12の精霊核

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58. tear off her wing(翼をもがれた天使)

 決着をつけるのは不可能なのか。或いは最初から決着をつける気などなかったか。マリスは新たな局面に立たされていた。この戦いは逆召喚へと向かう、一里塚なのでは……? その予測が成り立つのならば、ただ消耗させられるためだけに戦わされている。
「貴様――。何を企んでいる……?」ギリリと歯を食いしばる。
「もう……、判ってるんでしょ? 最初から今まで、そのつもりだったんだから」
「……初めからか。初めから、まともに戦う気などなかったのか!」
「う〜ん、それじゃあ、半分、ウソになっちゃうからダメよ」迷夢は不敵に微笑んだ。「まともに戦う気はあるに決まってる。そうじゃなくちゃ、逆召喚まで持っていけないものねぇえ? さぁ、マリス。あたしの前から永遠に消えな」
 迷夢のサーベルが閃いた。ザシィ。何かを貫いた。少なくとも、マリスではない。ザクザクしていて奇妙な感触だ。ディフェンスシールドを打ち抜いたのは確からしい。視線を上げると、マリスは嘲笑っていた。そして、動いた。極至近距離、剣の間合いにいる間なら、倒せる可能性はある。魔力差だけなら圧倒的にマリス自身が優位なはずだが、総合的な見地からは迷夢が微妙に有利だ。
 マリスはグッと身を沈め、迷夢に逆袈裟、胴斬りを見舞う算段をつけた。
 無論、それだけではない。マリスは物理攻撃を仕掛けると同時に魔法攻撃を仕掛けるつもりだった。光に関する魔法において破壊力一、二の魔法を僅かにタイミングのずらして展開する。マリスは呪文を口に出すことなく頭の中で詠唱を始めた。これならば、迷夢に気取られない。
「――その目、きっと、企んでる。ね? キミの考えてることなんてお・も・と・お・し♪」
 マリスはドキリとした。ハッタリに決まっている。だが、迷夢の巧みな仮面の裏に隠された真の顔までマリスは見抜くことが出来ないでいた。それがいつだって敗因だったに違いない。だから、マリスは迷夢の言葉に答えないことが最良の策だ。
「じゃ、認めたと思っていいのね?」何故か、迷夢は嬉々としていた。
「勝手にしろ」感情を排したかのようにマリスは冷徹に言った。
 呪文は完成した。あとはキャリーアウトするのみ。マリスは剣をしたから振り上げる。
 ギィィン。迷夢は魔法ではなく剣で応戦した。まだ渡りあえる。その一方で、マリスはほくそ笑んでいた。物理的なことに傾注して魔法的なことがおろそかになっている。
「光弾!」
「!」しかし、それも予想の範囲内だ。「ミラーシールド!」
 光の弾丸が射出される直前に間に合った。鏡面加工のシールドにが立ち上がる。
 光属性は攻撃力が大きくとも反射されやすいという特性を持っている。長時間の反射は魔力的に厳しいが、互いに至近距離にいる今ならば標的が目の前であるだけにすぐに決着がつく。が、マリスは反射される光弾を難なく避け、華麗に身を翻し迷夢の背中側にまわった。そして、さらに。
「開け! クラッシュアイズ!」
 刹那、物凄い勢いで小さめの魔法陣が描かれ、光がほとばしった。
「ス……いや、サクション! く、あっ!」
 突如、迷夢とマリスとの間に円形の穴が開いた。流石に魔法合戦は辛いと迷夢は思った。剣ならまだしも、光弾のような魔法を連射しては防御し損なえば跡形もなくなくなってしまう。今回は防衛できたからいいが、次は上手くいくとは限らない。マリスの魔力を効果的にもっと削らなければ、これ以上の時間稼ぎは無理、さらにはへばってしまう。
「迷夢、オレと替われぇ! 向こうにお前の助けがいる」
 迷夢はチラリと下を見た。リボンが来ている。その言葉から察するに、上手くないのだろう。
「……。魔法陣は出来たのかしらっ?」
 マリスと対峙し、剣を交えたまま迷夢はリボンに尋ねた。逆召喚のことがマリスに知られた以上、隠し立てするのは無意味だ。だから、状況を把握することを優先したい。
「――魔法陣は完成した。魔力が足りない!」
 リボンは躊躇ったが、迷夢の意図を汲んで叫び返した。
「……なるほど、そう言う訳か。ならば、余計に行かせる訳にはいかない」
 マリスは力一杯柄を握り、迷夢に斬りかかった。迷夢がいなくなれば全てが終わる。迷夢はむざむざと倒される訳にはいかぬとばかりに、自分からも斬りかかった。攻めこそが最高の守りだ。幅広のマリスの剣と細身の迷夢の剣が鬩ぎ合った。迷夢とマリスの視線がかち合う。
「残念だけど、もう、キミの相手をしていられないの。リボンちゃん!」
「判った」
 リボンは地面からジャンプし、迷夢の肩を踏み台にしてマリスに飛び掛かった。剣は未だに迷夢のそれと絡み合ったまま。マリスは出来る限りのスピードでかわそうとしたが、間に合わなかった。リボンはマリスの肩に食らいついた。瞬間、マリスは身体をよじった。
「! ケモノは嫌いだ。寄るな、触るな!」
「出来ない相談だ。そんなにオレが嫌いなら、お前がここからいなくなればいい」
「嫌いだっ、嫌いだが、逃げ出せない。貴様らを……消すまでは」
 マリスは背中にへばり付いたリボンを何とか引き離そうと翼をばたつかせたり、乱高下してみたりしたが一向に効果は上がらない。それどころか、リボンに気を取られているうちに迷夢に逃げられてしまった。マリスは悔しさに歯がみをした。
「……貴様――。貴様ぁ! ここで死ねぇ」激した声が遺跡に響いた。
「……オレはここでは死なない。――そう言うことになってる」
 どういうことになっていようとも、マリスには関係のないことだ。とにかく、手段は選ばずにリボンを始末し、自分は迷夢を追わなければならない。迷夢さえいなくなれば、全てに片が付く。
「スパークショット」
 マリスはリボンに右手を差し向けて、魔法を放つ。指先に集まった魔力は集積の臨界点を越えた瞬間、標的に向けて発射される。その一瞬をついて、リボンはマリスの肩にかけた前足を踏ん張り、真上に飛び上がった。スパークショットは虚空を貫いた。
「簡単にやられはしないさ」
「スパークショット!」マリスはリボンに追い打ちをかける。「空中では逃れられまいっ!」
 しかし、リボンは動じる様子は全く見せない。それどころか、余裕の笑みさえ浮かべていた。
「フィジカルディフェンス」
 簡易呪文を唱えた瞬間、リボンの足下に透明なシールドが出来上がっていた。リボンはその上に足をかけ、ジャンプした。物理的な防御力を逆手に取った応用技だ。飛べない自分を空に飛ばす。フィジカルディフェンスを幾つも使えばそれも可能だ。
「――小癪な」マリスは吐き捨てるように言った。
 マリスは強引な手法を使って滞空するリボンに迫った。剣を身体に引き付け、リボンに振り下ろす。が、易々やられるつもりはリボンにはない。リボンはディフェンスを張り、優雅とはいかないまでも華麗に切っ先を避けた。そこからはリボンがイニシアティブを取りにかかった。
「氷の闇、雪の雫。遙かな北方より、氷雪の魂を揺り醒まし、吹き荒ぶ北風に怒りを乗せろ」
 水気の少ない場所で氷に関する魔法を行使するのは容易ではない。膨大な魔力を消費し、疲労度も高い。しかし、マリスを足止めできる魔法は極限られている。自然をバックボーンに持つ精霊の魔力は大きいが、それでも、天使と比べると見劣りしてしまうのだ。
「清く澄まされし氷と風のロンド。アイスブリザード!」
 呪文の詠唱を終える直前から、局所的に空気が冷え込んできた。ピキィィィン……。夏の最中に奇妙な肌寒さを感じる。中央リテールにはない冬の寒さが訪れる。空気は張り詰め、キラリと煌めく小さな小さな雪の結晶がひとかけら。
 それが合図だった。小さな結晶から、一気に真っ白い闇に叩き込まれた。灰色の遺跡はマリスの視界から完全に消え、辛うじて見えるのは真白い毛並みの碧眼のみ。リボンが目を閉じれば、目視で動きを追うのは不可能だ。魔都と呼ばれたシメオン遺跡ではフェンリルの大きな魔力を追跡するのも易くはない。シメオンに充満する悪意の産物に遮られるのだ。
「やはり、血筋か。あの小僧がここまでになるとは」
 マリスは白い闇に紛れてリボンが仕掛けてくる前に動いた。先んずれば敵を制す。リボンの攻撃の切れは迷夢ほどではないが、やれた時の被害は迷夢以上だ。澄んだような空気とブリザードに溶け込むリボンを見つけ出すのは容易ではない。しかし、このような魔法を長時間維持できないだろうからやがて魔法が解けるか、程なく来る。
「――我が光の道しるべ、白き闇を打ち砕っ」
 全てを言い終える前に、純白の向こう側から、リボンの碧眼がヌッと姿を現した。想定の範囲外、どこから来たのか全く見当もつかない。マリスは剣をリボンに差し向けた。が、既に至近距離過ぎて剣を振れない。リボンの爪がマリスに襲いかかり、マリスは避けきれずに肩をえぐられた。
「ぐあぁ。――だから、ケモノは嫌いだ。くそっ、さぁ! 光の道しるべ、打ち砕けッ!」
 パアァァン――。ブリザードがやんだ。リボンが行使した魔法に要した魔力と同等以上の魔力をぶつけてやると相手の魔法を壊せる場合がある。マリスはそこに賭けた。が、リボンは怖じることなく、次の行動に移った。
「精霊王、氷雪のシリアの名に於いて命ずる。出でよ、氷の刃っ!」
 すると、まるで空気中の水分が剣の形に凍結していくかのようにそれは形成された。刃先は鋭利、光が当たれば鋼製の剣以上に険しく輝く。リボンはその刃を口でくわえた。魔法でありながら、物理的な作用を極限まで引き出したリボン唯一の“剣”だ。
「……いつかどこかで、見たような光景だな……」
「記憶にない。――だが、その時のオレはきっとお前に勝ったろうさ」
 リボンは氷の刃をくわえたまま、もそもそと聞き取りづらい声で言った。そして、何かに弾かれるかのように動き出した。後足の筋力を活かした瞬発力でマリスに斬りかかる。首を傾け、刃にマリスの腹部を狙わせる。リボンの位置から首筋では遠く、足下では動きを封じることさえ出来ない。だからこそ、リボンは深く傷つければ動きの封じること出来る腹を狙った。
 対するマリスは行動に遅れを生じた。
 氷の刃に己の刃が折られたことが頭から離れない。今度もまた、同じ結果になったらと言う思いが無意識下に形成されアクションが数瞬、ずれ込んでしまったのだ。ヒトでは気が付かないような小さなミスでさえ命取りになりかねないのに、これは痛い。
 マリスは翼を最大に広げ後ろへジャンプし、リボンの剣は虚しく空を切った。
 しかし、リボンはさらにマリスを追う。空に舞ったマリスを追うため、フィジカルディフェンスを階段状に作り上げつつ、のぼり続ける。ディフェンス自体は空中に支えを持たないから、リボンが飛び乗った瞬間に次々と落下する。
「……しつこいな……」マリスは呟く。
 リボンは答えることなく、斬りかかる。ガィィィイイン。マリスは軽くあしらった。
「ちっ……」リボンは氷の刃を投げ捨てた。それから、フィジカルディフェンスを虚空に出現させ足場にすると、三百六十度の捻りを加えてマリスの背中に飛び掛かった。

 迷夢が戻ると一応、魔法陣は完成したいるようだったが、呪文の詠唱まではこぎ着けていないようだった。散らばったメンバーを見やると、一部に見慣れない頭があるのを見付けた。
「……? あれ、誰?」迷夢は訝しげに目を細めて、指差した。
「あ、あれは魔法学園のジャンルーク学園長です」デュレが言う。
「ふん……。人間にしては高次の魔力をもってるようね。……使える。――けど、魔力配分がアンバランスになっちゃってるわねぇ。セレスは何とかやってるようだけど……」
 迷夢は品定めをするかのように全員を見渡し、決定を下した。
「……陣形を変えないとダメのようね。……あたしが北に入る。シルト、キミはあたしの正反対に行って。これで南北に軸を作り出すわ。それから、北西にデュレ、南東にセレス。北東にジャンルーク、南西にサム。……真ん中にウィズ。キミが入って」
 迷夢は全員に向け指令を放つ。当初の予定から人員が入れ替わってしまったので、最初の陣形のままでは逆召喚に十分な出力を出せない。だから、迷夢は似たような大きさの魔力をもつもの同士を点対称の位置に配置し、魔力が最も効率よく魔法に転換できるようにした。
「みんな、……心から邪念を払って、精神を逆召喚に集中させて」
 次の瞬間、奇妙なざわつきを持ったシメオン遺跡の空気が張り詰めた。魔法陣が命を持った。
「さあ、いくわよ。あたしたちの根性を見せてやるの!」と迷夢が叫んでも、一同はキョトンとするばかり。「あ〜ぁ、ノリの悪い連中ばかりでヤになっちゃうわぁ!」
 嫌みたらしく言うけれど、迷夢はとても楽しげだった。

「二度も同じ手を喰らうかぁ!」
 マリスは振り返りつつ、身を逸らしリボンをかわそうとした。が、リボンの爪が翼にかかった。マリスは翼が傷つくのも構わずに力を込めて振り回し、リボンを翼から引きはがした。
「はぁ……、はぁ……」マリスは肩を激しく上下させ、荒い息をする。
「その顔は……もう、許してくれないのかな?」
 せせら笑い。リボンはそんな表情は一切見せていない。けれど、追い詰められてきたマリスにはどんな些細な表情さえも否定的に映ってしまう。
「……端から、許す気などないと言っただろうっ!」
「……そうだった」リボンはスッと目を閉じる。「では、いい加減、終わりにしよう……」
 リボンは自分の持つ全魔力の解放を決めた。それだけの魔力を使ったとしても、太刀打ちは敵わないかもしれない。ちょっとやそっとでは精霊と天使との間の魔力差は埋められない。リボンは次の一撃に全てを賭ける。逆召喚魔法が完成したら、その耐久時間限界内にマリスを特異点に送り込まなければならない。迷夢の発する雰囲気から察すると、これから呪文を詠唱するようだ。
 呪文が完成する頃までに、何としてもマリスをそこへ。
「リボンっ! 受け取れ! こいつとお前の魔力を相乗したら」
「久須那ッ!」
 遙か下から、久須那の魔力が具現化された“イグニスの剣”がリボンを目掛け飛んできた。あれを使うのが最良の選択だろう。リボンはその青白く輝く剣に飛びついて口で受け取った。リボン自身の魔力で作った氷の刃よりも数十倍の威力を発揮できるに違いない。
 マリスはリボンが久須那から剣を受け取った瞬間、攻撃行動に移っていた。
 姿勢は低く、確実にリボンの喉元をかっ切ってみせる。マリスの目は毛皮の奥にあるそこだけを見ていた。自分自身が研ぎ澄まされて刃になる感覚。“キリコロセ”リボンも応戦する。毛並みを吹き抜ける風に靡かせて、マリスを討つ。
 ガキィイィン。漆黒の炎と青白い炎が反発しあい大きな炎が撒き上がった。マリスは鬩ぎ合った剣を振り抜いた。体重の軽いリボンは彼方に飛ばされる。リボンはおおよその着地点を割り出すとフィジカルディフェンスを張り、その場に着地。ディフェンスが落下を始める前にリボンは再び、マリスに飛び掛かった。
 ギィイィイイン。二本の剣は火花を散らす代わりに炎を散らした。
「やはり、剣のみでは無理なようだ……」マリスは呟いた。
 そう考えた次の瞬間、マリスはリボンの頭を鷲掴みにした。このまま手のひらから魔力を吐き出し、リボンを吹き飛ばす。リボンはジタバタした。負ける訳にはいかない。
 リボンはマリスの手から逃れるために、イグニスの剣を暴走させる決断を下した。リボンは剣に魔力を注いだ。リボンの予測では臨界点を越えれば、久須那の意志を介在しなくとも暴走、ないしは形態の変化を起こすはずだった。
「……オレの魔力の全てをこの剣に……」
 青白く光るイグニスの剣は輝きを増し、さらに脈動を始めた。リボンだけの魔力で足りるかは判らないが、上手く臨界点を越えることができたら現状を打破できる。いい方にか悪い方にか知らないが、少なくとも事態は動く。今はそれで満足するほかない。
「! バカな真似はよせ」
「――バカな真似じゃあないさ。勝算はオレにある……」
「くそっ! シールドアップ」
 マリスはリボンを放し、シールドをはった。イグニスの魔力が暴走・解放されたら、マリスでも無傷では済まない。少々慌てたマリスの様子を見て、リボンはほくそ笑んだ。しかし、リボン自身もうかうかしていると自らの手で首を絞めることになる。
「まぁ、そう、遠慮するな。受け取っておけ。――フィールドイレーズ!」
 シールドが消失した。そして、イグニスの剣から真っ白な閃光が走った。

 セレスはひたすら無心に立っていた。殊、魔法に関しては自分に出来ることはない。セレスとしては自分自身の思い通りに動けないのは面白くないが、我慢するしかない。と、セレスはウエストポーチがもそもそもそと微かに動くのを感じた。
「……? 何が動いてるのかしら……?」
 セレスは恐る恐るウエストポーチのチャックを開いた。動く心当たりがあるのはたったの一つ。迷夢から預かった不死鳥の卵・ロミィ。セレスはゆっくりとウエストポーチに手を突っ込んだ。そして、卵をそっと触った。殻をなぞるように追い掛けると、ヒビがある。セレスは弾かれるように手を放した。この状況で不死鳥が帰ったら、まずいことはセレスにもよく判る。
「迷夢。大変、生まれそうなの」
「あぁ? 何? あとにしてよ、今、忙しいの。キミもちゃんと精神統一! 頼むわよ」
「だからっ! 生まれそうなんだってっ!」
 セレスは身振り手振りを交えて激しくアピールをした。
「! 生まれそう?」迷夢の顔色が青くなった。「今はダメぇ!」
 今、卵が孵化してしまったら、何もかもが水の泡になる。生まれてくる不死鳥の魔力はどう少なく見積もっても、エルフの比ではない。精霊クラスかそれ以上だ。そんなものがここに現れたら、逆召喚魔法が暴走する可能性が増大する。
「ダメって言ってもそんなの無理よぉ」セレスの悲痛な叫び。「だって、もう、殻を突いてる」
 セレスの手のひらに乗った卵の殻が内側から次々とはがされていく。そして、その都度、卵から漏れだしてくる魔力が大きくなっていくことが感じられた。
「……! 不死鳥の卵が孵る……」
 卵にヒビが入ったのだろうか。或いは休止状態にあったものが久須那とマリスの放つ魔力に感応して息を吹き返したのか。唐突に、どこからともなく爆発のように大きな魔力が広がった。肌にビリビリと感じるほどに大きな魔力。魔法生物は本能的に魔力制御法を持っているはずなのだが、この生まれたばかりの不死鳥の雛は生まれつきの魔力をもてあましているようだ。無論、そのことを本人(?)は知るよしもない。
「……制御し切れていない……。この子が持つ魔力としては大きすぎるのね……。流石……万里眼と不死鳥の卵が融合しただけのことはあるわ……」
「このままいくとどうなるんですか?」成り行きを危惧するデュレの声が迷夢に届く。
「う〜ん? そうねぇ……。あの子、魔力に飲まれて粉微塵ね。しかも、それで済めばまだ可愛いもんよ。丸ごといくんじゃないかなぁ……」アッケラカンと迷夢は言った。
「丸ごと……」デュレは言葉を失った。
 もはや、危機的状況だった。不死鳥の魔力を封じられない以上、それを利用する他ない。しかし、本人が魔力の制御すらロクロクでない状況にあるから、セレスの未熟さ以上に始末が悪い。
「セレス! その子を連れて魔法陣の中央に行ってっ! ウィズ、セレスと交替!」
 流入を防げないからには、もっとも効率よく使う。多すぎる魔力は破滅への一里塚。尚かつ、不死鳥の雛の体調まで考えてやらねばならない。
「……これで、マリスを追い返せる。――それも……あたしたちを巻き添えにしてね」
 迷夢は逆召喚魔法の出力を制御できないかもしれないことを危惧していた。それでもやるしかない。マリスが自分たちを葬らなければ安心していられないのと同様に、自分たちもマリスを異界に送り返さなければ安寧を得ることが出来ない。
「異界より召喚せし天使をその本来の住処に送還を求むものなり」
 瞬間、六人を頂点とした六芒星が浮かび上がる。
「……何か、めんどっちくなってきた……。リボンちゃん、あのまま、やっつけてくれないかな」
 それが叶わぬ夢であることは他ならぬ迷夢が理解していた。リボンとマリスとの圧倒的な魔力差はスキルくらいでは埋めようがない。全員が束になっても互角にはならないのだから、尤もなのだが。迷夢はそこを何とか気を取り直し呪文の詠唱を続けた。
「親愛なる光の瞳、あたしの言うことをきけ。――ほら、ちゃっちゃと来い」
 迷夢がパアンと手を叩くと、セレスの居る六芒星の中央付近から閃光が走った。白い閃光は一筆書きのように動き、巨大な閉じた瞳を形成した。その瞳が全開になった時に、逆召喚魔法が実行される。条件は実行時にマリスが瞳の上空にいることのみ。
「よし! 星霜の彼方より語られし、あまたの世の架け橋を閉ざしたる者に告げる。あたしは理を忘れし天使・マリスの送還を望むものなり。描かれし眼の向こうに在りしもの、……サライよ。二つの世に通ずる架け橋を開放し、翼をもちし天のお使いと称されし天使を異界の世に送り返せ。架け橋の開放を望むは天使・迷夢。魔法陣に充満する魔力の全てを注ぎ込んで。――あの……可哀想なマリスを元の世界に送り返してあげて……」
 準備は調った。魔法陣に描かれたまぶたが微かに開き“キャリーアウト”の瞬間を待ち侘びている。だが、キャリーアウトしなくても魔法は実行されるか、崩壊してしまう。それまでに、マリスを魔法の特異点に導かなければならない。
「……あとは任せたわよ。リボンちゃん」

「何故だ……、何故、貴様に勝てない」
 イグニスの剣の魔法解放を受けて、マリスは地面に激しく身体を打ち付けた。全身が傷つけられて、特に翼は暫くの間、回復不能とも思われる深手を負ってしまった。
「……背負うものが違うのさ」リボンは儚げな笑みを浮かべた。「オレは……どうしても戻らなければならない。あいつと約束したからな。……それにあそこにいないと始まらないんだ」
 マリスにはリボンの発言が理解できなかった。
「何が言いたい?」
「お前には判らない。……お前にとっては“今更”のことだ。知っても無意味、知ろうとするだけ時間の無駄だとオレは思う。……まだ、諦めないのだろう?」
 リボンはよろめき、瓦礫に身をもたせかけて言った。
「どんな――状態になろうとも諦めん。貴様らさえいなくなれば、わたしの目的は達成される。――。天空に住まう光の意志よ。我が左腕に宿り、全てを滅する破壊のパワーを体現せよ、光弾!」
 真っ白い光の塊が発射された。
「! シールドアップ」
 すんでの所で、リボンはシールドを立ち上げた。光弾はシールドで弾かれてはいるが、じわじわとリボンを追い詰めていた。光の圧力がシールドを押しつけ、尚かつ、魔力で形成されているシールド面を削り取っていく。光弾を垂直に受け止め続けるのには無理があるのだ。大きすぎる魔法は先端が鋭角になるシールドを作り、後方へ受け流すのが基本だ。それを頭では理解していても、シールドを形成し直すだけの余裕は全くなかった。マリスが光弾の放射をやめない限り、シールドの張り替えは出来ない。シールドが切れる瞬間に、再起不能にされてしまう。
「……」リボンは牙を剥きながらマリスを睨み付けた。
「……翼をもがれた天使……か……」
 何者かがガッとマリスの足首を掴んだ。マリスは怯んだ。思わず足を引っ込め、足下を見回した。この周辺にマリスの邪魔をするやつはいないはずなのに。
「――ま・さ・か、久須那。貴様がわたしを……」
「はぁ、はぁ……。詰めが甘い……。いつも……そうだ」
「そんなはずはない。わたしはいつだって、完璧だった。貴様らがわたしの邪魔をする。わたしの決意を鈍らせる。貴様らはわたしの考えを妨害する障害物に他ならない。障害物は排除するのみ」
 半ば震えた声でマリスは言う。
「……遠慮なく、排除したら良かっただろう。――お前なら、出来たはずだ……」
 出来たはずではない。出来たのだ。けど、やらなかった。やれなかったのだ。マリス自身も判っていた。久須那を殺すチャンスなど、掃いて捨てるほどあった。それ故、マリスには言葉がない。
「――大人しく、異界に帰れ。お前の居場所だ……」
「何だと? 今更、帰れるか。わたしの居場所はここしかない。貴様らを屠れば、邪魔者はない。このリテールを天使たちのものに……わたしだけのものにしてみせる」
「そんなこともう、出来ないことはお前自身がよく知っているのではないか?」
 知っている。今更、久須那に言われなくともそんなことは承知の上なのだ。帰る場所も居場所もない。けれど、“許してくれ”などと言えるはずもない。そして、マリスの計画を邪魔だてした久須那たちを許せるはずもない。故に、マリスには戦う道しか残されていない。
 視野狭窄かもしれない。しかし、 マリスが選べる道は極限られていた。
「それでもわたしは戦うしかないんだッ!」
「もう、戦う必要なはい……。故郷へ……」
「――故郷は……なくした」微かに震える声でマリスは返した。
「そうか……」久須那は聞き入れなかった。「パーミネイトトランスファー」
 久須那は自分に残された魔力をフル活用して空間転移魔法を発動した。呪詛に犯され、傷つき、体力的にも厳しいが、マリスを逃さないためにはそれしかない。久須那とマリスの身体は空間に溶け込むように消えた。そして、次には魔法陣の上空数十メートルのところに現れた。
「来た……」
 いち早く、迷夢がその姿を発見した。最後の一言を放てば全てが終わる。始まりの時から、断続的にぶつかり合いを繰り返しながらここまで来た。長年の決着がつく。
「みんな、精神を集中して、少しでも乱したらダメよ。――キャリー……」
「待って!」唐突に、素っ頓狂な声が上がった。
「あらら? 誰よ、邪魔をするのは! この機を逃したら、もう、次はないのよ」
「でも、だって。魔法陣に揺らぎができてるから、このまま実行したら、あの天使を向こうに送る前に逆召喚魔法が崩壊しちゃうかも……?」発言をしていたのは闇の精霊・シルトだった。
「……」迷夢は眉間にしわを寄せ、難しい顔をした。「耐久限界時間を越えたのかしら。……けど、考察してる暇もないし、再チャレンジする魔力もなければ時間もないときたもんだ。サイテーの気分ね。仕方がないから――再調整、いくわよ」
 再調整と言っても、ひどく困難な作業だ。一度、魔力的に崩壊を始めたら、止めるのは容易ではない。それでも逆召喚魔法を一から構築するよりも十分ましのはずだが。実際には魔法アイテムには何も頼らず、人の出す魔力に頼っているだけにかなり不安定だ。この魔法陣の再調整は一般の魔法陣を有する魔法を持ち直させるのとは訳が違う。
 流石にいつもは楽観的にケラケラ笑う迷夢も緊張している様子だった。
 たった一つの微細なミスがこの領域を無に帰属させる結果をもたらす。しかも、ロミィという魔力が大きく不安定な不確定要素がある。迷夢は非常に珍しく、冷や汗をかきながらの調整だった。魔法行使中に魔力の再配分を行うのは神経を使う。この手の調整はもはや、頭脳戦と言っても過言ではない。派手さはなく、むしろデリケートだ。
「……凄い……」デュレは驚きの眼差しを向け、呟き声を漏らした。
 目には見えないが、迷夢が不安定になりかけた魔法陣がどんどんと安定してくるのが判る。シルトに指摘された揺らぎを迷夢は次々と修正した。この修正が崩壊しだしたら、この魔法を継続する殊は不可能だ。新たに呪文の詠唱を始めなければならない。
「――いくわ、みんな。――きっと、これで終わる……。キャリーアウトっ!」
 これで終わる。誰もがそう信じていた。