12の精霊核

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49. probability 1/1 million(確率、百万分の一)

「どうするったって、どうしようもないわよね。それが事実」
 ルーンはにべもなく、ラールの提言を否定するつもりでいるようだった。
「冷たいよね、実際。こんな混沌とした時代だし、一つくらい例外をつくってあげてもいいんじゃない? 別にぼくたちの名誉が傷つくのでもないし。どう?」
「どうって、あんたにはクロニアスとしてのプライドはないの?」
 困惑と憤怒の年を織り交ぜたかのような複雑な表情をしてルーンは言った。
「今更、プライドも何もないよ。それにその娘の存在価値がかかってるなら尚更じゃない? ぼくたちのプライドよりもその娘の将来をとってあげたほうがいいと思うな。ぼくは」
 ラールは砂時計を振りかざしつつ、ルーンにはきつい一言を放つ。
「ま、ある意味、不公平かもしれないけれど。万人に公平だなんて、所詮、無理な話だからね。この場合は客観的な時の流れより、主観的な歴史を大切にした方がいい。流れは流れのままに。デュレ、君は帰りたいんだろう?」
 ラールはルーンから視線を逸らして、デュレを見澄ました。温かい瞳。と言うよりはむしろ冷たい眼差しだった。くるくると輝いて無邪気にも感じられるが、その実、かなりの打算をその脳裏に刻んでいるかのように思われた。デュレは答えた。
「……帰ります、絶対に。わたしの居場所はあそこしかないんです!」
「けど、ここまで来てしまったら、まともに戻れる可能性はとても低いわよ。それでもやる?」
 デュレは真摯な眼差しをルーンに向け静かに頷いた。選択肢はそれしかないのだ。どんなリスクを冒しても、帰ろうとせずに閉ざされた時の中で過ごしていくよりはずっといいはずだ。失ったモノを探しもせずに諦められるほど自分は大人ではない! デュレは思った。
「……そう。じゃあ、覚悟してね。失敗してもわたしたちは責任はとらない」
 デュレはゴクリと唾を飲み込んだ。今まであった何よりも怖いのかもしれない。久須那と戦った時は殺されない保証があった。レイヴンやマリスと戦ってきた時は周りに仲間がいた。けれど、今度、戦いに望むのはデュレ一人きり。しかも、クロニアスが責任はとらないという。それでも、デュレは決断する他なかった。久須那を千年の呪縛から解放するため? ノン。セレスやジャンルーク学園長にもう一度会いたい。両親を知らないデュレにとってセレスは姉、ジャンルークは父親に他ならなかった。その二人に会うためならどんな危険も厭わない。
「……それでも構いません。そうする意外に道は……」
 ドゴォオンン! 瞬間、パッと周囲が明るくなったと思うと、数秒と立たずに耳をつんざくような大音響が轟いた。近くに雷が落ちた。さっきの激しい揺れで、高い建物はほとんど倒壊し、雷が落ちそうなめぼしいモノはほとんどなかったのだが……。辛うじて生き残った、一本の並木を標的に落雷したらしい。リボンの後ろの方で、幹を裂かれた木がメラメラと音を立てて燃えている。
「わたしたちはどうなる?」レイアがクロニアスに問う。
 ルーンはレイアのことなど眼中になかったらしく、声を掛けられた瞬間、驚いていた。
「あんたはどうにもならない。唯一の不運はわたしたちと出会ってしまったこと。わたしたちを見た記憶はあんたの心の奥底に封じ込める。それであんたは平和に生きていける」
「……オレとデュレはどうする?」
「……」ルーンはリボンの澄んだ瞳を見澄ましてしばし黙り込んだ。
 予定通りであるならば、崩れ落ちた時計塔の傍でこの面々と出会うことはなかったのだ。それなのに会ってしまい、さらなる不確定因子を持ち込んでしまった。
「……あんたがそう望むなら、そうしてあげてもいいわ」
「そうする気はないってワケだ。なら、レイアもそのままにしておいてくれ。オレとレイアはこれから長い付き合いになるんだ。レイアの記憶を封じるなら、オレのこの件に関する記憶も封じておかないと後々厄介なことになる。そうでないなら、そっとしておいてくれ」
 リボンはスッと頭を下げた。
「あ……、あんたにそゆことされるとやりにくいのよね」ルーンは面食らったかのように戸惑って、プイとそっぽを向いた。「い、いいわよ。もう、それでっ!」
 ルーンは半ば投げやりになって返事をした。
「ありがとう」リボンは再び深々と頭を下げた。
「で、どうする? ルーン?」ラールはルーンの神経を逆なでするかのようなとても明るい声で言った。「約束の時は過ぎた。ポピュラーな方法では帰れない。……マリスの断末魔の魔力と魔に落ちかけたシメオンの残留魔力が干渉し合っていて、目的の時代を見定めることが出来ない。“晴れ上がり”までは百年前後かかると思うし、待っていたら手遅れになる。どうする?」
 ラールはどこか面白おかしそうに微笑みながら、砂時計を弄んでいた。
 ルーンは腕を組んで愁いを含んだ大きなため息をついた。ルーンはラールのその自分の行動や考えを見透かしたような発言に苛立ちを覚えるのだ。
「――あれを……召喚するわよ」
「やっぱり?」ラールは首を傾げてルーンの顔を下から覗き込んだ。
「そおよ。“やっぱり”なのよ。それもこれもあんたのせいだからね。じゃ、やるわよ」
 微かに不機嫌な表情を浮かべて、ルーンはラールとタイミングを合わせた。そして、互いに向き合い、右手と右手を会わせると目を閉じた。口元が僅かに動き、何事か呪文を唱えているかのようだった。しばらくすると、二人の奥側の景色がまるで蜃気楼、或いは陽炎が立ち上っているかのように揺らめいき始めた。それはやがて、薄紫色の霧のようになり、形を成し始めた。
「初めてだな……。精霊以外のものがいるところで、それを呼び起こしたのは……」
 デュレの真横にいたリボンは一歩二歩踏み出して、クロニアスの近くに歩み寄った。
「しようが……ないでしょう。異空間においたままじゃ、その娘を元の時代に送り返そうなんて無理な話だわ。言ったでしょう。ここは干渉するモノが多すぎるって。だから、直接よ」
 ルーンは本意ではないらしくリボンの白い顔を見詰めて終始、仏頂面をしていた。
「……紫色の精霊核。初めて……見ました」
 デュレは感嘆の声を漏らした。クロニアスの精霊核は数ある精霊核の中で最も出会いにくいものとされていた。クロニアスは自然を司るように存在する精霊の中でもかなり特異な精霊で、その精霊核は異次元に存在していると予想されていた。それをデュレは見たのだ。熱病に浮かされたかのようにふわふわとした足取りで、デュレは紫色に煌めく精霊核に近づいた。
「――わたしがいいと言うまで触らないで」ルーンはデュレを制止した。「一般の精霊核と同じと思って手を触れたら、……自滅するわよ」凄みをきかせてルーンは言った。
 精霊核に触れようとしていたデュレはピクリと身を震わせて、手を引っ込めた。
 今まで見た精霊核、と言ってもジーゼの精霊核しか見たことはないのだが、で最も大きかった。そのサイズはジーゼのそれを軽く凌駕し、時計塔の高さ以上の高さと横幅を持った縦長八面体の精霊核。透明な濃い紫色の精霊核。とてもこの世のものとは思えないくらいに美しかった。
「まさか、エルフに見せることになるなんてねぇ……」ぶつぶつ。「けど、いいこと? 帰れる保証はどこにもない。失敗したら、あんたは永遠に時の狭間を彷徨うことになるわ。わたしたちの手の及ばないところにね」
「ですが、あなた方は時を司る精霊で……」デュレはびっくりしたように問うた。
「精霊であって、神ではない。全知全能だと勘違いされてもらっちゃ困るの」
 ルーンが言葉少なに言おうとすると、ラールが補足説明にとりかかる。
「今回さ。数千回、数万回繰り返したこの輪の中で、今まで一度も起きたことのないようなコトが起きちゃったの」ラールは瞳を閃かしながら話し出した。ルーンはひどくイヤな予感がして、眉間にしわを寄せながら、隣のラールに肘鉄を食らわせた。しかし、ラールは気に留める様子もなく、続きを喋り出した。「……“不死鳥の卵”と“万里眼”が融合したこと。一見、大したことないように思えるでしょう? 今まで数回はくっつきそうになったことがあったけど、くっついたことはなかった。くっついたのは今回が初めてなんだ。恐らく、それが大きな切っ掛けになって、留め金が外れたんだ。――歴史は大きく二つに分離する。それはいつかとんでもないことをもたらすようになる。その卵は金の卵だ。生まれてくる子を大切にしてあげるんだね」
 ラールはひとしきり喋ると満足したのか、ルーンの肩をポンポンと叩いて少し後ろに下がった。ルーンは喋りすぎのラールへの怒りを露わにしつつも、ラールへの発言はぐっと堪えた。
「あ、あの、それは一体どういうコトでしょうか?」
 デュレは恐る恐るルーンに尋ねた。
「ああ。君は何も知らなかったんだね」ルーンの代わりにラールが朗らかに答えた。「フェニックス。ありとあらゆる未来を見透かす万里眼を持った不死鳥。1516年に無事帰れたら、飼ってみたらいい。ああ、でも、まだ、彼は生まれていないんだ。時のゆりかごに揺られて時が来るのを待ち続けてる。でも、君と彼は必ず出会う。必ずね。まぁ、闇の精霊に会うことよりは不確定だけどね」
 ラールはすっきりしたような表情をしてようやく口を閉じた。その様子を見るルーンの表情は相当硬く、爆発寸前なほどに苛々しているようだった。
「それがあんたの未来とこの時代を切り離そうとしてるの。本来的には揺らぎの範囲で収まることも収まらなくなってきている」そこでルーンはラールをキッと睨み付けた。「何者かが悪意を持ってあんたを排斥しようとしてるのかもね?」
「そうさせないのがクロニアスの使命じゃないのか?」
 リボンは再び口を挟み込んだ。ルーンは険しい眼差しをリボンに向けた。
「そうね。そうしたいところだけど、不可能だわ。基本的にわたしたちは傍観者に過ぎないの。時の流れを微調整することは出来ても、完全には御することは出来ない。ドライアードが自身の森の成長を完全に掌握できないのと同じコトよ。互いに影響し合うことはあっても、互いを完全に支配することは出来ない」
「それに天使の持つ魔力は強大だしね。それが二つもある上に、それぞれの意志を持って一つになった。……エンジェルズ、ドミニオンズ。融合したそれは本来の天使階級以上の魔力をもち、時空間に干渉する。大きすぎるパワーはそれがあるだけであちらこちらの崩壊を招くんだ」
「あんたはもう黙っていなさい。あんたが口を開くたびに壊れていくような気がするわ」
「そうでもないと思うんだけどなぁ」
 ラールは悪びれた様子も見せずに、あぐらをかいてその場にぷかぷかと浮き出した。
「……。まともに相手してたら疲れるわ……」ルーンは額を押さえてため息をついた。「けど、まぁ、デュレ……。あんたの思いを叶えるために力は貸してあげるわ。精霊核に触れなさい」
「……」デュレは無言でルーンに従った。
 言葉にならない思いが交錯する。巨大、しかも、極限られた精霊しか見たことのないはずの紫色の精霊核に直に触れられるのだ。感慨もある。畏敬の念も、畏怖の念も抱かれる。複雑怪奇な思いがデュレの心から溢れ出してくる。
 デュレは萎縮しそうになる自分を叱咤して精霊核につと触れた。
 その瞬間、紫色の水面に波紋が広がり、思わず手を引っ込めた。まるで息を吹きかけるだけで壊れてしまいそうな柔らかな薄氷のような印象を持った。デュレはその美しさに圧倒されて、しばし見とれた。
「触れてくれないと始まらないんだけど」ルーンは腕を組んでタンと石畳を踏み鳴らした。
「あ……」ハッと我に返る。
 デュレは改めて手のひら全体で、紫色の精霊核にそっと触れた。再び、波紋が精霊核全体に広がっていく。静かに優しく、デュレの全てを包み込むかのように。
「始めるわよ」ルーンは緊張の眼差しをデュレに向けた。「……大きく息を吸って。心を落ち着かせるの。――邪念は一つ残らず排除して、一旦、心を無にするの。それから、あんたの帰りたいところをイメージする。より鮮烈にイメージして。あんたの時代、あんたの大事なモノ。あんたとあんたの時代との接点を心に思い描いて……」
 ルーンはまるで呪文のようにその言葉を繰り返した。デュレはルーンに言われたようにした。
「わたしたちの精霊核からあんたの面影を探し出す。上手くいけばいいけどね」
「上手くいくさ、絶対に」ラールは言った。

 同じ頃。地下墓地大回廊をあとにしたサムは崩れた街角にいた。壊れた建物の玄関ポーチに座り込み、頭を抱え込んでいた。思うところがたくさんある。リボンと迷夢をおいて地下墓地大回廊を出てきてしまったこと。結果は見えていた。
「あ〜不甲斐ねぇ……」
 サムが言葉を漏らすと、背後からそっと久須那が寄り添った。
「時には引くことも肝要だ。突っかかっていくことだけがよいことではないだろう」
「判ってるさ。判ってるけどよ……。後味が……悪い」
 サムはポカンとした様子で、空を見上げた。
「――わたしをとってくれてありがとう」
「――そう言ってくれると、正直、助かる……」
 そう言って、サムは久須那の肩と抱き寄せた。この久須那は本物ではない。けれど、サムにとっては生きている生身の久須那と何ら変わりなかった。
「サム、そう言えば、さっき、デュレから渡されたのは何だ?」
「……忘れてた」
 サムはポケットに手を突っ込んで丸めた紙切れを取り出して、広げた。
「シンパサイズの闇護符のようだな」久須那は横から覗き込んで、闇護符に書かれたミミズの這ったような一見すると判読不能とも思える文字を軽く解読したようだ。「それの片割れだ」
「闇護符? そんなものを渡してよこしたんだ、デュレは」
「天下のイクシオンさまとあろうお方が判らないのか?」
 久須那は肩を震わせて少し嬉しそうにしていた。
「おいおい、こんな時にいじめないでくれよ。――説明してくれ」
「シンパサイズは一種の“同期”魔法だ。デュレの持ってる半分とサムの持っている半分の状況を同一にする魔法なんだ。無論、術者が“キャリーアウト”しなければそれもただの紙くずだけどな。例えば、……そ、だな。デュレが池の中にでもどっぷり浸かったとするか? すると、その状況がもう半分を持っているお前のところにも再現される魔法だ」
「つまり……、デュレが時越えに成功したら、俺も未来に引きずられるってことか……?」
「恐らく。問題なのは時越えといういわば非日常のことまで闇護符の力が及ぶかどうかだと思う。そんな突拍子もないことをしようと考えるのもいなかっただろうし、そもそも初めてだろう?」
「……かもしれねぇ。だが、今はそれにすがるしかねぇだろう? もし、成功したらてめぇと会える。封印の絵の中のてめぇは俺を待っていてくれてるのかな……」
 女たらし、女の敵と名を馳せて、女ならば必ず自分に惚れるのだと豪語したサムも殊、久須那となるとまるっきり自信をなくしてしまうようだった。
「わたしは待ってる。ずっと。お前が死んだあの日からお前が帰ってくるのを待っていたんだ。わたしは待ち続けてる……。わたしはお前を裏切ったりしない」
 と、手にしたままだった闇護符に仄かな薄明かりがフとさした。黒インクで書かれた文字に不思議な霊気が宿ったかのように淡い虹色の光が見える。二人は確信した。最初で最後、一世一代の大博打が始まったのだと。

「……見つけた。Leo 26 1516。あんたが出発した朝」
 ルーンは閉じていたまぶたをそっと開いた。それは確かに精霊核に映し出された。波紋が揺らめく紫色の水面にセレスが見える。そして、自分。ジーゼとクリルカ、リボン。ジーゼの精霊核。あの日の朝。あれから一週間も経っていないというのに、まるで永遠のようだった。
「か、帰れるんですか?」
「待って。今、フェーズを調整する。でも、上手くいくか判らない」
 手先と瞳に全精神を集中させて、ルーンは時空転移の座標を割り出そうと躍起になった。デュレたちが旅立った時刻は確かに突き止めた。だが、それは大洋に浮かぶ大陸を見つけたに過ぎない。デュレを正確な日時に送り返すためにはピンホールのような座標を見つけるしかない。
「――あんたたちが出発した直後に送り返す」
「この距離だったら、誤差はプラスマイナス十二時間ってとこかな。場所はシメオンのこの辺」
「戻れるなら、それで十分でしょ?」
 ルーンは今日何度目かの呆れた眼差しをラールに向けた。二人きりで時空を彷徨っている時は物静かなラールも少しばかりでも観客がいるとなると饒舌でかなわない。ルーンは左手で額を押さえて、げっそりした様子で髪の生え際をかいた。
「……調整が済むまでもう少し時間がいるわ。精霊核に触れたまま挨拶でもしてたら?」
 再び、ルーンは精神を集中させ始めた。クロニアスがやるからにはリボンたちがやったようにアバウトという訳にはいかないのだ。きっちり、予定通りの時間と場所に帰さなくてはならない。それがルーンのクロニアスとしてのプライドなのだ。
「さよなら、リボンちゃん。向こうで会うリボンちゃんはあなたじゃないんですね……」
「いいや」リボンは首を横に振った。「オレはオレさ。この世界がお前たちの世界から隔てられたモノになろうとも、無干渉では済まされないのさ。あいつはここで起きたことをきっと知ってる。それが時の整合性を保つと言うことなんだ。そうだろ? ルーン」
「そうよ。残念だけど。綺麗さっぱりと割り切れるなら、誰もこんな苦労なんてしないの」
「しなくてもいい苦労を背負い込んだのはルーンじゃないか」
 まるで普通にラールはサラリと言ってのけた。
「人ごとだと思って。言っておきますけどね、あんたもわたしと同じなのよ。そこんところ、よろしく。わたしの失敗はあんたの失敗! オーケー?」
「えぇ? そんなのいいわけないよ」
「いいのよ。それで。どのみち、あんたもわたしもこの件の責任をとらない訳にはいかないでしょ。あの卵が孵ったら、何もかも変わっていく。この時間線は時限爆弾付きの新しい可能性になっていく。わたしたちの精霊核に刻まれ“た”新しい歴史の萌芽がここに……」
「歴史的瞬間だね」ラールは気楽に言う。
「ステキな将来をと言ってあげたいけど、玲於那とマリスの思いが一つになった“未来を見透かす不死鳥の卵”は危険な存在だわ。肝に銘じなさい。半歩でも間違ったら、あんたは身の破滅よ」
「身の破滅……?」デュレは言葉を噛みしめた。
「身の破滅。あれが近くにあるだけで危険が及ぶのよ。覚悟して。その“未来を見透かす不死鳥”は影に日なたにあんたの傍に張り付いてるわ。彼はあんたを主として選ぶ」
「この世にはないモノ……。異界にしかないモノは存在だけで害をなす。と言うのがルーンの持論らしいんだけどね。ま、実際、天使の手から離れた天使のアイテムを御するのは想像以上に難しいからね。しかも、それが一つになったやつだ」
 ラールがいつまで経っても話をやめないので、ルーンはラールの顔を左手で押し退けた。
「準備完了よ。無駄話はいい加減にして。さあ、終わりを始めるわよ。両手を精霊核に」
「……はい……」
 デュレは言われるがままに精霊核に触れた。やはり、温かく不思議な感触がある。触れた部分から波紋が広がり共鳴して不思議な文様を作り上げていた。
 ルーンとラールは大きく息を吸い込んで、互いに見つめ合った。呼吸の完全に合わせ、意識を一つに統一する。精霊核におさめられた記憶から、時空を跳躍させるためには高度なスキルが要求される。実際、ルーンにしてもラールにしてもこの理論の実践は初めてだった。あり得ないことが起きたのだ。しかし、帰すと約束した以上、約束は果たす。
「いい? 目を閉じて。精神をもう一度集中させて……」
 ルーンとラールの声が重なって、デュレの頭の中で殷々と響いた。
「次に目を開いた時、あんたはあんたの時代のシメオンに立っている」
 その時、デュレの周りの空間が大きく揺らいだ。目を閉じていて見えないけれど、デュレは感じていた。この時代にきた時と同じ感触がその身を包む。その感覚は不思議と不快ではない。やっと戻れるんだという安堵の思いがデュレの心を埋め尽くそうとしていた。
「さようなら、デュレ。次に会うことがあったらこんなに優しくないからね。そのつもりで」
 ルーンの刺々しい言葉がデュレの頭にいつまでも響いていた。

「さてと……。ところで、ルーンは気がついていたかな?」
「――イクシオンのことでしょ。もちろんよ。……あんたの言葉を借りたら、一人も二人も同じでしょ?」ルーンはため息をついた。「わたしが“いい”と言わない限りあの時代へは行けない。――いいのよ。わたしは神じゃないけど、悪魔じゃないの」
「そうだったね。で、こちらはどうするんだい?」
 ラールは悪戯めかしたように瞳をくるりとさせてリボンとレイアを指差した。
「頭痛の種がまだ残っていたわね」ルーンはさらに大きなため息をついた。
「――オレたちは大丈夫だよ。オレたちは自分たちだけで歩いていけるよ。お前たちは自分のすべきことをしたらいい。――オレたちはお前たちが思うほど、弱くはない。だろ? レイア」
 リボンはそれと察したようにフと微笑みながら、レイアを見上げた。
「そう……だな。何だか、よく判らないけど、わたしたちは自分たちで生きていきます」
「……じゃ、ぼくたちの役目はここまでだ」
「そのようね。では、リボンちゃん。こんな大甘な処置なんて二度としてあげないんだからね。……クロニアスは基本的に慈悲なき精霊なの。甘ちゃんだなんて、噂なんて流さないでよ」
 ルーンとラールは後ろ姿に微笑みを残して、虚空の中に姿を消した。