12の精霊核

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40. the black feather"s"(黒い羽根)

「……森がないてる」
 ジーゼはエルフの森の外れに佇んでいた。傷ついたシリアを小屋で眠らせ、ジーゼはひとり森を出た。不穏なのだ。ジーゼの森が邪悪なるものを恐れるかのようにざわめく。こんなことはもう、千年以上もなかったのに。ジーゼは空を見上げた。シメオンの空は暗く、間もなく嵐が訪れそうな気配。ジーゼはただならぬ不安感に包まれて、胸が絞られて、ドキドキするのを感じていた。
「――みんな、無事でいるかしら……」
 ジーゼは祈りを込めて手を合わせた。

「この期に及んでどうして、わらわらと敵……! 敵が出てくるんですか」
 物凄く納得できない様子で珍しくデュレが喚いた。ずっと、敵はレイヴンとマリスだけだと思っていた。なのに、気がつけば反協会宗教・トリリアン総長・グレンダだの、リテール協会は魔法騎士団の副団長までが、デュレたちには直接関係ないとはいえ、ある意味で敵として現れる始末。したいことは至極単純なのに、これだけ邪魔が入ってくると苛立ちを覚える。
 デュレとしては別にあの絵を守れたら、それだけで十分なのだ。
「デュレ……。そっちの方を向いて、あまり熱くならない」
 辛うじて立ち直ったと思しきセレスはデュレの服の肩の部分を引っ張った。
「……あっちはサムと久須那に任せてさ。あたしたちはこっち……。マリスが目を三角……」
 セレス得意の軽口ではない。
 マリスも予想外の邪魔、特に迷夢には辟易としている様子だった。そればかりではなく、そのことでたまったフラストレーションの行き場が問題だった。この場合ではどう楽観的に考えてもとばっちりを食うのは自分たちに決まっているのだ。
「どうしてこんなことになったのか、お前たちは判るか?」
 マリスは飛び上がり、デュレの前にストンと降り立った。デュレは面食らってしまい、瞬時に答えることは出来なかった。しかも、マリスの意図するところがいまいち、よく判らない。
「久須那だ。あいつがわたしを支持してくれたら、こうはならなかった」
「きっと、違います……」何故か判らないが、デュレはそう言った。
 直感的に久須那は関係ないと思ったのだ。マリス自身が本当の理由に気がついていないか、本人が無自覚のうちに隠そうとしている。そんな気がしてならない。理由を知ったからと言って、この先、マリスとの戦闘が避けられるとは思わないけど、心理的な局面として興味が引かれることだったのもまた、事実だった。
「孤独の不安を打ち砕くためだけに周囲を巻き込むのはやめろ……」
 デュレの足下から凛と張りのある声が聞こえた。
「何――だと?」図星を突かれたかのように、マリスの顔色が微かに青くなる。
「違わないだろ。お前は強い。だが、強さにひれ伏し付いてくるものはいても、マリスという人柄に惚れ込んで付いてくるものはなかった。大勢に囲まれているようでも、心はずっと、一人のまま」
 リボンは言葉を切って、ちらと乱戦を繰り広げる久須那たちを見やる。
「お前は――かつての久須那と一緒だ……。唯一の違いはお前は己の力に頼み、何もかもを力で解決し、世界を支配することでその孤独を埋めようとしていることだ」
「淋しさや、虚しさはそんなことでは決して埋められません……」
「なかなか、最もらしくまとめたものだ」マリスは鼻で笑う。「判った。これだけは認めよう。わたしはわたしの力を世界に知らしめたかったのだ」マリスは言葉を切り、毅然とした態度でデュレの瞳を見澄ましていた。「これで貴様らは満足なんだろう? 貴様らの世界を放逐せんとする悪者を敵とする……。正義を貫く大義名分が出来上がったんだからな」
 マリスは悪辣な笑みを浮かべた。
「そんなことはありません」
「……そうか? 偽善者め」
 それはデュレにとってとても痛い言葉だった。デュレは最初から押し流されてここに来たと言っても間違いではない。ジャンルーク学園長に拝み倒されて、遺跡発掘の監督、特にセレスの、に行き。表面上は自分の意志で選び取ってきたと言っても、本当にそうだったのかと疑問に感じることがある。そうするとこんな大それたことをするのは自分には荷が勝ちすぎてる気がしてくる。
「――偽善者かもしれません……」デュレは悔しげに目を伏せ、唇を噛んだ。「しかし、これだけは言えます。久須那の絵をあなたに渡すことだけは絶対に出来ません!」
「ふん、それだけ言えればたいしたものだ」
 マリスは嘲笑った。そして、マリスの瞳に戦いの光が灯る。右足を一歩引き、左手の人差し指をデュレに向けて突き出した。
「そろそろお別れにしよう。全てを統べし光の意志よ、我が意を受けて壁を打ち抜く弾として形をなせっ! スパークショット!」
 呪文の詠唱が終わるか終わらないかのうちにマリスの指先から光がほとばしった。

 

「多勢に無勢。……だから、てめぇは副団長止まりなんだよ。団長の座が欲しい奴が一騎打ちも出来ねぇようじゃダメなんだ。……てめぇは器じゃねぇ!」
 サムは激しい怒気を込めて言い放った。
「……しかし、あなたには天使がついている……」
「へんっ! そんなこたぁ関係ねぇなぁ!」
 次々と、銀色の甲冑を身につけた協会の兵士たちがサムたちを容赦なく襲う。けれど、どうと言うこともなさそうに、サムは剣術の訓練でも受けているかのように軽くあしらっていた。
「わたしの出る幕はなさそうだな?」
「そうでもないさ。あいつらは天使ってものを知らねぇからな。是非とも教えてやれ」
 サムは満面に意地悪な笑みを浮かべる。久須那の魔力があれば十数人の人間の兵士など瞬間で薙ぎ払える。久須那はあまり気が進まないようだった。イグニスの弓を使ったら、甲冑もろとも全員が蒸し焼きどころか、消し炭になってしまうだろう。剣でもダメだし、炎術系の魔法もこの状況下ではうまく手加減できる保証もない。
「……別に、正攻法の必要はねぇんだぜ」
 サムは耳打ち、久須那はピンときたようだ。
「しかし、わたし好みの作戦ではないな」
 久須那はちらりと背後のサムを見やりながら、フレイムショットを一撃放った。サムを相手にしていては突破口を開けないと思った輩がようやく久須那に刃を向けた。が、レイヴンや迷夢辺りならまだしも凡人レベルの兵士なら敵にもならない。
「ほ〜、そう言う割には無慈悲に燃やしてるじゃねぇか」ニヤニヤ。
「わたしに刃を向けるものは別だ。容赦はしない」
「七面倒くさいお約束があるのな。久須那には……」ぼそり。
「当たり前だ。これでもわたしは天使の端くれだぞ。力の使い方を誤ればどういうことになるのか、お前は判っているはずだぞ」
「説教はあとでいいよ。とにかく、今は戦いに集中するぜ」
 ガリリィ。
 剣と剣の鬩ぎ合う音が大回廊に響き渡る。地下墓地建設以来、千数百年にも及ぶ死者たちの眠りを妨げて耳障りに甲高い音が響く。一人、二人……。十数人いたはずの兵士たちはサムと久須那の手によって、容赦なく切り伏せられていく。
 グレンダは自分のところまで手が及ばないのをいいことに傍観を決め込み、瞳に意味深な光を湛えていた。副団長は焦りの色を隠せない。手勢が全滅の憂き目に遭えば、責任の追及は免れない。そもそも、謹慎中にフラフラしているサムに非があるとしても同士討ちは許されず、この場合は副団長が反逆罪に問われてしまう。
「あとがない……」
 副団長はついに自ら剣をとった。仮にも協会魔法騎士団副団長を拝命する彼はサムに後れをとらない自負はある。魔力的にはサムには至らないかもしれないが、剣術ならば互角。しかも、今の戦いを見ていたらサムは魔法を使う気配を見せない。勝機はある。
 額から汗を垂らしながら、副団長はサムとの間合いを詰める。
「……いいか、てめぇが三流以下だってことを教えてやる」
 サムは軽蔑の眼差しを副団長に送る。改めて、剣を構えてからのサムの動きは速かった。
 副団長なら、数分はかけそうな移動距離を迷うことなく一気に詰める。それから、激しく斬りつける。ギャリリリ。流石にこの程度の斬撃は問題なく受け止めた。しかし、サムの攻勢は終わらない。サムは副団長が剣を押し退けるよりも先に剣を押しつけ、副団長が力負けすまいと押して来た瞬間を狙って、力を抜き身を引いた。
 すると、サムの予想通りに副団長は微かにつんのめってきた。
 そこでサムは副団長が体勢を立て直す前に、剣の柄で副団長のみぞおちを強く打っていた。
「てめぇだけは許せねぇ。殺しちまいたい気分だが……、きっちり、償ってもらうぜ」
 副団長の個人的な事柄で同胞を巻き込んだ罪は重い。サムはこの場で殺してしまうよりも、協会で裁きを受けさせることにした。サムは気絶して、ダランとした副団長の身体を床に投げ捨てた。
「正直、参ったぜ。弱いってもこんな人数を相手にするくらいなら、やたら強い奴、一人を相手に踏ん張ってる方がまだましだぜ。勝てねぇとしてもな」
「全くだ……。こんなに気を遣わなければならないのはもう、ゴメンだな」
「はぁ? 別に手加減してやる必要なんかねぇんだぜ?」
「人間相手にそう言う訳にもいかないだろ?」
「……そうか? 俺は思いっきりやっちまったぞ? ほら」
 サムはひょいと手を挙げて指さす。それでも、一応は同胞の兵士たちの命まで奪うつもりはなかったから、そこら辺にひっくり返っているにはせいぜい気絶しているか、軽い傷だ。
 と、久須那が何者かの気配を感じた。
「……! サムっ、後ろだ。後ろに誰か居る!」
「……何っ?」
 サムは焦燥を感じながら、振り向いた。顔がすぐ傍にある。そんなはずはない。どんなに気を抜いていたとしても相手に極至近距離までの接近を許すはずはない。少なくとも今まではそうだった。唯一、あり得るとしたら、魔法で姿と気配を消し物音を立てずに忍び寄ること。
「……バニッシュか……。が、てめぇ、この距離では剣は振れねぇぜ、グレンダ!」
 その存在はサムの頭からすっかり抜け落ちていた。稀に見るほどの大失態だ。居たのだ。副団長に目先が行きすぎて、もっとも重要な存在を失念していた。
「鋼の武器など野蛮ですね。……わたしにはこの右手さえあれば十分です」
 グレンダの瞳はサムの瞳を見据えたまま、ひどく怪しげに煌めいた。

 

 マリスの放ったスパークショットがうなりをあげる。それは青白い光の弾で飛翔してくるあとから真っ白い筋が出来ていた。そこに本来、光属性の魔法が有する温かさは微塵も感じさせず、ただ武器としての鋭利な冷たい光を宿していた。
 デュレは弾丸が放たれる瞬間、途方もないエネルギーを止められるか判らない説明できない不安感に襲われた。封印破壊魔法は失敗し、さっき、特化結界を使ったばかり。デュレはゴクリと唾を飲んだ。いつもは自信満々のデュレとはいえ、今度ばかりは自信がない。
「アイスシールドっ」
 足下から声が聞こえると、デュレの目前に巨大な氷のシールドが立ち上がった。
 ビキィィン。スパークショットの光の弾丸がアイスシールドに着弾する。弾丸は氷に深くめり込んで、蜘蛛の巣状のヒビが深く刻まれていた。
「ちょっと、危なかったかな?」
「リボンちゃん……?」デュレは少しだけ不安が和らぐのを感じた。
「お前ら、オレが大魔法使いだってことを忘れていただろう、絶対」
「忘れていないよ。絶対」セレスが首を横に振りながら、応じる。
「ウソつけ。お前はいつだってそう言う」微笑みながらリボンは言った。
 一方で、スパークショットがアイスシールドに着弾する音を迷夢が聞き付けていた。幾十にも重なった騒音の中で迷夢はデュレたちのいる方から発せられる音を察知した。レイヴンをあしらいながら、確認したところ、彼女たちには物理的に作用する武器がないことに気付いた。確かに、セレスが弓と短剣を持っているが、マリスを相手にするのならないに等しい。
「デュレ。これを使って」
 迷夢の大きな声が聞こえるのと同時に、デュレの前に一振りの漆黒の剣が突き刺さった。
「これは……?」デュレは瞬間だけ剣を見て、直ぐさま迷夢の方を向いた。
「いやさ、久須那の真似をしてたら、何か、出来ちゃったんだよね、それ。消さないどいてあげるから、使って。……まさか、使えないなんて言わないわよねぇえ?」
「よそ見をするなぁ!」
 レイヴンは腹立たしさの全てを剣に込めて、迷夢に打ち付ける。しかし、迷夢は全く動じない。それどころか、余裕の笑みさえ浮かべていた。迷夢は剣をひらりとかわし、レイヴンの剣は床を激しくぶっ叩いていた。石が削られて欠けらが飛び散る。
「おうっ! 想像以上に出来るんでしょ、レイヴン?」
「それは何だ? 褒めてるのか、貶してるのか?」
「どっちでも」
 迷夢は手に持った剣をすっと眼前に持ち上げると、突く。レイヴンは剣をなぎ払った。ギャリィ。耳障りな金属音が大回廊に響く。しかし、迷夢も負けてはいない。剣をなぎ払われた直後、迷夢はぴょんと一歩分ほど後方に飛びすさび、体勢を整える。
 レイヴンは迷うことなく間合いを詰め、攻撃の隙を掴もうとした。
 すると、迷夢はまるでレイヴンを誘うかのようにさらに一歩、後ろに下がった。
「何のつもりだっ!」
 レイヴンは腹立たしげに文句を言いながらも、迷夢との間合いを詰めようとする。しかし、ふと思う。間違いなく自分は迷夢の術中にはまっている。何も剣で戦うことに執着する必要はない。その考えが浮かんだ瞬間、レイヴンは迷夢との間合いを広げた。
 魔法に切り替える。レイヴンは迷夢に動きを読まれないうちに素早く呪文を唱える。
「天空に住まう光の意志よ。我が右腕に宿り、全てを滅する破壊のパワーを体現せよ。光弾!」
 レイヴンの右手から青白い光の束が幾重にもなり、まるで竜の如く飛翔する。
「思慮が浅いぞ、レイヴンくん」
 迷夢は面白おかしそうな表情を見せる反面、瞳にきつい光を宿してレイヴンを見定める。大したことはない。とまでは言わないが、捻りも何もなく単調に魔法を使うだけでは相手方に攻撃のパターンが読まれてしまい魔法の真価を発揮できないことが多い。
 まさに、迷夢はレイヴンの行動を読んでいた。
「スプールシールド」
 刹那、迷夢から一メートルくらいの距離に白い不透明のシールドが上がった。言葉汚く言えば、人の魔法を横取りし、それを魔力に再変換した後、自分の魔力として使うのだ。これは防御から直接、攻撃に転じることの出来る数少ない魔法の一つだった。
 光弾はシールドに水面に映る波紋を残し吸収された。
 レイヴンは光弾を放ち続けるのをやめ、魔法を切り替える。スプールシールドもあらゆる属性、形態の魔法を吸収できるのではなく、不得手の物も存在する。
「全てを統べし光の意志よ、我が意を受けて壁を打ち抜く弾として形をなせっ! スパークショット!」これならば、スプールシールドを撃破できる。
「うわっ、あれはダメだ」迷夢はギョッとした。
 スプールシールドで吸収できるのは物理属性より魔力的属性が高い物に限られるのだ。だから、弾丸形態で発射されるスパークショットではスプールシールドは撃ち抜かれてしまう。撃ち抜かれ、シールドが崩壊したらどうなるかはもはや自明。高密度に圧縮された魔力は通常の空間では存在できない。故に大回廊を丸ごと消し飛ばしてしまう。
 迷夢は慌ててシールドの魔力を回収して、自分はスパークショットの弾道から身を逸らせるために墓石の陰まで飛んだ。スパークショットは数発連射されたようで、墓石に着弾するたびにバシッ、バシッと乾いた音を響かせた。
 迷夢はレイヴンの攻撃が止まった折、ひょっと墓石の上から顔を覗かせた。
「……あ〜あ、罰当たりめ」
「お前こそ、墓石を足蹴にしたくせに何を言うか」
「そおだっけ」ケロッとして言い放ち、そして、ニヤ。「目覚めよ、光の瞳。その美しき光玉の彼方よりあまたの次元を駆け抜ける真実の道しるべを我が前に現せ。開け、クラッシュアイズ!」
 突き出された右手に、白い線で描かれた小さな瞳が浮かび上がり、蓄積される光の度合いが高まると閃いた。そして、瞳の幅で幾重にも重なる白い光線がほとばしり出る。
「くっ、ミラーシールド」
 虚空に一筋の光が走り、翼を広げるかのように鏡状のシールドが展開した。レイヴンは反射角を微調整し、跳ね返る光の進路を迷夢に向けた。光線はシールドで反射され、迷夢を目掛ける。
「ここまでは普通よね。……ミラーシールドっ!」
 迷夢もえいっとばかりに、ミラーシールドを呼び覚ました。迷夢のシールドに跳ね返された光線は明後日の方向に飛んでいく。けれど、迷夢は失敗した落胆の表情ではなく、むしろ、とても嬉しそうにニコニコとしていた。
 レイヴンは迷夢の考えるところがよく判らず、訝しげな表情をした。と、レイヴンの視界の隅っこで何かがキラリと光った。
「!」レイヴンは理解した。
 迷夢は二つのミラーシールドを用意していたのだ。一つは自分の目前に。レイヴンとは全く関係のない方に反射するように。二つ目はレイヴンの背後、迷夢は間接的にレイヴンを狙っていた。しかし、レイヴンも素早い。両足でタンと床を蹴って、背面宙返りをしながら、ほぼ右斜め後方から現れた光の束を楽々とかわした。
「あらら、レイヴン。あたしさ、もしかしたらキミのこと、見くびってたかもしれないね」
 迷夢はやはりニッコリしながら、レイヴンの瞳を直視していた。瞬間だけ、レイヴンの表情が弛んだように見えた。意図してか否なのかは迷夢には判別はつかなかったけれど。
「……なぁ〜んて、本気にした?」ニヤリ。「キミのそゆとこがお小ちゃまよね」
「バカにするなよ、迷夢。今にお前は後悔する」
「しないよ」きっぱり。「する訳ないじゃん。この前、キミに負けた時は後悔しきりだったけど、今日は違う。だって、あたしがキミに負けることはないんだから」
 レイヴンのプライドを砕く言葉を迷夢は平気で吐いた。敢えてそうすることにより、迷夢はレイヴンを精神的に追い詰めていく。変に追い詰めると“窮鼠猫を噛む”的なことも起こりうるが、迷夢はそうならないようにレイヴンを巧みに囲い込む。
「オレがお前に負けることもあり得ないっ」
 叫ぶと同時に、レイヴンは飛翔した。迷夢に向かっての直撃コースだ。凍てついた視線で迷夢を射抜き、そして……。ギィィインン。火花が散るほどに激しく剣を交錯させ、二人はそのまま互いを凝視したまま彫像になってしまったかのように動かなかった。
「あたしさ、キミのこと嫌いじゃないのよ?」迷夢が口を開く。
「……オレは嫌いだ」レイヴンの瞳がより一層、険しくなった。
 ギシギシ。あらん限りの力を込めて、二人は剣を押しつけあっていた。剣が交錯した直後に引けば良かったのだが、その気を逸し鬩ぎ合う。迂闊に引けば傷を負う。押し合う力はほぼ拮抗しているらしく、互いの位置を移動させるまでには至らない。
 タイミングが難しい。全ては瞬間なのだ。さらに押すか、引くか、身を翻すか。それ程考え込む余裕もない。迷夢は第三の選択をし、左足を右後方に回しながら身体をレイヴンの後ろ側へと翻す。レイヴンは僅かにバランスを崩し、右足をちょんと一歩前に出した。剣を構え直して、レイヴンは足を開いたまま回れ右をした。
 刹那、迷夢の剣が薄明かりに閃いた。切っ先がレイヴンの左肩から胸の辺りまで切り裂く。
「ぐあっ」レイヴンは傷に手を当て半歩ほど下がった。「くそっ」
 レイヴンは素早く剣を振った。
 ギィィインン。俊敏さに欠けるのあっさりと迷夢に受け止められ、弾き返された。その衝撃をレイヴンは受け止めきれずに体勢を崩し、片膝をついた。
「観念なさい、レイヴン。キミは良くやったよ。ただ、ちょっと相手が悪かっただけ」
「……くそ。ふざけたお前のどこにそんな実力があるんだ」レイヴンは墓石を背にして、よろめきながら立ち上がった。「あの時、お前はオレに刃を向けることすら出来なかったじゃないか」
「甘いなぁ、レイヴン。……あの時はおチビちゃんが居たじゃない。あの子を守るのにあたしは身体を張ったのよ。サスケも居たし? そのおチビちゃんもあんなにでっかい図体になって、自分の面倒くらい自分で何とかなるでしょ」
「オレに負ける外的要因はないといいたいのか」
「そうよ。と言いたいけど、そうではないのよねぇ」頭をボリボリ。「キミごときに負けていられないのよ。だってさぁあ? 今度の面子で一番強いのって、あたしなのよね」
「だったら、尚のこと、お前に敗れる訳にはいかんのだ」
「無理」迷夢はちょっとも考えることなく、言下に否定した。
 レイヴンは険しい表情をして、奥歯を強く噛みしめていた。
「だって、あたしはかすり傷、なのにキミは瀕死の重傷ではないけど、ヘロヘロじゃない。もお、マリスのために戦わないって言うなら、そっとしておいてあげる……」
 迷夢はレイヴンに情けをかける。レイヴンに改心の余地があるなら、無益に争う必要はない。迷夢は心のどこかで夢を見ていた。レイヴンが新しい仲間たちの肖像を描いてくれる日があると。けれど、夢は夢のままかもしれないとフと思う。
 レイヴンは問いに答える代わりに迷夢に刃を向けた。
「そぉ……」迷夢は哀しげに漏らす。「じゃあ、最期まで相手をしてあげるわ」
 しばしの休憩から、迷夢は一気に攻勢に転じた。禍根を残さぬよう、けりをつける。彼はかつての親友で、彼自身へは恨みも何もない。けど、マリスに荷担し、自分たちの邪魔をし続ける限り、レイヴンを放置することは出来ない。
「スパークルアロー」迷夢は使える限りの魔力を使う。
 放たれた言葉は魔力に転じ白く発光する光の矢に姿を変える。その数は数本ではなく、まるで弓部隊が前線にいるかの如く、数十、数百の矢が飛びすさぶ。
「シールドアップ」レイヴンはシールドをあげた。
「そんなのは無駄だっ!」
 それは魔力対魔力の攻防なのだ。攻撃が重なるとシールドは消耗する。物理的な盾が万能ではないように、魔法の盾もまた絶対ではない。事実、複数の矢を受けて、微かに明滅を繰り返し、崩壊寸前だった。迷夢は魔法が増強される前にシールドを撃破しようとさらに仕掛ける。
「いっけぇ! フレイムショット!」
 迷夢の指先から黒炎の球が幾つも飛び出し飛んでいく。スパークルアローの跡を継ぎ、揺らいだシールドに黒炎の球が衝突するとシールド面に波紋が広がる。波紋がシールド全面に広がったとき、辺に当たり中心部に戻ってくる波と共鳴を起こし、シールドが崩壊した。
「よしっ!」
 シールドが崩壊し、残りの黒炎の球はレイヴンを目掛け……。その黒炎の球の影から、突如、剣が飛んできた。迷夢の魔法が目隠しになったのをチャンスと見てレイヴンは剣を迷夢ののど元へと向け、投げつけたのだ。それは決死の覚悟だった。僅かの間と言っても武器を手から放せば、大きな危険が及ぶ。
「っ!」切っ先が淡い光に微かに煌めいてかろうじて迷夢の目に入った。
 迷夢は一瞬の判断で首を右に傾けた。剣は迷夢の左頬をかすめ、髪を数本犠牲にしただけで床に落ちる。カラァン……。乾き切った音がレイヴンの絶望を演出しているかのように。
「ダメか――」レイヴンの落胆の声色が迷夢の耳に届く。
「――なかなか、やるんでしょ、レイヴン。けど、もう、終わりにしよう