12の精霊核

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23. a calm before a storm(嵐の前の静けさ)

「ねぇ、マリス。今、いいかな?」迷夢は扉の隙間からかを覗かせた。
「……良くなくても、割り込んでくるつもりなんでしょう? 迷夢は」
「ほぉ〜ん♪ わたしの性格をよく捉えていること、マリス嬢は。こういう人はマリスくらいしかいないよね。みぃ〜んな、わたしのこと、理解不能だって言うだけど、マリスは違うの?」
 迷夢は後ろ手を組んで、おどけたようにマリスに近づく。
「表情がコロコロ変わるだけに、かえって、判りやすいような気がする」
「そお? わたし、こう見えても演技派なのよ? どんなやつも、わたしの演技は見破れない」
「こともないと思う」マリスはさらりと受け流して、羽根ペンを持った。
「つれないねぇ、マリスも。そんなんじゃ、レイヴンに嫌われちゃうぞ♪」
「……軽口をたたきに来たのか? 迷夢は。他に用事があるから来たんでしょ?」
「あ〜そうそう。スッカリ忘れてた」迷夢はポンと手を打った。「ねぇ、いつやるの?」
 迷夢は机に身を乗り出してマリスに迫る。
「何をだ?」マリスは表情を曇らせて、真剣を帯びた目つきで迷夢を見やった。「わたしは何もしていないぞ」羽根ペンをもてあそぶ。
「う〜ん。それはちょっと違うなぁ?」瞳をくるっと閃かせる。「マリスってさ、学者肌のくせして、影でこそこそするの上手いよね?」ケラケラと笑う。
「誉めてる? けなしてる?」
「う〜ん、どっちでも」迷夢は破顔した。「けど、そう言うってことはやってるのね。結局」
「まあ、そう言うことになるのか……」
 マリスは諦めたように呟くと羽根ペンをインク瓶に突っ込んだ。文字をしたためた紙をくるくると丸めて、オレンジ色のリボンで結ぶ。それを迷夢の前に差し出した。
「わたし?」自らを指さしてキョトンとする。
「そう、わたし」マリスは珍しくニコリと口元をほころばせる。「その書状を久須那に届けて。折角、来たんだから、お使いを頼むわよ」
「ほぉ〜♪ ここじゃあ、わたしが先輩なのに使い走りをさせるなんていい度胸」
「わたしと迷夢の仲でしょう?」
「しょうがないなぁ、もう。今回だけだからね? マリス。で、何が書いてあるの?」
「……迷夢の思った通りのこと。一応、久須那に聞いてみようと思って」
「――黙ってやっちゃえば?」腕を組んで、何でもないようにさらっと言った。
「そうもいかないだろう? スケールを大きくしたら、多少の危険も伴うし、久須那とはずっと仲良くしていたいから……」
「ま、そうだよねぇ」迷夢は納得しきりと頷いた。「んじゃ、任せておいて。どんな難題でも久須那を説得してみせるからっ!」
「――迷夢でもそう簡単にはいかないと思うけどな」
「そんなのやってみなきゃ判らないじゃん」
「――」
 部屋を出て行く元気のいい迷夢の姿を見詰めながらマリスは、祈る思いだった。久須那とはケンカ別れをしたくない。特に深い因縁や思いが二人にあった訳でもない。出会ってから、まだ三ヶ月弱の知り合いに毛が生えた程度の友達だった。なのに、何故だろう。マリスは自分が自分の思っている以上に久須那を意識していることに気が付いた。自らの行動を久須那に因ることはない。しかし、確実にマリスは自分の考えに忠実な久須那を好いていた。
「久須那――」
 マリスの部屋を後にして、迷夢は意気揚々と回廊を歩く。中庭には春の花が咲き乱れる。迷夢、四回目の春。ジングリッドや久須那の一件を横目で見ながら、昨年の夏を過ごした。
 精霊核のエネルギーを用い、ウィル・オ・ザ・ウィスプを道しるべにして異界への扉をぶち抜くなんてやめておけばいいのにと思いつつも、決してその意を表すことはない。協会の権力を利用した精霊狩り、邪教徒狩りはフェアじゃない。そもそも、権力を不当に利用したら、返り討ちに合うことなど迷夢にとっては自明の理だった。
「わたしは……彼のようにはならない……。それより、より歪んでしまったあれを直さないと」
 迷夢は中庭の噴水を軽く眺めながら、ポツリと漏らす。
 同じ失敗は繰り返さない。だから、マリスが久須那と主立った仲間たちに注目する理由がわかるのだ。無意識にせよ、何にしても。味方に出来たら頼もしいし、そうならなければ、それこそ厄介な相手になると迷夢は思う。
 トントン。迷夢はマリスの部屋の一階上にある久須那の執務室の扉前にいた。
「久須那、いる? マリスちゃんからお手紙を預かってきたよ」
「……迷夢か? 今、開けるから、ちょっと待ってて」
 久須那はととっと駆け寄って扉を開く。
「こんな時間に珍しいな、迷夢?」
「ははっ。たまにゃぁね。久須那とお茶でもしようかと思って。時間を合わせてきたんだ。――と言いたいけど、偶然かしらね。あ〜。ゼフィに何だかって言う珍しいお茶っ葉をもらったから、それもついでに――、って、話を逸らさないでよ」迷夢はいきなり憤慨する。
「勝手に逸れていったのは迷夢だろ?」
「そうだっけ? じゃ、話を元に戻して、マリスから手紙を預かったのね。ね、立ち話も何だから座ろう? で、これがゼフィからもらったお茶なんだけど」
 迷夢はオレンジリボンの書状を渡し、それから小さな紙包みを取り出すと久須那に手渡した。
「でね、本題はまずこれを読んでからって、お茶はくれないの?」
「お茶?」
 驚いたのは久須那の方。手紙を読めと渡されて、それより先にお茶を煎れろとは。しかし、折角いただいたのだから、飲まねば失礼というもの。
「そのお茶はどこのなんだ?」とりあえず、産地などを尋ねてみる。
「南リテールのアシャンテとか言うところ」
 迷夢の声を聞きながら、久須那は執務室に用意された小さなキッチンに向かう。ポットに水を入れて、小さなコンロにかける。再び、迷夢のところに戻ってくると、迷夢は久須那の回転椅子に座ってくるくると回っているところだった。
「何をしてるんだ?」思わず問う。
「ううん、別に」迷夢はただ首を横に振った。
「――?」
 迷夢の行動がいまいちよく理解できない。仕方がないので久須那は机に置いたオレンジのリボンで結ばれた書状を手に取り、歩きながら紐解いた。
「久須那へ……。……」
 初めは歩きながら読めたものの、半ばまで読み進めた時点ではたと足が止まった。キッチンからピーッとお湯が沸いた合図が鳴り始めたけど、久須那には届かない。
「ねぇ、久須那。――あっちでポットが呼んでるんだけど、お茶、まだかな」
 気が付けば、迷夢は応接セットのソファに居場所を移して、お茶菓子をつまみ食いしていた。迷夢が来るといつも調子を狂わされてしまう。久須那は迷夢の気ままな言動にもめげずにお茶を煎れに行く。手を動かしつつも考えを巡らせた。
「天使たちの地位向上を目指して、か」
 そこまでは悪くないと久須那は思う。協会に使役される立場から、対等に意見を言える関係にまでなる。レルシアがカーディナルに就任してから改善されたが、それでもまだまだなのが現実。だから、マリスの提案にも頷ける。けど、そこから先の記述に気になることがあった。
「……異界との交流を深めるために……。異界への障壁を恒常的に解き放つ」
 それが何を意味するのか、久須那は心得ていた。近頃、マリスが精霊核の小さな欠けらを探してきてはやっていた実験の目的さえも久須那は薄々感じてはいた。マリスはこの世の中に満足していない。だから、やがてそれを突き崩す何かをやるだろうとは思っていた。
「――また、精霊核なんだな……」
 憂えは隠せない。かつて守ったものが再び、危険にさらされようと言うのだから。
 久須那はティーカップをトレイに乗せて、暇そうにしている迷夢に向き直った。
「――迷夢、お茶が入ったぞ。たまには雑談しよう」久須那は迷夢の正面に座った。

「それから、ほぼ三月が過ぎた。ずっと、平和でね。楽しい毎日だったよ。レイヴンもマリスもみんな優しくてね」リボンは思い出し笑いをする。「あいつだけは……迷惑なやつだったよ」
「迷夢?」セレスはすかさず聞いた。
「ああ、迷夢。……けどな、たった三月だったとも言える。あの時が永久に続くのかなって、錯覚してた。と言うかな、オレが何の目的でここに来ていたのか。すっかり忘れていたな」
「何をすっかり忘れていたのですか?」デュレは問う。
「偵察しに来ていたのさ」
「誰の? 何のために?」畳み掛ける。「その頃の協会に要注意人物はいなかったはずです」
「いたさ」リボンはまぶたを釣り上げた。「親父は予兆を感じるといっただろう?」
「ええ」デュレは小さくうなずいた。
「ねぇ! そしたら、リボンちゃんってその予兆を感じられるの?」興味津々と瞳が煌めく。
「それは……どうだろうな?」リボンはうっそりと瞳を閉じた。「知っていたとしてもお前たちには教えない。結果が最初から決まってるなんてイヤだろう? 特にセレスは」
「けど、最初はおぼろげな輪郭しか見えないんですよね?」
「ああ、大体そうだな。全容が明確になるのはホンの直前だよ」
「……だそうですよ、セレスちゃん?」デュレは片目を瞑って、悪辣にウィンク。
「つ〜ことは判ってるんでしょ? これから何がどうなるのか。少しはリークしなさいって!」
「こ、断る。こればかりはセレスの頼みだって聞けない。過去語りはしてやるが、予兆はダメ」
 セレスは突如、椅子を蹴っ飛ばして立ち上がると、シェラの隣に横たわるリボンを羽交い締めにした。口先だけでは言うことを聞いてくれない。ならば、実力行使あるのみ。
「少しは喋ってくれないと、あたしの気がおさまらないのよ! 将来のキミだってこんな感じで、お澄まししてるんだから。今のキミを締めたら、二百二十四年後のキミはもう少し素直になってるんじゃないかなってさ。因果応報でしょ? 未来のためには今を大切にっ!」
「しょ、将来のオレの言動まで責任は持てないぞ! そんなもの、帰ってからそっちで文句を言え。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ?」
「問答無用」セレスはきゅうっと首を絞めた。
「緊張感がまるでないな」その様子を見て、レイアは眉間にしわを寄せる。
「まあ、いいではありませんか」
「しかし、シェラさんっ! 事態は一刻一秒を争うというのに」いきり立つ。
「……だから……。ではないですか、レイア。あれが彼女たちのスタイルなら、わたしたちは受け入れましょう。デュレとセレスはあの賑やかさの上に成り立つコンビのようですから、今からスタイルを変えさせたら、真価を発揮できないと思いますよ?」
 と、言われてしまえば、レイアは押し黙るしかない。そう言う二人が嫌いではないけれど、緊張感を欠いて見えるのが苦手なのだ。実際に、デュレとセレスのコンビネーションを見たことがないのだから、正当な評価を下していないことはレイアもそこはかとなく予感している。
「……心配なのは判りますよ、レイア。しかし……」
「ええ、判っています。シェラさん。これは彼女たちの戦いです。わたしたちの手出しは無用」
「そうです」シェラはそっとレイアの手を取った。「……あの娘たちを選んできたシリアくんを信じましょう。その選択が正しかったか否かの答えは……今に判ります」
 と、比較的平和なやり取りをしている一方で、リボンはセレスを引きはがすのに必死になっていた。しつこくしがみついていて、ちょっとやそっと揺すったくらいでは離れてくれない。
「こらっ! いい加減にしろよ? まだ、話の続きがあるんだからな」
「……セレス。放してあげましょう?」仕方がなさそうにデュレは言う。
「はぁ〜っ。もうちょっと遊びたかったんだけどな。ふさふさの毛、気持ちいいし」
 セレスは追及の手をゆるめるも、リボンの毛並みに頬ずりをしていた。名残惜しい。また、いつでも頬ずりなんか出来るだろうけど、暖かで柔らかな毛並みをしばし忘れねばならないなんて、とっても残念すぎて頭で判っても、身体が離れない。
 リボンはセレスがくっついて離れないのを諦めて、話の続きを始めた。
「ゼフィはしっかり覚えていて、色々と動き回っていた」リボンは言葉を切り、言葉を選ぶかのようにしばし沈黙した。「……親父の感じた予兆はマリスやオレたちの関する様々な乱流、混沌。――そして、死……」
「死?」セレスがピクリと身を震わせるのをリボンは感じた。
「ああ、死だ。しかし、それはあくまで憶測の域を出ない」リボンはうろたえるセレスの気持ちを察して、出来るだけソフトに言った。「予兆を確定させるのは結局は本人の意志だからな」

「待て。まだ用事は済んでいない」久須那はいとまごいをする迷夢の首根っこを捕まえた。「マリスのことは、後でマリスに直接聞いてみるとして、迷夢は何を企んでいる?」
「あやや、わたしは何も企んでないよ。マリスちゃんの書状を届けに来ただけ」
「誰にも見つからないようにしてるつもりだろうけど、わたしには判る……」
「ははぁ♪ さては、ゼフィか。あの娘、洞察力に優れているし、勘が鋭いもんね。ばれないようにすっごく気を使ってたんだけどな。流石は精霊王さまの右腕。そう思うと、シリアくんはまだまだヘボねぇ。全然、気が付いていないよ」迷夢はケラケラと笑った。
「その話はまた今度でいい」冷めた声色で久須那は言う。
「まあ、そうだね。けど、わたし、悪さはしていないよ?」
「まだ……。の間違いだろ? ……シメオンに特殊なフィールドを形成しているそうだが、何のためだ?」久須那はじっと迷夢の瞳を見詰めた。「……マリスと同じか?」
「まずはノーコメント。けど、久須那の迷惑になるようなことはしていないつもりなんだけどなぁあ? むしろ、久須那のためにもなるかなって、それでもダメ?」
「ダメだ。蚊帳の外にされるのは居心地がよくない。もっと、正直に言えば、わたしが『何も知りませんでした』ではすまされないだろう?」
「そりゃ、そ、だわね。けど、わたし、久須那の敵になったつもりはないんだけどなぁ?」
 迷夢は頭の後ろで手を組んで仰け反りながら虚空を見詰める。そして、瞳だけをクリッと久須那に向けて、甲斐甲斐しく微笑んでみせる。
「わたしも迷夢を敵にした覚えはない。しかし、回答によっては敵になりうる……」
「そっか。じゃ、仕方がないよね? 久須那って“エンジェルズ”にしちゃあ強いから、ずっと味方でいて欲しかったんだけど……。考え、変わらないの?」
 久須那は声を出さずに首を横に振って答えた。
「ちぇっ、残念。けど、今に絶対に後悔するよ」迷夢はクスリとする。「わたしはマリスとは違うんだから」瞳に悪辣な輝きが宿る。「久須那だから、教えてあげる。わたしは……わたしたちの住む場所を守りたいだけ。その為に、この街をもらいたいの。ううん。ここじゃなくてもいいや。圧倒的な魔力を持つ場所ならどこでもね」迷夢の瞳が怪しく煌めく。
「冥界に落とすつもりか?」
「ちょっと違う」迷夢はちっちと左の人差し指を左右に振る。「いい? ここ数百年の度重なる召喚のせいで、あっちとこっちの境界面が崩壊しかけてるの。それを直すわ」
「……マリスとは逆のことを言うんだな?」
「うん♪ 繋げたっていいことはないよ。今、逆召喚の研究が盛んだから、きっと、みんな帰れる。そうしたら、修復して完全に閉じちゃうの。レルシアみたいな魔術師が生まれたら、召喚できるか判らないけど、しばらくは安泰するよ」
「迷夢の考えに異論はない。けど、シメオンの魔力を以外に方法はないのか」
「じゃあ、精霊核でやってみる?」迷夢は試しに言ってみた。瞬間、久須那の顔色が曇る。「けど、ダメだと思うんだよなぁ。精霊核は思考のエネルギーの結晶体だから、純粋すぎるのね。一点集中型の魔法を使うにはいい媒体になると思うけど、広域になるとちょっとねぇ」
「それじゃあ、マリスと一緒になる。精霊核とシメオンを外してだな」
「まあ、それは置いといて。ただの仮説なんだから。でも、他に方法がないかと言われてもねぇ。境界面の修正をしないと、双方の世界にとって不利益なことばかりだしなぁ。う〜ん……」迷夢は腕を組んで首をかしげた。「シメオンの雑多な魔力を使うのが一番確実だと思うんだけどな。マリスの言うようにくっつけちゃうのも一つの方法かなぁとは思うけど、くっつけられるのって一部分だけなんだよねぇ。ジングリッドがやろうとしたのよりは広い間口でずっと安定するらしいけど、賢いとは思えない。『天使と人は相容れぬもの』だ何て思わないけど、それぞれ守る領域があっていいと思うし、そもそも、召喚ってのがフェアじゃないよね?」
「しかし、召喚はもうないぞ。わたしたちがどう帰るかだけじゃダメか?」
「うん、判ってる。けど、レルシアも言ってたじゃない。そんな日が来るかもしれないって。だから、封じるけど抹消はしない。お互いの安全のためにね。そう考えたんでしょ。レルシアは? そんな思いに囚われた時、わざと見付けやすいように残したのは探す方が自ら開発するよりも容易いと思わせるためでしょう。トラップにかけるために」
「……」久須那は迷夢をまじまじと見詰めた。
「そして、後世に“協会七つの不思議”の一つ、魔法使い帰らずの間とかなんちゃってさぁあ?」
「……」久須那は仏頂面をして迷夢を見詰める。「黙ってれば、よく喋るな」
「あらら? 久須那も喋りたかったの? 遠慮しなくていいのに」
「そおいうことじゃないのだが……」
「そおいうことでしょ、やっぱり」目をぱちぱちさせる。「けど、今は黙って聞いて。わたしは別に誰かに犠牲になってもらいたいわけじゃないのよ」瞳を閉じる。「ただ……、こことここの人たちが異界と呼ぶわたしたちの世界を守る、なんてて言う気はないけどさぁ? 壊さないためには生きている都市のパワーが必要なの、判る?」
「しかし――召喚がなくなれば、境界面の崩壊はとまるんじゃ……?」
「希望的観測でものは言えないよ、これについてはね。でね。壊れたらどうなるかと言うと、向こうの世界がぜ〜んぶ雪崩れ込んで凄いことになっちゃうの」
 そこまで言われれば、何がどうなるのか見当も付くものだ。しかし、簡単に「ハイ、そ〜ですか」と納得する訳にもいかないのだ。街の一つを潰そうと言うからには、それなりの根拠と証拠が必要だし、もっと時間が必要だ。
「判らないことはないが……しかし」久須那は狼狽する。
「逃がせばいいじゃん、ね? わたしが欲しいのは都市の生命力だけよ。人気がなくなっても半日くらいなら現状を維持するから、術を使うのに間に合うよ。ね、久須那。だから、わたしと組もうよ。あなたが組んでくれるなら、マリスと手を切ってもいい」
 迷夢は策略に瞳を輝かせる。マリスと行動を共にするより、久須那を手中に収めた方が手に出来る戦力は大きい。自分のしたいことが“個人”の範囲内で収集が付けばいいが、邪魔だてが入る予感がある。その場合、協会幹部に信望の厚い久須那を取るか、圧倒的パワーでねじ伏せる方を取るか。とにかく、迷夢はジングリッドの二の轍を踏む訳にはいかないのだ。
「……わたしに何をさせたい?」
「特になし♪」迷夢はケロッとしていってのけた。
「はぁ?」誘っておいてどういう事だと久須那はかえって困惑してしまう。
「あ〜、あれね。後ろ盾が欲しいのよ、わたし。久須那って協会のお偉いさんたちに顔が利くし、天使兵団を指一本で動かせるから。いざって時に、助かるかなって思ってね」
「しかし、マリスも天使兵団の半数は持っていけるぞ……」
 久須那は静かに言った。召喚されて間もないと言っても“ドミニオンズ”に位置するマリスの影響力は非常に大きい。迷夢はふと久須那を見やる。
「それは……マリスと手を組めってこと?」
「いや、迷夢の言うことが本当ならわたしは手を貸す。しかし、この街を犠牲にすることには賛成できないよ。そう――レルシアさまやシオーネさまに相談してみたのか?」
 迷夢は瞳を閉じて力無く首を左右に振る。
「言うつもりはないよ」
「何故? シオーネさまはともかく、レルシアさまはきっと力になってくれる」
「うん。レルシアはそうだろうね。だから、巻き込めない。あの人を関わらせたらダメ。そうじゃないと、死んでしまうから。……何か、そんな気がするんだよね。わたし、レルシアみたいな人、好きなんだ。だから、ずっと生きてて欲しい。こんなコトに命をかける必要なんかないよ」
 迷夢の発言がどこまで本気なのか掴めずに久須那は表情を曇らせた。
「うん? ど、したの、変な顔して」けど、すぐのその顔色の意図するところに気付く。「ホントよ、ホント。レルシアのことは本気だから。心配しなくていいからね」
「心配するとかしないとか、そう言うことじゃなくて……」
「大丈夫よ。味方は一人でも多い方がいいし、少数派よりも多数派の方が良かったんだけど。最後まで実行できるように計画は立ててあるんだから。邪魔が入らなければ、の条件付きだけどね。まあ、そこら辺はどうでもいいんだ。でもね、久須那」
 迷夢は右手でポンと久須那の肩を叩いた。
「証拠は見せてあげられないけど、いずれあなたはわたしが正しことに気付くわ」
 捨て台詞のようにその言葉を残すと、迷夢は久須那の部屋を立ち去った。

「本人の意志……」」セレスは呟いた。
「アルタがお前に何を言ったのかは知らん」けど、リボンはこれから起こりうること、そして、セレスの杞憂が何なのかを承知していた。「しかし、それは本人の意志。不可避な事象はまた違ったようにオレの瞳には映るのさ。……だから」
「――」セレスは力無くリボンの首に掴まっていた。
「だからな? だからといって、どうしようもないものでもないんだぞ」リボンはすっかり気落ちしてしまっているセレスを元気づけようとする。「言っただろう。未来は万人にとって開かれたもの。まだ、いくらでも変わりうるってこと、言わなかったかな?」
 リボンはニヤリとした。
「ただ、これだけは伝えておく。オレたちにとっての今はお前たち――、デュレとセレスにとっては過去。派手に手を加えると、お前たちの居場所がなくなるぞ」
「うん、判ってる。だから――」
「さっきっから、何をこそこそやってるんだ?」
 と、不意にバッシュがリボンとセレスの前にしゃがみ込んだ。セレスとリボンの二人が喋っている内容を何となく遠くで感じ取っていたのかもしれない。バッシュは霊感が強いとかそんなことは全くないのだが、勘だけは動物的にやけに鋭いのだ。しかし、リボンだってバッシュの勘ごときに負けはしない。バッシュが来たからと言って慌てることなく、堂々としている。セレスはおっかなびっくりの状態だった。
「ゼフィのことだよ。バッシュには少しだけ以前に話したことがあるだろう?」
「ゼフィか……」
 釈然としない様子だが、バッシュは追及をやめた。みんなが見ている前でリボンを締めあげるのも大人げなくてみっともない。二度も三度も同じことを繰り返したら恥ずかしいを通り越して、みんなに呆れられてしまう。そんな不名誉だけは勘弁だ。
「ゼフィは……自ら、その運命を選んだ――」

 春の陽射しは影を潜め、迫り来る夏を感じさせるぬるい風が吹き抜ける。ゼフィは涼しい風が得意なのだが、そうも言っていられない。ゼフィはいつもの通りに旅のマントを羽織り、裾には呪文が刺繍された衣服を身につけていた。
「……マスター、こんにちは」ゼフィは言った。
「いらっしゃい。……あれ? 今日はおちびちゃんは一緒じゃないのかい?」
「おちびちゃんはお寝坊さんの真っ最中よ」
「ほう、精霊でも寝坊はするんだね」
「昨日、迷夢と散々遊んだから、疲れたんだと思うけど……次期、精霊王と言う方が、こんな有様では示しが付かなくて、困るのですが。今日はおまけしていきました」
「……どなたかと待ち合わせですかな?」
 ゼフィは答えの代わりに申し訳なさそうに小さく頷いた。
「……さてと、壊れ物は奥にしまって店じまいした方が良さそうだ」
「ありがとう。他に迷惑をかけていい場所を知らないから……」
「かけてもらったら困るんだけどね」それでもマスターは苦笑する。「ゼフィのお願いだったら、断れないよねぇ。やっぱり。……で、そのお相手は誰なんだい?」
「さあ? 精霊王の使いがかぎ回っている。そして、マスターのお店によく出入りしているって逆情報を流してみたの。そのお相手のおおよその見当は付いているんだけど、直接尋ねる訳にもいかないし――」
「じゃあ、来るまで張り込むのかい」
 マスターは商売あがったりだと言わんばかりのため息をつく。けど、ゼフィは首を横に振る。
「そんなに待つ必要はないと思います。派手にやってきましたから。今日の午後はずっとここにいると。だから、どんなに遅くても今日中には来ますよ。確信があります」
「何故?」
「彼女が目的を達成するためにはわたしたちの存在が邪魔だからです。彼女の形成しようとしている力場がわたしの精神波の影響を受けると、歪められて完全な形態を維持できない」
 と、やる気のない拍手が聞こえた。
「ねぇ、ゼフィ。わたしのことをあれこれと詮索するのはやめてくれないかしら?」
 迷夢は戸口に寄り掛かり腕を組んで、明後日の方向を向いていた。
「久須那にはばれちゃうし、フィールドは上手くできないし、いいことなしなのよね、実際」
「やはり、迷夢だったんですね」
 振り返りもせずにゼフィは少し残念そうに肩を落とした。
「みんなには気付かれないようにしてきたつもりだったけど、ゼフィには通じないのね?」
「いいえ、今の今まで確証はありませんでした。マリスとあなたのどちらかと言うところまでは突き止めたのですが……」
「ほぉ〜ん♪ そこまで判れば上出来じゃん。けど、マリスが何もしていないと思ったら大間違いよ。あの人だって自分のしたいことをしてる。まあ、あれよね? したいことは違うけど、思いは一緒っての? ――わたしの気持ちを思うなら止めないで欲しいなぁ、ゼフィ? 精霊のあなたなら、わたしの気持ち、少しは判るんじゃなくて?」
 迷夢はゼフィの考えを見透かすように口元を歪めた意地悪で、悪辣な笑みを浮かべた。
「人に追われる精霊たちの末路……」
 ゼフィも心得ていた。かつての精霊狩り。協会による粛清以前にもそのようなことは幾度となく、時代を選ばずに起きていた。力無きものの恐れと羨望。己のものにならない力への渇望がそうさせるのだ。
「しかし、それとあなたがやろうとしてることは関係ありませんよ?」
「そおかしら?」迷夢は瞳を閃かせる。「わたしの計算によるとシメオンの位相をずらす時にちょっと手を加えてやれば、精霊の世界も人と関わりを持たなく出来るの。悲劇を繰り返す必要はないよね? 愚かな人間たちのためにゼフィたちが犠牲になることはない。でしょ?」
「――」ゼフィは敢えて答えない。
「シェイラルさんや、レルシア――。あの人たちはそんなことしないよ。けど、形は違っても歴史は繰り返すものなのよ。あなただって……エルダみたいな目には遭いたくないでしょう?」
「あいたくはないですね。しかし、精霊王さまは精霊のことばかりを考えていてはいけないと言います。狭すぎる視野は判断を誤らせます。ですから、幅広く様々なことを考慮に入れて物事を判断なさいと……」
「ふ〜ん。一理あるとは思うな。けど、これは誰の犠牲もなしに成立しうるのよ。わたしはジングリッドやマリスとは違う。そこんところ、忘れないでもらえるかしら?」
「もちろん、そう思ってますよ。そうでなかったら、シリアと遊ばせたりなんかしませんよ」
「ほぉ〜♪ 流石ね、ゼフィ。人を見る目があるわぁ」
「それほどでも……」ゼフィは感謝の意を表して、軽く黙礼をした。

「みんな、後から聞いた話さ。ここまでの話はオレが見たワケじゃない」
 リボンは瞳を閉じてとても残念そうに呟いた。
「とりあえず、ここまでまとめてみると」デュレが言った。「……迷夢が黒幕?」
「いいや」リボンは首を横に振る。「違うよ。黒幕なんかいない。久須那と迷夢。マリスと久須那。マリスとゼフィ。迷夢とゼフィ……。それぞれがそれぞれの思いに忠実に行動した結果とも言えるかな……」一際淋しそうにリボンは言った。
「じゃあ、敵と呼べる人は最初からいない……?」
「いないのかもしれない。いたのは……考え方の違う人たちだけ。敵と味方と綺麗に分けることが出来たら……、淋しくて辛い思いなんかしなくて済んだのかもな……」
 リボンの瞳は遠く過去を見詰めていた。