12の精霊核

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38. openning gambit(始まりの一手)

 レイヴンの攻撃の傷跡も生々しいアルケミスタ。方々で燻っていて、幾筋もの煙が空に向かって伸びていた。大方の火災は落ち着き、鎮火したとはいえ、まだ予断を許さない状況が続く。エルフの森から帰ってきたマリスは感心したような、呆れたような複雑な面持ちで遙かな上空より眺めていた。
「レイヴンも、なかなか、派手にやったもんだ。しかし、負傷者はいるものの、これで死者がゼロとは器用な奴だ。――まだ、甘いな、あの男も。優しすぎる」
「そうでもないさ」
「そうでもないか?」マリスは聞こえた声の方に一瞥をくれて、視線を戻す。「ま、死体の山を築くのはスマートとは言えないが……、やるべき時はやってもらわねば困る」
「今更、信用できないとでも言うつもりかい、マリス?」
「いいや。安心して全てを任せられるのはお前しか居ない。――さて、戻ってきたと言うことは向こうは首尾良く運んだのだな?」
「エルフの小娘どもに邪魔されたが、大事になるほどの影響はなかった」
「ダークエルフと島エルフか?」興味をそそられたかのようにマリスはレイヴンに問い掛けた。
「なんだ、いつの間にか知り合いになっていたのかい?」
「知り合いと言うほどではないな。シリアや迷夢と一緒にいたところを“見かけた”んだ」
「迷夢……? まだ、生きているのか。……しぶとい女だ」
 レイヴンは千年以上昔に迷夢と剣を交えたことを思い出した。“一戦”とは呼べないあの戦いで迷夢は命を落としたか、最低でも再起不能に陥ってるはずだった。
「迷夢はしぶといだろうな。見た目からは想像もつかない。しかし、迷夢のことは最初から計算に入れてある。危険視しなければならないほどのイレギュラーたり得ない。問題なのはむしろ、“仲間”にしたトリリアンの処遇の方だ」
 マリスはレイヴンに計画を確認すべく、話を振った。
「利用できるだけ利用して、あとはポイ。ま、当初の予定から少々はずれたとはいえ、アルケミスタを灰燼としたときの奴らの喜びようはマリスにも見せたかったな」
「と言うと?」あまり興味もなさそうな冷めた声色だった。被災者に手を差し伸べて面目躍進を狙うと? さらに協会の悪い噂でも流布しておけば、より……か」
 マリスは足下に広がる傷ついた街並みを眺めながら言う。
「まあ、いい。トリリアンなどは我が帝国が建国した暁には真っ先に消し去ってやる。当面の目的は同じようなものとはいえ、唯一神を崇める宗教は排他的になりがちだからな。――わたしたちが神でないのならば、反協会とはいえ、存続させる必要はない」
「マリス、そうは言うけど、今は彼らの力が必要なことを忘れないでもらいたい」
「尤もな意見だ、レイヴン。……では、会いに行くとするか?」
 マリスは途方もなく悪辣な笑みを浮かべていた。それはまるで、自分の意にそぐわないものは全て抹消・抹殺してしまうと声高に宣言しているようだった。

 地下墓地大回廊。その存在はデュレの博識な記憶にもなかった。デュレが知らないと言うことはこの時代にすでに歴史に打ち捨てられた遺物に間違いない。もし、使われていたのならデュレたちのいた時代まで、きちんとした記録が残っていてもおかしくない。
 もしくは今この時、触れることがタブーとなるような大事件が巻き起こるのかもしれない。
「どうする? デュレ」
「どうするって……、どうして欲しいんですか? セレスは」
「あたし?」瞬間、虚を突かれてセレスは困った。「……あたしは、誰にも死なないで欲しい」
「ですね。今度のことで目指す目標ですね。けれど、それはきっと究極の目標になります」
 真面目な顔をしてデュレは言う。デュレは何となく予感めいたものを感じていた。それはリボンのように“予兆”を感じられなくても、いわゆる第六感的なものがデュレに訴える。そして、セレスだって一応は理解していた。リボンから“残り半分の伝説”を聞いて、不幸にして天使を相手にしてしまった時は、犠牲なしにはすまないことを知っていた。
「判ってる。……けど、少なくともみんな一緒にリボンちゃんのうちに戻るんだからね。リボンちゃんの仲間たちを取り戻すんだから……ね」
 けど、その自信はすでにどこかに消し飛んでいた。
 レイヴンとの圧倒的実力差を見せつけられれば、それも当然。セレスはすっかり借りてきた猫のように大人しくなっていた。わいわいぎゃーぎゃーと無駄に騒ぎ立てて、気分を盛り上げようと言う気持ちは消沈して、代わりに淀んだ気分が鎌首をもたげ出す始末。元気いっぱいが売りのセレスとしては不本意だけど、こればかりはどうにも出来なかった。
「サム? もう、大分、歩いていますけど、まだ着かないんですか?」
「――墓地はさっきからずっと足下なんだが、入口が遠いんだよ。本来は大聖堂から地下にはいるようになってるんだが、てめぇらじゃそこから入れる訳がねぇだろ。だから、古い作業用の通路から潜入しようと考えてる訳だ。警備なんて、してねぇと思うし、楽勝……のはずだ」
「何よ、その妙な間は?」セレスはツンとサムの脇腹に肘鉄を食わす。
「警備はいなくても、結界くらいはあるだろうってことだ」
 デュレたち一行は大聖堂からほど近い場所にある大庭園の周囲に整備された道を歩いていた。自然庭園とも言えそうなそこには様々な種類の木々が植えられ、季節の花々が彩りを添える。大聖堂にある中庭と比べても引けをとらないどころか、こちらの方がゴージャスと言える作りだった。
「……この下にお墓があるなんてあまり考えたくないんだけど……」セレスが言う。
「フツーはそう思うよな。それがちょっとした狙い目でもあるんだが……」
「莫大な建設費がかかっているでしょうね。墓地の上は民家……と言うワケにもいかないでしょうから、大規模な庭園に仕立て上げて市民の憩いの場として解放? 他地域では類を見ないと思うし……、それよりも地下墓地の存在自体が歴史に残っていません……」
「なら、協会の目論見は大成功と言えるんじゃないかな」
 サムは途中で言葉を切って、傍らをしずしずと歩くデュレの横顔を見やった。
「遺跡泥棒や、墓荒らしに遭わずに済むだろう? きっとな。尤も、お偉いさんたちがそのつもりでそういう風にしたかは定かじゃねぇが、後世にここを何かに利用しようと考えているらしい」
 それが何であるのか、デュレは敢えて問わなかった。将来において、崩れ去るだろうそこに意味はない。ネクロマンサーなど忌まわしいことも思い浮かぶが、協会がそのようなことするくらいになっていたのなら、相当何かに追い込まれているのだろうし、そんな協会が信仰の対象になりうるとも思えない。……だとしたら何のために。
 しかし、答えは意外とすぐ傍にありそうな気がしていた。
「ホラ、入口はそこ」
 サムが指し示した場所には用具置き場と思しき小さな建物が建っていた。
「けど、鍵が……」セレスはピンと来た。「へへっ! ピッキングマシン、ここはあたしの出番かな? ちょぉっと、待ってよぉ。どんな難しい鍵でも一分あれば、イチコロだからね」
 セレスはおもむろに腕まくりをすると南京錠の前に陣取った。ウェストポーチのボタンを外し、中から細い針金のようなものを取り出す。それから、セレスは喜び勇んで解錠にかかった。
「あ……」鍵はあるからいいのに……と言いかけたサムをデュレは押しとどめた。
「いいんです。鍵はすぐに開きます。それに……元気になったし、折角、見つけた仕事を取り上げてしまうのは可哀想です。判りますよね? サム」
「判るけどよ。遠回しに役立たずと言われてるみたいでセレスが不憫だな」
「そんなことはありません。……あの娘がいないとわたしはダメみたいです。魔法は大したことないし、おバカだけど、行動力は随一です。危ない局面はあの娘のお陰で幾度となく切り抜けてきました。……けど、本人には絶対言わないでくださいね。すぐ、調子に乗るから」
 デュレが吐露する思いに、サムは感心するばかり。意外と言えば意外のような気がするし、当然と言われれば当然のような気もする。その中でただ一つはっきり理解できたのは何だかんだと悪態をつきつつもデュレとセレスは互いに信頼し合っているらしいことだった。
「普段はいがみ合ってるくせにな」
「それはあなたと久須那さんと大差ないと思うんですけど……ね?」
「なるほど。言わんとすることは判るが、俺たちを例に挙げないでくれ」
 サムは上目遣いにデュレを見ると、鍵と格闘するセレスを見やった。
 カチャン……。
「あ・い・た♪」セレスは錠前を外して手に持つとくるくると回した。「どうする、これ?」
「お〜お、妙に活き活きしちゃって」サムは頭をボリボリ。「鍵なんか捨てちまえ。後から、迷夢やバッシュが来るだろ? ――それに鍵なんか、どうせ無意味になる。行くぜ」
 サムはセレスの肩にポンと手を置くと、中に入っていった。一度、来たことがあるようにサムはスイスイとがらくたの山をかき分けて奥に行く。突き当たりには隠す様子もなく地下へと続く階段が口を開けていた。
「――特に秘密という訳ではないようですね?」蜘蛛の巣を払い、デュレが言う。
「わざわざ、薄気味の悪い墓場に行こうなんて物好きは少数派ってことだ」
「けど、南京錠だけって、かなり不用心なんじゃない? あたしが優秀だから瞬殺で鍵は開いたけど、ちょ〜っと、時間をかけたら、こんな鍵はすぐに開いちゃうよ」
 セレスは持っていた錠をちらっと見やると、ぽいっと背後に投げ捨て居た。
「トレジャーハンターが狙うようなお宝はねぇんだよ」
「リボンちゃんは?」建物に入るとリボンの姿が見えなくなっていた。
「放っておけ。心配しなくても、そのうち来る。そうするしかねぇんだから」
 と、話題に上ったリボンは建物の外にいた。リボンも起きた事象の全てや、これから先の出来事を全て“予兆”として感じたり覚えている訳ではない。けれど、たった一つ、自信を持って言えることがあった。それは……。
「どうした、シリア。見上げたまま立ち尽くしたように……?」
 リボンは目だけを声がした方に向け、再び、元に戻した。
「バッシュか……。――レイアはどうした?」
「診療所に預けてきた。あたしが何も言わずとも、シリアは答えを知ってるんじゃないのか?」
「……まぁな。レイアとは長い付き合いだった……。バッシュには感謝してると」
「感謝される筋合いはないな」
「そう言うなよ」リボンは肩をすくめて笑みを浮かべる。
「それより、シリア。行くんだろ。地下墓地」バッシュは用具置き場の戸口を指す。
「知って……る、のか?」ちょっぴり驚いたようにリボンは目を見開いた。
「シリアくんが思っている以上に。きっとね」
 バッシュはいつまでも立ち尽くすリボンをひょいと軽々と抱き抱えた。リボンは大人しくバッシュに抱えられて地下墓地に入る。ジタバタする体力ももったいない。そして、理由はそればかりではなかった。リボンもバッシュも知っている。リボンがバッシュの腕に抱かれるのも、これで最後。お互い口には決して出さないけれど、二人は自分たちだけではねじ伏せられない大きな時のうねりを感じていた。
「デュレぇ。松明か、ランプか何か、明かりになりそうなの持っていないのぉ?」
 長い階段を下りていく。所詮は作業用の通路で、資材運搬に支障のない程度の広さしかない。装飾はゼロ。ドロボーさんが喜びそうなめぼしいものは何一つなかった。
「……ライトニングスペル」
 簡単な呪文を唱えるとデュレの手のひらから、ぽわっと光の球が姿を現した。
「魔法って、便利よねぇ。最近、つくづくそう思うんだわさぁ」
「そう思うんだったら、きっちり座学アンド修行をしてください。今はまだ、いいですけど。将来に渡って、魔法を使えないエルフと恥を撒き散らすのはゴメンですからね」
「へ〜へ、善処いたしますわ。だから、そんなに怖い顔をして睨まないでもらえるかしら?」
「それこそ、善処いたしますわ」
 サムはデュレとセレスのピリピリとしたやりとりに呆れてきた。大回廊まで辿り着けば、何が待っているか、起こると判ったものではないのに。そして、細い作業用の通路を抜けると、急に辺りが開けた。壁を照らしていたライトニングスペルの光の球がより小さく見えてしまうほどの広い空間がデュレたちの目前に広がっていた。
「――ここが、地下墓地大回廊だ」サムはそっと言った。
「想像していたのよりもずっと広いな……。あの地下室の数十倍はあるか……」
 ちょうど、そこにリボンとバッシュが追い付いてきた。
「余裕であるだろうな。基本的にそこいらに適当に見えている墓石は司教クラス。レルシア派以外……と言うか、その血統以外の歴代大司教さまはもっといい場所で惰眠をむさぼってるぜ。教皇さまはこんな薄暗いところで、おねんねしてねぇ。ここはそう言う場所だ」
 大回廊と言うだけにその広さは尋常ではない。くるっと頭を一回りさせたくらいでは全てを把握するのは困難だった。セレスに言わせれば『墓石の展覧会場』発言を聞いた瞬間、全員で顔をしかめたが、あながち外れとも言い難かった。
「しっかし、薄気味悪いよねぇ。あたし、こお言うところ苦手なのよ。せめて、もっと明るくならないかな?」
「あんまり明るくすると、見たくないものまで見えるから、よしとけ」サムは言う。
 そのサムの物言いにセレスは少々、怖じ気づいたようだった。
「だが、このだだっ広いところから、封印の絵を見つけ出すには至難かもな」
「イヤ、そうでもなさそうだ」リボンは瞳を閃かせて、サムを見上げた。
 サスケと久須那の二つのシルエットスキルが回廊の向こうから仲良く歩いてきたのだ。あっちはあっちで、大人しくしていられるような性分の二人ではないので当然かもしれない。
「親父ぃ!」少し嬉しそうに高い声色だった。「レイヴンやマリスが来る前で助かったぜ」
「思ったより、早く見つけたな、どうしてだ?」
「あのな、てめぇはもう少し素直に喜べよ。折角、見つけてやったてぇのに文句あるかっ」
「何だと?」柔和だった久須那の表情が崩れ、尖った表情をした。
「コラ、そこ。いくら無事に会えて嬉しいからってな、いきなり痴話ゲンカを始めるな」
 と、リボンがサムと久須那をたしなめている間に、デュレは例の紙切れを出した。
「探す間でもなく、久須那さんを見つけられたのはこれのお陰です」
「……セレスへ、1292,Gemini 24。地下墓地大回廊にて待つ……?」
「久須那さんの絵がここに来る確証はなかったんですけど、セレスの野性的且つ動物的な勘がここに来るようにと告げたものだから……。たまには役に立ちますよね、セレス?」
「『たまには』は余計よ。『いつも』といいなさいよ」
 セレスは久々に勘が当たって大喜び。ついつい、調子に乗ってしまうのが悪い癖。
「こいつら、緊張感が足りないな……」どよよんとした塞ぎ込んだようにサスケが言った。
「やっぱり、お前も思うよな。何故か知らんが、どんな危ない時でもこうなんだ」
「それはいいさ」久須那が割って入った。「その紙切れの日付は明日になっているようだが、どうして今日来たんだ? デュレがそれを後生大切に持っているくらいだ。信用できる人からの伝言なんだろう? どたばたがあって、昨日の今日だ。先手を打つのが常套手段と言っても、――少し休んだ方がいいんじゃないのか?」久須那の目が険しく煌めいた。
 デュレは久須那が自分の考えを見透かしたことに気が付いた。
「……久須那さんの思ったとおりです」デュレは敢えて核心を伏せるように発言した。
「やはりな。ちょっとやそっとじゃ、諦めないだろうとは思っていたよ。――しかし、やめておけ。これをやってしまえば、お前はお前が救いたいと思うものを救えなくなる。判るか、魔力は温存しろ。駆け出しとは言え、魔術師のお前なら理解できるはずだ」
 感情は抑えているようだが、デュレには久須那が激高しているように見えていた。喚くように怒るのではなく、諭すような口調でもない。鳶色の瞳は澄んで、冷静で平坦な口調が耳に届く。ヒステリックにならないと言うことはそれだけ真実に近いところを話しているのだろう。
 しかし、デュレは自分の考えを譲るつもりは少しもない。
「久須那さんの意見は意見として心に留めておきます。でも、やらなければいけないんです」
「成功しないと判っていても?」久須那のシルエットスキルが答える。
「失敗するから、より一層」
 デュレの意図するところは久須那にもおおよその見当がついた。練習するだけでも危険すぎると言われる封印破壊の魔法、それを成功しないと判っているからこそやってしまえという魂胆だと。発想を逆転したら、封印破壊術を練習できる唯一無二の大チャンスとも言える。
 しかし、自分はともかく悪戯にデュレとセレスを危険にさらすのは気が引ける。
「久須那、諦めろ。こうなった以上は何を言っても無駄だぞ」
「そう簡単に言わないでくれ、リボンちゃん。確実性ばかりを求める訳じゃないが、リスクは少しでも少ない方がいいんだ」
「覚悟は出来ています」デュレはぐっと力を込めた眼差しで久須那を見定める。
「あたしはそのぉ〜、まだなんだけどぉ」
 セレスがモゴモゴと口を挟もうとしたが、デュレに一瞥をくれられてそのまま押し黙った。
「わたしと関わる連中はどうしてこんなに生き急ぎたいんだろうな?」
「だけどよ、死に急ぐ輩よりずっといいと思うぜ、俺は」
「それは認めるさ。しかし、ここで死なれては後味が悪い。はっきり言って、冗談じゃないぞ。いなくなってしまう方はいいかもしれない。しかし、残された方はどうしたらいい?」
「案ずるな。誰も残らねぇさ、今度は」
 正論だ。そこに居合わせた六人の思考は完全に一致した。マリスたちに後れをとるようなことがあれば、今度は誰も生き残らないと見て間違いないだろう。千年前の戦いが辛勝。その時でさえ、こちら側の被害はかなり大きかったはずだ。
「もう、どうにでも好きにしろ。だが、どうなってもわたしは知らないぞ」
 久須那はプイとあっちを向くと、腕を組んで壁際に行ってしまった。
「ねぇ、やっぱさ、必要な魔法も手に入れたんだから、大人しく帰ろうよ?」
「往生際が悪すぎます、セレス。――諦めなさい」
 諦めなさいと言われて、そう簡単に諦められるセレスではない。けれど、今度ばかりはホントに年貢の納め時のようだった。サムやリボンどころか、久須那でさえもセレスに向かって首を横に振っていた。使命感に燃えるデュレを止めるのは容易なことではなかった。

 再び、アルケミスタ。トリリアン総本山。アルケミスタの中心街より幾ばくか離れた場所にあるそこは、レイヴンの思惑があったとはいえ、ほぼ無傷で残っていた。
「――マリスさま、レイヴンさま」
 屋外にマリスとレイヴンの姿を見かけて、一人の男が建物から姿を現した。
「支度は出来ているんだろうな? グレンダ」
「もちろん、マリスさま。すでに魔力の出力試験も終え、実行するのみ」
「……シメオンを崩壊させるのに充分なのだろうな? やってみて、足りないでは済まされない」
 マリスはグレンダの様子を窺いつつ、レイヴンをちらりと見た。内心で信用していない。日和見的な態度をとるグレンダら、トリリアンを信用することなどマリスには到底不可能だった。そう思えば、幾つかの内紛を抱えながらある程度安定している協会のすごさも感じる。
 レイヴンはグレンダに気取られないよう気をつけつつ、マリスに目配せをした。
「絶対に手抜かりはありません」
 普通の声色にもかかわらず、マリスはグレンダの発言にいちいち苛立ちを感じていた。何だろう。トリリアン自体は日和見的なところがあるとはいえ、教団の長であるグレンダは落ち着いた空気を持っているのだが、何故だろう。
(まあ、いい。どうせ、連中を屠るまでの協定だ……)
「さあ、始めてもらおうか。シメオンを魔の領域に落とし込め。歴史に魔都として名を残すように」
「そして、我らトリリアンが歴史の表舞台に立つ」
「エスメラルダが葬られ、協会が台頭、覇権を握った時のように?」レイヴン。
 しかし、協会のような器はトリリアンにはない。よしんば協会がシメオンの崩壊で大打撃を受けたとしても、トリリアンが宗教的な意味合いでリテールを支配することなどあり得ないとレイヴンは踏んでいた。
「――ええ。では、こちらに」
 グレンダは廊下の端に着くと、その正面の扉を開け放った。その奥には百名以上にも及ぶ魔術師が集まり、怪しげな呪文を詠唱していた。レイヴンが要求した魔法の基本は天候操作。晴天から曇天へ、大嵐へと天候を操作する。容易な魔法ではないが、巨大なものに魔法をかける時には周囲のアトモスフィアも重要な用件となりうるのだ。
 その上にさらに、目的の魔法を付加してやると失敗の可能性は限りなく低くできる。
「レイヴン、こういう緻密なやり方はお前らしいな」
「二度も同じような失敗は出来ないからな。シメオンを確実に闇の領域に移相するには街に立ちこめる負の感情が最大限に蓄積されている方が望ましい。恨み辛み、絶望。渦巻く負の感情は喜びといった正の感情を容易く呑み込み支配する」
「そうしたら、楽に行けるか?」
「恐らくね。現段階では完全に闇……まぁ、魔と言うべきかな、そこに落とせるかは判断しかねるが、少なくとも魑魅魍魎の徘徊する魔都には変貌すると思う……」
「それだけで十分だな。最終的にシメオンの魔力を全て消費しきってしまえば問題ない。……迷夢に使えるだけの魔力を残しておけないからな。……では、確認しておくぞ、グレンダ」
 マリスは一緒に佇んでいたグレンダに目を向けた。
「聞いたな? 最低ラインは“魔都”だ。時間の余裕はあまりない。どんなに時間がかかっても明日の正午までには一定レベルを超えろ。連中が気取り、止めようとしても、……そう、止めること自体が破滅をもたらすくらいにまで……」
「判りました」グレンダはスッと身を引き、お辞儀をした。「他に用があるので、一旦、失礼します。マリスさま、レイヴンさま、時間の許す限り、楽しんでおいでください」
 言いたいことを言うとグレンダはそそくさと二人の前から姿を消した。
「いまいち、信用できんな」マリスはグレンダの背中を見送りつつ言った。
「利害が一致する間は大丈夫さ。それにオレたちが先に奴らを見きるんだ……」
「フ……そうだったな。さて、ここからは奴らとわたしたち、どっちが先に目的を果たすか勝負だな」マリスはニヤリとした。「無論、わたしたちが勝利するのだが……」
「……迷夢の魔法の相手は全てトリリアンに任せてしまうのかい?」
「とりあえずは……だ。その間にわたしたちにはすることがある。だろ?」
 マリスは右手を軽く握って、右の斜め後ろに立ったレイヴンを見上げながらドンと胸を叩いた。
「あ、ああ。迷夢がいなければあとは雑魚ばかりだ。そいつらを片付けてからでも、十分……」
 マリスは握った拳を開いて、レイヴンを制した。
「上手く、誘いに乗ってくれるといいが……」マリスは言う。
 地下墓地大回廊に久須那の絵を持ち込んだのにはワケがある。大聖堂の地下室では総力戦をするには制約が多すぎる。元々地下牢だったらしく、その為の結界が張り巡らせていて行動をしにくい。さらに半分忘れられているとはいえ大聖堂と直結では何かと不都合が生じる可能性がある。
 地上を選んでも良かったが、久須那の絵が衆目を集めてしまうと元の木阿弥。そして、尚かつ、自分たちの仕掛ける魔法トラップにかかったのではお話にならない。
 ならば……と、人目につきにくい地下墓地に役者をそろえる方針にした。それが吉と出るか、凶と出るかは判らないが、現時点での最良の選択と思ってのことだ。

「ねぇ、万里眼? 喋れる? 喋れない? めんたまだけじゃ喋れるはずもないか。ねぇ、キミに何か可愛らしい名前はないのかな? つけてもいいかな? 万里眼なんて味も素っ気もない名称じゃなくてさ、愛くるしくてギュウって抱きしめたくなっちゃうようなステキな名前、欲しくない?」
 迷夢は万里眼を見澄まして、一人で喋りまくっていた。端から見たら、万里眼はただのビー玉に過ぎず、怪しいことこの上ないが、迷夢は全く気にも留めない。
「そうねぇ……。ロミィって言うのはどうかしら? キミはきっと女の子だ」
 万里眼はその無垢な瞳をじっと迷夢に向け続けるだけだった。
「……野暮天はこれくらいにしておこっか」
 迷夢は大きくため息をついた。万里眼が際立った反応も見せてくれないので、何だかつまらない。アイネスタからシメオンに到着して以来、万里眼は何かを感じているらしく、迷夢の言動にはいまいちよい反応を返してくれなくなっていた。
「さてねぇ、あたしも始めさせていただきましょうか」
 迷夢は目覚めてからこっち、隠れ家にしていた小さな家から色んなアイテムを持ち出してきた。六芒星の頂点となる部分に立てるマーカーを六本。その他、訳の判らない小道具を幾つか。今度は以前とは違って、魔法の作動ポイントも大きく、扱う魔力も桁外れになると迷夢は予想していた。迷夢自身は楽観的で始めてしまえばどうにもでもなると思う。
 しかし、シェラから譲り受けた万里眼のロミィが妙な具合に不安そうにしているのがひしひしと感じられる。そうしたら、幾らあっけらかんとしたテキトー主義の迷夢といえど、それなりの対策をしない訳にはいかないと思うのだ。
「大丈夫だよ。ロミィ。キミがどんな未来を見せようとしてるのか、知らないけど、あたしは負けない。あたしが負ける時は世界が終わる時よ」
 そう言った底抜けの明るさと楽観的なものの見方はどこで養われたのか。当の迷夢にも判らない。ただ、物心が付いた頃にはあっけらかんとした性格をしていた。
「……」迷夢はハッとしたように顔を上げた。「――空気が変わった」
 とてもイヤな予感がする。迷夢は自分の計略を邪魔するか、阻止するためにマリスが何かを始めたのに違いない。迷夢はマーカーをセッティングしつつ、マリスのしそうなことを考え出した。
 最も手っ取り早く思いつくのは反協会組織、トリリアンと組んで悪さをすること。協会総本山のあるシメオンをなきものにしたいのはトリリアンの悲願でもあるし、迷夢の魔法を阻止するという点ではシメオンはあってはならない存在なのだ。
「あたしの手が届かないところにシメオンを落とす。……でも、マリスじゃないなぁ、これ」
 それが常套だろうと迷夢は踏んだ。だとしたら、マリスとトリリアンの画策する魔法が完全に発動する前に迷夢は勝負を仕掛けなければならない。しかし、一方で、リボンたちのサポートもしなければならない。
「む〜、直接、マリスが邪魔にはいると思ってたんだけど、外しちゃったかぁ」迷夢はしかめっ面をした。「と、したら、マリスはどうするか……。その一、原初の理由を諦めた。そんなワケ、ないね。その二、邪魔者を抹消して、それから改めて目的を果たす」
 最もあり得そうだと迷夢は思った。境界面の補強魔法を実行するにはそれなりに準備時間が必要だ。今度のマリスはそれを見越して行動している。術自体よりも先に、リボンたちを消そうと目論んでいる。そして、別行動をとるかもしれない迷夢を牽制しつつ、術の実行を不可能にするための方法がこれというのに違いない。
「マリスもバカじゃないってことよねぇ」感心しきりだ。
 迷夢はゴタゴタと思うところを独り言として吐き出しながら、セッティングを急いだ。六本のマーカー、ロッドのような形状をしている、を六芒星の形になるように設置する。けど、それにも幾つか条件があって、魔法の発動をことさら厄介なものにしていた。マーカーは正三角形の頂点に。正、逆、二つの正三角形で完璧な六芒星を作り、その六つの頂点で真円を描けなければならない。
 測量を必要とするようなまでの正確性はなくてもいいが、魔力を無理なく無駄なくくみ上げるにはミリ単位の正確さが必要だった。と言って、迷夢はそこまでやるつもりは全然なかった。時間がない上に、突き詰めだしたら切りがない。だから、魔法陣の歪みから無理のかかった部分は迷夢自身が修正しようと目論んでいた。
「さぁて、準備完了。心と身体の準備はよろしいかしら? 光に住まう闇の言霊ちゃん」
 静けさに包まれる。千二百八十七年前のあの日、虚空にぽっかりと浮かんだ眼はその時が来たら呼べと言い残した。迷夢はその言葉に従うのみ。古代の魔法からアレンジしたその魔法を再び使う時がやってきたのだ。が、光に住まう闇の言霊は姿を現さない。
「……準備、良くないのかしらね?」
 迷夢は額に手をかざし、辺りをキョロキョロと見回した。と、不意に迷夢の目の前にポッと“瞳”が姿を現した。あの時と、まるで同じようにキョトキョトとして、迷夢を見つけると安心したかのようにそこで、視線を安定させた。
「おかしなところで、ドキドキさせないでよ。来てくれなかったらどうしようかと本気で考えちゃったんだから。無駄に使えるエネルギーはあんまりないんだから、頼むよ、ホントに」
「……汝が望むは……」
「前と一緒よ」ついでに時間もない。迷夢は眼に二の句を継がせる前に喋り出す。「異界と当世の境界面の修復。今度は魔力が足りないってことはないと思うんだけど、どうかな? シメオン全市の魔力をキミにあげるわ。これなら、前みたいに千年だけってことはなくて、半永久的に大丈夫のはずだよね? ……大丈夫って言いなさいよ。でないと、許さない」
 眼は圧倒されてしまって、しばらく押し黙っていた。
「ゆ、許さないと言われても困るのだが……」
 言葉の抑揚がおかしくて狼狽えているのがよく判る。
「あ〜、そんなに狼狽えなくてもいいから」迷夢は瞳を閉じてニコッとした。「千年前の失敗は二度としない。今度は大丈夫よ。キミに必要な魔力はちゃんと確保した。けど、シメオンからの魔力の吸引はギリギリまで待って欲しいんだ」
「……?」光に住まう闇の言霊は少々、不思議そうな素振りを見せた。
 ここまで、支度が出来ているのなら魔法の発動を躊躇する理由はないはずだ。
「シメオンの魔力をキミに渡す前にどうしてもしなくちゃらならないことがあるの。その前にさ、この魔法がばっちり決まるか、確認をとりたかったの」
「――万事、了解した。――」瞳はちらりとシメオンの市街地を見やった。「境界面を修復するに魔力は充分。――実行する時、改めて、我を呼べ」
 瞳はぽひゅんと可愛らしいような不思議な音を立てて虚空に消えた。
「――ねぇ、ロミィ。キミはどっちが勝つ方に賭ける?」
 迷夢は万里眼に問いだけを投げかけ、答えは聞かなかった。