12の精霊核

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27. the battle field(戦闘領域)

「迷夢ぅ!」
 シリアの声が無人の町に響き渡った。しかし、迷夢は魔法を放ち、それを止めようとしたシリアの声は虚しく空に飲まれ誰にも届くことはなかった。
「サスケぇ、離れろ。お前らごときにやられてたまるか」
 マリスはサスケの前足を掴まえてもぎ取ろうとした。が、サスケはマリスの肩に爪を立て、がっちりと食らいついていた。どんなことがあっても放さないと決めたからにはそのしつこさは並ではない。力の入らない体勢ではサスケは引きはがされないだろう。
「諦めろよ、マリス。オレと一緒にあの世への二人旅と洒落込もうぜ?」
「……獣は嫌いだっ!」
 その間にも迷夢の放った白き刃がうなりをあげて迫り来る。
「お前は死んだらダメだ! サスケ!」
 久須那は半ば金切り声のような叫びを上げた。思い出してしまった。自分を犠牲にしてまでジーゼやエルフの森を守ろうとしていたサムや申にサスケが重なった。悪い事じゃない。けど、こんな事があっていいはずがない。気づいた時、久須那は身動きのとれなくなったマリスに飛びかかっり、必死にしがみつくサスケを奪おうとした。けど、離れない。久須那も躍起になってマリスの素肌が傷つくのも構わずに、無理矢理に引きはがした。そして、マリスから距離を置く。
「あぁぁぁっ! ……久須那ぁ!」白い肌から赤いものが滴り落ちた。
「――! 久須那ぁ、父上を」シリアは動きを見せた久須那に一条の希望を見た。
「やめろ。オレが離れたら、術が解ける」
 サスケは落ち着いた口調で言い、久須那を冷たく研ぎ澄まされた真摯な眼差しで見詰めていた。
「黙れ、死んでまでやる価値のある事じゃない」
「久須那、早く。時間が……」迷夢が叫ぶ。「これ以上遅くするのは無理なんだからねっ」
 その声が届いているのかいないのか、久須那とサスケは振り向きもしない。
「オレの生死は自分で決める。誰の指図もうけん!」
「……ゼフィは、シリアはどうする? 特にゼフィはお前がいなければ……」
 あさっての方向の論議をしている一人と一頭にマリスは非常な苛立ちを覚えた。
「ふざけるな。エンジェルズ、精霊ごときに後れをとるわたしではない。――レイヴン。この期に及んで何をボサッとしている。今更、心変わりしたと言うつもりか?」
 マリスとレイヴンは互いの心を推し量るかのように瞬間、見つめ合った。レイヴンは心変わりをしたつもりはない。けど、かつての仲間を敵、味方に二分してまでしなければならないことなのかと問い直したい気持ちになっていた。しかし、それはそれ。これはこれ。一度決めた心に偽りはない。レイヴンはマリスを選んだ。もはや、後戻りすることは出来ない。
「ミラーシールド」
 レイヴンはクラッシュアイズの光の道筋とマリスとの間にシールドをあげた。透明なガラスのようなシールドだ。鏡とは違い、どの面からの光も反射するのではい。反射角を調整し、攻撃にあわせ適度な位置にしなければただのガラスと同じなのだ。
「久須那、そいつを蹴り飛ばせ!」
 サスケはシールドを見て、久須那にかみつきそうな勢いで捲し立てた。すでに、始まりかけた口論のことは頭にない。向こう側の見える巨大なシールドはそれだけでも十分危険な存在だ。
「蹴り飛ばせって、蹴り飛ばせるのか、それは?」
「もう、面倒くさい。オレがやる」時間が足りないと、ついつい気も短くなってしまう。
 サスケは久須那の腕の中から抜け出して、ミラーシールドを目掛けて飛んだ。
「サスケ、それは無茶だ」迷夢が怒鳴る。
「サスケ、やめろっ!」久須那が叫ぶ。
 サスケは虚空を突き破って現れたミラーシールドに体当たりを喰らわせた。ミラーシールドにサスケの身体が触れた瞬間、雷撃のような閃きが走った。それ自体は魔力の固まり、防御目的に形成されたものであっても直接触れれば衝撃は受ける。
「ぐあああぁっ。この、クソめ!」
 しかし、空間に支えを持たない魔力の固まりはサスケがぶつかると同時にいとも簡単に弾き飛んだ。くるくると回りながら飛んでいったそれは民家の赤い屋根に突き刺さると大音響とともに爆裂し、魔力のカケラが辺り一面に飛散しやがては大気の中に溶け込んで消えた。
「マリス、避けろ。次のシールドは間に合わないっ」レイヴンが叫ぶ。
「……サスケの魔法が切れる」ゼフィは迷夢の耳元で囁いた。
「見苦しい、レイヴン。――シールドアップ」
 シュン。と短く乾いた音をあげ半透明の薄い樹脂のようなものがマリスの周囲を包んだ。
 しかし、マリスのシールドは迷夢のクラッシュアイズの前に屈服してしまいそうだった。そのシールドはミラーシールドのように魔力を反射させるのではなく、互いの魔力をせめぎ合わせることで消耗させ防御する。だから、必然的に出力が大きい方に分があるのだ。
「くそっ。ならば、こうするか」マリスはいい考えでも閃いたのか、口元を歪め不敵に笑んだ。
「スプールシールド」
 マリスの正面の半透明のシールドは一転して、不透明、白い輝きを放つようになった。シールド関係の魔法はその属性を問わず基本的には攻撃魔法を反射するように作用する。しかし、スプールシールドはその魔力をシールドの内側に蓄え、自分の魔力として放出することを可能とする。
「転換、スパークルアロー」マリスはニヤリとした。
 一旦、シールドに吸収された魔力は光の矢として迷夢を襲う。
「うぁ」
 流石の迷夢もこういう展開は予想していない。自分の攻撃がよもやマリスの魔力を相乗されて返ってこようとは。自分の魔法を自分の魔法で防御するのも難しい事だから、迷夢はおののいた。背中にとても気持ちの悪いぬめった汗を感じた。
「迷夢、しっかりしなさい」ゼフィが背中から迷夢を励ます。「普段なら造作もないはずです」
 そうまで言われて、黙ってゼフィに助けてもらうのでは迷夢のプライドが許さない。迷夢はちらっと後のゼフィの顔を見て、コクンと頷いた。
「……スパークルシールド」
 ミラーシールドが光を反射するためのものならば、スパークルシールドは光のより物理属性を持つ魔法を受け止めるためのものだ。キンキンキンと激しい金属音が数秒続き、マリスから返された矢のほぼ全てをすんでの所でブロックした。
「ほら、やれば出来るじゃない」
 ゼフィはニコニコしながら迷夢の頭をぽんぽんと叩いた。不意に迷夢が愛おしくなった。冬の日。北リテールを立った時からおぼろげに見えていた行く先の霞が晴れる。避けられる運命は避け、避けられぬと判った運命は静かに受け入れるのみ。そうしたら、急に自分の周りにいるものがいつもと違った輝きを持ち、違ったイメージを持っていることにハッとさせられた。
 ゼフィがそう考えていると、遙か下の屋根の上から、サスケの声が届く。
「ゼフィ! もう一度、マリスの動きを封じる。手伝ってくれ」
 サスケの意図する言葉の意味がゼフィには理解できた。全てを終わらせるつもりなのだ。誰がこの場からいなくなれば最善、最良の結果となるか考えれば自ずと引き出される結論だった。
「迷夢……。もし、最後まで生き残ったら、シリアのこと、頼みますよ……」
「う? うん……」迷夢は何事かを悟ったかにように淋しげな返事をした。
 イヤな感じがした。ゼフィは強気で勝ち気。どんなときも弱音や不吉な発言をしたことはない。
「ゼフィ、こっちに来てくれ。ダブルバインドでいく。でなければ、押さえきれない」
 ダブルバインド。それは同じ属性を持つ二人の精霊が魔力を融合、相乗させることにより発動する魔法であり、サスケとゼフィだからこそ成せる技。今ならば、フローズンビンディングの変形版ということになる。
「……迷夢、サスケのそばに下ろしてください」ゼフィは囁く。
「判ったよ……」
 迷夢はストッとサスケの近くの屋根に降り立った。ゼフィはすぐさまサスケに駆け寄り、膝をついた。そして、サスケの焼け焦げてしまった白い毛並みをそっと愛おしげに撫でた。
「無茶しすぎです。サスケ……」
 ただそこに、怒りの感情はなかった。サスケもゼフィもその先行きを心得、受け入れていた。行く先の運命には変えられるものとそうでないものの二通りあることを。
「無茶しすぎだと言われてもな。そうしなければ、どうにもならないだろ」
 サスケは可愛らしげにウィンク。ゼフィはおちゃらけたサスケを見て、ポカッと頭を叩く。
「まあ、そうですけどね。じゃあ、始めますか? サスケ?」
「その前に」サスケはゼフィから視線をそらした。
「久須那は光弾でも、クラッシュアイズでも何でもいい。それより破壊力のある魔法を使え」
 あらん限りの力を振り絞りマリスの右斜め前に降り立った久須那に向け叫んだ。そして、首を振り、ゼフィをつれてきてまだ近くにいる迷夢に向き直った。
「迷夢。お前もだ。この状況をどうにかしたいのなら、お前もやれ!」
 けど、迷夢の思いは揺れ始めていた。誰かが死んでしまうのは本意じゃない。異界とこのせかいをまもりたいけれど、それはみんながいてこそのこと。そして、何よりも。
「あ……、あたしはこれ以上、出来ない……。あ……」迷夢は後ずさりをした。
「何?」サスケは眼光鋭く横目で迷夢を睨み付けた。
「だって、あたし、マリスには恩があるから……。これ以上できないよ……」
「じゃあ、何故、さっきはマリスに手をあげたっ」激しく怒鳴りつける。
「シールドがあったじゃない。きっと、シールドを張ると思ってたから。でも、次は……」
 迷夢は狼狽えてサスケの顔を潤む瞳で見詰めていた。
「はっ、笑止」マリスが嘲笑う。「この期に及んで恩だの仇など言っていられるとは策略家の名が聞いて呆れる。掴み所がなくどこかふわふわしてる。恩も仇も関係ない。自分の描く策略に忠実だったのが迷夢じゃないのか。少なくとも、わたしの知る迷夢はそうだったぞ」
 さらにマリスは不気味に口元を歪めると、迷夢に向け左手を突き出した。
「そんな弱気な迷夢は迷夢じゃない。どんな不利でも策略を巡らせ、相手を説き伏せ、混乱に誘い込んで、自分を優位に導く……その見事な手腕はどこに行った?」
「だって、マリスは特別なんだもの。あたしのしたいことを判ってくれた。手伝って、導いてくれた。結局、こうなっちゃったけど、マリスが居なければあたしはここまで来れなかったから」
 迷夢は震える声で訴えかけた。
「なら、邪魔だ。迷夢はどこかに行ってろ。オレたちの邪魔をしなけりゃ構わん」
 サスケは険しい眼差しを迷夢に向けて、町中に轟き渡るほどの咆哮をあげる。
「しかし、今更お遅いな」マリスはフンと鼻で笑った。「お前は私の怒りを買いすぎた……、許しを乞うても、許さんぞ、迷夢。――レイヴン! 先に迷夢をやれ」
「ひっ……!」
 迷夢はわななく。マリスを一度本気にさせてしまったら、自分が苦汁をなめ派手に負けるか、マリスを叩きのめすしかない。大概は二者択一にはならず、一方的に自分がやられる。しかも、今はどう甘く見積もっても手加減なしに消し炭にされてしまうだろう。
「そうはいくかっ!」
 久須那は迷夢を狙いにかかったレイヴンにイグニスの矢を四本、五本と連射した。イグニスの弓は魔力を矢として放出するため体力の消耗は激しい。しかし、長弓などと異なり、息もつかせぬ速度での連射も可能だった。しかし、相手が悪い。久須那とレイヴンとの間には圧倒的な魔力の差があり、それを一人で埋めるには絶望的とも思えるほどだった。
「シールドアップ!」
 レイヴンは振り向きざま、左手を矢の飛んでくる方に差し向けた。キンキンと、乾いた金属音がすると矢は見えない防壁に阻まれ、落下する。その防壁を突き破るのには矢の物理的な速度だけでは足りず、それを上回るだけの魔力が必要だ。
「わたしではレイヴンにすら敵わないのか」
 力無く膝をつきそうになる久須那の傍らを白い影が駆け抜けた。
「お前はよくやっているさ。気に病むことはない」低い声が久須那の耳をかすめて消える。こいつはオレに任せておけ。――ゼフィ、……先に封印の準備をしておけ」
 サスケは再び久須那に背を向けたレイヴンに駆け寄る。まだ、遠くはない。しかし、レイヴンは久須那の矢を弾き返したことで少々気を抜いてしまったのか、サスケの雰囲気に気が付かない。
「お前のそう言うところが甘いのさ」サスケは囁く。
 サスケは音もなくレイヴンの背後に忍び寄った。そして、ポンと軽やかに屋根を蹴ると、数メートルの距離を余裕で飛び越え、レイヴンの翼に足をかけた。その瞬間、サスケの重みに耐えかねて、レイヴンは後ろのひっくり返りそうになった。
「な、何だと?」レイヴンが首を捻るとサスケの冷酷さを放つ瞳と出会う。
「油断は大敵だとどこかで聞いたことはあるだろう?」にんまり。
 サスケは爪を引っかけて、バリバリとレイヴンの翼をむしる。天使の翼はその強力な魔力が具現化したものであり、物理的には不完全な存在だが、触れたり傷つけたりすることも出来る。つまり、天使の魔力に直接触れることを意味していた。
「やめるんだ。このっ、獣めっ!」
 レイヴンは背中に手を伸ばしサスケをもぎ取ろうとするが、サスケはその手を巧みに左右にかわす。しかも、その場は自分自身も傷つくことを覚悟しなければ、サスケ相手に魔法も使えない。
「無意味なことを……!」凄まじく力のこもった形相でレイヴンはサスケを凝視した。
「構わんさ。お前の動きを一時的にでも封じられれば十分だ。――迷夢、今のうちにどっかに行け。それから、時を改め、お前の望みを叶えればいい。今は無傷でいることを優先するんだ」
「け、けど……」
 迷夢の心は揺らいだ。逃げてしまうか、否か。自分の不利となった時には臆面もなく逃げ出していたのに。今は何故かそれすらもはばかられた。ここから去ってしまったら、ゼフィや久須那、シリアとの間に修復不可能な深い溝を作ってしまうのに違いない。心のどこかで、それは避けたいと願っているのを迷夢は感じた。だから、いつまでも心が決まらず、ユラユラしてしまう。
 去らないにしても境界面修復の魔法は途中で止めてしまったために術の完成の難易度は格段にアップしている。さらに、術を続けるためにはマリスの攻撃を避けねばならず、何よりもみんなが傷ついていくのを見ていたくない。それも今更になって迷夢を揺さぶった。
「あ……、あたし――どうしよう……」このままでは逃してはいけない期を逃してしまう。
「迷夢ぅ。とにかく一度、ここから離れるんだ」サスケは瞳で訴えかける。
「……」迷夢は結論が出ないままによろめくように一歩後ずさる。
 そして、久須那やゼフィの方を見て、迷夢は踵を返し空へ飛び立とうとした。
 しかし、マリスは気付く。険しい眼差しをグリンと向け、迷夢の後ろ姿を突き刺した。
「逃げるなっ! ここにいろ……」マリスのドスのきいた声色は迷夢を硬直させるには十分だった。
「ひぃっ、あ、ごめんなさい」
 あの自信はどこに行ってしまったんだろう。マリスと対峙した瞬間でさえ、自分に出来ないことはないと思いこめたのに。今は蛇に睨まれた蛙。臆病風に吹かれ、大胆なアクションを起こすことさえもままならない。
「迷夢らしくない」それはシリアの呟き。「迷夢らしくないぞっ! いつもの遠慮会釈なしの迷夢はどこに行ったんだよ。剛胆な迷夢だったら、最後までいけるだろ!」
 ずっと、密やかにやりとりを見ていたシリアが街角から姿を現した。
「シリアくん……」
 その一方で、久須那は再び、弓を引いた。今度は一本の矢に全てを集中する。一撃必殺を狙う。フツウに射るのではマリスには蚊に刺されたほどにも感じないだろう。だから、久須那はもてるだけの魔力を矢に込める。イグニスの青白き炎は大きさを増し、静かに勢いよく燃えさかる。
 これを外せば、マリスを傷つけられる確率が大幅に下がってしまう。
 久須那は狙いをマリスの背中に定め、矢を放つ。矢は炎を後方に尾のように靡かせて、飛翔する。空気を切り裂く音でさえ皆無に近く、ほぼ無音で獲物を捕らえようとした瞬間、邪魔が入った。
「マリスっ!」レイヴンがサスケとの揉み合いの隙をつき、叫んだ。
 その警告の一言が耳に届いた刹那、マリスは身を翻し、すんでの所で矢をかわした。そして、下唇を激しく噛み、怒りの形相を露わに久須那を睨め付けた。マリスは久須那に逃げる隙を与えないようにギュンと一気に間合いを詰める。しかし、久須那は気を張り、引かない。
「久須那ぁ! 決して許さない。もうすぐだというのに。もうすぐ、我が父の望みが叶うというのに! お前ら、わたしの前から消え失せろ」
 久須那の頭を右手で鷲掴みにした。そして、マリスはそのまま、上空に舞い上がった。
「呪いをその見に刻み、永久に虚空を彷徨い続けよ――呪詛!」振り絞るような声色だった。
「あぐぅっ。――は、放せっ」
 マリスは久須那に言われるがままに手を放した。すると久須那は飛翔することも出来ずに、一番近くの屋根の上まで落下した。しかも、バランスよく着地することも出来ずに、膝をつく。
「な、何をした?」久須那は左手で額を押さえ、マリスを見上げた。
「……呪いだ。どんな魔法を使ってもそれは解けない」
「――いつの間にそんなものを覚えた」深い呼吸が出来ないかのように、久須那は短く息を吸う。
「いつでも。この数ヶ月の間にそんな機会は幾らでもあった。……ありとあらゆる邪魔者を駆除するための手間は惜しまん。西洋が魔術なら、東洋の呪術も学ぶ価値はある。――その呪いは一週間以内にわたしが解かねば、お前は死ぬ」
「――そうか」久須那は淡々と受け応えた。
「死の宣告をされたというのに取り乱したりも、落胆したりもしないんだな?」
「何を期待してる? わたしに泣いて詫びでも……命乞いでもして欲しいか?」
「くだらない。わたしがそんな詰まらん輩に見えるか」
「いいや」久須那は静かに首を横に振った。
 そして、久須那は再びイグニスの弓を手に取った。片膝をついたままの無理な体勢で弓引き、マリスを狙う。たったそれだけの行為なのに、呪いのせいか息が切れる。脂汗が背中をぬらす。
「……無様だな、久須那」蔑みの視線が久須那を貫く。
「何だろうと、構わない。こうなった以上はお前を阻止する他ないだろう?」
 久須那はとことんまで追い込まれた状況にもかかわらず、不敵に微笑んだ。
「久須那っ! どうしよう。マリスの呪術って半端じゃないのよ」
 折角、みんなが作ってくれた時間なのに迷夢は何も出来ずに右往左往してしまう。
「うろたえるな、迷夢。……すぐには死なないんだろう。なら、やるべきことをする時間はある」
 久須那はオロオロする迷夢を真摯な熱い眼差しで見詰めて言った。
「お前は自分のやるべきことをやれ。わたしは自分のやるべきことをする」
 それだけを言えば迷夢には通じる。久須那は迷夢に汲みした。ならば、その思いに応えよと言うのだ。それは迷夢も心得ていた。スプールした魔力をいつまでの狭い空間に押し込めておくことは出来にない。あれを綺麗に消費しきらなければ別の意味で大変なことになる。
「……」迷夢は意を決する。最後までやり遂げよう。
 迷夢と久須那は瞳を見合わせ、互いに頷きあった。
「光に住まう闇の言霊。……まだ、いるよね?」
「……ああ」迷夢の呼び声に声が反応し、それからフッと瞳が現れた。
「続きをやるよ。スプールフィールドを解放せよ!」迷夢はフィールドを作った方向に、すっと右手を差し出した。すると、閉じた空間から再び光が漏れだした。最初に一条の光、それはやがて光の川のようになり異空間から再びフィールドと定めたマーカーの内側に満たされていく。薄暗い闇の閉ざされた町が微かな灯りに照らされて仄かな明るさを取り戻す。
「させるかぁ!」
 マリスが気づき、迷夢に迫ろうとした。迷夢を見定め、屋根を蹴り上げ、翼を広げる。マリスは目的を迷夢に定め飛翔し、迷夢の蒼白な顔を睨み、飛びながら剣を斜に構えた。着地しながら、迷夢を叩き斬る。しかし、そんなことになってはたまらない。久須那は叫んだ。
「マリス、お前の相手はわたしだ。迷夢に手を出したいのなら、わたしを殺してから行け」
 久須那は一念発起して立ち上がり、イグニスの矢を放つ。いつになく洗練された青白い炎を身にまとい、マリスを目掛けて飛翔する。
「殺す? お前には死ぬよりも酷い目にあってもらわないと、気が済まない!」
 マリスは憎悪に燃える激しい眼差しを久須那に向けた。
「シールドアップ!」
「フライングスペル、アクセラレーションっ!」
 半透明のシールドがマリスを覆い尽くす前に、久須那の魔法が矢に届いた。新たに力を得、青白いイグニスの矢は加速する。その矢はシールドが完全に形成される直前にシールド面を飛び越えて、シールドの内側に入り込みマリスを襲った。
「ぐあっ! はぁ……っ」
 ザクッ。マリスの右腕に深々と矢が突き刺さった。矢は未だ魔力を失わず、青白い炎を身にまといマリスの身を焦がす。しかし、その魔力の強さを持ってしてもマリスを屠ることは出来ない。
「貴様ぁ! もう、迷夢は後回しでいい。お前が先だ。久須那」
「そう来なくちゃ、マリスじゃないな。最後の手合わせ願おうか?」
 そこまで言えれば上出来だと久須那は思う。減らず口でも叩いていないと弱気な自分が頭をもたげ、永久に逃げ出したい衝動に駆られてしまうのだ。現時点での力の差では天地がひっくり返るほどの奇跡でも起きなければ、久須那に勝ち目はない。
「まだ、生かしておいてもいいと思った。この決着が付けば仲直りできるだろうとどこかで思っていたよ。……呪詛も解いてやろうと……。けど、もう、お前はいらない。迷夢も久須那も、わたしに仇なすものは永遠にわたしに前から消し去ってやる」
 マリスはもぎ取るように二の腕に突き刺さった矢を引き抜いた。血の飛沫がポタポタとしたたり、周囲にいくつもの深紅の水玉模様を描いた。そして、マリスは痛む右腕をかざし、虚空からノックスの剣を取り出そうとした時、マリスの腕に激痛が走った。
「あぁっ!」思わずマリスは悲鳴を上げた。
 実体化したノックスの剣の重みに耐えられなかった。久須那に受けた傷はその外傷よりも、魔力的に深手だった。これでは剣を振ることもままならない。しかし、久須那に一矢報いなければこの場から立ち去ることは出来ない。
「……。やってくれるな、久須那……」
 マリスは高見から、久須那のいる屋根の上に静かに降り立った。そして、二人は互いににらみ合った。マリスとの得物を使った直接対決。魔力の差がてきめんに現れる魔法戦よりは幾分有利に戦局を運べるかもしれない。久須那はマリスとの間合いが縮まったことを考慮に入れ、弓を剣へと変幻させた。剣の束をぎゅっと握り、改めてマリスを睨み付ける。
「そう言うのを……健気と言うのかな?」マリスは鼻で笑う。
「何とでも好きなように言ってくれ」
 久須那はじっとマリスを睨んだ。
 一方、迷夢は好機は今しかないことを悟った。レイヴンはまだサスケと格闘している。マリスの意識は久須那に集中している。誰も迷夢には注目していない。この瞬間を大切に使えなければ、何もかもが水泡に帰すというのに。どうして、逃げだそうとしたのだろう。
「……あたしは……こんなにも恵まれていたんだね……。――あ……?」
 と、迷夢は何者かがマーカーの外周に張った結界に触れたことに気付いた。神経を研ぎ澄ませていくと、各人の持つ持つ魔力、たとえそれが微弱なものだったとしても、の色から個人を判別することも出来る。同じ色は一つとしてないので、それが迷夢の知人であるなら、誰かまで特定できる。
「シリアくん。結界に誰か入った。……見てきてもらえる?」
 迷夢はまだ近くをうろついていたシリアに声をかけた。
「え……。でも、オレ……」この場を離れることは何故か躊躇われた。
「いいから、早くっ! マーカーに光が入ったら出るのは大変よ。……来たのはシェイラルとレルシア……、大事な人が街と一緒に木っ端みじんになってもいいの?」
「イヤだけど、……どうして、迷夢にそんなことが判るんだよ?」
「結界はあたしの身体の一部よ。感覚が連動してるの。だから、判る」
「でも、何か、オレ、嫌な感じがするんだよ……」
 シリアの不安は街を包み込む異様な静けさに呑まれて消えた。