12の精霊核

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45. the egg of fenix(不死鳥の卵)

 デュレがマリスに連れられてきた場所はアルケミスタにある教会だった。とは言っても、この間訪れたリテール協会の教会ではなく、トリリアンの教会だった。即ち、グレンダを総長とする反協会組織の根城であり、マリスのお膝元だった。
「その後、どうなった、グレンダ。首尾よく進んでいるか?」
 入口に背を向けていたグレンダはマリスの声にゆっくりと振り返った。
「……そちらは……?」来るはずのない客人にグレンダは胡乱そうな視線を向けた。
「新しい仲間だ。気にするな」
 グレンダは察して、必要以上に問わなかった。迂闊に詰め寄るとマリスの逆鱗に触れかねない。
「そうですか……。そう、進行具合は現時点では天候制御についてはほぼ百パーセントを終了し、次段階に移っております。完成予定時刻は明日の十三時頃と計算しております」
「まあまあだな。ご苦労」
(十三……)デュレはハッとした。(十三って……明日の午後一時……。あと十五時間。でも、そうしたら、リボンちゃんが予想してたのより一日早い。だって、確か、Gem. 25〜29、1292だって。……リボンちゃんのあの日の推測よりきっと、こっちの方がより正確だとしたら……)
 執行猶予は残り僅か。もう少し時間はあると予測していたのだが、思った以上に少なかった。
(……時間内にマリスがシメオンに戻ってくれなかったらアウトだ……)
 戻ってくれないのなら、デュレ自身がその方向に仕向ける他ない。けれど、氷の意志を持つように見えるマリスの考えを変えさせるのは至難の業に思われた。だから、デュレは万一の事態に備えて、全神経を研ぎ澄ませて、何一つ逃すことなく観察しようと試みた。
「幾ら、目を皿のようにしても何もないぞ」マリスは前だけを見て言った。
 デュレはギョッとしたが、すぐに平常心を取り戻した。けれど、マリスは承知しているのかもしれない。デュレが何を思って、行動を共にしているのかを。と思えば、デュレは尋ねたい衝動を抑えきれなかった。やめようと思っても、口をついて言葉が出てしまう。
「あの、どうしてわたしを連れてこようと思ったんですか?」
「……」マリスは鋭い眼差しをデュレに向けた。「……どうしてだろうな?」
 しばらくの沈黙。気まずい雰囲気を携えたまま、スタスタと軽い足取りで進む。
「――似ていたのかもしれないな」ポツリと一言。「ただ“優れている”と言う理由だけで人は選ばないつもりだ。貴様は優れている。そして、何より自己を愛しているのではないか? 無論、他人を蔑ろにするとかそう言う意味はではないぞ」
 当たらずとも遠からず。デュレはマリスの指摘にそう感想を抱いた。マリスは思っていた以上に鋭い。それとなく人の感情を捉える術を知りながら、どうして傍若無人に振る舞うのか。
「わたしがそんなに気になるか?」
 マリスは背中にデュレの視線を感じて、不意にぴたりと立ち止まった。
「何故、わたしがこんなことをしようと思うのか、ワケが知りたいのか?」
 マリスの乾いた声色がことさら、デュレの胸に響いてならない。デュレはキュッと胸を強く締め付けられるような感覚に囚われて、シャツの胸ぐらの辺りを無意識に掴んでいた。
「……大切なものを失えば、貴様にも判る」
 背中に微かな哀愁を湛えて言うと、マリスは歩き出した。

「久須那、ちょっと、ロミィを返して」
 迷夢はスッと右手を差し出して、久須那を促した。久須那は結局、一度も万里眼を覗くことなく迷夢に返してしまった。覗きたい衝動はあった。けれど、本体をなくしたシルエットスキルの自分が未来を知ったところでどうにも出来ないことを悟っていた。
「ねぇ、キミはどんな未来を見てるのかな?」
 迷夢は受け取った万里眼を目の高さに持ち上げるとマジマジと覗き込んだ。けれど、万里眼はパチパチと瞬きをして見せて、可愛らしい仕草でキョトンとしてみせるだけだった。
「あ〜もうっ! 肝心な時に役に立たないのね。それとも、本当に見えない?」
 迷夢は万里眼を上から眺めたり、下から覗いたりと忙しい。それから、幾ら覗いてみようとも何も得られないことが判ると、迷夢は万里眼をリボンに放り投げる。リボンはそれを上手にパクッと噛みついて捕らえた。
「リボンちゃんなら、生来の能力と相まって何か見えないかしらね?」
 そのリボンは万里眼をはんだまま銅像のように固まっていた。何かが微かに見えた。リボンは息を呑む。自分が見ていたのとは異なる未来? 目の前を覆った白い塊は何だ? リボンは状況の把握が出来なくて、焦ったようにキョロキョロとしたけど、何かがいたような形跡はなかった。
「どしたの、リボンちゃん?」
 迷夢はリボンの様子にいち早く気付く。リボンは上を向いて迷夢を見澄ますと、万里眼を受け取らせた。でなければ、口が塞がっていて喋れない。
「――。いや、何でもない」
「そぉお?」迷夢は残念そうに肩を落とす。
 折角、シェラにもらった万里眼だから、一つくらい何かを見てみたい。迷夢はキョトンとした眼差しでキョトキョトしてる万里眼をため息をつきながら眺めた。どうも、面白くない。仮に万里眼が喋れたとしたなら、“今は時機ではない”とか何とか言われるのが落ちだろう。
「む〜。ねぇ、久須那は何か見させてもらった?」
「いや、特に、わたしは何も……。わたしが知ったところで、意味がないし、特に訊こうとは思わなかった」
 と幾分の切なさを込めて久須那が言うと、サムがその肩をポンと叩いた。
「久須那、てめぇ、あとどのくらい留まっていられる?」
「さあな。――残された魔力の消費のされ方次第だ。判らない……けど、まだ一日か、半日は」
「――一日か、半日。……たったそれだけか。――てめぇはきっと、デュレたちの来た場所にもいるんだろうな。俺も向こうに行きてぇな……」
 サムは本音を吐露した。物心付いた頃にはぼんやりとした久須那の面影が焼き付いていた。それが何故なのかは判らない。人はデジャビュとか、前世の記憶だとかお気軽に適当なことを並べ立てた。けれど、サムはいまいち、信じる気にはなれなかった。
「どうした、サム? お前らしくもない」
 久須那はサムの隣に寄り添った。
「うん? ああ? てめぇを気になりだしたのはいつだったかなってよ」
 初めて久須那に出会ったのは、やはり、リボンとバッシュに“腕試し”に誘われた時だった。ただの暇潰しのつもりでいて、記憶の狭間の思い人と遇ったのだ。あまりにショッキングなことで、その日のことは未だに忘れられなかった。
「サム……。黙るな、話をしよう。――ようやく、二人きりだ……」
「あれはどうなるんだよ」サムは可笑しそうにしながら、リボンと迷夢を指した。
 リボンと迷夢の二人はサムと久須那の様子をそれと悟り、邪魔にならないようにと思ったのか、二人でこそこそと大回廊の隅っこの方に居場所を移していた。
「……あれは……いいだろう? あれは……く、空気だと思えばいい」
「ちょっと、苦しいな。でもよ、こんなのも今日で最後なのかな……」
「お前次第だ……。オリジナルから切り離されたわたしに出来ることはない」
 久須那はサムの右手をぐっと握って、俯いていた。
「――なぁ、久須那、てめぇ、待ってろよ。必ず、向こうまで行くからよ……。クロニアスでも何でも、脅してでも手段を選ばねぇで、てめぇのいる時代まで絶対に行く――」
 サムは久須那の手を力強く握りかえした。
「わたしのことよりも、お前は自分の果たすべきことをしろ」
「へへ、冷てぇなぁ、こんな時だって言うのによ。今、離れ離れになったら、もう、てめぇとは二度と会えないんだぜ。その意味、判ってるのか?」
「ああ。わたしとは会えないな。だが、お前はきっと、久須那と会える」
 不思議な言葉。けれど、サムには久須那の言いたいことは通じていた。
「そうだと、いいな。だが、てめぇはどうなるんだ……?」
「わたしか?」少し驚いたように上擦った声だった。「わたしはいい。所詮は魔力の塊みたいなものだ。オリジナルじゃない。気にすることはないんだ……」
「てめぇだって、久須那にかわりねぇさ……」
 サムは墓石に寄りかかって、何とはなしにそれなりに高い天井をぽわ〜っと見上げた。久須那に言われたように確かに、しなければならないことが出来た。本来ならば、謹慎停職中のサムに代わり副団長が任務を遂行するはずだったのだが、あの有様ではサム自身がやらない訳にはいかない。それに、グレンダには貸しが出来た。それを返してもらおう。
 サムは墓石から離れ、ピッと背筋を伸ばして歩き出し、リボンの前に立った。
「おい、シリア。俺は決めたぞ」唐突にサムは決意を表明する。「グレンダを叩き潰す」
「正気か? サム、あれは半端な魔術師じゃない。人間としては最高クラスの実力だ」
「……シリア、俺さまが誰か知っててものを言ってるのか?」
「ああ。一応な。とかく、女に目がない三枚目ってところかな?」リボンが軽口を叩くと、今ばかりは大真面目のサムの目が三角になった。「軽口と口が悪いお前の真似をしてみただけだ」
「あのな……。ま、いいさ。天使相手だと俺でも足手まといになりかねないからな。そっちはてめぇらに任せる。俺はてめぇの問題に片を付ける。協会魔法騎士団長として、協会に仇をなそうとするものを放って置く訳にもいかねぇしな」
「でも、謹慎停職中だろ?」
「久須那……。そんな不名誉な突っ込みをさり気なく言わないでくれる?」
「あ〜あ〜、いいわよねぇ、キミたちはさぁ。そんなにまでも愛し合ってるなんて」
 ずっと、後ろで見守っていた迷夢がとうとう我慢しきれなくなって、口を挟む。
「迷夢っ。他人が聞いたら、誤解するようなことを軽々しく言うな」オロオロ。
「大丈夫。みんな、他人じゃないから、一蓮托生よ」
 嬉しくもない。迷夢の発言に一同はげんなりとした感想を持った。一蓮托生なのは構わないが、後のことを考えるとみんなでどうにかなってしまいそうだから嫌なのだ。
「さぁ〜てね、ちょいとお出かけしてこようか」
 サムはポケットに両手を突っ込んでのそりのそりと動き始めた。
「久須那、俺が戻ってくるまで、消えるんじゃねぇぞ。ちぃ〜とばかりニュアンスが違うと思うけどよ、今度は俺がてめぇを看取ってやる」
「白いハンカチを用意してか……?」
「ああ、もちろんだ。……今度は汚れてねぇ、真っ白いハンカチだぞ。デュレが洗ってくれた」
「ふふ――。判った。待ってる。だから、お前こそ死ぬな」
「判ってるさ。もう、てめぇを哀しませたりしねぇ。約束する」
 サムはちらりと一度だけ振り向いて、愛おしそうに久須那の顔を見詰め、その後は一切、振り向こうとはしなかった。また帰ってくる。そして、まだそこにいるはずの久須那のシルエットスキルと出会うのだ。だから、心配はしない。
 サムは湿った階段を上って、屋外に出た。地下墓地の陰気な空気よりも外気が清々しい。混じりっけなしの純粋な清々しさという訳にはいかなかったが、それでもずっと陰鬱な空気に触れていたサムには十分すぎるほどだ。これから始まることを考えれば。
「しかし、気が滅入るな、この天気」
 雷鳴、雷光共に激しくおさまる気配は全くない。雨脚も相変わらず強く、降り注ぐ。さっきと異なっていたのはただ一点、迷夢の魔法の影響による結界が仄かに感じられるくらいだった。
 サムは大きく深呼吸すると、口笛を吹き鳴らし、さらに叫んだ。
「ティアース! 来い! アルケミスタでグレンダと決着をつけるぞ」
 黒い雲を突き破って、まるでいつものように白い巨鳥・ティアスが姿を現した。そのティアスは迷夢の実行する魔法の結界に少々手こずったようだ。真っ白い羽根の一部が普通は考えられないくらいに毛羽立っていたのだ。
「……どうしたその羽根?」
 サムはティアスに乗ろうとして身体に手をかけた時、異常に気が付いた。ティアスは何でもないよと言いたげな柔らかい眼差しを向けて、グワァアと啼く。
「まあ、てめぇがそうだってんなら、別に構わねぇが……」
 ちょっとばかり釈然としない様子だったが、サムはその思いを頭から振り払うとトンと地面を軽く蹴ってティアスの背に飛び乗った。
「……もう、間に合わないとは思うけどな。それでも、完全な魔との交わりは阻止してやるぜ。ちゃっきー、てめぇも来やがれ。こんな時でもねぇとてめぇは役に立たねぇからなぁ!」
 大声でサムが呼べば、ところ構わず、地の果てからだろうと馳せ参じる。前世からの因縁に基づいた腐りきっても切れることのないほどの腐れ縁なのだ。
「おう! てめぇからおいらを呼び出そうなんて珍しいじゃねぇかぁ! 一体、どういう風の吹き回しなんじゃぁあ? ケケッ、ひょ〜っとして、臆病風にぴゅ〜と吹かれちまいましたぁ?」
「うっせぇんだよ、てめぇ。俺が来いと言ったら、てめぇは従えばいいんだ」
「No, Sir! 従うのはサムっち、てめぇだぜ」
「良かったな。とにかく、何でもいいんだ。ついてこい。成功するか判らねぇが、上手くすりゃぁ、魔界に沈むのは半分で済むかもしれねぇしなぁ。――それに、貸しは返してもらう」
「おりょ? お〜う、デュレっちのスカートを覗いて、肥だめの如き流しをお掃除させたことですかい? 貸しを返してもらうってよりぇはのちのち、久須那っちにけちょんけちょんにされるのが怖いんだろ? ってぇかぁ、デュレっちには借りがあるのかぁ」
「う……」下等生物に図星を突かれたとサムは固まった。
「ほ〜れ、見ろ〜! ま、いいさね。さぁ! 行くのだ、我が下僕! 例え地の果て、海の底。生きた超科学兵器こと、マシンガントーキングマシンのおいらがいれば、向かうところ敵なし! おいらが通りゃぁぺんぺん草が生えねぇ代わりに死体の山が築かれるのじゃ!」
 呼びつけた傍からマシンガントークが炸裂して、サムとティアスは辟易としていた。
「いい加減に黙れ。……続きはグレンダ……トリリアンの腐れ頭にでも聞かせろ」
「Yes, Sir!! では、行くのじゃ、ティアス! 目指せ、錬金術の都……?」
「てめぇといると妙にやる気が削がれるような気がするのは何故だ?」
 サムは疲れ切ったような眼差しでちゃっきーをジトッと見詰めた。
「おうっ、旦那。そりゃあ、気のせいですぜ。おいらがいれば、いつでもハイパワー、エネルギー全開なのは請け負いますぜ。怖いものナッシングなのでぇい」
「ま、いい。今度はてめぇのおちゃらけパワーが役立ちそうだからな」
「ひょ? そりはどういうことですかな?」
「それは行ってみたら判る。だから、ノーコメントだ。行くぜ、ティアスっ!」
 サムの言葉を合図にティアスは翼を広げた。
 バサッ、バサッと大きな羽音を立ててティアスが舞い上がる。土砂降りの雨など、意に介さずに夏の夜空を空中散歩するかのように優雅だった。そして、小鳥、猛禽類でさえ真似ることの出来ないような、急上昇、急加速を果たして一気にシメオン市街の外に出た。
「……シメオンを抜けると、お日さまが照ってやがる。……局地気象にしては出来過ぎてるよな。シメオンの領域だけ雨ってのは。としたら、悪意の第三者か、当面の敵さんの仕業か。――アルケミスタなんか、いつから来てねぇだろうな?」
 あまりの天気の良さにびっくりして、思考の淵があちらこちらに渡り歩く。
「オロ? サムっちも記憶力が落ちて参りましたねぇ。それに引き替え、おいらの記憶力は絶好調でございますじぇぇ。最後にアルケミスタに参りましたのは、今を遡ること千二百八十七年の夏のこと、ジーゼちゃまととぉってもうぶでシャイガイの申ちゃまもおいでになりました」
「うるせぇよ。しかも、俺は行ってねぇ!」
 サムは鬱憤晴らしもかねて、ちゃっきーの頭をゴインときつくぶん殴った。
「いったいのぉ〜!」ちゃっきーの叫びを残し、ティアスは空の点になった。

 グレンダと別れて、マリスとデュレはそれ程長くもない廊下の突き当たりまで来た。その間、デュレはずっとマリスの腹の内を探ろうと考えを巡らせていた。『似ているから』『力があるから』たったそれだけの理由で、自分を仲間にしようと考えたはずがない。裏切りのリスク、或いは裏切りさえ計算のうちなのかもしれないが、を背負ってまで仲間を作る意味があるのか。
 結局はその一点に尽き、先にマリスの言った理由など真に受けていなかった。
「貴様に面白いものを見せてやる」
「面白いもの……ですか?」思いがけないマリスの一言に、デュレは戸惑ったように答えた。
「面白くなくても、少なくとも興味を引かれるものだとは思う」
 マリスはドアを奥に向かって開いた。中は暗い。窓には分厚いカーテンが掛けられていて、陽の光を遮っていた。マリスはデュレが部屋に入ったことを確認すると、ドアを閉め、パチンと軽く指を鳴らす。すると、ぽわっと仄かに明るい光の球が虚空に浮かんだ。
「……何が見えた?」
 マリスのかざした光に大きな物体がキラリと煌めいたような気がした。ちらりと見えた限りから類するすると、デュレにはそれが濃い橙色をした卵形の物体に見えた。それは何かテーブルの上の柔らかそうなクッションの上に置かれているようだった。
「卵……ですか?」デュレは傍に寄り、よく確認した。
 しかし、それは傍目には色の白くないだけの普通の鶏卵に見えてならない。よりよく見てみると、それは色つきの硬質ガラスやクリスタルガラス、琥珀に見えなくもない。不透明と言うよりは透明で、ただの楕円形ではなく明らかに卵形だった。
「貴様にはそれが何か判らないか?」残念そうだ。「それくらいは知ってると思ったが……?」
「いえ、知らない訳ではありません」デュレはきっぱりと言う。「わたしの知る中にある酷似してるものがあります。けれど、それはクロニアスと同じく、人の目にはほとんど触れることのないものだとある書物に記されていました。また、人の憧れでもあり、それを模倣したものが数多く出回り……、しかし、その存在はクロニアスが存在する可能性よりも低いと……」
「なるほど。では、これが何なのか、一応は知っているんだな」
 マリスは言って見ろと言わんばかりの様子でデュレを見詰めた。
「そ、それは――ふ、不死鳥の卵です」
 言うのも憚られる。デュレはそんな気がしていた。万里眼といい、それといい、何故か近頃、後半生に差し掛かった頃にでも一度でも見ることが出来たら運がいいと思えるものをよく見かける。
「――世界の卵だ……」マリスは静かに言った。
「世界の卵……?」デュレは訝しげな様子を隠しきれずに呟いた。
「信じられないのも無理はないな。しかし、それは厳然たる事実としてそこにある」
「あの、信じない訳ではないですけど」しどろもどろにデュレは言う。「何故、それをあなたが持っていて、どうして、それがここにあるんですか?」
「――それはわたしが異界から持ってきたものだ。より正確にはわたしが生まれついて持っていたのがそれだ。剣と卵だ。もちろん、不死鳥の卵……世界の卵の全てを天使が生来的に持ってるのではない。精霊の一種として生まれつくのもあるからな。――シリアに聞かなかったのか、何故、わたしが異界との扉の開放を望み、そしてそれを何故、未だ諦めないのか」
 マリスはテーブルに左手をついて、くるりと身を翻した。
「は、初耳です」
「――迷夢も知ってるはずだ。あいつとは古くからの仲だったからな……」
「どうして、わたしにそんなことを言うんですか?」デュレは率直に尋ねた。一応、仲間になっているとはいえ、デュレは新参者。重要そうな事柄を軽く口にしてるのが不思議でならない。「もし、わたしが……その……」
「裏切ったら、内偵しに取り入ったのだったら、どうするのかと? どうもしないな。みんなが知っていることを隠しても無意味だ。それが孵化した時、どうなるかも知ってるさ」
 マリスは何でもない風を装って、ちらりとデュレの表情を確認した。
「不死鳥が生まれる?」デュレは恐る恐る尋ねた。
「その可能性を否定はしないな」マリスは笑いながら言う。「不死鳥かもしれないし、そうでないかもしれないし。そればかりは、わたしにも判らなない。だが、その卵が孵る時、世界は変わる」
 マリスの言動にデュレは焦りを感じずにはいられなかった。

 ティアスは半ば焦土と化したアルケミスタに着陸した。歩けば、四、五日かかるその距離もティアスの翼にかかれば僅か数時間の道程。魔法には敵わないが、随分と楽な移動だ。
「お〜お、派手にやられたもんだな」
 サムは額に手をかざしつつ、そこかしこをついつい子供さながらに見渡した。
 けど、そのお陰で目的の場所を見つけるのは簡単だった。ほとんど瓦礫となった建物の中に、ほぼ無傷で、無論、多少は傷ついているのだが、不自然に建物が建っていた。それは協会の教会ではないのはシンボルを見たら一目瞭然だった。
「なるほどね」サムはため息をつく。
(まるで……あの時と、一緒だ……)
 サムはフと頭をもたげた思いを振り払い、ティアスとちゃっきーを伴って迷うことなく歩みを進めた。魔力のさほど回復していない自分にどの程度のことが出来るのか不安がないと言えばウソになる。しかし、貸しは返してもらわねばならない。それがサムの望む最低ラインだった。
 教会の入り口に立つとサムは躊躇うことなく無遠慮に扉を開き、連れ諸共、押し入った。そこは礼拝堂で、正面の祭壇には修道服姿の男が一人。男は不躾な来訪者に気付くと、ゆっくりとした動作で入口の方を向いた。そして、一瞥をくれると一言。
「――マリスさまとデュレさまは既にお発ちになりました」
「ああ、別に構わねぇ。俺はてめぇに用事があるんだ。デュレとマリスはシリアと迷夢の仕事だ」
 サムは腕を組んで仁王立ち。
「割り切っておられるのですね?」
「……割り切ってるんでもねぇよ。――しかし、はんっ。気に入らねぇな、そう言う冷てぇ物言いわよ。てめぇのことだって、まるで他人ごとのようだものな。てめぇは」
 サムは面倒くさそうに頭をボリボリと書いた。グレンダの冷静沈着、何事も自分とは無関係のようにすました態度、冷たい物言いが微妙にかんに障り、苛々してくる。
「Hey! you!! お初にお目にかかりまっす! おいらが噂の毒電波受信装置付きマシンガントーキングマシンでぇい。この度はあなたさまの発するサムっちよりはずぅ〜っと健全、純粋は権力欲を受信いたしましたのことよ。んでもって、じゃじゃ〜んと参上、天誅じゃ!」
「それは何ですか?」グレンダの目線がちゃっきーを捉えた。
「――喋るチーズだ」
「ノー! チーズは喋んねぇぜ、旦那ぁ。むぐぅ」
 サムはお喋りを続けようとするちゃっきーの口を力任せにギュウと捻った。
「死ねとは言わねぇ、大人しくしていろ」サムは努めて、物々しい雰囲気を醸し出す。
「何故? ここまで来たのに? シメオンを滅ぼせば、協会の権威は失墜する。――あなたはご存じのはずです、協会がなさんとしていることを。それを世間に公開し、その是非を問いたい」
「はっ、偽善者が。てめぇがしてぇのはそんな詰まらねぇことじゃないだろう?」
 サムは一歩前に踏み出した。グレンダは身動ぎもせずに、微笑んだ。
「まぁ、確かに否定はしませんが、それでもわたしは皆の心の平安を願います」
「へっ、しゃらくせぇ。どんな格好いいことを言おうと、てめぇの考えなんて見え透いてるんだよ。単にリテール協会と取って代わりたいだけじゃねぇか。結局は天使の威を借りていた頃の協会と同じさ。てめぇのしてることは。力という意味では今の協会は劣るかもしれねぇが、教皇権はほぼ絶頂とみてもいい。てめぇが欲しいのはそれだ」
「――だから、否定はしないと言ってるじゃないですか」
「俺はてめぇのその飄々とした態度が気に入らねぇんだよ!」
「わたしはあなたの短気なところが好きではありません」
 互いに見つめ合って、ニヤリとする。それから、サムがフと微かに勝ち誇った笑みを浮かべた。
「突っ込め、ティアス。そして、ちゃっきー! 呪式をぶち壊してこい」
 迷夢やリボンたちの言動を聞いていれば、グレンダが何を目論んで、その陰で何を実行しているのかを把握するのは容易いことだ。だからこそ、サムは混乱請負人こと、ちゃっきーを道連れにし、初めから、恐らく、この辺りでやってるだろう呪式“も”潰しに来たのだ。
「あ〜ん。てんめぇはこの為においらを呼び寄せたのね。ふってぇやろうだ! しかぁし、このおいらが頼みの綱ってんなら、やってやろうじゃねぇか! 行くじぇ、ティアス!」
 けれど、ティアスは澄ました表情をして、ピクリとも動かない。
「おろ?」ちゃっきーは目をパチパチ。
「ははっ、ちゃっきーの言うことはきけねぇってよ」頭をボリボリ。「ま、いいや。行けッ」
 サムの命令がとんだとたん、ティアスが動いた。
 その巨体が自在に動いたならば、ドアなどの障害はないに等しい。ティアスは巨躯を駆使し、トリリアンの教会を飛び抜けて、ついでにちゃっきーの悲鳴がこだました。
「ちょぉっと〜、それはひどいんでない〜〜?」
「……貸しは返してもらわねぇとな」
 サムはティアスの飛んでいった出入り口を塞ぐように立ちはだかった。剣を鞘からおもむろに引き抜いて、落ち着き払い威厳に満ちた態度で構える。サムの瞳は険しくなり、グレンダのそれを見据えた。グレンダも物怖じすることなく、サムのきつい視線を受け止めていた。
「暴力に訴えるのは野蛮人の仕事です」
 グレンダは一瞬、軽蔑の眼差しをサムに向けた。
「マリスの手下になるくらいなら、野蛮人の方がなんぼかましだな」
「仕方がないですね……」
 グレンダが深呼吸をすると目つきが変わった。そして、不敵にニヤリ。
「覚悟はいいですか? ――闇を滅せよ、光の剣っ!」
 短い呪文の後、グレンダの右手から剣様の物体が形を成した。サムはちっと舌打ちをした。魔法の得物など卑怯千万などという気はないが、相手にしづらいことは否めない。剣を持って生まれてくると言われる天使の剣よりも魔法の剣とは厄介なものだ。少なくとも、サムにはそのような印象が脳裏に強固なまでに焼き付いている。けれど、それはあくまで剣であり、剣術の心得のないものには使えないものへと一転する。
「てめぇに剣が使えたとは知らなかったな」
「わたしも知りませんでした」グレンダは卑劣なまでに口元を歪めた。「スパークショット!」
 グレンダはサムの魔力が加減ギリギリであるのを心得ている。剣の出現はサムの気を逸らすために狙ったことだ。サムもスパークショットを阻止できるシールドをはる余力はない。悟った瞬間、サムは射程外に跳びすさった。しかし、スパークショットもサムの動きに追従してくる。グレンダは主となるスパークショット以外に補助としてフォローイングと呼ばれる追尾魔法を付加していた。それは標的がなくなるか、術者が術を解くまで追尾を続ける。
「くそっ、ちゃっきーだけは残しておけばよかった」
 などと後悔しても既に遅い。スパークショットを遮ろうにも、礼拝堂の机も椅子も床に固定されいて、使えそうなものはない。せいぜい、教卓、十字架、聖典くらいで、そんなものは高エネルギーの物体に障壁の役割など果たさないのは火を見るよりも明らかだった。
 サムは瞬時に思考を巡らせて、礼拝堂の外に出てドバンと勢いよく扉を閉めて身を伏せた。刹那、ドォーンと激しい音響と震動、そして、崩れた漆喰の山が降り注いだ。
「――てめぇの教会だろうに無茶しやがる」
 サムは身軽に立ち上がり、グレンダの二次攻撃が来る前に行動を起こす。剣を斜に構え、無防備になることも構わずに大きく剣を引き、斬りかかった。しかし、こういう場合はいわゆる魔法使いの方が有利だと言わざるを得ない。グレンダはフッと口元で笑っただけで、動きを見せなかった。
 ギィィインン! グレンダは何もしなかったはずなのに、空から火花が散った。透明な壁のような物体を斬りつけたらしい。シールド魔法の一種であり、対物理性を最優先にした形態だ。
「けっ、剣士ってのは損だな。魔法を使えりゃあ互角なのになぁ!」
「互角にならないようにするのがわたしのやり方です。ですが、あなたプライドのために一つだけ付け加えておくと、今回はたまたまです。他の目的であなたの魔力を吸い上げていましたし、回復するのにあまり時間もありませんでしたしね? そうでなければ、後れをとらないでしょう?」
「てめぇに慰められるような覚えはねぇぜ」
「ミッションコンプリート! てめぇの野望は潰えたぜ!」
 そこへ聞き慣れた時の鳴き声と、騒々しい甲高い声が届いた。ティアスのちゃっきーの凸凹コンビがこの小さな教会を隅々まで引っかき回して、帰還を果たしたのだ。その間、僅か五分ほど。ティアスは何事にも怯むことなく、狭い空間でその翼の繰り出す最大限の速度を維持しつつ、そこかしこを飛び回った。呪式とは集団魔法であるので、術者たちの集中力を乱すだけでも十二分にも効果が現れる。無論、術が完成していないという条件付きなのだが。
「早かったな」サムは背中で答えた。
「そりゃぁねぇ。ティアッちとおいらの絶妙コンビネーション。向かうとこ敵なし」
「ティアスは違うと言ってる」
「ぬ?」見れば、ティアスはとても不機嫌そうにじとっとちゃっきーを睨んでいる。
「……途中で乱されてしまったようですね。ですが、既に三分の二は過ぎてますから。完成度は高くありませんが、魔法として体をなすには十分です。何せ、元は人間離れしたあなたの魔力ですから。プラス肥やしに、うちの木っ端魔導師の魔力、いい線行くと思いませんか?」
 自らが仕掛けたメインイベントが台無しにされたのにグレンダは飄々と受け答える。
「知らねぇよ、そんなこと。けど、てめぇの処遇はどうしたものかな……」
 とりあえず、当面の目標だった事柄が片づいて、これからのことを考えた。一番の問題は反協会を掲げるトリリアンをどうするか、その総長たるグレンダをどうするかなのだが、正直どうしようもない。グレンダの指向した魔法もそうであるが、迷夢の魔法も都市には有り難くないものなのだ。サムの予見では、どちらにしてもシメオンが人の住めない状況になるのは間違いなく、暫くの間、協会の政治的機能や、警察的機能は低下する。宗教的な側面からは変な情熱が燃え上がるかもしれないが、そこへグレンダを放り込むのは危険と言わざるを得ない。
「はっ! 面倒くせぇや。バカバカしい。どこへでも行きな」
 グレンダを張り倒すとばかりに意気込んできたサムだったが、突然、その腹づもりを一転させた。
「……職務怠慢ですね」グレンダは率直に意見を述べる。
「別に完璧な忠誠を誓ってるんでもねぇんだよ。俺さまは。どうでもいいとは言わないが、熱狂的な信者を持つところの教主さまを消すのは危険極まりねぇだろ? てめぇを消すことで、結束がなくなり散り散りになるなら願ってもねぇが、そうはならねぇだろうなぁ。特にこれから先はだ」
「ふ……。よく判っていらっしゃる」
「――後に禍根を残す気もするがね、今は、てめぇを生かしておいた方が、無用な戦禍を避けられると思う。てめぇがいなくなれば、次のやつがトップに上がるんだろ? そして、過激な連中が聖戦気分を盛り上げて、協会混乱の機に乗じてこねぇともかぎらねぇ。――少なくとも、てめぇはトリリアン過激派ではねぇだろ? ちったぁましな選択ってわけさ」
 とのサムの考察にグレンダは感心したように聞き入っていた。当たり外れはともかくとして、サムがここまで考えているとは思いもよらない。
「なかなか思慮深い……。そんなあなたに免じて、今日のところは負けを認めましょうか。しかし……これで終わったとは思わないでくださいよ」
 グレンダは意味深に口元を微かに歪めた。
「そんなこたぁ思わねぇよ。けどよ、俺の目標は達成したぜ、とりあえず。ま、正直、てめぇを監獄送りにしてぇとこだが、――シメオンには番兵すらもいなくなるからな。今日のところはここで勘弁してやる。……俺の気の変わらないうちにどこへでも行きな」
 サムはしっしと追い払うように手を振った。