」
「――ちゃっきー、どこから来た? てめぇはここには入れないはず……」
「ノンノン。おいらにぶちゅり法則など関係ねぇのだ。壁抜け屋根抜け何でもござれじゃ」
「そんなこと得意げに言われてもな……。――バッシュ、やっちまえ、こんなの」
「ちっちっち」ちゃっきーは左手の人差し指(?)を左右に揺らした。「バッシュごときの超スローなアローになどやられるわけがごじゃいません!」
「じゃ、わたしがやればいいんだな?」
 久須那は呆れたようにため息をついてちゃっきーをぷすっとやってしまった。
「邪魔者がいなくなったところで始めようか? デュレ」
 呆れた眼差しが瞬間で消え失せ、戦いの煌めきに取って代わった。
「ええ、そうしましょうか? 久須那さん?」
 その恐ろしいばかりに鋭い光を宿した久須那の瞳をデュレは全く動じることなく見つめ返していた。しかし、この戦いはどう楽観的に見積もってもデュレが不利だった。天性の洞察力、戦闘経験のどれをとっても自分の方が劣っている。だから、デュレは不安とも似つかぬ落ち着きのなさを感じていた。
「はったり……かましてるね、ありゃ」
 セレスがずっと遠くからデュレと久須那を眺めながらぽつんと言った。
「そおは見えねぇぜ? てめぇが実はナイーブだってのより信じられねぇぜ」
「……誰がナイーブなんよ?」セレスは目を細めてサムを見る。「はぁん。さてはデュレか、あいつめ、余計なことを――」
「黙って見ていろ。お前たち。うざいっ」バッシュは二人の耳のそばで囁いた。
「ひぃっ。ごめんなさい」思い切り驚いてセレスは頭を垂れた。
 その場に居合わせた全員が再び視線を戻すと、久須那とデュレは対峙していた。
 久須那は弓を構えることなく左手に持ったまま垂らしていた。デュレは武器を持っていたなかった。セレスと組むようになってから、デュレはあまり武器を持ち歩かない。武器を持たせればセレスの方がずっと強かったし、闇魔法でデュレの右に出るものはない。それだけ、自分に自信があり、セレスを信用していると言うことでもあった。が、一対一となれば、そんな役割分担も裏目に出るかもしれない。
(……勝たなくてもいい。勝つ必要はない。けど、チャンスは一度きり――)
「どうした? デュレ。目が泳いでるぞ」久須那はクスリと笑った。
 そして、デュレは不敵に笑い返す。この行為で久須那の怒りを買えば一巻の終わりだ。そんなことは重々承知していたけれど、今のデュレにはこの“微笑み”が精一杯の戦いだった。
「深淵なる闇の支配者シルト、我が呼び声に応えよ」凛とした張りのある声が地下室に響く。
 デュレが正式に呪文を唱えることは滅多になかった。闇魔法には幾つか種類があり、呪文を省略することなく全て唱えるものが最高の力を発揮する。けど、その分無防備になるだけにデュレは大概、正式なものと簡易魔法との間、中間の呪文を使っていた。
「……」久須那は黙して待つ。冷めた目線ではあるが、興味深げにデュレの口元を見ていた。
「我が名はデュム・レ・ドゥーア。闇の力を操るものなり。闇は邪にあらず。追憶の片鱗に住まう孤独の想い。そを打ち砕き、いずる力を我に与え、我が心の声を聞き届けたまえ。刹那の閃き、深淵、漆黒の闇を彼の世界に呼び覚ませ」
 そこまで、呪文を唱え終えたとき、虚空に透明度の高い赤のラインで構成された巨大な“眼”が出現した。通常の闇魔法で白いラインで描かれるものは六芒星が二重円で囲まれた魔法陣だ。閉じたままの瞳はキャリーアウト直前の姿。大概の闇魔法はまぶたの開き加減でその進行度合いを知ることが出来る。とは言っても、閉じた状態から開くまで瞬間で過ぎ去るので、間合いを計れるものはいないに等しかった。
「バニッシュ・アイ」
 魔法の呼称を最後に言うと、呪文は完成する。その直後、瞳がカッと見開かれて地下室全体が白い闇に呑まれ視界が閉ざされた。それは閃光に近く、視神経を瞬間的にパンクさせて視覚を奪うのだ。次いで、深淵の闇があたりを埋め尽くすと、本当に数分から十分近く何も見えない。
 この魔法がシルエットスキルの久須那に効果を上げるかどうかは未知数だったが、久須那のちょっとだけ当惑したような姿を見ると望外の効果が得られたらしい。
「デュ……デュレ〜?」力無いセレスの声がする。「あたしさ。あの、ちょっと、怖いかなぁなんて」
 と、セレスの足下に何かふさふさしたものが触れた。考えたら、それはリボンの尻尾しかあり得ない。セレスは何とか掴めないかと必死になった。何も見えないところで一人になるのはいやなのだ。
「あはっ♪ 捕まえた!」セレスは尻尾のようなものをギュッと握った。
「――オレはちっとも嬉しくないぞ。思い切り絞られると痛いんだぞ?」
 そんな遠くのやりとりを気にする余裕もなく、デュレは次の魔法の準備にかかる。視力を奪っても久須那ならば自分の気配で察知されてしまうだろう。だから、周囲の空気を乱し久須那を攪乱する。
「アルティメイト・スピアっ」デュレは上着の内ポケットから迷うことなくその護符を取り出した。
 ツイン・スペル。二つの魔法を制御するには高次のスキルを必要とする。生半可のことではさっきセレスがやったような訳の判らない結末を迎えることになる。
「キャリーアウト」
 次の瞬間には護符から溢れ出した霧状の何かが黒光りする槍に変化し、透明になった人間が投げているかのような自然な軌跡を描いて飛んでいく。それは一本きりではなく、的を同じくした槍がデュレの魔力の及んだ範囲からその力が尽きるまで飛び出す。
「……スペル・シールド」
 ギィイイイィン。凄まじい金属音が辺りに反響してアルティメイト・スピアが弾き返されたことを知る。この魔法はダークフレイムやシャドウカッターのように闇魔法のうちでも物理属性に近いために上級者の使うシールドなら容易くはじかれてしまう。となれば、当然、はね返った槍もあるわけで。
「うわっ! もう、無茶苦茶! 天井が崩れ落ちるって。滅茶苦茶しないでよ!」
「セレスのシャドウ+フライングの悪戯よりも十分すぎるくらいましでしょ?」
「あら〜、すっかりばれてるのね……」セレスは少しばかりげんなりした。
 そのシールドと槍のせめぎ合う音や、床を削る音の喧噪の中をデュレは久須那に迫ろうとした。むろん、歩いてではない。 フォワードスペルを使う。普通は至近距離の移動や狭い空間内の移動に使うことはない。到達精度が悪いので、他の物体と重なってしまう可能性が高まるのだ。けど、デュレはあえてその方法を実行しようとした。緊張の一瞬。出口の座標を久須那の背後に定めた。
 デュレの知っている闇魔法には久須那を屈服させられるようなものはない。物理属性に近い魔法はシールドに弾かれてしまうし、バニッシュ・アイなど間接的な法力では決定打にならない。自分が直接手を下し、久須那を納得させるしかない。
 そして、デュレは決意を新たに誰にも聞き取れないような小声で呪文を唱えた。
「――これなら、どうですか!」
 デュレは久須那の背中に回り込んでいた。それから、気付かれぬように翼の間から手を伸ばし、羽交い締めにした。が、久須那は微かに首を後ろに向けて、思い通りと言わんばかりにニヤリとした。
「お前は大切なことを忘れている――」
「――久須那さんもね♪」デュレも負けじとニヤリとする。
 久須那はデュレに背を向けたまま右手の平をデュレに向けた。と、その上にフッと仄かにオレンジ色の光が湧き出る。それは魔力の色。その存在に周囲が気がつく頃には小さな炎の玉に変化していた。
「ボムフレイム!」
「フォワードスペル。ピンポイント」
 久須那の手から今まさに離れようとしていた火の玉を捕らえて、瞬間的にどこかに吹っ飛ばした。デュレは予測していた。首を絞めて上体の動きを封じたら、きっとそうくると踏んでいたのだ。
「ちょ、ちょっと、デュレっ! どこに飛ばしてるのさっ! あちっ、熱いって!」
 セレスが騒いでいるところを見ると、火の玉は観客席に飛び込んだようだった。
「……なるほどな。バニッシュ・アイまで使えるとはなかなか侮れない。しかも、ツインスペル」久須那は瞳を閉じると静かに首を横に振った。「そろそろ、終わりにするか? デュレ?」
「……?」瞬間、久須那の意図が解せなかった。それにセレスが気付く。
「あっ! デュレ!」
「敵の身体に安易に触れ、気を抜くとこうなるっ!」
 久須那は自分の首に回されたデュレの右手首をきつく握り、素早く腰を落としながらデュレの右手を手前に引っ張った。デュレの身体を背中全体で支え、立ち上がる勢いに任せて宙を舞わせた。すると、デュレの身体は右腕を支点にして一回転。デュレは受け身をとる暇もなく背中からもろに床に落ちた。
「あぐっ! ……げほっ、うぅ……げほげほっ」
「あちゃ〜」セレスは見ていられなくなって目を両手で覆って横を向いた。「――あたしと同じような手でどうしてやられちゃうかなぁ、キミは……。久須那は魔法や、弓だけじゃないって言ったの、デュレじゃなかったっけ?」
 けど、セレスの言葉はデュレに届いていないようだった。デュレは倒れたままの格好で見えもしない天井をぼうっとしたように見つめていた。瞳にはうっすらと涙がたまっている。勝てないとは思っていたけれど、ここまで綺麗に、あまりに予想外な手によって負けるとは思っていなかった。これが矢に当たったとか、炎術に巻かれたならいくらか救いはあったような気もする。
「デュレ〜? どうしたんよ? キミらしくない」
 わっと泣き出してしまいたいくらいに悔しかった。いや、悔しさなんか通り越して惨めだった。心のどこかでセレスを助けるつもりでいて、頭のどこかで負けないと根拠なく信じていた。
「デュレ? 泣いてる?」セレスはデュレの顔を上から覗き込んでいた。
「な、泣いてなんかいませんっ! ただ、ちょっと目にほこりが入っただけですっ」
 デュレは起きあがりながら、目をごしごしとこすった。
「――素直じゃねぇのはセレスじゃなくて、デュレなんじゃねぇのか、ホントは?」
「あ〜、サム? 余計なこと、言わない方がいいよ。デュレのお説教タイムは始まると長いし、止まらなくなると非常に厄介なことになるから……」
「……結果はどうあれ、楽しませてもらったぞ。二人とも。近頃、骨のあるのが全然いなくて、退屈していたところなんだ」と言って、久須那はおもむろに瞳を閉じた。「お前たちになら任せられる……」
「――いいのか? 久須那」リボンが尋ねた。
「ああ、どうしてか判らないが……信用できる気がする――。勝ち負けが全てではない。そうだっただろ? レルシアさまもそう言っていたはず。真の勇気を持つものしか封印の鍵を手に出来ない。わたしを恐れずに対峙できるお前たちならば、マリスにも立ち向かえる気がするよ」
 そう儚げな笑みを浮かべた久須那の顔がデュレとセレスの脳裏から離れることはなかった。あの日、確かにデュレは聞いた。玲於那に受け入れられ、久須那の封印を解くのが自分たちだと。この1292年から魔法を持ち帰り、1516年で久須那の封印を解くのだと。そこにマリスが現れるから。
(……判らない。わたしたちはここで何をすべきなのか――)その時、デュレの頭の中にあまり考えたくないような予想がよぎった。(封印の魔法はきっと手に入る。それから、マリスと対峙して、きっとこの人たちと一緒にマリスと戦う? そして……シメオンは滅び。封印は解かないんじゃなくて解けなかった。だから、リボンちゃんはそう言ったんだ――)
 そう思っていると、視線はいつの間にかリボンと合っていた。
「何だ? 穴の開くほど見つめるなよ。オレってそんなにいい男か?」
「いんや、俺ほどじゃねぇなぁ。ま、せいぜい、三枚目ってところか?」
「もぉ〜、四枚目でも五枚目でも何でもいいからさ。早く、着替えさえてくれないかな?」
「あん? こいつとの話がすむまで、ちょっと待て」リボンはサムの目を見たまま言った。
「ちょっとも待てない。見てよ、これ! 服はボロボロ真っ黒だわ。髪はぐちゃぐちゃよ」
「――後でバッシュの服でももらえ。ついでに風呂も貸してもらえよ……」
「何も、サムんちに行けばいいだろ」バッシュがちょっとだけ意地悪。
「え〜っ。何でよぉ。いいじゃん。バッシュんちに行こうよ? バッシュの家なら……例の“走査”とかのエルフ狩りに関わることをかわせる仕掛けがあるんじゃない?」
「さあ、どうかしらね?」バッシュはセレスの問いを軽く受け流す。
「が、こいつらをサムんちに泊まらせるのもまずいような気がするけどな」リボンが言う。
「おいおい、てめぇらは俺を信用できねぇと言うつもりか?」
「ああ、ことに可愛い女の子についてはよりいっそう。わたしも何度、危ない目にあったか……」
「バッシュ。向こうで激しく睨んでるやつがいるから根も葉もないこと言うのやめてくれない?」
「嘘は言ってない」可愛くウィンク。「じゃ、殺されないように気をつけるんだぞ。サム」と言って、バッシュはおもむろにサムの肩を叩くとスタスタと階段を上っていった。
「そりゃねぇぜ。久須那ちゃん――怒らせると手ぇつけられないんだからよぉ――」
「デュレ? セレス? シリア。そんな女の敵っ! はほっといていいから、いらっしゃい」
「……すまんな、サム。オレも誘われたから♪」
「――」サムはじとっとリボンを睨んだ。「この薄情者!」
「へいっ! 旦那しゃま、大丈夫だじぇい。まだ、おいらがいるでさぁ。おいらは例え火の中、水の中。女たらしの味方だじぇ?」
「……お前はうるさい」久須那は容赦なくイグニスの矢で打ち落とし、ちゃっきーをあっという間に消し炭どころか跡形もなく消し去ってしまった。そして、より本気の形相でサムに詰め寄る。
「……さて、サム――。過去、バッシュと何があったのか一字一句漏らさず説明してもらおうか? いや、今さっきデュレと何をしてきたか……の方がいいか?」
 久須那は弓を力一杯握って、サムににじり寄った。

 一方で、デュレとセレスたちは夕闇の差し迫るシメオンの街並みを歩いていた。1516年ではすでに死に絶えた街。石ころと瓦礫と草むらの街。セレスたちの世界から考えて、二百二十四年前に滅んだ街なのだ。そして、その来るべき運命はすぐそこまで迫っていた。
「……こおいうやり方をしたやつは初めてだったな――」感慨深げにリボンが言った。
「そうだな。よく言えば戦略的――ずる賢い……と言えば、そうとも思うな」
「――あのですね。天使相手に正攻法でやってたら、勝ち目なんかありませんっ!」
 デュレは激しく憤慨して、セレスを指さした。
「へ〜へ。すみませんね。ど〜せ、あたしに戦略なんてありませんよ〜だ」あっかんべー。
「だからっ! 全く、何度やっても久須那さんに勝てないんです。少しは精進しなさい!」
「へ〜い……」セレスは反省したかのように少しだけ大人しくなった。「けどさ、きれ〜に負けた癖にデュレったら口先だけは達者なんだから、やになっちゃうよね」
「何か、言いましたか? お姉さま??」ズイッとセレスに迫った。
 と、全くの不意にデュレは思い出した。サムの言っていた、ワンフレーズ。マリスの言葉。今から千三百年も前にそんな予言めいた言葉を残したという。
「来るべき運命の波打ち際にかくして小舟は辿り着き、始まりが始まる」
 デュレは何気なくつぶやいた。すると、そのつぶやきを聞き止めたリボンが鋭い視線をデュレに差し向けた。バッシュも顔をこわばらせてデュレを見つめていた。
「どこで誰に聞いた? そのフレーズ」
「誰って、サムに……」驚いたのはデュレだった。
「サムか。あのお喋りめ」ぶつぶつ。
「いや、お喋りというならシリアだろ?」何食わぬ顔でバッシュが言う。「それにいつかは言うつもりだったんだろうから、それが早まっただけの話。それくらいはいいことにしておこうよ……」
「バッシュに言われると、オレ、何も言えなくなるな……。ま、ちょっと早すぎると思うんだがなぁ」
「けど、始まりが始まったなら、そうも言っていられまい」バッシュは真摯にリボンを見澄ます。
「ああ、すぐにでもマリスが目覚める……。止められない流れの中に放り込まれた気分だな」
「『来るべき運命の波打ち際にかくして小舟は辿り着き、始まりが始まる』?」セレスは半信半疑そうに、訝った。「どういう意味なのさ?」
「セレスは判りませんか? “来るべき運命”は滅び、“波打ち際”は今。そこにわたしたちという“小舟”が辿り着いた――。つまり、わたしたちがこの時代に着いて滅びが始まると言うことだと思います。でも、マリスのこの言葉だけなら、同じ糸を辿ることだから、心配はないと思うのですけど」
 デュレはセレスの瞳をじっと見詰めたまま完全に押し黙った。
「ど、どしたのさ? 黙らないでよ。キミが黙るとろくなことがないんだから」
「知ったのはこれだけじゃないんです」更に真顔になってデュレは言った。そして、困ったような大きなため息をついた。「……こんな走り書きをテレネンセスの教会で見付けました」
 デュレは制服の内ポケットから手のひら大の紙切れを取り出し、よく見えるようにかざした。
「――セレスへ、1292,Gemini 24。地下墓地大回廊にて待つ……」
 自分の名前がでた瞬間、セレスは心臓をギュッと握られたような感覚に捕らわれた。
「ちょっと貸して。何で、こんなところであたしの名前が出てくるの?」
「……赤の他人かもしれませんが――。そっちの方が確率は低そうです」
「……この筆跡、見覚えがある」セレスはつぶやくように言った。「でも、だって、そんなはずない。どう考えたってそんなワケないよ。――、けど、父さんの字、これ……」
「アルタの字?」デュレは訝しげにセレスに問い返した。
「……本当は生きてる? シメオン遺跡で死んだんじゃない?」
「それは判りません」デュレは力無く首を横に振った。「ただ、何かがおかしいんです――。あの時、なかったはずの不自然に真新しい紙切れ――。そして、それがセレス宛のメッセージだなんて出来すぎてます。――だから、どこかで何かが狂ってるような気がして――」
「は〜ん、不安なんだ。じゃあ、どおでもいいな、真相が判るまでは。けどぉ……」
 セレスは急にぱっと明るい顔をして思ったことをささっと言ってのけた。
「何ですかっ!」デュレはセレスのやる気のない態度にどうしようもないほどの腹立たしさを感じた。
「サムっちさ。全然、来ないんだけど。……もしかして、やられちゃった? けちょんけちょんに?」
 セレスはさっきのことなんか忘れて、嬉々として言った。