12の精霊核

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03. vs. angel kusuna(久須那との戦い)

「協会の命によりお前を捕らえに来た。大人しく従えば、手出しはしない」
 初顔合わせの瞬間、天使はサムに向かってそう言った。そして、突き刺さるような視線をサムに向けながら、空から優雅に舞い降りてる。
 天使はトンと地面に足を付いた。その可憐な姿に一部の隙もなかった。
「――素直でよろしい」天使はポーチから枷を出しながら、サムに近寄った。
「……」サムは答えずに、じっと天使の顔を凝視する。
「よろしい、そのまま大人しくしていろ」
「結構、美人だな、てめぇ」目を見据えてサムは言う。何を考えているのかと思えば、結局、近寄ってきた天使がは自分好み美女かどうかの鑑定だったらしい。
「は?」話が呑み込めないで、天使は瞬間きょとんとした。
「俺の……」
「七人目の彼女にならないか〜い?」ちゃっきーが横取りして話を変な方に捩じ曲げる。
「違う!」地面をちょこちょこと歩いてきたちゃっきーを怒鳴りつけた。
「じゃ、俺の秘書になれ! たった今決めた。誰にも反対なんかさせね〜ぜ!」
「……どれもこれも違うんだよッ! 全く、緊張感のない」
「ちっち! 煩悩の塊にゃあ言われたくないね〜。へっへ。女とみれば口説かずにはいられない天性の色情狂。まあ、どうしてこんな危険な物体が地上を徘徊しているのれすか? 神は言った。すったらもん、物騒すぎて天界には置いておけねぇ〜。って、ねぇ」流し目。
「アホ! 手めぇには心のブレーキというものがねぇのか。越えちゃいけない一線というものが」
「ないね!」口を結んで、取り付く島もなくきっぱりとちゃっきーは言った。
「……」その間、天使は口を挟むタイミングを逸してしまって何とも居心地が悪い。「あ、と、取り込み中悪いが……その、わたしは、協会の命により……」
「いやぁぁあ! このちゃっきーがあまりにおいしそうだからって捕まえに来たのね」
「黙れってんだ!」サムはちゃっきーを足蹴にして、天使を見た。
「ああ、判ってるよ。それで、断ると言ったら?」
 サムは腕を組み、口をヘの字に曲げた悪辣な笑みを見せていた。瞳の奥に嗜虐性を隠し持っている? 天使はそのサムの眼の奥まで見透かしてしまったように思えた瞬間、身震いをした。怖いというよりはむしろ、幾多もの修羅場を潜り抜けた男のどっしりと落ち着いた視線に感じたのだ。
「聞くまでもない」無表情を装った。視線はサムを見ずに、地面の毛虫を見つめていた。
「……つまらん奴だな。もっとこう、笑うとか怒るとかリアクションはないのか?」
 けれども、サムは天使の心の動きに動揺があることに気付いていた。彼女にとって自分とは今までに会ったことのないタイプのようだ。普通 なら「協会の天使」と聞いただけで、縮み上がるか、抵抗するかのどちらかだ。サムはどちらにも当てはまらず、気さくに話しかけてくる。
「ない……」
「てめぇにとって、協会は何だ?」突然の思いつきなのか、サムは関係ない方に話を振った。
「?」何が聞きたいのか判らなかった。
「……じゃあ、言い換えるか。てめぇにとって生きてるって何だ?」
「……?」ますますもって判らない。今そんなことを問わなくてもいいのではと思ったりもする。
「ハッ! ちゃんちゃらおかしくて答えられませんか。ま、いいや。死にたくなかったら、さっさとか帰っちまえよ。ホラ、何だっけ、召喚士のえ〜っと」
「シオーネ……さま」
「そうそう、シオーネ――。な、何ぃ〜。てめぇ、あのいかれ教皇に呼ばれたのか?」
「『いかれ』は余分だ……」
「フン、まあ、どうでもいいや」サムは手をひらひらさせた。「よろしく言っていてくれ」
「判った……」相手が感情を交えてこないためか不毛な会話が延々と続く。
「……。てめぇ、話せば話すほどつまんないやつだな」
「『てめぇ』と呼ばれる筋合いはない」
「じゃあ、俺はそのてめぇに追い掛け回される筋合いはない! ……で、名前は?」
 頭を掻きむしりながら、やる気なさそうにサムは聞いた。
「――久須那」少し困ったような雰囲気を感じさせながら天使は言った。
「く・す・な……ね。判った、じゃあ、またな」
「……。わたしの用事はまだ終わっていない」
「俺の用事はもう済んだ。帰っていいよ」サムはニヤニヤとしていた。
「Yes, sir! おねぇちゃんにはお引き取り願おうか! 恋人になってくんない女の子に旦那はきょ〜みnothingなのだ。単純明快。分かりやすくていいだろ。サムのの〜みそなんて所詮こんなもん。バナナみたいにおねぇちゃんにたたき売ってあげようか? 鉄1gでどうだい?」
「よく喋る口だな、この口は、えぇ〜!」サムはしゃがみ込んでちゃっきー(少し潰れている)を引っ掴むと唇を引っ張る。「せめて金1kgにしてもらいたいね。俺の頭は知識の宝庫なんだぜ」
「女の口説き文句で一杯なの?」
「チ・ガ・ウ!」言下に否定する。
「じゃ、浮気がばれたときの言い訳だね!」
「――」あきれ果ててものも言えなくなる。
「あ、あの、度々すまないが、わたしの存在を忘れないでもらいたい……」
 一人と一個のエネルギーに圧倒されて、小声でしか久須那は話せない。
「……にしても、俺にそんな丁寧な口を利くやつは初めてだな。どいつもこいつも『イクシオン、死ねぇ』ってノリで徒党を組んできて。ま、実際、口開くより先に剣打ってきたけどな。てめぇはそんな連中とは一味違うようだ――。よっぽど自信があるのかぁ〜」
 鋭い切れ味を持っているけど、いたずらっ子風の視線が久須那を捕らえる。
「協会に悟られてはまずい何かを隠している……。お前、協会の方針に疑問を持っているな?」
 的確に核心を貫いた。クールに冷めた目付きをしていた久須那の表情が一変した。
「! し、知るか。お前は大人しくわたしについてきたらいいんだ」
「そんなこたぁ、知らないね」
 ムカッと来たのか久須那の表情が険しくなった。
「ふん〜。図星って訳だろ? 邪教徒、魔女、精霊狩り。協会はハンティングがとってもお好きなようで」礼を尽くしているようで、それは明らかに協会を嘲笑していた。「……特に」サムの茶化した目付きが真面 目な煌めきに取って代わった。「精霊核を大量に集めて何をしたい?」
「わたしは……」
「俺を捕まえるかやっつけるのが任務だから知らないって言いたいんだろ?」
「そ、そうだ――」久須那はうろたえた。
「へっ! どうせそんなもんだろうと思っていたけどな、全く、協会が何を成さんとしているのか知らずに使役されるとはね。疑問を抱くなら、少しは調べてみたらどうなんだ?」
「だって……」久須那はすっかりサムのペースに引き込まれていた。「協会はイクシオンを邪教徒だと言う……。邪教徒は排除すべきだと……」
「俺から言わせれば、協会こそ怪しい新興宗教の団体さんみたいなもんだけどな。大体おかしいと思わないか? リテールの神々に足向けるやつらが“正統派”だと名乗るのは。信仰とは人の心に宿るもの。違うかい、久須那。強制されて信じるものじゃあない。シオーネの欲しいのは権力の二文字。精霊、人間、天使、魔物。全てを含めたものの頂点だったとしたら?」
「それは……わたしには関係のないことだ」
 努めて感情を押し隠したように久須那は言った。サムの言うように幾つかの疑問を持っていたことは確かなこと。けれど、協会の召喚士に召喚された以上は逆らえない。協会は今の久須那には絶対だった。だから、いくら不審を抱いていたとしても叛旗を掲げることもままならない。
「ともかく、お前は大人しくわたしに従えばよい」
 自分の言葉に説得力がないことに久須那は気が付いていた。しかし、それをサムに悟られてはならないと凛として虚勢を張る。どちらにしても、サムを協会本部にまで連れていかないことには始まらない。その後で、お伺いを立ててみようかと思ったりもする。
「ま。そんなに急くな。人間風情が天使さまとの追っ掛けっこに敵うはずがない。ちぃ〜とは待ちなよ。ま、今、逃げ帰っときゃよかったって、後悔することになると思うけどねぇ」
 意地の悪い細目を久須那に向けた。どこからくるのか判らない、そんな根拠のないような自信を打ち砕いてやるのも面 白い。それは嗜虐的な欲望。美しい人を屈服させてやろうではないかと、少々歪んだサムの欲求が頭をもたげる。
「ドライアードの膝枕でおねむの方がよかったと思うのはお前の方だろう」
「はぁ〜ン。どこまでも理詰めのやつかと思ったらそうでもないんだな」妙に感心した。「冷たい美人だとばかり思っていたんだけど、訂正したほうがいいのか?」
「いいかげん……化かしあいはやめにしないか。時間の無駄だ。……従うのか、否なのか」
「ふん? 大人しく従うために森を出てきたと思う?」サムは不敵に微笑んでだ。「炎術も、剣術も広くなけりゃあな」
「わたしはどちらでも構わないが……」
 ひゅん! 矢がサムの頬をかすめて近くの木に、――トッと突き刺さった。その刹那、大木は落雷を受けたかのように燃え上がり、あっという間に消し炭にしてしまった。それを目の当たりにすると百戦錬磨のサムと言えど、顔から血の気が引くのを感じた。
「恐いなぁ、おい。そんな物騒な弓なんてやめてフツウの剣にしない?」
「断る。お前にとっての剣がわたしの弓。お前が弓を使うなら、わたしは剣でもいいぞ?」
「か〜、可愛くねぇ女! だが、それくれぇ〜じゃねぇと戦とはいえね〜よな。けど、女を虐めるのは趣味じゃねぇんだ」そう言いつつ、サムは険しい視線を久須那から放さなかった。
「……手加減は無用だ」
 久須那が弓の弦をいっぱいに引くと、矢が虚空からすぅ〜っと現れた。イグニスの矢。矢尻には仄かに透き通 った青色の炎がまとわりついている。あれに当たればただではすまされない。
「やるときゃ、女だって手加減しねぇさ。全力で来る相手にそれは失礼ってもんだ」
 サムは背後に負った剣を引き抜きながら、ニヤリと笑った。
 その刹那、久須那の矢が放たれ、空気を切り裂きながら邁進した。キン。矢はサムの剣に弾かれ、空中で一回転すると地面 に突き刺さった。
「そんなトロい矢じゃあ、俺さまには当たらんぜ」
「それはどうかな?」少しだけ自身あり気に口元だけでクスリと笑う。
 そう言うも、久須那は必要以上にサムに近付こうとはしなかった。サムの得物は剣。自分のそれは弓だった。接近戦になってしまえば少々分が悪い。久須那は間合いを広げようと空中に飛び上がった。これで少なくとも剣の届く範囲外にでることは出来る。
「じゃ、ちらっと変わった趣向でいってみますか?」サムは余裕で久須那を見上げている。
「?」訝しげに眉をひそめて、サムを見た。
「例えば……」
 サムはまだそこら辺に転がっていたちゃっきーを拾ってぶん投げた。久須那はそれを難なくキャッチしてしまい物珍しそうでもないけれど不思議そうに見て、言った。
「これがどうかしたのか……? あれ」視線を戻したら、サムの姿が視界から消えていた。
「は〜い、く・す・な! してやられましたね。常套手段に」
 何だかよく判らない毒小人・ちゃっきーにそんなことを言われると流石の久須那も腹が立った。
「逃げたのか、イクシオン!」叫び、手に力が入ってちゃっきーは握り潰されそうになる。
「あ〜れ〜、潰さないで中身が漏れちゃう」ふざけた口調で、結構本気だったりもする。
「い〜や。ちょいと仕掛けをつくるのに時間稼ぎをね……」
 サムといると調子が狂う。サムは今まで捕らえたどんなやつとも違っていた。お調子者なのか、飄々としているだけなのか、とにかくとらえ所がなくて次の動きが読めない。
「と、言うことで」
 久須那がぼんやりとしてしまった隙を狙ってサムは印を結んだ。ちゃっきーを放ったのはその下準備をするため。術を使うためにはどうしても時間がかかってしまう。“今だ”と思った瞬間に自在に使えるわけではなく、幾つもの制約がある。通 常だったら、サムは剣技を繰り出しながら、必要な呪文を脳裏で詠唱する。けれども、今回は何故だかゆとりがあるのかそんなことはしない。
「……? 何? 熱い。あちちち」悲鳴を上げ驚いて久須那は後方に飛びすさった。
 周りで炎が立ったのだ。たったそれだけのことではるが、燃えるもののないところに火を立てるのは容易ではない。サムは強力な炎術使いではあるが、それは周囲の環境にサポートされて初めて本領を発揮できるものだし、闇雲に連発の利くものでもない。
「どお? 面白い趣向でしょ」笑いながらサムは言う。
「ふ、ふざけるな!」馬鹿にされたようで腹の立つ。いつもはこれほどまでに気は短くないはずだったのにサムの一挙一動がいちいちかんに障って落ち着がない。
 久須那は弓をおろし、天を仰いで短く何かを呟いた。サムがつられて空を見ると、何かが落ちてきそうな雰囲気になる。炎術、氷術とは違うようだ。大気が帯電し、ピリピリと身体中の産毛が引き寄せられるような感覚に捕らわれる。
(来る!)思った刹那、サムは剣を地面に突き立て身を引いた。避雷針の代りにする。
 久須那は見ていた。今なら、当てられるかもしれない。澄んだ冷たい視線を向けながら、久須那は弓を引く。天空から空気を引き裂きながら閃光がほとばしる。イグニスの弓が青い炎をまといサムに襲いかかろうとする。久須那の鳶の瞳とサムの碧眼が一瞬間、擦れ違った。
(……外れる)
(外れた? 狙いが甘かったか!)
 閃きが景色を白さの中に埋没させたとき、矢はサムの遥か後方まで飛んでいった。それは本当に外れたのだろうか。無意識のうちに外してしまったのではないのか。久須那は僅か数秒のうちに様々なことに思考を巡らせた。再び辺りは正常の明かるさになり、コントラストを取り戻す。
「久須那の雷術はそんな程度ってことは、イグニスの弓がメインって訳」
 まだチカチカする眼を従えて、サムは剣を地面から引っこ抜いた。
「うん……? 姿が……見えねぇ――な」
「おいらはここにいるじぇい」声につられて足元を見ると縦に少々引き伸ばされた感じのちゃっきーがいた。「ちょぉぉぉっとしんどいけど……」
「いや、てめぇに用事はねぇんだ。どこでも好きなとこへ行ってろ」
 サムは少しばかりの焦燥感を味わっていた。久須那の気配は完全には消えていないから、逃げたのではないだろう。そこでサムはフと思い出した。天使は姿を消すことが出来る。実際、そんな天使になど会ったことはなかったが、久須那のあの性格を考えたのならそうなのだろう。色々と雁字搦めのようだから、獲物をみすみす逃がしたりするはずはない。
(また、めんど〜くせ〜ことになったもんだ。このまま逃げちまおうか?)
 厄介な敵に出会ったものだとサムは思った。でも、だからと言って負ける気はしない。姿を消してもそれ如きにサムは惑わされない。視覚に頼るからそんなみっともないことになるのだ。サムは瞳を閉じて集中力を高める。“目”ではなく“心”で感じる。所詮は無になれないわけだから、どこかに気配は残ってしまう。久須那はどこにいる。
「姿を消せるって豪語したところでな、透明にはなれねぇんだ。視覚を惑わすだけだ」
 言葉を飛ばして揺らぐ気配を探り出そうとする。が、そう易々作戦にかかる久須那ではない。
(ちっ! 乗ってこねぇか 他になんかねぇか?)
 少し、考え事に気を取られた瞬間を狙って矢がうなりを上げて飛んできた。弓引く手と、鋭さに険しさの宿った瞳がちらりと見えたような気がしたが、すぐにどこかに消えてしまった。そして、サムによけられた矢は後ろの草むらを炎に包み込んでいた。
「おーお、すげぇ威力……。やっぱ、森を出てきて正解だったか。あそこで一戦繰り広げたら、森なんてなくなっちまうだろうね」
 それを見ながらしばらく考え込むと、サムはおもむろに構えを解いて佇んでしまった。このまま、姿の見えない相手と対峙していても仕方がない。ならば、久須那が痺れを切らすのを待ってみる。炎術は出来ればあまり使いたくない。大きな術を使えばどうしても痕跡が残ってしまうし、手加減が利かない。かといって剣も困った。詰まる所サムは協会の天使にしては珍しい久須那に興味が湧いてしまったのだ。
(エリート・久須那は油断してくれるかな? 怪我させないで捕まえられないか……)
 と、サムの背後で常人では聞き過ごしてしまいそうなカサコソと微かな物音が聞こえた。どうやら、サムの思う壷らしい。サムは全く気付かぬ ふりをして正面を向いたまま。剣の使い手、サムでも流石に剣対弓ではやりずらかったし、しかも相手は空を飛ぶものだから間合いをなかなか詰められない。ならば、この接近は千載一遇の大チャンス。
「おっと、動くと弦がお前の首を絞めるぞ」
 久須那の声がしたかと思うと、弓を頭からすっぽりかぶせられてしまった。なんかよく判らないが、非常に好ましくない状況であることは間違いない。
「……俺なんぞ、無傷で捕まえようとして一体どういうつもりだ? Wantedは生死問わずだったがね。協会の連中に限っては死んでるほうが理想的♪ って感じだだったけど。久須那は違うの」
「わたしは連れ帰れと言われただけだ。それ以上のことは越権だ」
 割りと淡々としている。が、それが地なのか演技なのかはいまいち判然としない。
「こんな変則的なのものありなのか?」
「……」伏せ目がちに沈黙。ちょっとだけ自分の信条に叛したところがあったらしい。
「――答えてくれないか。……じゃ、こんなのはいかかが?」
 サムの手を捕まえて、枷をはめようとした瞬間、久須那に隙が出来た。枷をかけようとした手がぐいっと引っ張られる。
「あ……」久須那は思わず弓から手を離してしまった。姿を消そうにも、術を使おうにも手遅れ。
 サムが九十度身体を回すと、ちょうど久須那とサムは正面で向き合った。至近距離。久須那がホンの少しだけ顔を上げれば、すぐにサムが見える。
「は、放せ!」真っ赤な顔をしてわめいた。
「ふっふっふ。そんなに嫌がらなくてもよいではないか。今宵はわたしがっ!」
「お呼びでないぞ、ちゃっきー」
 久須那にジャンピングアタックしようと飛び上がったちゃっきーにサムの膝蹴りが炸裂した。
「むぐ〜ぅ。失敗したナリよ」そのままぺちゃんと地面に崩れ落ちる。
 冷めた目線でその様子を見届けると、今度はニヤリとした含み笑いを久須那に向けた。
「な、な、何をする」うろたえてしまって視線が定まらない。「あ、その、そ、それだけは許してください」見ているほうが可哀想になってきてしまう。「あの、やめて……」
 サムは静かに、そして、無慈悲に首を横に振った。
「そのままだったら、久須那はまた俺を追ってくるだろ? それに……、俺に絶対服従の天使ってのが一人欲しいとこだったんだよ」悪魔の微笑み。
「えっちぃ!」ちゃっきーが茶々を入れる。「この前ジーゼを手込めにしたばかりなのに、も〜次の娘に手ぇ出すなんて。いい年ぶっこいてお盛んなのね? 流石、剣技より寝技の方が得意! の困ったちゃん」一度口が動きだしたら止まらない。
「やかましい! このませガキ」
「ちゃっきーはガキにあらず」
「じゃ、チーズケーキの腐ったのでいい」サムは投げやりにちゃっきーの相手をして久須那を見た。「どんな時も油断は禁物ってことさ。まさか、こうやられるとは思わなかっただろ?」
「な……。納得できない。こ、こんな負け方があって、たまるかぁ!」
「これで“天使の輪”は晴れて俺のものってワケだ。そして、久須那も俺のもの!」
 サムは久須那の頭上に黄金色に輝くわっかに手を差し出してそれをそっと持ち上げた。それを取り上げられると言うことは、天使にとっては支配力の交替を意味していた。
「じゃ、早速、七人目の彼女ととーひこーしません? 旦那」
「どう? ちゃっきー。似合ってる?」
 サムはちゃっきーの戯言に耳を貸さず、自分の言いたいことを言う。どこぞのファッションショーよろしく天使の輪を頭に乗せて、くるりとその場で一回転して見せた。
「じぇんじぇん」ちゃっきーは首を横に振り振りする。「まるでバカみたい」
「バカですか……。では、ちゃっきーには……輪投げの的にしかならんな。やめだ」
「ふっふっふう。的で結構。ホラ、投げてみんしゃい!」
「詰まらん、却下」
「お前は何故、わたしに情けをかけた」
 サムとちゃっきーが馬鹿をやっていると、すっかり意気消沈してしまった久須那のポツリとした囁きがサムのところまで届いた。サムはそれをしっかりと周囲の雑音から聞き分け、答えた。
「女を虐める趣味はねぇって言ったろ?」
「男だったら殺したのか?」
「へ! 無差別殺戮好みのシオーネと一緒にしてもらっちゃ困るね。必要とあれば殺したかもしれないがね。てめぇを殺すわけなんざどこにもねぇんだよ。それじゃ、不満なのか……」
「不満じゃないけど……」十分すぎるくらい不満そうに見えた。
「生きてるってことだけで意味があると、てめぇなら判ってると思っていたが」
「それは――判っているさ」
「なら、今度は協会から離れた自分が何をするためにいるのか考えてみたら……?」
「考えてみたいことは色々あるんだ。でも……」よりいっそうシュンとしてしまった。
(でも……、なに?)気になったけれど敢えて問わない。
「ま、俺は協会みたいに可愛い天使を束縛しておく趣味なんてないから“輪”は返してやるし、枷は外してやるよ。鍵はポーチの中か? だから、どこへでも好きなところへ行け!」
 サムは久須那にかけた枷を外して、輪を返した。けれど、久須那への支配力はサムが持ち続ける。それは言わば召喚された天使の宿命みたいなものでどうにもならない。
「じゃあな、く・す・なちゃん。気ままな第二の人生を送ってね」
 久須那は見捨てられては敵わないと思ったのかサムの上着の裾を引っ張った。
「……」
「何だ? 付いてくる気なのか?」
「行く場所がない……」
「はぁ?」
「お前に負けたらから、協会には戻れないんだ。そしたら、この世にわたしの拠り所なんてない」
 久須那は夕暮れに行き場を失った子供たちのように話していた。
「何食わぬ顔して戻れないのか? それか、俺とは戦わなかったし、会いもしなかったことには出来ないのか?」
「……そんな嘘をつくなんてわたしには無理だ……」
「なら、元の世界に帰りな」冷たく突き放した。
「帰れない。一度呼ばれてしまったら、帰る術はない」
 迷子の子供のようだと久須那は思った。どうしようもないほど情けなくて、悔しかった。
「お前が! お前が大人しく付いてきたらこんなことにはならなかった!」
 理不尽な言い分だということは百も承知だった。こんな思いがほとばしるのは何故だろう。絶対的な勝利への自信が崩されてしまったせいだろうか。あんな子供だましの罠にかかって負けた屈辱のせいだろうか。
「何を言いだすかと思えば。……だが、負けちまったもんはしょうがねぇだろ?」
「……お前を追わなくていいなら、何をしていいのか判らない」下を向いて小声で言った。
「――それが自由ってやつだ。判るか、久須那。これからてめぇの行動を決定するのは協会じゃない。久須那がすることは自分で全部決めて進んでいくんだ」
「まぁた、カッコ付けてるね。懲りないで、女ったらしのクセしてさ!」
「うるせぇ!」
「何を決めて、何をしろという? わたしにはもう何にもないんだッ!」
「ホントにそう思うのか? その弓は? その翼は? ……ただの飾りだったのか?」
「……」久須那は答えない。「自由って何なんだ。教えて欲しい……」
「さっき、考えてみたいことがあるって言ってたじゃないか」
 久須那は静かに首を横に振った。
「そんなのは時間潰しのくだらないことなんだ」
「何もしない自由ってのもあるんだぞ?」
「――そんなのは嫌だ。何かしたい! 何もしないなら教会に縛られているのと同じだ。それは嫌なんだ。折角、ここに来たのだから……無為には……」
「何を……そんなに怖がってる……?」
「判らない……。ただなんか、心に空白が侵食してくるようで……」
「それは抜け落ちた協会の支配だろ? そこにはてめぇのしたいこと見付けて突っ込んでおけばいいんだ。なぁに、慌てなくてもそのうち見付かるさ」
「じゃあ、したいことを見付けるまで付いていってもいいのか?」
「はぁ?」素っ頓狂な声が出てしまった。
「ケケッ! いっぱい食わされたな。サム」
「腐ってもエリート。頭脳戦じゃ勝ち目ねぇよな……」
「腐ってません。へこんでるだけです」
「どっちもおんなじようなもんだろが! ま。へへっ! そんだけの減らず口が叩けるのなら大丈夫だな」サムは久須那の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「Hey,hey、ミスタークソ野郎。あつ〜い恋人たちに横恋慕の天使たちがたくさ〜ん見えますぜ」
 ちゃっきーが示したエルフの森を方角を見ると、空の一角に数十名ほどの天使の集団が視界に入った。彼らは剣を持っている。イグニスの弓使い・久須那とは少し格が違うようだ。それに自らの使命に欠片の曇りもないような従順な僕のような死んだ精気に欠ける瞳?
「いや、俺、ちょっと隠れさせてもらうわ。久須那ちゃん、てきと〜に言い包めて、ね、ね?」
 天使の大集団を見て怖じ気づいたわけではなかった。久須那とその捕らえるべき相手のサムが話し合っているところを見られたら、久須那の立場が悪くなると思ったのだ。協会には帰れないと言うものの、無駄 にその関係をこじれさせることはないだろう。
「判った……よ」サムの配慮に感謝すべきなのだろうか。久須那は考える。
 自分がサムに破れたことは既に協会の知るところになっているのではないだろうか。だとしたら、失敗を取り繕う余地はない。問答無用で査問会。下手をしたら、そのまま処刑場行きかもしれない。久須那はそんな仲間の姿を幾度となく見ていた。
「だが、イクシオン」
「これからはサムと呼べ」どこか姿を隠せそうな場所を探しながら、サムは言った。
「……サム。わたしはお前を売るかもしれないのだぞ、何故、そんなに信用している?」
「お前はそんなことしないさ。瞳を見ていれば判る」
 頭隠して尻隠さずの状態でサムは言う。とても格好悪いけど、仕方があるまい。
「……ありがとう……」この場合、これが適切な言葉なのかはいまいち判らなかった。
 と、天使の一団がすたっすたっと久須那の前に舞い降りてきた。サムを心配して振り向くと、さっきまでいた場所に痕跡すら残さずに消えていた。まるで、久須那がずっと独り芝居をうっていたかのように。ちゃっきーすらも見当たらなかった。
「久須那か……」その一団の長らしき天使が辺りを見回した。「イクシオンは……?」
 それのジトッとした視線が久須那にまとわりついていた。久須那は俯いて避けようとした。
「炎術の痕跡が見えるな。……ふん? その顔は負けたのか? それとも、イクシオンを逃がしてやったのかな?」
「そ、そんなことは……」顔を上げて言葉の主を見れば、その目は久須那を蔑んでいた。自分はホンの欠片ほども信用されていない。サムは会ったばかりの、しかも、敵だった相手を疑うことの知らないかのように久須那と接してくれたのに。
「イクシオン! そこらで見物してるんだろう。出てこい!」
「あ、……イクシオンなんてここには……」焦りのような逸りは隠せない。
「ふん」悪辣な笑みを浮かべて、近くの茂みを眺め回す。「出てこなければ、貴様の大切な久須那がどうなっても知らんぞ」
「わっ、わたしは……」カッとなって久須那は怒鳴った。
「お前の言葉など聞く必要はない。裏切り者め」鋭い視線が久須那を狙う。
“裏切り者”その言葉は久須那の耳の奥にしばらくとどまった。自分が誰かにそう口走っても、自分がそのように言われる立場になろうとは思いも及ばなかった。
「うるさい! お前たちにわたしの気持ちが判ってたまるか!」
「判る必要はない。……お前は用無しになったのだ」
 取り付く島もなく冷徹に久須那の援軍となるはずだった天使が言った。
「ち、違う! わたしは協会の命に叛いたわけでは……」
「イクシオンに負け、情けをかけられて、それでいて叛いていないと言うつもりか?」
 久須那は悔しさの視線を長に向けていた。
「やれやれ……、久須那は嘘をつくのが下手なんだね」見ていられなくなったのか、近くの茂みから、サムは頭をボリボリと掻きながら姿を現した。「今度は、きちんと嘘のつき方を伝授してやるから。様々な状況に合わせてテキストが十冊あるからしっかり暗記するように」
 誰も聞いちゃいないけど、サムは得意げになって久須那に講釈していた。
「イクシオン、貴様か? わたしの可愛い部下をたぶらかしたうつけ者は」
「う〜ん、それも可だな。じゃあ、今日からは俺の可愛い部下ってことでお許し願おうか」
 サムは天使の長を嘲笑しながら、丁寧なお辞儀をした。
「断る。……久須那、イクシオンをこの場で始末できたら許してやってもいいぞ」
 嘗ての久須那だったら、それは願ってもない申し出だったに違いない。しかし、それも今となっては苦悩の種に過ぎない。協会につくのも、サムにつくのももはや自由。
「久須那……。きっちりと目を覚ませよ。そいつはお前を利用したいだけだ。……てめぇが一番協会の汚ねぇやり口を心得ていたんじゃないのか?」
「くっ!」判らない。まだ、判らない。何を選んでどこへ行けばいいのか。
「逃げるのか、久須那? 召喚してくださったシオーネさまに恩を仇で返すつもりか」
「呼ばれたくて呼ばれたわけじゃない! 違う。わたしはこんな“狩り”をしたくてここに来たんじゃない。シオーネさまの言う通 りにしたら世界はより良くなると信じたから」
「……エリート気取りの久須那からそんなセリフが聞けるとは思ってもみなかったが」
「久須那を捕らえよ! シメオンに戻れば査問会が待っている」
「さ、査問会」久須那の顔色が青くなった。「そ、それだけは……」後ずさりする。
「――用事があるのは久須那だけか。じゃ、俺は帰ってもいいのね」
「そんなわけあるか! イクシオンも捕らえよ!」
「てめぇらにゃ、冗談も通じねぇのか? 何を楽しみに生きてるんだこいつら。ま、そんなのあとで考えりゃいいや。オラ、久須那。ボサッとしてないで逃げるぞ!」
 サムの声が聞こえたと思った瞬間、天使たちを火焔が襲っていた。その衝撃に久須那は我に返り、困惑しきった顔、潤んだ瞳をサムに向けた。
「逃げるって、どこへ! お前だって知ってるだろう。協会は地の果 てだろうと追ってくる。もうダメだ。逃げ切れないに決まってる!」
「じゃあ、てめぇだけ査問会に行ってきな。俺は大瀑布だろうが、空の果 てだろうが、行けるとこまで行ってやるね。醜く足掻いてそれでもダメだったとき、初めて諦めろ! 何もしないうちから諦めるなんてさいて〜だね」
「う……」思わず変な声を出してしまう。「そ、それは……」
「ふん〜。じゃあ、逃げたもん勝ちだ!」そう言うと、サムは久須那の腕を引っ張った。「目くらましの利いてるうちにさっさとずらかっちまわないとすぐに追いつかれる」
「え? え?」
 久須那は目を白黒させて驚いた。こんなことは経験したことはない。男に腕を引っ張られての逃避行。少しだけロマンチック? 久須那は男に手を握られたことなんか初めてだったから、その白い顔がまっ赤っかに染まってしまった。恥ずかしいの。
「結構、うぶなのな。く・す・なちゃん」朗らかに笑いながらサムは言った。
「う、うるさい! しょうが……ないだろ」
「ははっ。可愛いよ。そんな仏頂面って言うか、こわばった顔しないでいっつもそんな顔見せて欲しいね」サムは横目で久須那を見ては楽しんだ。
「そんな、はしたない」
「はん! はしたないもんか。それでいいんだ。それで、俺を連れて飛べるか?」
「うん……」
 自信なげに久須那は返事をした。翼を広げ天を見据える。飛ぶときはいつも一人。誰かを連れてとんだことなんてない。だけど、サムとならどこへまでだって行けるような気がする。久須那はサムの手をとるとニッコリと微笑んだ。そして、地面 を軽くポンと蹴って、翼を広げた。
「うわ、ちょっと、速すぎ! 息出来ねぇ。手加減。手加減しろ、このォ〜」
 飛べた。サムの身体は重たいけれど、飛べない人間を抱えて飛べないことはないんだ。と、同時にサムにいつの間にやらしがみついていたはずのちゃっきーの声が小さくなっていくのが二人の耳に届いた。
「あ〜れ〜。こんないたいけなあたいを置いてゆかないで〜。そんな殺生な〜」
「あ、ちゃっきーが飛ばされた。……あれは……、ま、どうにかやるだろ、あいつは」
 それから、天使・久須那と人間・サムの少し変わった逃避行が続くのだった。

「全く、コケにされたもんだ」
 サムの放った炎術のために、すっかりススだらけになった天使たちは咳き込んだり、真っ黒になってしまったり大変だった。怪我人が出なかったのは幸いというべきか、それとも、サムは最初から手加減してきたのだろうか。
「ゲホゲホ、やつらを逃がしてもよいのですか?」
「構わんさ」腕組みをした天使が言った。「逃げられる場所など、ない……。ま、寿命が二、三日伸びたくらいでは何も出来ないだろうし、どうせ最期だ。久須那の好きにさせてやれ」
「はぁ、まぁ、ジングリッドさまがそうおっしゃるなら……」