12の精霊核

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07. altar for leona(玲於那の祭壇)

 テレネンセス。北東のエルフの森に守られた小さな街。その郊外にサムと久須那は姿を現した。あれからまだ幾許の時も経たず、お昼にも程遠い時刻。リテールの田舎町、テレネンセスではのどかな時が刻まれる。秋口にもまだ遠く、過ごしやすい季節。
「うう。えらい目にあった。毎度毎度あんな調子じゃ、高所恐怖症になっちまう。サムとあろう者が高いとこ恐〜いじゃ、様にならんだろが久須那。少しは手加減しろ!」
 サムは久須那と向き合ってぎゃんぎゃんと喚いていた。
「やだっ!」久須那はまるで懲りないいたずらっこの爽やかな微笑みを浮かべた。
「やだぁ〜??」
「フフ、冗談だ。次からは気を付けるよ」
「次があれば……ね」急に素に戻って静かにサムは言った。
「え……? 聞こえなかった。もう一回!」
「うん? 久須那はかわいいな♪ って言ったんだよ」ニンマリ。
「だから、そう言う冗談はやめにしてくれ。わたしは真面目に言ってるんだ!」
「俺だって本気だ。これが法螺吹いてる顔に見えるか?」
 顔は真面目そうに見えるけど、目が笑っている。とっても楽しげな無垢な喜びのような。
「……見えるから言ってる」
「はは、やっぱり?」サムは手を頭の後ろ手組んで空を見上げた。
「何がやっぱりなんですかぁ? 確信犯のクセに……」
 サムが久須那をからかうのはすっかり定番になっているようだった。それでいて久須那は特に悪い気はしないのだが、サムに認められていないような気持ちがしてそれだけが淋しかった。
(天使が……ここに何の用だ?)
(まて、その前を大股で歩いてるの……あれは王国騎士団のやつだったよな?)
(イクシオン?)
(リテールのヒーローとまで言われた男が、何故、天使とともに歩いている?)
(教会へ行くのか? 曲がらずこの道を行けば……)
(シェイラル司祭さまにお伝えせねば)
(ここは玲於那さまの聖域。あの男や他の天使どもにこの地を踏みしめる資格はない)
 街に分け入って進んでいくと、時折、刺すような視線が二人を襲った。それはあからさまな敵意。隠そうなどという気持ちは少しもないようで、とても居心地が悪い。それがサムがテレネンセスを嫌がったわけなのだと久須那は思った。けれど、それなのにどうしてここに来なければならないのかまでは今の久須那には理解できなかった。
「久須那、俺から離れるなよ」
 凍てつく視線はより強く。反感は奇異な緊張感を生みだして、微細な空気のうねりを作り出す。晩夏の暑さが嘘のように、凍える寒さに取って代わる。
「わたしはやっぱり、街の外で待っていたほうが……。街の人に要らない動揺を与えているよう」
 協会の天使は死の象徴だった。天使が空から舞い降りれば、瞬く間に街は廃虚。リテールで十二天使といえば、悪魔より悪魔的な響きを持っていた。無論、久須那はその中の一人。だから、久須那はひょっとしたら自分のせいなのではと思った。
「ね、サム」久須那はサムの肩にポンと手を触れた。
「……久須那。もっと、よく感じてみろ」厳めしい不機嫌な顔をしてサムは言う。
「……?」久須那は束の間、きょとんとした。「感じてみる?」
 久須那はしばらく沈黙した。街の人たちの向ける目線はどこを見ているのか。誰に敵意を向けているのか。剣呑な雰囲気、反感の矛先は……サム? それが何故なのか久須那には理解できなかった。邪教徒と協会に追われる身だとしても、市井の民にはほとんど関係のないことのはずだった。
「サム……。お前、この街で何をやらかしたんだ?」
「てめぇは何だと思う?」サムは苦笑いを久須那に見せた。
「何だと思うと言われてもな。わたしはまだ、サムのことをよく知らないし……」
「そうだな……」ふっと遠い目線を空に向ける。「いつまでも黙ってるワケにもいかねぇだろな」
「?」
「だが、この話は教会に行ってからだな。ちょっと、この雰囲気はいたたまれない」
「な、何だ? ジングリッドさまの言っていたことと関係があるのか?」
「無関係ではないんだろうな……」沈み込んだ暗い声色だった。
 ジングリッドが知っていてサムも知っていること。それで、久須那の信頼を裏切るような事実。それはサムの思い当たる範囲でたったのひとつしかなかった。だけれど、何故ジングリッドはまるで自分が見てきたかのように喋っていたのか。
「……ホントに八ヶ月なのか? あれは……二年以上も昔のことだ……」
「わたしは……! うそは言っていない」にわかに自信なさげになった。「協会の記録では八ヶ月前、銀白の月五日にシオーネさまが召喚したと……されている」
「公式記録ね。そんなもんどうとでも出来る。……久須那の記憶に出て来たのが八ヶ月前の間違いじゃないのか? どこの馬の骨とも判らぬ やつをいきなり天使長にするとは思えない」
「でも、わたしは協会を信じるしかなかった」
「そうだな。そうだ……」
 瞳はただ正面だけを見詰めていた。よそ見はしない。サムにとっては生まれ育った懐かしい街のはずなのに、全くと言っていいほど感傷に耽らない。サムはまるで逃亡者のようにテレネンセスのメインストリートを久須那を連れて駆け抜けていく。
(サム……。何か……とっても淋しくて、可哀想だ……)
 サムと久須那は街から少し離れたところにある教会の扉をノックした。ささやかな林に囲まれて、街中とは違う穏やかな雰囲気に包まれていた。ホンの小さな教会。協会本拠、シメオンの大聖堂に比べれば、ほとんどないのに等しいくらいだった。
「ここがレルシアさまの生家? でも、協会が恐れるには物足りないような……」
「見た目だけを重視すると痛い目にあうぞ?」
「でも、別に何があるようにも……。何かがありそうなフィーリングもないよう?」
「確かにないよな。じゃあ、強力な結界か神通力で閉ざ、って言うか隠されているとしたら?」
「これでもわたしは天使の端くれだ! バリアとかあったら判らないわけはない!」
「そんな怒るなって。バカにしているわけじゃない」
 天使らしくない天使。サムは近ごろ、久須那をそんな目で見るようになっていた。ずっとずっと、天使は感情のないものだと信じていたのに、天使も人と大差ないんだと思い出させてくれたのは久須那だった。
「中に入れば判る。ここは『協会であって協会じゃない』ってことに……ね」
 サムは横目で久須那を見ながら、教会の大きな両開きの扉を開いた。平日のこの時間、礼拝堂には誰もいないようだった。オーソドックスな造りで、万人が抱く教会のイメージだろう。協会十字の後ろ側には美麗なステンドグラスが目に入る。
「シェイラル司祭は居るか?」広い礼拝堂にサムの声だけが殷々と響いた。
「誰もいないのか?」
「いや――、おかしいな。ものけのからにするはずはないのに……?」
 サムが歩くと板張りの床が悲鳴を上げた。それは数年前にここに来たときと寸分も違わない。ある種、時の流れから置いていかれたような不思議な場所だった。変わるのは“人”だけで他には変わらない。サムのセピア色になりそこねた思い出もここには転がっていた。
「どなたですか?」聞き覚えのある声と一緒に、銀縁眼鏡の男が奥の部屋から現れた。
「今更、どちらさまってこともないんじゃないのか? シェイラル司祭」
「イクシオンですか。やはり、来てくれましたね……」
 シェイラルのサムを見る瞳は穏やかだった。他の敵意剥き出しの住人とは一味違うようだ。
「エルフの森のドライアードさまの話を聞いてくれたのですね」
「いいや、会わなかったぞ。と言うより、会えるはずがないだろ。空から来たんだ。……? って、おいッ! 何でドライアードが森から出て、ふらふらしてるんだ。ジーゼはどこ行った?」
 噛みつきそうな勢いでサムはシェイラルを問い詰めた。その大声にびっくりしたのか、久須那は礼拝堂の見物をひとまずやめてサムとシェイラルのいる方に駆け寄ってきた。
「ジーゼ……。懐かしい名前ですね」それでも、シェイラルは温和な表情を崩さない。
「懐かしい名前……?」サムはちょっぴりの間、考え込んだ。「ジーゼに会ったのはこの間が初めてで……以前に会ったことはないと……?」
「覚えていませんか。それとも彼女がイクシオンの記憶を封じたのか」
「サムが悪さばかりしていたからか?」珍しく久須那が茶々を入れた。

『せーれーさまに名前を考えてきたんだ! だって、せーれーさまとか、ドライアードさまじゃ、あんまりだろ? ねぇ。だから、俺、一晩寝ないで考えたんだ! なんて名だと思う?』
『……さあ――?』
『ジーゼ……。ジーゼって言うんだ』
『ジーゼ――?』
『エスメラルダ古語の方言でね、“穏やかな情熱”って意味! ぴったり……だろ?』

「ちっ、違うだろ! ジーゼはどこ行ったんだ?」両手で机をバンと叩き付けた。
「うろたえなくてもいいのですよ。判っていましたから」うんうんと頷かれてしまった。
「だ? 誰がうろたえているんだよ」
 もう、シドロモドロでどうにもならない。隠そうと思えば思うだけおかしくなる。嘘は得意だけど、自分のこととなるとからっきしダメだから自分に腹が立つことこの上ない。
「ハイハイ……。ジーゼでしたね?」サムは頷いた。「変な毒小人とともにアルケミスタの方へ」
「毒小人? ちゃっきーと一緒か?」
「へ〜いい? 誰か、どこかの女ったらしがおいらのこと呼んだ?」
「女ったらしいぃぃ? 俺を色情狂呼ばわりするとはいい度胸してるな。誰だ」
 と、風きり音が聞こえるくらい勢いよく振り向いたが、サムの視界には久須那しかいなかった。
「あれ?」
「下を見てご覧なさい」
 司祭の言葉に視線をおろすと、そこにはちゃっきーのようなそうでないような奇妙なほど透明感のある変な物体が転がっていた。サムはしゃがみ込んでまじまじと見詰ると、おどけたりする。
「あら、いや〜ん。そんなに見詰められたら蕩けて床の隙間から流れ落ちちゃう〜♪」
「……。真剣な話にこいつは邪魔だ。ちょっと待ってろ、捨ててくる」
 シェイラルと久須那にそう言い捨てると、サムは扉をおもむろに開け放った。
「ちぇっ! もしかしたら〜って思って、分裂してあげたのに。おいらを捨てたら、ジーゼちゃまは永遠に行方知れずのまま。それでもいい〜のかな〜??」
「そんな心配は要らん。てめぇのコトだ。宇宙の彼方にぶん投げても帰ってくるだろ?」
「あ〜ら、奥様ったらよぉく御存知で。でも、きょおは影が薄いから判んな〜い!」
「俺は奥様じゃねぇ〜んだよ」
「あ〜れ〜。おいらっていっつもそんな役回りなのね」
「多分そうなのだろうさ!」首筋をムンズとつかまえたまま放り投げた。「全く、どこでもここでも無作為に現れるなってんだ!」
 少しだけ気の晴れたような顔をしてサムは二人の元に戻ってきた。
「今日はあれが一緒だと話がもつれそうなんで捨てた」特に悪びれる様子もない。
「はぁ……、それで、そちらさまは……?」
 シェイラルはようやく、サムの後ろからくっついてきた天使が何者なのか問えた。
「あぁ、初対面だったのか?」サムは面倒くさそうに頭をボリボリと掻いた。「――協会レルシア派きっての頭脳派天使・久須那さま……だったんだけどね」
「何だ、その『だったんだけどね』ってのは」サムを見上げて脇腹に肘鉄を喰わす。
「あ〜、レルシアの大のお気に入りの天使さま。お話はレルシアからかねがね……」
「初めまして、久須那と言います」意外なことを聞かされた気がするが、そこは平常心。
「あ、初めまして、シェイラルと申します。……ですが、腑に落ちないことがひとつ」
 シェイラルの瞳は久須那から離れてサムの顔の上でハタと止まった。
「ちょっと色々あってな。何か、気が付いたら一緒に旅することになっていた」
「色々ですか。……天使を射止めるとはなかなかあなたも侮れない」
「か〜、どうしてこう、どいつもこいつもそんな発想しか出来ねぇんだ! 違うっての」
「悪い意味じゃないのですけどね。それにあなたは昔から精霊の類に好かれるたちのようですし」
「精霊にねっ! どっちかというと協会の性悪天使により好かれてるような気がするけどね」
 サムはそっと久須那を見た。ちょうど久須那は好奇心に負けたのか、祭壇裏のステンドグラスのところまで歩み寄ってるところだった。当然、シメオン大聖堂にはそれより、壮大かつ豪華な壁画や装飾品があるのだが、そんなものより質素なそれに久須那は魅かれたようだった。
「ええ、勿論、それを含めてですよ」シェイラルはニコリと微笑んだ。「そして、久須那の支配権はあなたが持っている――」
「流石は司祭さま、だね。けど、そんなののどうのこうの以前の問題だぜ、あれ」
「見た感じ、そうでしょうね。『わたしにはイクシオンしかいない』という、何と言いますか、思い詰めた風の空気がありありと感じられます」微笑みは絶やさない。
「……この協会十字……。よく見ると左右が逆になってる……」
 久須那の震えるような声色がサムとシェイラルの間に割って入った。それはパッと見たくらいでは判らないくらいの微細な差異のはずだった。
「よく気が付きましたね。今まで、それに気付いた人は誰もいません」
「おっさん」
「おっさん……?」シェイラルは存外ショックのようだった。
「あ〜、じゃあ司祭さま」何故だか、少々気恥ずかしい。「そお言う細かい話は後にして、済まんがホラ、あのことを話してやってもらえないか? 久須那に」
「あのこと?」訝しげに問い返した。
「二年前の、ホラ、嵐の夜……」
「玲於那のこと、ですか」
「れ・お・な……?」サムとシェイラルは久須那の顔色が変わったのを見逃さなかった。
「ああ、れおなだったな。玲於那。――久須那と同じでイグニスの弓使いだった」サムは疲れ切ったような含み笑いを浮かべていた。「あいつがいたから、この街は生き延びたようなものさ。誤解やら何やらがいっぱいで事実がひん曲がって伝わってるけどね……」
「気が付けば、イクシオンが玲於那を殺したことになっていましたね」
「ああ、実際、俺が殺したようなものさ……」
 久須那の知らないサムの過去。ずっと、知られないようにしていたらしいのに、急なサムの心変わりの訳が久須那には判らなかった。
「解せないって顔だな、久須那」サムは久須那の瞳を見詰めて、フッと綻んだ。「だが、てめぇがここまで来ちまったからには話さないわけにはいかないのさ。そお言う約束だった」

 街は完全な闇に閉ざされていた。深夜。しかも、歴史上類を見ないほどの豪雨。大きな雨粒が容赦なく家々の鎧戸や、石畳を打ち付けていた。時折、上空で巨大な光が閃き、程なく雷鳴の大音響が街中に響く。それからまた、雨音だけを残して静寂に帰する。
 パシャ、パシャ。カッカ。玄関ポーチの下に入っても、雨に濡れた衣服は重い。濡れた髪の毛を軽く搾って深呼吸をする。ドンドン。寒さに震えの止まらない手で扉をノックした。
「司祭さま、ここを……」透き通るような高い声。
「玲於那……ですか?」
「はい、急いで。追っ手が来ます。エスメラルダの騎士たちが」
「近くには誰もいませんね?」
「ええ……」
「では」ギギギ……。錆びた蝶番が耳障りな音が聞こえた。「さ、早く、見付かると厄介です」
 たたっと、玲於那は扉の内側に飛び込んだ。そして、司祭は周囲をザッと確認するとそっと、ホンの小さな音でさえ聞こえるのがはばかれるとでも言うかのように扉を閉めた。
「それでどうなったのですか?」振り返ると、間髪入れず司祭は問う。
「交渉は……」玲於那はクッと口を結んで俯いた。「残念ですが……。決裂です」
「だろう? 国王陛下は臆病なのさ」
「イクシオン!」招かざる客が現れたと言いたげにこわばった顔を声に向けた。
「何だよ。二人揃って化け物を見るような顔して。――ここに来るときは国家の犬じゃねぇって言ってるだろう? 魔法騎士団団長さんは今はOFFなの。ここにいるのはただのイクシオンだ」
「信用しましょう、玲於那」
「いえ、信用に足りないと思ったわけでは……」
「いいよ、いいよ。そんなに無理しなくたってさ。ど〜せ、俺はエスメラルダの犬ですよ」
 こうなればただの駄々っ子。誰が何と言おうとしばらくはこのままつーんとしているのがお決まりのパターンだった。それを見かねてため息交じりに司祭は言う。
「放っておけば、直に機嫌は治りますよ」
「へっ、つまんね〜の。それで、シェイラルさんと玲於那さんはどうするつもりだったんだい?」
 シェイラルと玲於那の視線がイクシオンの上に止まって、気まずい沈黙が訪れた。
「ここら辺りに協会の天使が逃げ込んだはずだ! 捜せ!」
「魔物を召喚しても構わん。出てこんのなら、街ごと消滅させてもいい。国王の御許可がある」
 そんな物騒な声も礼拝堂の扉越しに微かに届いていた。街の人たちのどよめき。馬の嘶きなどが重なって、深夜の街が真昼よりも遥かに大きな喧騒の中に叩き込まれた。
「……俺がいねぇと、やったら元気だな、副団長のやつ……」
「感心している場合ですか」
「わたしが出ていけば……」玲於那は悲壮な決意を胸にして扉を開けようとした。
「待て」イクシオンは玲於那の肩に手を置いて引き止め、真摯な眼差しが玲於那を捕らえた。「てめぇを殺してもいいのは俺だけなんだよ! 勝手に殺されに行くな」
「だったら、どうしろと!」無茶苦茶な論理なのに何故だかおかしな説得力があった。
「俺がやつらをぶっ潰す。それで、いいだろ?」
「いけません」
「だが、てめぇは弓をとらねぇだろ? 今のてめぇは喧嘩しにこうって面 じゃねぇもんな」
「イクシオンこそ死ぬ気でしょう」玲於那はきっぱりと言い放った。
「可愛くね〜の。だからもてないんだぞ」
「わたしはお前のそお言うおちゃらけたところが嫌いだ!」
「呑気に喧嘩なんかしないでくださいよ!」シェイラルはホトホト困り果 ててしまったようだ。
 ダンダン。突然、雷鳴にまじって扉を激しくノックする音が聞こえた。
「ここに天使はいないか? いるのは判っているんだ。開けろ」
「退け……」先程の怒声の後ろから他の声が届いた。
「な? 何者だ、貴様ぁ。我々に背くことはエスメラルダに――」
「貴様に用はない。死にたくなくば、退け」ドスのきいたとても低い声だった。「全軍撤退し、テレネンセスには近付くな。それでもぎゃあぎゃあ喚くのなら天使兵団が相手になる……」
 その声は確かにそう言った。雨が地面を打ち付ける轟音に掻き消されよく判らなかったが、扉の向こうから聞こえてきた。騎士団を撤収させてそいつに利益があるのか理解できない。
「あれは何だ?」耳を澄ませてみても、しばらく雨音以外聞こえなかった。
「きょ、協会の天使長だ……。何故、わたしの居場所が……」
「うん? 造作もないこと。二進も三進も行かなくなったときの玲於那の居場所は……協会図書館やレルシアのところでなければここだろう?」
 何故、ここに玲於那がいると判ったのだろう。と、閂が折れた。同時に扉が勢いよく開き、壁にぶちあたった。三人の視線は一斉に玄関ポーチの人影に釘付けになった。雷雨を背景に翼を持った人影が見える。天使。逆光になっていて顔形は判らない。しかし、玲於那には既に恐怖の対象として瞳に映っていた。
「ホウ! なんだその目は? 我が協会に謀反を企てておいて、その顔か……」
 声だけが礼拝堂に殷々と響く。天使長は薄暗い礼拝堂で玲於那の表情までも読み取っていた。
「謀反などではありません」凛とした張りのある声。
「では、何故、エスメラルダのアホどもに追われている?」その瞬間光の加減か、天使長の眼が煌めいて見えた。口元を微かに歪めて、ほくそ笑む。
「そ、それは……」
「てめぇは何だ?」たまりかねて、玲於那を遮りイクシオンが怒鳴った。
「――活きのいいのが紛れているようだ、エスメラルダの犬か。シェイラルもいる……。フン、今宵はレルシア司教はいないのか……」蔑みや哀れみのまじった冷ややかな視線。その瞳は沈黙する一同を見回すと、再び、玲於那の上に舞い戻った。「消えてもらおう、玲於那」
「!」声にならない恐怖。それが玲於那の全身を支配していった。虚無を見詰めたまま面 を上げることすら出来ない。天使長が吐き捨てるように言ったその言葉は消滅を意味していた。
「へっ。協会の天使ってのは皆こんなに横柄なのかい?」
 目の玉だけがイクシオンを見た。
「ヒーローを気取りたいのならもっと相手を選ぶのだな」
 発せられた語と同時に途方もない圧力がイクシオンを襲った。予期していなかった攻撃の手にイクシオンは礼拝堂の入口から数十メートルは離れた祭壇まで吹き飛ばされた。
「イクシオン、無闇に挑発するのは危険です」
「も〜、おせ〜んだよ」めちゃくちゃになった祭壇の裏側から無傷な声が届く。「しかし、だからってな、玲於那を見殺しにしていいわけないだろ? ゆ〜じんとしては」
「そうか、お前は玲於那の友人なのか……」天使長の目はしばしイクシオンを睨め付けた後、玲於那を向いた。「いい友人を持ったようだな、玲於那? だが、人間如きでは……」
 もうダメなのかもしれない。玲於那は思った。ホンの少しでも時間があったのなら、エスメラルダ国王を味方に引き込む自信はあった。あと僅かだけ、協会の不実が明るみに出ていれば、魔法騎士団は玲於那とレルシアの味方のはずだった。
「あんたよりは遥かにましだ!」
 玲於那は言葉の矢を放ち、それから、イグニスの弓を背後から引っ張り出して構えた。
「それで……形勢逆転。わたしに勝てるつもりでいるのかな?」
 玲於那は目を閉じてふるふると首を横に振っていた。こうなれば、ただこのことにレルシアがかんでいることを少しでも悟られてはならない。そうでなければ、協会の未来が闇に沈んでしまう。
「では、そろそろタイムリミットだ。明け方までにはシメオンに帰りたいのでね」
「勝手に帰ればいいだろう」イクシオンは悪態をついた。
「その状況でも減らず口を叩けるとは大したものだ。それに……用事は済んだ。帰るよ」
「!」
「待てよ、てめぇ。玲於那にかけた魔法を解いて行け。それなら、許す!」
 天使長は魔法を使った素振りなど全く見せなかった。つまりは、お話しながら必要な呪文の詠唱。それは言霊を用いないだけにより高度な技術が要求される。無論、利点は相手に悟られにくいこと。イクシオンも得意の炎術なら多少は出来るが、それも呪文の短いものに限られた。
「心配するな。お前はまだ、生かしておいてやるから。裏切り者には死の鉄槌を……。それは協会に限ったことではないと思うが、団長どの? 隠されているかそうでないかの違いだけだろう」
「何っ!」目くじらを立てる。
「やめましょう、イクシオン」玲於那は天使長に喰ってかかろうとするイクシオンを止めた。
「てめぇは往生際がよすぎるんだよ。もうちょっと、こ〜、あ〜、執着出来ねぇのか!」
「……」玲於那は無言で首を横に振った。「失敗したらこうなると覚悟はしていました」
 有無を言わせない玲於那の口調にイクシオンは沈黙するしかなかった。ムスッとした機嫌の悪い顔をして、天使長の前から引き下がった。今のところ、玲於那を怒らせたらイクシオンなどこてんぱんに伸されてそれっきりにされてしまうのが落ちだった。天使長どころの話ではなくなる。
「ありがと、イクシオン。レルシアが一目置くだけあるよ」
「へっ! 礼を言われても褒められても嬉しくねぇや」腕を組んであっちを向いた。
(消されるのはてめぇだってのに何でそんなにフツーでいられるんだ……)
 口には出さないけれど、イクシオンは思っていた。しかも、術者は目前にいるというのに。
「イクシオンの言いたいことは判っています。でも、いいですか? ここでわたしと天使長がやりあったら、この街どころか、リテール全域がなくなってしまう……」
 天使の戦いとはそう言うもんだ。ちょっと前に誰かに聞いた。魔力対魔力の激突。しかも、魔力の塊みたいな彼らに遠慮はない。同族同士の争いに下手な加減は自らを滅ぼす。
「じゃあ、俺には何もするなと……?」激情がほとばしる。玲於那の言うことはイクシオンにまるで“人であることが限界”と仄めかしているようで気に入らない。
「そうは言ってません。イクシオンが出るのは今じゃなく、まだ先のことだと思ってます」
 納得できる理由ではなかったが、イクシオンはぐっと堪えた。玲於那がそう言うのなら、イクシオンは従うほかなかった。ずっと昔、玲於那に初めて会ったときからの理のようなもの。敵わない。だから、イクシオンは強くなりたかった。
「悔しそう……だね。だけど、今、イクシオンに死なれると困ります」玲於那はニコリと微笑むと、イグニスの弓をイクシオンに手渡した。「お前を慕って付いてくるヒヨッコ天使にこれを渡しなさい」
「ヒヨッコ天使? ……俺には玲於那以外の天使の知り合いはいねぇんだよ」
「時が経てば判ります。黙って持っていなさい」
「――そいつが弓使いだって保証はあるのか?」イクシオンは渋々弓を受け取った。
「それが……あるのですよ」儚い微笑みがイクシオンを見詰めていた。
 どこに。そんなことを問っている暇はなかった。玲於那の身体が足元から透き通 ってきて、風景に溶け込もうとしている。それなのに、玲於那本人はとても落ち着いていて微動すらしない。
「さよなら、シェイラル。あなたと出会えて良かった……」
 そして、玲於那の身体は虚空に溶け込んで、残ったのはイグニスの炎の魔力だけ。今宵の有りとあらゆる出来事は雷鳴轟く嵐の夜の幻のよう。ただ、壊れた扉の向こうには激しい雨が降っていて、時折思い出したかのように空から閃光が舞い降りた。水飛沫が礼拝堂の床を濡らす。
「こんなことってあってもいいのですか」シェイラルもそれだけ言うのが精一杯のようだった。放心したように壊れた扉を眺め、雨音を聞いている。「玲於那は協会の正常化を推進しようとしただけです……。それもが粛清の対象になると、言うつもりなのですか!」
「なぁ、シェイラル司祭……」力なくイクシオンは声を出した。「ホントに……玲於那はここに来ていたのかな。何もないし、誰もいない――。玲於那がここにいただなんてウソで――」
「夢を見ていたのだったら、よかったですね……」
 シェイラルの言葉。少なくともそれはイクシオンの見たものは紛れもない事実だと言っていた。

「それで全て終いです」
 それから、教会は静寂に包まれた。誰も口を開けずにいる。ここで天使が一人、消えてなくなった。シェイラルもサムもその場にいて、久須那だけがいなかった。不思議な感覚。自分が信じていた協会はそんなにも矮小で卑屈だったのだろうか。おおらかに心温まる教義はどこに……。しかし、いつの頃からか久須那の抱いた疑問と同じだった。
「――わたしは裏切らない……。ジングリッドさまの言ったようには……。逃げ出さない」
「ハァ〜。初対面の時のようにカッコいいね。泣き虫じゃない久須那なんて久々」
「茶化すな!」
「茶化していない。俺は本気だ!」
「――傍から見ているとけっこう面白い漫才コンビですよね」
「なぁ?」二人同時に、厳めしい顔をしてシェイラルを睨んだ。
 サムはまだどこかに楽しげな表情を見え隠れさせていたけれど、久須那は本気で怒りだしそうだ。ここでちゃっきーの一押しがあったなら、シェイラルと口論になったことは確実だ。
「はは、まあいいさ。司祭さま。地下の祭壇、見せてもらえるかい? 玲於那から預かったあれを……久須那に渡したい」
「構いませんよ。では、二人ともわたしに付いてきてください」
 シェイラルはふわりとした風を身にまとい、二人に背を向け歩き出した。礼拝堂の奥から地下へと続いている階段を下りる。地下と言っても採光用の窓がある半地下だった。一階より、多少暗くはなるが地下室の陰湿なイメージは全くない。
「玲於那の祭壇だ……」サムはシェイラルの開いた扉を続けてくぐりながらポツンと言った。
 そこで久須那の瞳に飛び込んできたものは天使の姿をかたどった神像だった。手には本物のイグニスの弓を握り、瞳はまるで生きているかのように瑠璃色に輝いていた。
「れ・お・な……?」久須那にとってそれは玲於那との初対面ではないようだった。
「そして、ここが『協会であって協会でない』訳さ。皆……玲於那が好きだった。――考えてみればテレネンセスのこの教会で色んなことが始まったんだな」ハラリと涙がひとしずく。
「イクシオン。あなたが泣くとカッコ悪いですよ」シェイラルが耳打ちした。
「うるせって! 俺だって涙見せるときだってある。ほっといてくれ」
「あ、サム。汚いハンカチでよければ……」
「ありがと。って、それは元々俺んだ! 汚くて済まんね、ど〜せ、男独り身、洗濯なんかしてねぇよ。全く、隙を見せればどいつもこいつも揚げ足取りしやがって」
「たまには楽しくていいんじゃないのか?」久須那は面白そうにサムの顔を下から覗き込んだ。
「ま、悪い気はしねぇけどよ……」
「だったらいいじゃないか」
「何かとどめを刺された様な気がする」口で久須那に打ち負かされるとは思っていなかったせいか、サムは心なしかショボンとしているように見えた。
「イクシオン。仲良きことは美しきこと、ですよ」
「そんなこと言われてもね。……さてと、話の腰折られたがぁ、久須那!」
「はい!」
「いい返事♪ これだ。玲於那の使っていたイグニスの弓。これを将来ここに来る天使に渡せと言っていた。そいつも、絶対、弓使いにほかならないとも言っていたぜ?」
 サムは玲於那の持つイグニスの弓を指し示した。炎の弓と呼ばれるが、弓に全ての魔力が宿っているのではなく、使い手の力量 にも影響される。だから、同じ弓を使っても久須那が玲於那ほどの破壊力を出せるのかと言えばそうとも限らないのだ。
「わたしのことなのか?」
「他に誰が使える?」サムの優しげな笑みが久須那に向いた。
「でも、玲於那の弓はわたしには少し大きい」よく観察すると、玲於那の方が幾分背が高いようでその分弓も長いようだった。「それに弓はわたしの一部みたいなもの。取り換えっこは出来ない」
「そんな心配は無駄なようだぜ? ホラ、俺じゃなくて玲於那を見てみ」
 久須那はサムに言われたように玲於那の像を見た。信心深い人間が見たのならそれは奇跡というのだろう。玲於那の握ったイグニスの弓が次第に青白い炎に形態を変え、久須那の方にピッと一直線に向かってきた。それは久須那の眼前でしばらくプカリプカリとまるで久須那を品定めするかのように移ろっていた。
(フフ、やはり、久須那でしたね。人選がレルシアらしい)
 幻聴? 声が脳裏に響いたかと思うと、青白い炎は久須那の弓に呑み込まれるように消えた。
(玲於那の目指した協会……。今なら、判る……)
「……あったかいな」久須那は無意識のうちに自分の弓を抱き締めていた。
「それは仮にも炎の弓だしなぁ」
「物理的には熱くはないぞ。心があったかいんだ」サムをジロリと睨んだ。
「はは、冗談に決まってるだろうよ?」どこか、淋しげで乾いた微笑みだった。
「――。何でもかんでも真に受けると思っていたら間違いなんだからな!」
 サムと久須那がふざけた遣り取りをしている間、シェイラルは玲於那の像をじっと見つめていた。しばらく、一言も発せずに追憶の中。玲於那が始めてシェイラルの前に姿を現した日も、別 れたときも雷鳴の轟いた嵐の日。
「玲於那が……ここに来てもう、三十八年も経ってしまいましたよ……。その間にレルシアが生まれ、孤児だったイクシオン、あなたを引き取った。まるで、昨日のことのようです……」
「――時の引き金とでも言うのかい?」
「としたら、トリガーは玲於那ということになるんでしょうね」
「鏡面十字も、レルシア派の母体も玲於那が作ったんだったよな……」
「ひとつだけ判らないことがある。聞いてもいいか?」申し訳なさそうに久須那は言った。
「遠慮なく」シェイラルが久須那の瞳を見詰めた。
「何故、テレネンセスなんだ。どうしてここから始まった?」躊躇いがちにオズオズと問っていた。「言ってしまったら悪いかもしれないが、テレネンセスのような街は他に幾らでも」
「ないね……」サムは取り付く島もないように言下に下した。「何の変哲もないように思えるがぁ……他の街や大都市と決定的な相異がひとつだけあるんだ」
「玲於那のことか?」
「いや、それはあまり関係ねぇな。玲於那には悪いが……」
「じゃあ……?」久須那はあらぬことかドキドキしていた。「ジーゼの……」
「それも違う。精霊核のあるような場所で協会が回収に二の足踏んだところがあるか?」
「……ない、です、ね」言われてみればそれは確かなことだった。
 サムは久須那からフイッと視線を外し、にわかに真顔になってサムはシェイラルに向き直った。
「司祭さま。重要なことを聞くぞ」
「ええ、どうぞ」特に驚くふうでもなく、自然に答えていた。
「ジングリッドはレルシアが召喚したんだろ? このテレネンセス、この教会で。もう一つ付け加えるなら、玲於那がここでこうなる前だ……」
「――やはり、流石は……と言うべきなんでしょうかね、イクシオン」
「よせよ。そんなんじゃねぇ」掌をひらひらさせて否定する。「あれだけのやつを召喚できる召喚士だなんて一人二人しかいねぇだろ? そして、やつはレルシアのことをやけに気にしている。ジングリッドが本気になりゃあ人間なんて跡形もなく消せるのに、だ。しかも教皇丸め込んでんだ、反主流派の大ボスを消したところで、悶着なんて起きないだろ?」
「でしょうね」手短な感情を交えない素っ気無い答えが返ってきた。
「時期はあてずっぽだが、そうとしか考えられねぇ」
 レルシアがジングリッドを召喚したとしたら、全ての辻褄があうのではとサムは考えていた。ついでに自分を味方に引き込もうというレルシアの策謀にはまっていく気がして腹も立つ。
「では、わたしもそろそろホントのことを言ったほうがいいのでしょうか」
「最初からそのつもりだったんだろ?」
 シェイラルは黙って頷いた。協会がいよいよ本格的に権力拡大を旗印にして動き出している。そろそろここも危険なのだ。ここ何十年も続いてきたエスメラルダ王国と協会の馴れ合いの関係が崩れようとしてる。
「ジングリッドはレルシアが召喚の練習をしていたときに呼んでしまったのです。そうですね……」シェイラルは顎に手を当てて天井を見た。「もう、かれこれ、十五、六年になりますか。その時、イクシオンは既にエスメラルダ王立の学問所に行ってましたから知らないはずです」
「確かに知らねぇな」
「で、でも、ジングリッドさまはシオーネさまに呼ばれたって話だし、記録では八ヶ月前」
「非公式ですから」シェイラルの表情が険しくなった。「当時はレルシアがそれだけの力をもっているとは考えにも及ばず。昔はジングリッドも普通 の天使だったと思ったのですが」
「羊の皮被った狼だったわけさ」やり切れないぜと言いたげなため息が漏れた。「シオーネ程度の召喚士じゃ、十中八九の確率でジングリッドなど呼ねぇしな」
「もし、そうだとしたら、ジングリッドさまはレルシアさまに逆らえないことに……?」
「では、聞くけど、シオーネの意に反した久須那ちゃんはどうなるんでしょ〜ね?」
 片目を瞑ってサムは久須那を見やった。
「は、あ? それは……」口ごもった。
「結局、協会の召喚術じゃあ、天使を完全に傀儡にゃ出来ない不完全なものなのさ。ま、そのおかげで俺はけっこう助かってるよ。でなけりゃ、俺も久須那やジーゼと会う前に御陀仏だったさ」
 何て答えたらいいか困ってしまった久須那はシェイラルに眼で助けを求めた。
「わたしを見詰められても答えは出て来ませんよ」
 シェイラルの朗らかな笑顔を見せられると尚更久須那は困ってしまった。特に困るわけなんてないはずなのに、協会を擁護する立場に回ってしまっているようだった。その短い沈黙の後、サムが唐突に思い出したかのように冗談半分のつもりで言った。
「ジングリッドも堕天使なんだろうさ? 久須那ちゃんと同じで」
「むぅ!」ぷうっと膨れ面。でも、それほど悪い響きでもないなと思ったりもする。「けど、堕天使なんか召喚したって、しようがないだろう?」
「何も召喚できないはずだったんですよ。協会で、一般に召喚に必要とされる魔方陣、小道具などは用意してませんでしたし」静かに、追憶を語るかのような口調でシェイラルは言った。「それなのに、まさか、中級第三隊“パワーズ”に属する天使を召喚するとは……」
「どうしてそんなことになったんだ?」サムは近くにあった机の上に腰を下ろした。
「レルシアの出生のせいかもしれませんね。言霊が強力なら道具は必要ありませんから」
 シェイラルは今まで見せたことのないような真面目な表情で語っていた。
「生来の召喚士か……」サムは腕を組んで束の間考える。「やっぱ、レルシアがいないとジングリッドは倒せねぇな。レルシアがいれば、ジングリッドに異界へお帰り願えるかもしれないし」
 協会の召喚術は不完全で呼んだものを帰すことは出来ない。しかし、言霊が全ての“完全”な召喚でジングリッドが呼び出されたのなら、或いは追い返せるかもしれない。
「ですが、召喚術の反対なんて誰もやったことはありません。うまくいく保証は……」
「いらねぇな」サムは一人でほくそ笑んだ。
「では、言わせてもらいましょうか」少々不機嫌にシェイラルは言った。
「言わなくてもいいよ。そんな便利に出したり引っ込めたりできるんなら、ジングリッドが協会で権威を振りかざしてるはずはねぇ。他になんかあるんだろうな。でも、面 白そうだからいい!」
 嬉々としてサムは言う。何もしなくても、もうジングリッドと一戦を交えることになるのは決定済みだった。だったら、例え無駄 な策略になっても黙ってぼ〜っと過ごすより、手を打ちたい。
「――イクシオンは昔からそう言う人でしたね。ですが、レルシアも頑固ですよ? ジングリッドとやり合う前にレルシアを納得させられますか? 玲於那にてこずってたあなたに」
「へへっ。今回は、力強〜い味方に久須那ちゃんがいる」サムは自信をもって久須那を指差した。
 指の方向にシェイラルが振り向くと、久須那は仏頂面をしてサムを睨んでいた。
「……ですが、そちらは非協力的のようですけど――」
「何?」予想外の久須那の反応に今度はサムがびっくりして振り向いた。
「レルシアさまを危険な目に合わせることはわたしが許さない!」
 久須那はサムにズズイッと寄って、今にも襟首に掴み掛かりそうな勢いで迫った。
「けど、それほど心配するほどでもない――かな……」気圧されそうになる。
「どういう意味だ?」
「レルシア、半分は天使なんだよな……」
「そんな。レルシアさまは人間じゃ……」声が裏返って、途中で出なくなってしまった。
「なぁ、司祭さま。ここまできたら最後まで……いいよな」上目遣い。
「そうですね……、久須那にも知っておいてもらったほうがいいのかも」
 久須那はサムとシェイラルの会話にただならぬものを感じていた。“知らないことは罪”よくそう言うけれど、時に何も知らぬ ほうが楽だっただろうと考えるときもある。
「レルシアは……シェイラル司祭と玲於那の娘なのさ……」
 衝撃的なサムの一言は久須那の耳から永久に消えることはなさそうだった。