12の精霊核

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15. pieces of destiny(運命の手駒たち)

 ジャリ、ジャリ……。誰かが長い長い洞窟を歩いていた。入り口から中間付近までは乾いた壁。そこを過ぎると露出した岩肌が湿気り、所々から水滴が滴っていた。
「マリス……。長かったな、だが、これからはお前とわたしの時代だ」
 何者かがしめやかに話しかけるその相手は氷の向こうに閉ざされていた。黒い翼、黒い髪。閉じられ色をうかがい知ることは出来ないが、その瞳も漆黒なのだろう。
「お前の瞳が開かれる時……、シメオンは暗闇の深淵だ。――今度は邪魔者はいないさ。エルフの小娘どもやバッシュ、シリアなんか障害にもなりはしない」
 それは決して解けることのなかった氷の戒めをそっとなでた。

 翌朝。エルフ狩りの走査などまるでなかったかのような清々しい朝を迎えた。事実、リボンが自身の魔力を駆使して、特殊なフィールドを形成し走査をブロックしていた。ブロックと言っても、走査の目を欺き、バッシュの家をあたかも走査したように錯覚させているのだ。
「ほら、お前ら、いつまで寝てるつもりだ? 起きろ」
 バッシュは勢いよく扉を開けて入ってきて、開口一番にそう言った。
「だぁって、昨日、寝たの、明け方近くだったから、まだ眠くて」
 セレスは毛布を引っ張って身を埋めた。
「問答無用だ!」そして、何かを思いついたようにバッシュは瞬間、口元を歪めた。「……朝飯を食わなくてもいいなら、いつまでも好きなだけ寝ててもいいぞ。脳みそがとろけるまで」
 バッシュは瞳を意地悪に煌めかせてデュレとセレスを見ていた。
「あ、わたしは起きますよ。昨日のセレスみたいにお腹がぎゅるるぅ〜、なんて恥ずかしくて」
「あたしだってヤダ。食べに行くから待っててよ!」
「じゃ、さっさと着替えて来な」
 手を振りながらバッシュは言った。そして、入ってきたのと同様に威勢良く扉を閉めて、部屋を出て行く。階段をトタトタと駆け下りていく音が消えるとデュレは、
「……流石、セレスのお母さんですね。性格までそっくり」と言った。
「余計なお世話さん」
 セレスはぷ〜っと膨らんで、ベッドから跳ね起きるとさっさと着替えをすませた。あのバッシュの様子だとおちおちしていると本気で朝食を片づけられてしまいそうだ。これを食いっぱぐれると行動派のセレスは体力が一日持たない。デュレがさっき言ってたみたいにまたお腹がぎゅるるぅではどうにもこうにも恥ずかしくて仕方がない。
 階下に降りるとリボンはテーブルについて、バッシュはキッチンから珈琲カップやら何やらを運んで並べているところだった。
「お? やっと起きたか。寝坊助どもが」リボンは二人を見つけて、早速揶揄する。
「おはよ。リボンちゃん。今日も毛並みがつやつやだね」ニヤリ。「ただし、尻尾は除く」
「気にしてることをさらりと言うなっ!」ちょっと涙目になった。
「あははぁ。やっぱり、気にしてたんだ♪」
 セレスは頭の後ろで腕を組んで、へへ〜んと仰け反った。
「……わたしは会いに行きたい」
 パンをかじり珈琲を飲んで、気持ちを落ち着かせるとデュレは半ば独り言のように切り出した。
「――どうしてもか?」意図が通じて、リボンは不機嫌な眼差しでデュレを眺める。
「そうです。十二の精霊核の伝承の一端でも知るには生きている人と話す必要が……」
「……オレは――何も知らない方がお前らのためだと思うけどな」
 落ち着き払いゆったりとした口調で話すリボンに予定外の邪魔が入った。玄関ドアがバンと開いてどうやら寝不足気味のサムが姿を現した。目の下に隈を作って、ベッドをあてがってやれば今すぐにでも寝てしまいそうな目つきだった。一晩中、久須那のシルエットスキルに問い詰められていたらしい。
「――行きたいって言ってるんだ。行かせてやればいいだろ」
「あ、サムっち。生きてたんだ♪」嬉々としてセレスは言う。
「死にはしなかったな。とりあえず」乾いた笑い。
「あ〜。相当まずかったんだねぇ」首をうんうんと縦に振りながら妙に感心してしまった。
「だがなぁ」リボンはしかめっ面をしてサムを見つめた。
「どの道、もお止められねぇよ。始まっちまったんだからな。マリスが覚醒するのも時間の問題だ。それならよ。疑問が増えるだけに終わっても、行動したもん勝ちじゃねぇのか」
 そう言うサムにリボンはかなり胡乱そうな眼差しを送った。
「サムがそんなことを言うなんて、裏がありそうでやだな」
「あ? 俺さまを捕まえて何を言うか。俺ほど裏表のない人間など……」
「嘘〜」甲高い声色と共にちゃっきーがサムの肩の上にぽすんと現れた。「てめぇほど、裏表のある人はいねぇぜぇ! 女の前じゃあ、ナイスガイ。男の前じゃあミスタークソ野郎。そして、そして、愛しの久須那っちの御前じゃあ、ただの借りてきたにゃんこ。それでいて、どこのどいつが裏表のないせーかくだってぇ? 聞き捨てならねぇ」
「……とりあえず、てめぇは黙れ」
 サムは肩に止まったちゃっきーを握り潰しそうな勢いで掴むと、床に叩きつけた。
「きゃ〜、ひっど〜いぃ。おいらのビボーが台無しになったらどうするぅ!」
「ならねぇから安心しておけ」
 さらにサムは足下に転がったちゃっきーをくっちゅっと踏みつぶした。
「で、行かせてやればいいだろ。ま、止めたって勝手に行くんだろうけどな」
「いいや」リボンは瞳を閉じて大きく首を横に振った。「行けないさ。そのドアを開けさせないことも、フォワードスペルを封じることも造作もない。オレを誰だか忘れたか?」
「はいっ! 大きな犬ころです!」セレスは挙手して嬉々と大声を上げた。
「……ふざけるな」リボンは怒りに肩をふるわせつつも、噛みつくのは何とか堪えた。
「セレス、真剣なシリアくんを挑発すると、本気で冥界送りにされますよ。注意しないと」
「はん? 心配してないもん。そん時はデュレが助けてくれるんでしょ?」
「知りません!」デュレは腕を組んでそっぽを向いた。「魔法使いとしての技量はシリアくんの方が上です。何かやったら、わたしでは防ぎようがありません」
「あら、案外、素直に認めたのね――」ちょっと詰まらなさそう。
「自分の実力を過大評価するのは良くありません。身の程をわきまえないと」
 デュレはセレスを凄く尖った視線でジロリと睨んだ。
「……死にますよ」
「いっそのこと死んでしまった方がその無鉄砲さも直っていいんじゃないか?」
 バッシュがキッチンからサラダボールを持って来て、テーブルに並べながら、みもふたもないことをつらっと平気で言ってのけた。
「あっ、ひどいんだ、みんなしてさ。こんな性格美人を捕まえて、虐めるんよ?」
「虐めてません」デュレは幾分のさげすみを含んだ眼差しでセレスを突き刺す。「そもそも誰が性格美人なんですか?」
「少なくともデュレじゃないことだけは確かよね」
「……セレス? マリスにやられる前にわたしが張り倒してあげましょうか?」
 デュレはポケットに手を突っ込んでごそごそと闇護符を手に取ろうとした。
「……お前ら、少しは黙ってシリアの話を聞け!」
 バッシュはデュレとセレスの間に立って、二人をげんこつで殴った。
「いったぁ〜い。何もぶたなくたって……」セレスは頭をさすりながらつぶやいた。
「どうしてわたしまで……」
「……オレは出来るならシェラには会わせたくない。そっとしておいてやりたいんだ」
「が、それは徒労に終わりそうだぜ?」サムが横やりを入れた。
「ああ、……何を言っても、気持ちは動かせないか」リボンは諦めたようにつぶやく。
「リボンちゃんは何でそんなにいやがるのさ? 別に捕って食われるわけじゃないんでしょ?」
「あん? 捕って食われるかもな。が、その前にお前は何故、オレをリボンちゃんと呼ぶ?」
 リボンは流し目でセレスの瞳を突き刺した。
「あははっ♪ そのうち判るって。ふふ〜ん。将来の楽しみにとっておきなよ」
「何だそりゃ?」リボンは眉間にしわを寄せてひどく訝った。
「だから、内緒だって言ってるの」
「内緒だと言われると余計に気になる」
「……気にするな!」
 セレスはリボンと目線が会うように腰を落とし、半分笑いながらリボンを睨め付けた。
「それより、そのシェラってどんな人?」
「一言じゃ説明できない」リボンは面倒くさいのに捕まったと顔をこわばらせた。
「はん? 二言でも三言でもいいからさ」
「減らず口をたたくな。飯食ったら連れて行ってやるよ」リボンはついに諦めた。
「そうと決まれば、ティアスを貸してやるよ」
「あは♪ ありがと! サムって意外と優しいね? あたし、デュレのフォワードスペルって苦手でさ。空を鳥に乗って飛んで行けるなら、気持ちいいだろうなぁ」
「対エルフ結界を超えるには空を行くのが一番だ。……ところで、俺の朝飯は?」
 サムはテーブルを見渡して、自分の席がないことに気が付いた。
「何で、お前の分を用意してなきゃならんのだ? 自分ちで食えっ」
 バッシュは取り付く島もなくきっぱり言い放った。サムは久須那に捕まって昨晩から飯抜きらしい。しかも、男の一人暮らしときたら、買い出しに行かなければ食べ物が一欠片もない。バッシュもサムとの付き合いも長いので、もちろん知っている。それから、バッシュは破顔して、笑いながら先を続けた。
「まぁ、腹ぺこで半日過ごすのも可哀想だしな。トーストと珈琲だけでいいなら、いいぞ?」
「それだけでも十分だ。恩に着るよ、バッシュ」
「……これで貸し二つだぞ。何かあったら、支払い、よろしく頼むな」
 バッシュはキッチンにトーストを取りに行った。

 怪鳥・ティアスの背に乗って、リボン、セレス、そしてデュレは一路、アルケミスタを目指した。空の人。遙か上空から見下ろすリテールは緑色の大地。草原、リテール最大級のエルフの森。
「うわ〜、やっぱ、清々しくて気持ちいいわぁ」セレスはティアスの背中で大きく伸びをした。
「わたしは……あまり好きではありません」そ〜っと恐る恐る下を見て、小声で言う。
「はぁ〜ん♪ 高いところは苦手ですか。だから、昨日はサムっちとティアスを放り投げてフォワードスペルで帰ってきましたか。だってさ、ティアス。嫌われたんじゃなくて良かったね」
 と、セレスが言えば、ティアスはちょっぴり嬉しそうに啼いた。
 シメオンから数時間の道のりで一行は小さな田舎町・アルケミスタにたどり着いた。こぢんまりとした落ち着いたところ。シメオンのような雑踏はなく、穏やかな街並みがどこまでも続く。
「こっちだ」リボンは先頭に立ち、顎をしゃくって二人を促した。
「どこへ行くのですか?」デュレは問う。
 町外れにティアスをおいて、二人はリボンの後ろ姿を追いかけた。どこまでも。小さな街の小さな繁華街を通り抜けて、さらに進む。その間、リボンは一言も喋ろうともせず、ただ前だけを見て黙々と歩いた。
 そして、全くの不意にリボンは立ち止まった。感慨深げに建物を見詰め何も言わない。
「そのおばあさんが住んでいるのはここですか?」デュレは尋ねた。
「……そうだ」リボンは短く一言で答える。
 薄汚れた白い壁と尖塔に掲げられた十字架がそこはかつて教会だったことを示していた。デュレは少しばかり唖然として見つめ、足下にいたリボンを確認した。リボンは瞳を閉じてうなずくだけだった。一方のセレスはアルケミスタまで付いて来たもののカビの生えた話には興味がなく好奇心をそそられないようで、早々に街へと姿を消していた。
「――どうした、早く行け。……心配するな、オレとシェラは古い知り合いだよ」
 リボンはデュレから瞳を逸らし、切なげな遠い眼差しを空に向けた。
「シメオンからここに連れてきたのですか……?」
「――ああ」リボンはデュレがどうしてそんなことを知っているのか尋ねもしなかった。「シメオンにはマリスが来る。協会の誇るありとあらゆる結界の類はやつの前では全くの無力なのさ。協会にシェラは守れない――」
「魔法の達人?」デュレは扉の古びたノッカーを見詰めて言った。
「むしろ、魔力そのもの。黒い炎を身にまとう災いを呼ぶ天使。協会が召喚した最後の天使――」
 教会の礼拝堂の入り口で二人は長い時間佇んでいた。時の流れを重く感じた。錆び付いたノッカー、すっかり傷んでしまった木の扉、くすんだ壁。
「……マリスはシェラを狙う……?」まっすぐに前を見てデュレは尋ねた。
「かもしれない。……が、マリスは彼女の持っているアイテムを欲しがってる」
「アイテム?」珍しい言葉の響きにデュレの声は半分裏返った。
「アミュレットの一種。かつてリテール全域を支配した魔法王国は知ってるだろ?」
「ええ、まぁ」デュレはしどろもどろになりながら言った。
「……その時代に作られた精霊核をもつ精霊と契りを結ぶためのアイテムだ。何種類かあったはずだが、今はほとんど残ってないし、作れる職人もいないからな。かなりの貴重品だ。シェラのはペンダント型だったな、確か……」頼りない記憶の糸を手繰るようにリボンは言った。
「でも、そんなものがなくても契約は――」デュレの顔が不安に曇る。
「出来るよ」リボンはさらっと言う。「けど、精霊核の本来のパワーを発揮できない。何故なら」
「何故なら、精霊は精霊核本体からの魔力の供給を受けていきているから」
 何かの受け売りのように感情のこもらない平坦な口調だった。
「そう、精霊核の影響圏内にいる時は関係ないが、大概そうはいかないだろ?」
「ええ――」あまり嬉しくもなさそうな気のない返事をした。
「そのアミュレットは……まあ、シェラに見せてもらえ。見せてくれたらだがな」
 そこまで言われてデュレはノッカーを見澄ました。シェイラル一族の末裔との出会いは自分に何をもたらすのだろうと思いを巡らせながら。そして、デュレはノッカーを強く握りしめ、おもむろにノックをした。その重厚な響きは礼拝堂にこだましたが、応えはない。教会からはただ沈黙だけが拒絶の反応のように返ってきた。それから、 間の悪い沈黙。デュレは再びノックした。
「誰ですか……?」扉の向こうから訝しげな声が届いた。
「……」何て答えていいのか、デュレは一瞬戸惑った。「シメオンから来たデュレです」どうもしっくり来ないが、説明のしようがないので仕方がない。「シェラさんに……」
「シェラさんは誰にも会いません」デュレの言葉を遮り、女の声があからさまな拒否を表した。
「――オレが一緒にいてもダメなのか?」
 泣き落として、懇願するかのような少し哀れっぽい声色で話し、リボンはデュレの背後からすっと姿を現した。
「シリアさん?」
 女はリボンの声が聞こえるのと同時に扉を少しだけ開いた。隙間から顔をのぞかせ、足下にいたリボン見、それから、顔を上げてデュレの顔をしげしげと見詰めた。
「では、この方がシルエットスキルに認められた……?」
「そうだ。さらに玲於那にも受け入れられたようだぞ」口元を歪めてニヤリと笑う。
「え? どうしてそんなことまで?」デュレは驚いたようにリボンを見詰めた。
「テレネンセスまで行ってやることは決まってるだろ? あそこはあれしかないんだ。と言うかな。手短に言うとサムに聞いただけの話だ」リボンはニヤリとデュレを見上げる。「それなら、構わないだろ? レイア」
 レイアと呼ばれた女性は渋々扉を開けた。
「……玲於那さんと久須那さんのシルエットスキルに認められた……? デュレ……さん」
「はい。デュム・レ・ドゥーアと言います。みんなはデュレと呼びますけどね」
「闇の中の炎――ですか」
 名前の意味を言い当てられてデュレははっと驚いた。フツーは不思議とも思われずにはいそーですかで終わってしまうのが常だった。
「……こちらへどうぞ……」
 レイアは不承不承、礼拝堂の奥に二人を通した。中央の通路から祭壇へ。祭壇の奥には太陽に照らされて様々な色の光を透過させるステンドグラスがあった。そのステンドグラスの前には天井から協会十字が下げられていた。
「あれはレルシア派の協会十字……」珍しいものを見たかのようにデュレは言った。
「アルケミスタ、テレネンセス。エルフの森以南のリテール南部はほぼレルシア派だな」
 デュレは確かにその通りだと思った。シメオンより本拠をテレネンセスに移した協会のシンボルはオリジナルに対して俗に鏡面十字と呼ばれるレルシア派の十字だった。
「シメオンは?」ステンドグラスと十字架から視線をはずし、足下を向く。
「内部に懐古主義が台頭しつつある。……この対エルフの暫定処置を取り決めたのはそいつらだ。どこのどいつが吹聴したのか判らんが、エルフとマリスは関わりあるものとな」
 その瞬間、デュレの中で幾つかの糸が繋がった。エルフとマリスが関係ある。エルフとは間違いなく自分たちのことに違いない。そんなことを言いふらせるのはデュレの記憶の中にたった一人しかいなかった。
(……アルタ……!)デュレは声には出せなかった。(アルタはわたしたちが来ることを知っていた。他のエルフたちをシメオンに寄せ付けなければ、いずれわたしたちが網にかかると)
「どうした、デュレ? 奥の部屋に入れ」
「あ……はい」中に入ると部屋は暖かい光で満たされていた。
 揺り椅子に一人の老婆が揺られていた。ロマンスグレーの髪の色、とても柔和な表情だった。膝掛けの上で手を合わせて、夏の日差しに照らされる庭を眺めていた。そして、気配を感じて椅子を揺することをやめて、三人の方を振り向いた。
「その気配はシリアですね――」
「……ああ」リボンは短く答える。
 その短いやりとりのうちにデュレはとある一つのことに気が付いた。リボンの存在に気が付きつつ、視線の先はリボンを全く見ていなかった。しかも、焦点を結ばずに虚空を見ている。デュレはそのことが気になってシェラに聞こえないように小声でリボンに尋ねた。
「リボンちゃん……、あの」少しためらった。「その、シェラさんは目が……?」
「見えない。――光を失ったのはもうかなり前のことだ」
「し、失礼なことをお聞きしまして……」自分の浅はかさにデュレは哀しくなった。
「……いいえ、大丈夫ですよ」シェラは再び椅子を揺すり始めた。
「シェラ。オレたちがここに来たワケ、判っているよな?」
「ええ、判っていますよ。――レイア、こっちに来て」
 レイアはデュレの後ろ側から回り込んでシェラの椅子の横に立った。
「レイアが光と闇の魔法をあなたに仕込みます」
「え?」デュレは思わず、足下のリボンを睨んだ。1516年に聞いた話と違う。デュレは暫く考え込んで、やはり問うことにした。もやもやを残したまま次に臨むことは出来ない。
「わたしは……一族の虐殺があったと聞いた覚えがあります。そして、シェラさんが一族最後の生き残り、魔法の伝承者だとも……」
「……あった。お前たちが来るたったの二日前だ。言ったろ」リボンは上目遣いにデュレを見た。「協会にシェラは守れない……。だから、オレはシェラをアルケミスタに連れてきた」
「誰がそんなことを?」
「そんなの判ったら苦労しないよ。二つ目の答え。本式に使えるのはシェラが最後さ。レイアは呪文、その他、小道具とか印の結び方、その順序を把握してるトレーナーだ」
「残念ですけど、シリアさんの言うとおりです。わたしでは高位の闇や光の魔法を使うのに魔力が足りないのです。――ですが、今のあなたにはまだ負けませんよ」レイアは負けず嫌いらしい。
「が、とりあえず、デュレは魔法の特訓だな。どっちにしても覚えておいてもらわないと。使いたくても使えないだろ? そうだな、遅くとも、……アルタから指定された日時の一日、二日前には完璧にしろ。レイア、頼むぞ?」
「はい♪ わたしの腕にかけて潜在能力の百パーセントを引き出させてもらいます」
「いえ、あの、その前に、どうしても知りたいことが一つだけあるんですけど」
「何ですか?」
「――マリスは協会が最後に召喚した天使だと言われています。けど、誰が召喚したんですか」
 和らいでいた場の雰囲気が一瞬にして凍てつく吹雪が来たように凍り付いた。デュレは聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、ひどく不安になった。レイアとリボンは顔を見合わせて回答をためらった。
「言っても構わないでしょう?」シェラが静かに言い、リボンは心を決めた。
「……アルタ」誰の顔を見ることもなく、リボンは言った。「バッシュとセレスには言うなよ」
「アルタ――。セレスのお父さん?」
「その話もどこまで本当なのか信憑性も乏しくてな。元々エルフは長命な種族だし」
「――アルタは今日に至るまで様々な時代で足跡を残しています。その最初がマリス召喚です」
「ジングリッドを召喚したのもハーフエンジェルだっただろ。人間に召喚できるのは精々<エンジェルズ>が限界らしい。それ以上の天使となると元々魔力の高いものしか召喚できないらしい」
「だから、アルタが召喚した?」デュレは訝って尋ねた。
「当時の召喚記録にも残っているからな。Libra 14,13。バッシュの言うアルタの実年齢からいくとその時代にはアルタは生まれていないのさ」
「それだけじゃありませんよ」シェラはリボンの言葉を引き継ぎ言った。「マリスは……ジングリッドの娘……だと言う話です……。憶測の域は出ませんけど」
「な? 何ですって?」
 シェラの口からとんでもない話を聞かされてデュレはそのまま固まった。
「あ、う……? いえ、その。ジングリッドはパワーズで、マリスはドミニオンズと言う話で、天使階級が異なっていて、そんなことありうるんですか?」
 デュレは頭に思い浮かんだことをまとめられずにそのまま口に出した。
「種族としての天使を考えると階級が違っても同種だからな。それにお前は身近……と言うか、記憶の宝庫の中に異種交配――ハーフ・エンジェルを知っているはずだ」
「……同種間なら、鳶が鷹を生むようなこともあり得る……」
 デュレは腕を組んで左手であごの辺りをそっとなでた。そして、言葉をつなぐ。
「トゥエルブクリスタルの伝説によれば、ジングリッドは久須那が倒したんですよね?」
「そう言うことになってるな」相づちを打つ。
「マリスが久須那を執拗に狙うのは親の敵だから?」的外れそうだけど、試しに言ってみる。
「ことはそう単純でもないんだけどな」リボンは微かに口元を歪めた。
「単純ではない?」デュレは眉間にしわを寄せて訝しげにつぶやいた。
「マリスと久須那は親友だった。いや、“オレたち”はと言うべきか。親の敵だとか、復讐だとかそんなことは超越して、――マリスだって判っていたさ。あいつは……そう、それこそ敵に回したくないくらい頭の切れるやつだった。――あの日が訪れるまでオレたちは心底解り合っていたよ」
 リボンは途方もないくらい淋しそうに肩を落とし、尻尾を垂れ下げて床にこすりながら部屋の隅っこにおいてある椅子まで歩いていった。そして、飛び乗り丸くなる。
「あの日……?」さらに訝しげにデュレは促す。
「ある日、マリスはこう言いました」リボンが答えず、代わりにシェラが喋り始めた。「リテールに新時代が始まる。と。マリスが望んだ新時代が何だったのかは判りませんでしたけど、その日以来、マリスは変わってしまいました。……シリア。あなたの方が詳しいはずですよ」
 シェラはふて腐れたように黙りこくるリボンに話すようにと促した。
「だが、ホントにその日まであいつはオレたちの良き理解者、友だった」
「……フラウを永遠に奪われたその日までですね――」シェラだ。
「それでもオレはマリスを信じていたさ」
 一際切なそうな表情をするリボンを感じると、デュレは居たたまれない気分になった。氷の精霊・フラウは氷の精霊王・フェンリルの重要な相棒だった。そのパートナーを奪われてもなお信じたいと思わせるマリスとはどんな天使なのだろう。
「ただ、騙されているだけだと思いたかっただけなのかもな……」
 リボンは床に視線を落としてボソボソと聞き取りづらい声で言った。
「けど、騙されているワケじゃなかった?」リボンをこれ以上傷つけないようにソフトな言葉を選びたかったけれど、瞬時には思い浮かばなかった。「マリスの意志で……。そのぉ……」
「ああ。それと、そんなに気を遣わなくてもいい。昔のことだ。気にするな」
 リボンは再び視線を床に落とし、黙りこくった。そして、椅子から飛び降りると出窓に乗り、花の咲き乱れる庭に目を向けた。
「――マリスの目指すところは異界とこの世界を完全に重ね合わせること――」
「――?」セレスではないけれど、瞬間、デュレはリボンの言いたいことが飲み込めなかった。
「そして、マリスは久須那と話せる場がもう一度だけ欲しかったんだろうな」
 リボンはくるりと振り返りデュレを見た。
「けど、呪いをかけたのはマリスだって――」
「お前もどこまで知ってるんだろうな」ちょっと困った素振りでリボンは言った。
「その呪いを解けるのはマリスだけだとしたら?」
「強引にその場を作ろうとした? 理由はどうあれ、久須那は行かないわけには行かないから」
「そう――だと思う。久須那にだけは自分の本心を理解して欲しかったようだし」少し自信なさげにつぶやいた。「マリスは逆召喚ではなく、自分のいるべき異界とここを自由に行き来できたらいいと願っていたようだよ。来たっきり、行ったっきりは嫌なんだと」
「けど、それだけなら別に――」
「何もなかったのかもな。研究に百年も費やすこともなく、十数年で済んだかもしれない」
 リボンは遠い目をして過ぎ去った遙かな過去に思いを馳せた。
「けど、それだけじゃなかった?」
「マリスはそのために精霊核に目をつけたんですよ」
「そう、シェイラルが封印し、ようやく平穏を取り戻したのに。マリスは地道に研究する道よりも、急進的でより確実な道を選んだ。だがなぁ、久須那は猛反発……。無論、そうだろう。あれは悲劇の繰り返しに他ならない。最初は浅い溝だったが、マリスを説得出来ないと悟ると、やがてそれは大きな断裂に変わった。そこからだ、最悪の構図が生まれたのは」
「――」淡々と語るリボンにデュレはかける言葉さえなかった。
「久須那の説得も聞かずにマリスは精霊核を破壊し、実験を強行。リテールの幾つかの街や集落が廃墟に変わったよ。二つの世界を一つに重ねるにはエネルギーが足りなかった……。ある一定のエネルギーレベルを超えないと解放された精霊核のエネルギーは“向こう”に行けずに跳ね返される。そうなるとこっちの世界を破壊する……」
 そして、リボンは言葉を切り瞳を閉じた。
「……マリスと久須那はついに剣を交えた――。久須那はマリスに大打撃を与えたが……、マリスは久須那に呪いをかけた。微かな希望だったのかもな、マリスには。その時だ、……シェイラルが解けない呪いから久須那を守るために絵に封印したのは」
「マリス……は――? どうなったんですか?」デュレは気が気ではない。
「マリスは……混乱に乗じて氷に封じた。だが、封印が解けるのも時間の問題だ。昨日、マリスの封じた空間の結界が何者かに破られた……。マリスの魔力は強いからそれでようやく氷の戒めを保っていた」
「……けど、災いを呼ぶ天使とまで呼ばれたマリスの封印を解きたい人が?」
「いるだろう? 異界云々を抜きにしてもマリスと手を結べたのもは世界を制する」
「――」
「そして、お前らが来たということはいずれは久須那が目覚めると言うことだ。デュレ、お前は言っていたよな? 封印破壊は召喚に応用できるかもと」
「……待ってる? マリスはわたしたちを待っていた? じゃ、どうして、あなたたちは久須那さんを目覚めさせようと躍起になるんですか? そのまま、ずっとそうっとしておいた方が」
「……久須那は……大切な仲間だからだ。昔、共に戦った仲間だから、どれだけの年月が流れてもオレは久須那を取り戻したい。」
「それだけ、ですか?」
 デュレはリボンの本心を知りたかった。けど、リボンははぐらかして答えなかった。
「――お前もセレスが囚われの身になったら同じことをするだろう?」
「ですが、久須那さんを目覚めさせなきゃ、マリスも目覚めない?」
「サムが言わなかったか。始まりは始まった。もう、終わるまで終わらない。強化結界なしに氷の戒めは一週間も維持出来ない。マリスが目覚めたのなら、真っ先に久須那を捜すだろうし、……すぐに戦いにはなるまい。が……、久須那がいなければオレたちに勝ち目はない」
「――どうしても、封印破壊をしなければならない」
 デュレはとんでもないことを仰せつかったような緊張感に押し潰されてしまいそうだった。と、今まで黙って聞く一方だったシェラが口を開いた。
「レイア、あれを持ってきてくれるかしら?」
「はい」レイアはすっと下がると礼拝堂へと向かった。
「……とあるものを十字架の裏側に隠したのです」
 ちょっとの間をおいて、レイアが右手に光を受けてキラキラと光るものを持ってきた。
 デュレの前に差し出されたのは銀色のペンダントだった。円形のペンダントトップには六芒星があしらわれ、その中央部分は何かをはめ込めるように六角形にくぼんでいた。
「……いつか、これを託せる者が現れるだろうと思っていました。シリアがそこまで心を開いたあなたなら、きっと使いこなせるはずです」
「これはアミュレット……ですか?」
 デュレはペンダントトップを見詰めて言った。
「闇の封印破壊を使うなら必ず必要になるはずです。使い方は……自ずと判るでしょう」
 デュレはレイアからペンダント型のアミュレットを受け取ると首にかけた。
 と、そこへ、セレスが凄い勢いで駆け込んできた、街を駆け抜け、教会の中でも迷って走り回ったらしく、息をぜーぜーと切らしていた。
「ねぇ、デュレっ! どうしよう。あたし、父さんを……見ちゃったっ。しかも……、しかも、黒い翼の天使と……一緒にいた……」
 焦りと困惑の入り交じった複雑な顔色がセレスの心境を率直に物語っていた。