12の精霊核

←PREVIOUS  NEXT→

31. can't sleep at the night(眠れない夜に)

「あたしが必ず、サスケを助ける」
 そんな怖いもの知らず、向こう見ずな発言をしたのは一体いつのことだっただろう。
 迷夢はベッドに横になり、暗い天井を見詰めながら考えた。
 ギシ……。ベッドの左側が不意に沈み込み、ぼそぼそと小声が聞こえた。
「――眠れないのか」ふさふさの物体が迷夢の頬をくすぐった。
「シリアくんか。あはは。くすぐったいよ。はは……。は、はくしょん」
「こらっ、くしゃみをかけるなっ」
「……そう言うシリアくんもその昔、ど派手にやってくれたじゃない。忘れちゃった?」
「そ、そんなこともあったか?」
 リボンは記憶の隅っこにその出来事を思い出して、ばつが悪そうにしどろもどろに返答した。その間、リボンは優しい眼差しで迷夢の暗い横顔のシルエットを眺めていた。迷夢はただじっと天井を見つめたままでいた。そして、迷夢はもそもそとリボンの方に向いた。
「ねぇ、シリアくん。――今晩だけでいいから、あたしの抱き枕でいてよ。ホントはずっと淋しかった。昼間に来たとき、ホントは……相手にされなかったらどうしようって不安に押し潰されそうだったんだよ」
 迷夢はタオルケットの端をぎゅっと握って、思いの程を吐露していく。そして、傍らに丸くなったリボンに迷夢はそっとしがみついた。
「……昔の迷夢はもっと自信家だった。あんな根拠のない自信がどこから湧いてくるのか不思議で堪らなかったよ」リボンは目を閉じて静かに言葉を紡ぐ。
「はったりだよ。そうしなきゃ、あたしは何もできないんだもの……」
 リボンは迷夢の口から思わぬ告白を聞いた。暫くの空白。やがて、迷夢の穏やかな寝息が届く。
「……お休み、迷夢。――よろしく頼むよ……。今回じゃ、終わらない。それはもう判ってるんだ。けど、全てを知って時を渡り歩けたのはお前だけだ。……力になってくれよ」

「迷夢。もう、いいよ。もう責めたりしないから。だから……」
 シリアは口をへの字につぐんで、目頭に涙をためながら悔しげに地面を見詰めていた。
「――迷夢まで居なくなっちゃったら、オレ、どうしたらいいんだよっ!」
 すると、迷夢は意外そうな表情をしてシリアを見詰めた。
「ありがと、シリアくん、それだけで嬉しいよ」
 そして、迷夢は再び大きな氷塊に向き直った。氷塊の中にはかつての宿敵とも言えるマリスと氷の狼王・サスケの姿があった。ここはアルケミスタのずっと外れ、山奥の洞穴。当時、レルシアが不測の事態に備え、人里離れたこの場所に移動させたのだ。
「……たまにはオレの話を聞いてくれてもいいじゃないか……」シリアは呟いた。
「――」淋しさの色を湛え、迷夢はシリアを見下ろした。
 その小さな言葉に迷夢はウェストポーチに手を突っ込んで、その手のひらよりも一回り小さなペンダントを握り締めた。そして、ちょっとの間、それを弄ぶと瞬間、キュッと目を閉じて意を決した。迷夢はウェストポーチからペンダントを取り出す。
「あ〜。これ、返すよ。ゼフィから預かったんだ。キミに渡しておいてくれって」
 迷夢はシリアの正面にしゃがむとそっとペンダント型のアミュレットをその首に下げた。
「ゼフィのアミュレット……」
「うん……。ずっと返し損なってたんだ。ごめんね……」
 迷夢は呟くように囁くと、シリアの頭にポフッと手を置きなでなでした。
「……さてと」迷夢はおもむろに立ち上がった。
 迷夢は氷塊に向き直ると、上から下まで一通り見澄ました。始めよう。迷夢は氷の向こうからこちらを見るマリスに不敵な微笑みを送る。
「へへっ! サスケは返してもらうよ」
 真摯に煌めく瞳を差し向け、迷夢は虚空から一振りの剣を取り出した。
 魔法の氷は熱で溶かすことができない。割ったり、溶かしたりするにはそれなりに熱に類する魔力が必要なのだ。だから、迷夢は道具に自らのノックスの剣を選んだ。しかし、出力に気を遣いすぎるほどに遣わなければ、氷もろともサスケを傷つけ、マリスに復活の要因を与えてしまうかもしれない。それでも……。
「これだけはどうしてもやらなくちゃならないの。久須那とレルシアと約束したんだから」
「でも、オレは……!」何も出来ない自分に悔しさを感じながら、シリアは言う。
「もう、大人にならきゃダメだよ、シリアくん。ただ、見ているだけじゃ、未来は手に入らない。キミは気がついてるはずだよ。失うリスクを恐れてるだけじゃ、キミはやがて一人になる。誰もキミのことを振り返ってくれない。それでもいいの?」
 かつて、何かを経験してきたのか迷夢の言葉には奇妙な説得力が宿っていた。
「いいわけ、ないよ。けど――」
「けど……? 何」迷夢は意地悪に問う。「答えられないなら、黙って見ていなさい」
 迷夢はシリアから目を離すと、自らの黒き刃に意識を集中し始めた。寸分の狂いもミスさえも許されない。その刃の切っ先にすべての命運がかかってる。迷夢はそっと、刃を当てた。刃が氷に触れたところからはシュッと小さな音がして、湯気が立ち上る。
 慎重に慎重に。迷夢はマリスの肩に掛かったサスケの足を傷つけないためには繊細な剣さばきと集中力が要求された。手元が少しでも狂うとサスケの足がなくなってしまう。でなければ、マリスを倒す決定打を欠いたままに、マリス復活の憂き目に遭う。
「……切れた……っ!」
 迷夢は切り取った氷塊がその場から転げないうちに抱きかかえ、あまりの重さによろめいて丸ごと落としそうになったが、出来るだけ衝撃のないように下に下ろす。
 そして、迷夢は残った氷を溶かすために魔力の炎を小出しにしながら周囲を暖める。
「これで、上手くいってくれたらいいんだけどなぁ……」自信なげにポツンと呟く。
 自らの意思で自ら封じた氷塊は迷夢の想像以上に手強かった。弱い出力では全然、溶けてくれない。でも、だからといって慌てると最悪の事態を招きかねない。迷夢ははやる気持ちを抑えつつ、確実に氷を溶かす方法を選んだ。
「全く、世話を焼かせる連中だな。お前ら」まだ溶け残る氷の向こうからサスケの声がした。
「ふぁぁ。サスケ、良かったよ、サスケぇ」
 瞬間、迷夢は安堵して、地べたにぺたんと座り込んだ。
「父上っ」
「はっくしょいっ! しかし、寒いな、ここ」サスケは身を震わせて上下左右を確認した。「……ここはどこだ? 少なくとも、あの時の赤い屋根の上じゃないな」
「アルケミスタの山奥の洞穴。人里離れたここなら、万一のことがあってもどうにかなるでしょ」
「……」サスケはしばらく迷夢の瞳を覗き込んだ。
「な、何よ、急に」迷夢は期せずに、後ずさる。
「発案者は迷夢じゃないなと思ってさ。レルシアか、シェイラルだな」
 ざり……。微かに砂や、砂利が動く音が届いた。しかし、三人とも気が付かない。人影が動く。
「……」黒い影が揺らめく。黒い翼が大きな影を作る。
「お前ら、俺のお姫さまに何をしてるんだ?」
 ドスのきいたその声には聞き覚えがあった。
「レイヴン?」ハッとしたように三人は洞窟の入口に振り返った。
「……どこをほっつき歩いてるのかと思えば、こういうことだったのか」
 突如、足音が響きだして声が届いた。
「あの後、ずっと姿を眩ませて魔術の鍛錬をしていたという訳か」レイヴンは氷塊に手をかけ、寄りかかる。「……サスケだけを切り出すには高度なスキルが必要だものな。しかし……」レイヴンは嘲笑うかのように口元を歪めた。「お前はそのリスクを承知してるのか?」
「そんなこと、キミに言われなくても判ってる」
「え……? 何? そのリスクって……?」何も知らないシリアが尋ねる。
「しくじると、氷塊に不要な傷が付き、封印が崩壊するかも知れないのさ」
「そんなミスは犯さない。あたしの計算は完璧よ」迷夢は背中に冷や汗を感じながらも冷たく言い放つ。「……けど、封印の効力が弱まるかもしれない」
「ほら、見ろ」レイヴンは嘲り笑う。「ははっ、ヴァーチュズごときにマリスを封じ続けられるはずがないんだ。やがて、マリスは目覚める。その時、お前らは全員、身の破滅だ」
「この十年、何もしてこなかったキミにそんなことを言われる筋合いはない」毅然と言う。
 その迷夢の発言に対し、レイヴンは憤る強張った口調で答えた。
「それも、迷夢に言われる筋合いはない。俺もこの十年というもの、氷塊を打ち破るために様々な方策を研究し、実際に試してきた。しかし、実際にはこの様だ。ふん、まさに鉄壁の氷塊とでも言おうかな。マリスの魔力でホンの僅かずつ解けつつはあるものの封印当初の出力をほぼ百パーセント維持している。……何故か、判るか……?」レイヴンは敢えて問う。
「えぇ、知っているわ」迷夢は上目遣いにレイヴンを見定めた。
「なら、話は早い。サスケの魔力が付けいる隙をかき消していたんだ。取っ掛かりがなければ、どんな強力な魔術でさえ、封印を解くことは出来ない」
「……それは認めてあげる。けど、やっぱり、キミは愚かだよ」きっぱりとした口調で迷夢は言い放つ。「だって、そうでしょう? キミはこの、千載一遇の大チャンスをフイにしたんだよ」
 迷夢の瞳が瞬間、怪しくキランと煌めいた。
「やれやれ、再開を祝っている暇は何もないんだな」
 サスケがすっかり溶け出した氷の水たまりの上に凛然と姿をさらしていた。復活。かつて、氷の狼王として北リテールからリテール全域に君臨したころの威厳を保っている。包容力のある広い心持った精霊王。しかし、同時に志しなき者へは想像を絶するほど厚い氷の防壁を持つ冷徹たる精霊王として名を馳せた。
「父上っ。本当に父上なんだ」シリアは感涙むせび泣きでサスケに寄ろうとした。が。
「どけぇ、お前には恨みはない、どこへでも好きなところへ消えてしまえっ!」
 レイヴンはシリアの横っ腹を蹴り飛ばした。
「ぎゃんっ!」シリアの軽い身体は反対側の壁まで吹っ飛ばされた。
「シ、シリアくんっ。あ、くっ」シリアに駆け寄ろうとしたところを剣で制された。
「動くなっ。お前は……俺が殺す」振り絞るようなレイヴンの低い声が狭い洞窟に反響した。
「うわぁあぁぁあ。ちくしょうっ」
 シリアは壁にたたきつけられるのを辛くもかわし、無事着地するとそのままレイヴンに向けてジャンプした。自分にも何か一つくらい出来ることがあるのを示したいが為に。
「ダメっ! シリアくん、ただの犬死によ」
 迷夢は転がるようにシリアに飛びつき、ぐっと抱え込んでレイヴンに背を向けた。考えがあったわけではない。ただ、反射的に凶器からシリアを守るために身体が動いたのだ。
 ザンッ。その次の瞬間、迷夢の背中に途方もない激痛が走った。
「あぁぁあぁあぁっ」
 黒い翼が無惨にも切り裂かれ、迷夢は地面に崩れ落ちた。
「メイムー!」
「はぁっ! あ――っ」
 あまりの激痛にのたうち回りそうになりながらも、迷夢は気丈にも石畳に手をついて身を起こそうとした。しかし、力を入れるとさらなる痛みが身体を縦に突き抜ける。
「うぐぁっ。……はぁ、レイヴン。キミは何故……」
 迷夢はやっとの思いで這いずって、壁に肩で寄りかかった。そうでもしなければ、レイヴンの顔さえ見ることが出来ない。しかも、魔力で斬りつけられた傷は癒えるのが遅いのだ。
 そこへ、ワンテンポ遅れる形で、サスケがレイヴンの胸ぐらに飛びつき押し倒した。
「……サスケめ、ふざけた真似をしてくれる。……俺はお前らを決して許さんっ!」
「レ、レイヴン……。キミは誰の死も、仲間割れも望んでいなかったじゃない」
「……恋人を半殺しの上、封ぜられこの期に及んでまで大人しく見ていられるか……?」
 瞳は真剣そのものだった。
「最後まで手間かけさせやがって。……だが、それも悪くない。オレはそんな迷夢が大好きだ」
「サ、サスケ……。そんなこと、言ってる場合じゃないよ」
「今じゃなきゃ、言えないだろ」サスケは迷夢のめをじっと見詰めてニンと微笑んだ。
「うああぁ。そ、それは愛の告白なのかしら?」
「何言ってるんだ? お前。ま、それだけ元気なら当分死なないな」
 サスケはまだ、朗らかな笑顔を湛えたまま迷夢を見ていた。
「さて、迷夢。オレの魔力を全てやる。復活には手間取るかもしれないが、死なずに済むぞ」
「でも、折角、生きて戻って来れたのに」
「ふ? そうでもないさ。助けてもらったお前にこんなことは言うべきじゃないんだろう。が、生き長らえてもたかが知れてる。それくらいなら、オレはお前に生きていて欲しい」
「……そんなぁ……」
「それについでと言っちゃあ何だが、シリアのお守りも頼みたくてな。……ホンの時々でいいんだ。あいつが元気でやってるか、こっそりとでも影からでも見守ってて欲しい」
 サスケは必死に身を起こそうとしている迷夢に向かいしめやかに言葉を手向け続ける。
「その残りは腕輪の託す。そんな紛い物に希望を託すよりもずっといい。お前のウロボロスは本物になる」サスケの瞳が煌めいた。「ま、せいぜい、一度が限度だろうけどな」
「サスケぇっ! 何故、貴様は俺たちの邪魔をする」レイヴンは洞窟の壁面を頼りにしてようやくよろよろと立ち上がった。髪は激しく乱れ、顔面は砂埃や汗にまみれ、そこに美青年の姿はない。
「最大多数の最大幸福。オレはそれを望む」
 凛とした張りのある声で声高に主張する。
「この世に住まう全てのものに幸福が訪れるとは思わん。だが、“個”を想う思いが強すぎるが故に全体が見えぬお前、周囲を巻き込んでいくお前たちを認めるわけにはいかない」
「お前の施した封印に傷を付けるところだった迷夢はいいのかっ」
「善と悪とは相対的なものだ。レイヴンが悪意に満ちてるとは思わないが……、復讐心の見え隠れするお前より、迷夢の純粋な思いを取るのは自明のことだと思うんだけどね?」
「へっ。所詮はサスケも偽善者だってことだ」
「……否定はしないな」
「否定できないの間違いだろう?」
「……どちらでも同じことだ。さあ、迷夢。ウロボロスの腕輪を差し出せ。お前の残りの生はオレが預かる。……お前がこの世を去る時までオレが一緒だ。恐れることは何もないっ!」
 その後、何がどうなったのか、よく覚えていない。ただ、遠のく意識の中にサスケの咆哮とレイヴンの猛り声が残り……。とりあえず、死なずには済んだ。手元にはウロボロスの腕輪が転がり、意識を取り戻した時、そこには誰もいなく、何もなかった。
「お前と会えて、結構楽しかったぜ、迷夢……」
 サスケの優しい囁きが迷夢の耳の奥に残っていた。

「ううぅ……」迷夢は首を振り振り、額を抑えた。
「どうした迷夢。悪い夢……怖い夢でも見たのか?」
 横で眠っていたリボンもベッドの微かな揺れを感じて目を覚ました。
「うん……?」迷夢は青ざめた顔色のまま、乱れた髪をそっとかき上げた。「何でもないよ」
 そう言う迷夢の声は微かに震えていた。
「オレとお前の仲だろ、隠し事はするな」
「……誰も起きていないよね……」確認するように迷夢は言った。
「ああ、よく眠ってる。顔を踏ん付けても起きないぞ」
 迷夢はリボンの首筋に掴まって、背中の毛並みをさわさわと撫で始めた。
「……調子に乗って毛をむしるなよ」
「うん、判ってるよ」
 そして、迷夢はリボンの毛で心の平安を取り戻そうとするかのように、指に巻き付けたり、引っ張ったりして弄んでいた。リボンはただされるがままに徹し、迷夢が喋り出すのを待った。心を枷から解き放つには強制するのではなく、自分からその囚われの過去に向き合う必要がある。
「レイヴン」ようやく、一言だけ言葉を口に出した。
 それから、沈黙。あの日からここに辿り着くまでに千年以上を費やした。サスケの助けを借りたとはいえ、レイヴンに刻まれた負の魔力を取り払い、本来の自分の姿を取り戻すにはそれだけの長い時間が必要だった。思い出せば、それは悪夢に他ならない。
「……あいつ、油絵、まだ、続けてるのかな?」
「……さあな」
「もう一度、レイヴンの描くあの世界をもう一度みたい。こんなことになったって、ずっと忘れられないんだ。キミとゼフィと久須那とマリスとレイヴン。六人でここに集まった時のこと。もう、どんなに頑張っても取り戻せないんだよね……」
 迷夢は無意識に指先でリボンの毛を絡め取り、頬をすり寄せていた。
「ああ。――だが、お前が望めば、新しい仲間たちが手に入る。みんな、もう判っているぞ。迷夢は間違っていなかった。正しかったとね」
「でも、もっと他にやりようがあったかもしれない。誰にも迷惑をかけないスマートな方法が」
「ま、お前にゃあ無理な相談だろうな」リボンはにやり。
「人が塞ぎ込んでるってのに言いたい放題を言ってくれるね。キミも」
「迷夢相手にしんみりしてもしょうがないだろ。本人が一番テキトーでふざけてるんだから」リボンは面白おかしそうにクスクスと笑った。「なぁ、お前ら、そうだよな? ……寝ているふりをいしてるのはもうばれてるんだぞ」さらにクスクス。
 すると、隣のベッドがもぞもぞと動いて頭が二つひょひょっと覗くのがちらりと見えた。
「ふぅ〜ん。迷夢ってば、思ってたより、仲間思いなんだね」
「滅法明るい迷夢の裏側には意外な一面があったんですね」感心したデュレが言う。
「けど、レイヴンってばもう少しは紳士に思えていたのにそうでもなかったんだ」
 その横で、俯せに転がったセレスが言った。
「って、みんな、ホントに起きてたの? うぁぁぁ。寝てると思ってたから喋ったのにぃ」
 迷夢はうなじまで真っ赤になって俯いた。
「別に気にしなくてもいいんじゃないの?」セレスは軽い朗らかな口調で言った。「だって、あたしたちは……リボンちゃんの言葉を借りるなら“新しい仲間たち”なんでしょ?」
「……あたしのこと、そう思ってくれるの?」
「う〜まぁ、迷夢は敵に回したくないし、み〜んな、散り散りになっちゃったし」
「ちぇっ、何だぁ、そんな消極的な理由か……。つまんない」小声でぶつぶつ。
「全く、セレスと言いあなたといい、どうしてこんな難儀な性格なのばかり、わたしのそばに集まってくるのかしら。仲間とか仲間じゃないとか、敵だとか味方だとかそんな区分をするのはわたしは嫌いなんですけど。そんな消極的な理由であなたをそばに置いておけるわけがないでしょ」
「……つまり?」デュレの意図は通じたけれど、それでも決定的な一言を言わせたい。
「あ〜もうっ! 迷夢は仲間です、仲間。それは大筋で目的が一緒だからです。人手不足だからとか、そんな訳の判らない理由じゃありません」
 ゴーン、ゴーン……。ゴーン……。静寂を突き破って鐘の音が町中に響き渡る。
 五点鐘の時刻。シメオン大聖堂の中央塔から、いつものようにエルフ狩りの走査が始まった。魔力のフィールドで市内を隈無く洗い出し、危険分子と思わしきエルフを排除する。
「リボンちゃん。絶対に大丈夫なんだよね?」
 セレスは不安になって、迷夢のベッドからはみ出しているリボンの尻尾をきゅっとひっ掴んだ。
「ああ、問題はない。が――、思い切り握るのはよしてくれ。痛いんだぞ。ホントに」
 リボンはちょっとだけ涙目。
「だって、リボンちゃんの尻尾を握ると安心できるの……」
「……このお子ちゃまめっ」
「ひどい〜〜。けど、昔のリボンちゃんより程じゃないモン……」
「それこそ、ひどい〜〜だろ? お前」
 リボンはため息まじりに言う。デュレはそのやりとりをまるで気に入らないかのようにじと〜っと生暖かい眼差しで眺めていた。何となく、除け者にされているようで苛々する。何とか間に入れないものかと思いついたのはこの言葉だった。
「……どうして、アルタは迷夢が死んだと思っていたんですか?」
 すると、今度はデュレかと言わんばかりの表情でリボンはデュレを睨み付けた。
「――き、聞きたいことは忘れないうちに……ねっ」デュレは少し引きつった。
「ねぇ、デュレぇ。さっきと言ってることが違うよ。ねぇ?」
 セレスはデュレの肩に手を回して、頬をすり寄せた。
「まあ、オレがそうアルタに言ったからなんだけど……」ばつが悪そうにモゴモゴという。「そもそも、迷夢は天使だし。死にたくても簡単に死ねないようなバイタリティを持っている。と言ってもな。オレも死んだものだとばかり思っていたよ。あの時は」
「でも、あの感じからして、リボンちゃんは知ってたんでしょ? 全然、驚いてなかったもん。知らなかったのは父さんだけだったみたいだし」
「さっき、会う前にオレは迷夢の姿を見たからだよ」
 どんどんっ! ドアが軋むくらいの激しいノック。一旦、やんだかと思うと再び壊れんばかりの勢いでドアがノックされた。
「だぁれ? こんなに朝早く。近所迷惑だっつ〜の」
 悪態を付きつつ、まだまだ、眠い目をこすりながらセレスがムクリと身を起こした。
「待て、お前は行くな。悪意を感じる……」
 セレスを押しとどめると、リボンはタンとベッドから飛び降りた。
「迷夢。頼んだ」
「ほぉ〜♪ あたしを選んじゃっていいのですか、親父さん。寝起きのあたしはご機嫌がちょ〜悪いのだ。血の雨が降ろうと、何があろうと、あたしは責任なんて持てないからね」
「それだけ饒舌なら十分だ。行ってこい」
「あっそぉ。それでいいなら、いいけど」ぶちぶち言いながら、迷夢は玄関口に向かう。
「おい、誰かいないのか。いい加減に出てこないと、ドアを蹴破るぞ」
 だんだん。ドアを叩く音も殺気立った雰囲気になる。そこへ迷夢が現れた。
「朝っぱらから、うるさいよ。キミたち。善良な市民をたたき起こして、何様のつもり?」
「エルフを匿っているとの通報を受けた。家宅捜索をさせてもらう」
 迷夢は戸口の柱に寄りかかり目を細めて、不機嫌そうに男どもの上から下までを睨め付けた。男どもは入口を塞ぐように立っていた迷夢をぐいっと押し退けて奥へ行こうとした。
「……誰が、入っていいって言った?」
 迷夢は左足で男の足を引っかけた。
 ドンガラガッシャァアン! 派手に横幅が広めの男が床に倒れ込んだ。
「何をする、貴様っ!」
「待て、必要以上に事を荒立てるなと言われたはずだ。忘れたか?」
「……手加減なしでいいなら、いくらでも相手してあげるよ」
 リボンは玄関口から届くガラクタがとっちらかる音にピクリと耳を反応させ、そっちを向いた。
「――迷夢のやつ、派手に始めたな……」
「レイアさんが垂れ込んだのかしらね?」デュレが言う。
「あらぁ? どうして、デュレといい、シェラといい、そんなに落ち着いていられるの」
 セレスは追いつめられていくとても気色の悪い焦燥感に囚われていた。
「慌てて騒いだからって、どうにもならないからです」
「悠長なことを言ってる場合か。迷夢が時間稼ぎをしてる間に逃げるぞ」
「逃げるってどこへ? 逃げ場は……ないんでしょ?」セレスがしょぼんとしたよう言う。
「あ? 決まってるだろ。それに、モタモタしていたら迷夢が何をしでかすか判らないぞ」
「あやや、それはちっとまずいね」どぎまぎしたようにセレスは言った。
「だろ?」リボンはウインク。
「じゃあ、手っ取り早く魔法を使って脱出……」デュレ。
「いや、ダメだ。魔法を使えば痕跡が残る。それに向こうも一応プロだ。気取られると厄介なことになる。エルフの魔法は些細なつもりでも強力だからな。ここはオーソドックスに裏口から逃げる!」
「待って、シェラさんは?」
「――わたしは迷夢と残ります。その方がいいと思いますよ」
「面目ない」リボンは深々と頭を下げる。「後で必ず、追いついてきてくれよ」
「迷夢がわたしを置いていかなければ、必ず」シェラはそっと微笑んで見せた。
「大丈夫さ。あいつは……信頼できる……はずだ」
 微妙に頼りないらしい。それでも、リボンは迷夢を頼っているような雰囲気を持っていた。初めて迷夢が現れた時は敵なんだと居合わせた誰もが思った。けれど、違う? あれは迷夢とリボンとの間のただの戯れ、再会の儀式だったのではと思えるほどに。
「デュレ、セレス。行くぞ」
 リボンはキッチンを通り抜け、表通りとは反対に通じる勝手口に足を向ける。
「――バカを構ってる暇はない。行くぞ」ひょろ長の男が言った。
「……バカ? ちょっと待ちなよ。誰がバカだって? もう一度言ってごらんよ?」
 迷夢は真面目な声色になって、奥に行こうとする男の肩に手をかけた。
「お前だ。これ以上、邪魔をすると公務執行妨害で牢獄にぶち込むぞ」
「ぶち込めるもんなら、ぶち込んでごらんなさいよ。キミたちが無事に帰れたらね」
 迷夢は不敵な笑みを浮かべつつ、ポキポキと指を鳴らした。久々にお遊びができそうなのだ。思わず迷夢は舌なめずり。出力全開にはほど遠いだろうけど、それでも有り余るパワーをもてあまして、くすぶっているよりはなんぼかましだ。現世に還って以来、暇で暇で仕方がない。むろん、やることは山積みなのだが、空いた時間をどうつぶすかが迷夢にとっての難題だったのだ。
「シメオン警備隊を甘く見ると、痛い目に遭うぞ」ひょろ長い男が言う。
「その言葉、そのまま、キミたちに返してあげるよ」それでもまだ、おちゃらけていた迷夢の表情がくるっと変わり、悪辣な煌めきを宿した表情になる。「策略家迷夢を怒らせると……死ぬよ」
 がらっと変わった迷夢の雰囲気に二人の警備隊員は気圧される。
 と、奥の方から犬の遠吠えのような物音が聞こえた。
「へへぇ、準備完了。――覚悟はできたかしら、お二方?」
 迷夢はニヤッとすると、虚空から黒き炎を身にまとう剣を取り出した。
「……お前、一体何者だ……?」
「判らないないかなぁ〜。本物なんて見たことないかぁ。ほら、見てみて♪ 艶やかな黒。いい色でしょ? 最後にステキなおみやげが出来て光栄でしょ?」
「黒き翼の天使……? トゥエルブクリスタルの伝説の終末に記された……」
「その通り。……そこまで知ってるなら、なおのことダメね。さようなら、お兄さま方」
 迷夢は剣を正体に構え、悪辣な笑みを浮かべた。

 リボン、デュレとセレスは迷夢とシェラよりも一足先にサムの家に着いていた。このシメオンに身を寄せられる場所は地下に闇の精霊核が巣くうここしかない。しかし――。
「……随分、遅かったじゃないか。もう、来ないんじゃないかと思っていた」
 知らない声色。少なくとも、デュレやセレスにとっては全く聞き覚えのない声だった。しかし、リボンには違ったようだ。突如、眼差しが険しくなり人影を睨め付ける。そして、これもまた、デュレやセレスは聞いたことのないリボンの、低く、警戒心を露わにしたうなり声が聞こえた。
「――あの時のちびも大きくなった」
 それだけ時が過ぎたのだという感慨と幾分の蔑みがその言葉尻から微かに感じ取れた。
「ちびだって育つんだぜ? マリス……千二百八十二年あれば十分育つ」
「そうだな……。迷夢はどうしてる?」
「あいつが気になるのか?」リボンは瞳を閉じて、ふっときざに笑った。「シメオンの小童どもを片付けたら今に来るよ。あいつも昔と変わっちゃいない」
「……何も変わってはいないか……。ならば、やめる理由もないわけだ」
 人影の口元が悪辣にニヤリと歪んだのが遠くからも微かに確認できた。
「そして、お前がやめない以上、オレたちにもやめる理由が見あたらないのさ」
「再び……か」どこかに微かな愁いを含んでいた。
「いいや」リボンはやるせなさそうに首を横に振った。「三度さ」
「三度か? なるほど……」リボンの一言の中にマリスは何かを感じ取った様子だった。意外そうな表情を見せた反面、どこか確信にも似た強い決意の表情が読み取れた。「……お前にとっては三度目、わたしには二度目か……。時として面白いことを教えてくれるよ、お前は」
「ああ」リボンは険しいマリスの瞳を見詰めたまま、軽く答えた。
「ふ……っ」マリスは目を閉じ鼻で笑った。「ここで決着は付かないと言うことだ。ならば、ますますここで手を引くわけにはいかないと言うことだぞ?」
「ああ」リボンは再び短く答える。
 と、そこへ警備隊員を蹴散らしてちょっぴりすっきりとした様子の迷夢が現れた。
「いやぁ、参っちゃうなぁ。やっぱ、人間相手に手加減するのって難しいよね。もっと、こう、何て言うかさ、頑丈なやつじゃないといちいち壊れちゃいそうで。デュレセレならねぇ、遠慮なくこう、けちょんと一発、かますんだけど……」
「何も気づいてない、おめでたいのが一人来たぞ」マリス。
 静かな凍てついた声色に、迷夢は凍り付いたように立ち止まった。
「――マリス。キミ、こんなところで何をしてるの?」
「陣中見舞いか、敵中視察か、そう言ったところだ。お前らがどんな連中を連れてくるのかと思ってね。一人じゃ、勝てないだろう。絶対に。それにわたしに挑まないとしても……、迷夢の作戦をやるためには複数人必要だ」
「……反対側が微かに透けてるね……。シャドウか……」
 迷夢はマリスをまじまじと見詰めて、そう結論付けた。
「よく気が付いたな。――しかし、エルフ二匹と老婆一人とは大したことない。この面子を撃滅し、わたしの望みを成就することなど容易いことだ」
「が、今更、お前の望みなど意味をなさないだろ?」核心を突いたつもりで、リボンは言う。
「そうでもないさ。無くしたものをきっちりと取り戻させてもらう」
 マリスの瞳が閃いた。その瞬間、リボンはマリスを止められないことを感じ取った。戦いが目的ではない。それは痛いほどに感じ取れる。けど、マリスは彼女の言う無くしたものを取り戻すまで、幾度となく立ち上がってくるだろう。
「……なぁ、一つだけ聞いてもいいか?」リボンはマリスの挙動を探るかのようなゆっくりとした、しかし、同時に凛然とした雰囲気を醸し出す口調で話した。
「……遠慮する必要はない」負けないほどに冷たい口調。
「反協会組織を知ってるか?」
「ああ、そんなのがあるらしいな……」
 マリスの真意を見定めようとリボンは可能な限り神経を研ぎ澄ませて、その様子をうかがった。
「お前ら、そこと何か関わりを持ってないか?」
「ふふふっ。あんな弱虫だったおちびちゃんがこんな直接的に尋ねてくるなんて考えてもいなかったよ。いいだろう。一つだけ教えてやる」
「それはどうもすまないね」気に入らなそうに憮然として言い放った。
「そう拗ねるな」そして、マリスは大きく息を吸った。「トリリアンはわたしたちの配下にある」
「なるほど……それだけでも十分すぎるほどありがたいね。これであらゆることがつながったような気がする。ま、判ったからと言って今更、何も変わらないんだろうけどな……」
 少しばかりがっかりしたような哀愁をリボンは漂わせていた。マリスが口にしたことは“結果”を予定調和に導いていく複数のキーの一つ。仮に、その一つをあわよくも消し去れたとしても、調和の果てに辿り着く“未来”にはほとんど影を落とさないだろう。
「そう言うことだ。では、近いうちにな……」
 マリスはまるで最初からそこに存在しなかったようにかき消えた。