12の精霊核

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10. unfortunate sin(不運な申)

「どう考えてもしまったよなぁ。どんな感じの魔物なのかヒントもらっとけばよかった」
 腕を組んで、うんうん唸りながら街道を歩いていく男の姿があった。師匠の言葉を信じて黒い湖の東岸から遥々リテール地方まで足を運んだ。西へ進めば母と会える。今考えると、何でそんな不確かなことだけでここまで来てしまったのか首を捻りたい衝動に駆られる。
「このまま行ったら、もう、アルケミスタだな」
 立ち止まって、街道の分岐点にある感慨深げに木製のささやかな行き先表示を見詰める。北に伸びる街道を上ればキャロッティ。そのまま西へ向かえばアルケミスタに辿り着く。
「しかし、ま、リテールも平和なもんだ。魔物の魔の字もいやしない。と、言うことはつまりそれほど遠くもないところに精霊核を擁する何かがあるわけだ。協会の悪名高き精霊狩りもまだここにはきてないってことか――。じゃ、今日はアルケミスタで一泊だな」
 近頃は男のいた遥かな東方でも協会の名を聞くようになった。異邦のものを好まぬ と言う噂。リテールやその西方など広域を支配するエスメラルダ王国より厄介だという話も聞く。
「ついでに、ここら辺では商売上がったり……か。あ〜どうやって飯食お……」
 それは男にとっては深刻な問題のようだった。頭を掻きながら、ぶつぶつとこれから先、ど〜しよっかな〜と、比較的楽観的な悪態をついていた。

 テレネンセスを後にしてから、何者かに突き動かされるようにしてジーゼは歩いていた。そうしなければ掌からありとあらゆるものが零れ落ちてしまいそう。経年を越えた思いが無になってしまいそうな気がする。辛うじて掴みかけたサムとの絆を断ちたくはない。あれは二回目の出会いだった。今、見付けて会えなければ擦れ違ったまま終わってしまいそうな悲愴な思いがある。
「サム――。会いたい。会ってもう一度話をしたい……」
「え〜。ジーゼちゃまってそんなにサムっちのことが好きなの〜」
 でも、こんなへんてこな相棒でもいてくれるだけで気が紛れるのは確かだった。ただ、その尋常ならざる食欲には参ってしまうが、それ以外には一応害はないらしい。
「すっ、好きなわけないじゃん!」期せずして頬を赤らめそっぽを向く。
「ふ〜ん? すっなおじゃないのね」ちょこちょこちょこちょこと地面 を歩いてくっついてきたちゃっきーは突然飛び上がってジーゼに抱きついた。「う〜ん♪ ふかふかであったかいの〜」
「きゃっ! ちょっと、やめて。も〜」
「い〜じゃん、ね〜。減るもんでもないし。ねぇ。それより、ジーゼちゃまぁ。おいら――」
 そこまで聞いて良からぬ予感がジーゼを襲った。いつものパターンだ。世にも恐ろしいちゃっきーのオ・ネ・ダ・リ。ジーゼは背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じていた。
「き、聞かないからね!」
 半ば絶叫のように声をあげると、ジーゼは背中にしがみついたちゃっきーをムンズと捕まえると、これまたいつだかのように勢いよくぶん投げた。
「あ〜れ〜。ね〜、おいらのブラック・ホールの食欲はど〜してくれる〜」
「! そこら辺の道草でも適当に食べてなさいよ。それがやなら自分でも食べたら?」
 無茶苦茶を言ってるのは判っているけど、ちゃっきーの食欲に炸裂されてはジーゼのサイフが危なくなる。この間の“事件”でジーゼのサイフは重大な危機に直面 していた。旅人たちが残していった僅かなお金がジーゼの唯一の財源みたいなものだから、辛いのだ。
「いや〜、ちょっとばかし、共食いは遠慮しておきたいのね。それにチーズは嫌い……」
「そぉっ! 偶然ね、わたしもチーズは嫌いなの」
 まるで取りつく島がない。いつもと微妙に異なるジーゼの様子にちょっぴり困惑を覚えるもののちゃっきーは気付かないふり。無遠慮にジーゼを畳みかけようとする。
「No, Sir! 好き嫌いはよくねーゼ。喰え!」
「論点、ずれてるんだけど、ちゃっきー。わたしの好き嫌いなんかどうだっていいの」
「じゃあ、オレっちの好き嫌いだってどうでもいいじゃん」
「そ……」素っ気無く返事をしてそれでお終い。ジーゼはちゃっきーに冷たい視線を送ってまたスタスタとかなり近くなったアルケミスタへと歩みを進める。
「ちぇ、つまんない。今日のジーゼちゃまったらノリが悪いくて。あり。お肌の張りも?」
 バキッ。折角、遥々戻ってきたのに早速、ジーゼの鉄拳を喰らってぺちゃんこになる。目が本気で微かにも笑っていないから余程頭に来たのだろう。
「ただ、慣れないことをしてるから、寝不足なだけですぅ〜だ」振り返ってあっかんベー。
「やっぱ、ジーゼちゃまはか〜い〜よね〜」
「お、おだてたって何もでません!」
「今更、期待なんかしてないもんねぇ。それより、早くアルケミスタに行こうじぇえ」
「何か、そう言われると嫌な予感がするのよね……。ちゃっきー! あなたアルケミスタに行ったら、また、食べまくるつもりなんでしょう」
「うけけ? そりはどうかな〜」意味深な言葉を並べて、ちゃっきーはにやける。
「絶対そうです! うちの家計は火の車なんだからそんなこと許さないからね!」
「いえいえ、御安心めされい! おいどん、全自動消火器を標準搭載。どんな大火災も一瞬にて消して見せますわよ〜!」
「でも、サイフの火事はちゃっきーの消火器じゃ消えないんじゃない?」
「あり? よく判ってるじゃぁ〜ん」
「じゃあ、何にも食べないで下さいね!」
 釘を刺されてもちゃっきーには無縁のこと。遠慮、控え目なんてちゃっきーには関係nothingなのだ。本能、食欲の赴くままに行動するのみ。それがジーゼを悩ませる。
「そんなこと約束できましぇ〜ん」
 と、そんなくだらない与太話をしているうちに『アルケミスタ』の立て看板が目に付いた。気がつけば、郊外の小さな農村地域を抜けてより狭い市街へと辿り着いたようだった。そこはテレネンセスに比べれば遥かにささやかな小さな街。
(なぁ、あの十字銃抱いてる怪しい女。何か……雰囲気が――)
(ああ、人じゃねぇ……な、あれは……、ウンディーネ? ドライアードか? ともかく、妖精か精霊の類いだな――)
 街に入ればそんなうさん臭い視線が降り注がれる。それがまた遠くまで来てしまったんだと言う思いをジーゼに募らせる。今考えるとテレネンセスでは好奇の眼差しすら向けられず、空気のように扱われていたような気がしないでもない。あからさまな敵意もなく優しい大気に包まれたテレネンセス。同じリテール地域と言っても明らかに異なる性格を持っていた。
「ねぇ、ジーゼちゃま」ちゃっきーはジーゼのスカートの裾を掴んで引っ張った。珍しく、しおらしく小さな声で元気がない。でも、ジーゼにもその訳は判っていた。
「ここ……嫌い……」
 協会の精霊狩りの影響が端的に現れているのだろうか。街の人々の視線は突き刺さるように厳しく、背筋に寒けが走って通 り過ぎてゆく。この街に長居をしたら狩られてしまう。そんな密やかな恐怖がジーゼの中に芽生えだした。
「ねぇ。ここ、引き返して回り道しよっ?」
「そおしましょうか」ジーゼも不安になってきた。
 どんなことがあってもノー天気だと信じてたちゃっきーが嫌がるのだから、自分が行っていいことなんてこれっぽっちないような気がしてきた。
「な〜んて、おいらはどちらでもよろしいのだよ。いざとなったら野生に帰るし……」
「あ〜、わたしも野生に帰っちゃおうかしらね」
「およ? およよ? ジーゼちゃまがやせ〜に戻ったらぁ……えへっ」
「――えっち……」ポツリとジーゼはもらした。
「あら? まだ、ホンの子供ちゃんなのに随分とおませなのね」
「だ、誰が子供なのよ……」ちょっと不機嫌そうだけど、おすまし顔で言った。
「え〜。齢二百年もない森の精霊・ドライアードしゃまは子供じゃなくて何なのしゃ〜♪」
「し! 知りません!」ちゃっきーから目線を逸らしてつーんとした。
「おう、ね〜ちゃん。何を知らねぇんだって?」
 ちゃっきーとの謎のやり取りに夢中になっていたら、いつの間にかだみ声の見知らぬ 男がいた。二人組でどう見たってジーゼの目には悪徳賞金稼ぎにしか映らない。
「あなた方には関係ありませんから、放っておいたください」
「ところがどっこい、そ〜はいかない。遠慮するなよ、お嬢さん。いいとこ知ってんだぜ、俺たち。な、な。悪いようにはしねぇから」
「あ、でも、そんな、い、いやです。……急いでるんです、放してください」
「そ〜そ〜、下衆なおっさんたち。彼女に構っていたらロクなことがないのね〜。まず、手始めに光の矢がちゅど〜ん。ついで、風の刃が身を引き裂き、さらにさらに驚くな! 蔦があなたの首をきゅっと絞めるので〜す。これ、ジーゼちゃまのフルコース。知ってる〜?」
「なんだ? このちびっちゃこいのは?」顔を見合わせてひそひそ話。
「毒……小人かな。食ったらチーズケーキの味がするとか何とか」
「いや、そんな変なのよりこっちのね〜ちゃんだ。銅貨三万枚だぞ」
「金貨三百枚だ。銅貨三万枚ももらったら置く場所に困る」
「ね〜ね〜、チミたち! 金貨三百枚ってお食事フルコース何食分? へっへっへ。旦那がた。条件によっちゃぁ、おいらが助太刀いたす」
「な、な? ちゃっきーはこんなへんてこな」ジーゼはちゃっきーを睨みながら悪徳賞金稼ぎ二人組を思いっきり指さした。「連中にわたしを売るつもりなの?」
 すると、ちゃっきーは真ん丸オメメをぱちくりさせてキョトンとした。そして……。
「いぇ〜す。だって、おいらの腹の虫のほうが大問題なんだもん」
 そう答えるだろうとは思っていたけれど、言われてみると腹が立つより先に哀しかった。
「ちゃっきー! 後で覚えておいで!」そして、二人組に向き直った。「今なら許してあげるよ」
「許してもらう必要はねぇよ」ほくそ笑みながら男が言った。
「そお」ジーゼは瞳を閉じた。ここでは森の加護はほとんど受けられないかもしれない。
 ぱちぱち。静電容量を越えると電撃が降り注いだ。けれど。ジーゼの雷は何かに当たって蹴散らされた。こんなことは初めてだった。サムでさえ防御なんて出来なかったのに。
「こう見えても俺たちゃ、精霊専門のハンターだぜ。魔法防御の装備くらいはしているさ」
「!」
 自分の森から遠く離れていてはジーゼに勝ち目はないのかもしれない。そもそも、ジーゼの魔力は森そのものだったからその影響は免れぬ ものだった。
「へっへ。観念したらどうだい?」男たちの笑みはジーゼの瞳にはおぞましく映った。
(西に行って最初にあった魔物を助けろ。って言われてもなぁ。故郷を出てからもぉ三週間にもなるってのになぁ〜んにもいないねぇ。どこまで行けば母さんに会える?)
 少年は今夜泊まる宿を探しながらのんびりと歩いていた。夕暮れまでには間があるから茶屋を見つけてのほほんと渋茶をすするのも悪くない。旅慣れているとはいえ、そろそろ背負った薬箱も腰に吊るした剣も重くてなってかなわない。一休みしたところで誰にも文句は言われまい。
(……にしても辛気臭い。前、来たときはこんな閉鎖的な空気なんかなかった、と思ったけど)
「こ、こっちに来ないでください」
(そ〜そ〜、そんな雰囲気を湛えているような気がする。……?)
 少年は周囲をきょろきょろと見回したけれど、そんな会話をしているような人はない。
(俺、幻聴が聞こえるほど疲れがたまってるのか?)少年はおでこを押さえてうつむいた。(幻が見えだす前に身体を休めなくちゃ……)ため息も混じったりする。
「へいへ〜い。そこのターバン巻き巻き箱少年! ちょっと、助けてくんな〜い。うちのジーゼちゃまったら馬力あるくせに気が弱いの〜」
「ターバン巻き巻きって。??? あれぇ?」
 声はすれども姿は見えず。少年はすっかり面を食らってしまってしばらくきょときょとと辺りを見回した。けれども、やっぱり、何も見えない。
「ねぇ、あんた、どこ向いてんのさ。下よ、下」くいくいっとズボンが引っ張られた。
 ズボンの裾を引っ張れて、喋れるこんなちっこい生き物がこの世にいただろうか。不安? もしかして、少年が西に旅立って出会う初めての魔物というのはこいつなのか。下を見たくない。
「うぇぇ。あたいのことを無視する気にゃのねぇ。ま、この際いいや。ねぇん。渋茶好みのおにいさま。あたしはいいから、あっち……ね。冗舌でもパワーバカには勝てないから、さあ。ね?」
「……ああぅ、幻聴にしてはやけに変なリアリティーが」
「だぁから、幻聴じゃないって」それは少年の足にぺっとりとまとわりついた。
「きゃぁぁあ! 触らないで、汚らわしい!」
 今度はキュートな女の子の声が聞こえてきた。どうせ、声をかけられるなら正体不明の声よりも数段ましだ。と、少年の視界によからぬ 光景が入ってきた。道中で初めて見たかわいい女の子だ。
「あ〜っ。ゆっくりお茶も飲めねぇのね。けど、ほっとくわけにもいかないよな」
 少年はまとわりついたちゃっきーのことなどすっかり忘れてズンズンと歩みだした。
「女の子を虐めるなんて最低だな。お前ら!」
「お! 流石、おいらが見込んだだけはあるそ〜ねん剣士さま。カッコイ〜!」
「何だ、お前ら?」だみ声の男が少年の声に反応して振り返った。
「リテールの遥か東、サラフィじゃ、ちょっとは名の知れた退魔師・申だ」
「……そうかい。じゃ、達者でな。退魔師さまに特に用事はねぇんだ」
 名乗ってはみたものの、そんなことは俗に言う精霊ハンターたちにはどうでもいいことだったようだ。けれど、ここで『そ〜ですか』と引っ込んだとあっては退魔師の名折れだ。少なくともこの厳つい男どもをどこかに退かせるまでは申も後戻りをする気はない。
「その娘を放せ。そ〜でないと、後悔するぜ」出来る限りの嫌みな言い方。
「いちお〜女の子の前だからってカッコつけてると後悔するぜ?」そのまま言い返された。
「じゃ、仕方ねぇ〜な」
 申は商売道具の一つ、薬箱を地面に下ろすと、腰に吊った剣を鞘から引き抜いた。すると、剣を抜かれるとは心外だという不服そうな顔を申に向けてこう言った。
「おいおい、これだからよそ者は困るんだ。“狩り”は俺たちの正当な権利だぜ?」
「……リテールでは人さらいにも権利が保障されているんだ」
「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇよ。ガキが。賞金稼ぎだ、俺たちゃよ」
「こんなかわいい娘のどこが賞金首なんだ?」
「全部サ。……? 何だ、判らないのか。こいつ、ドライアードだぜ?」
「どう見たってフツーの人間の女の子に見えるけどね」申は言った。
「はぁ? おめぇ、それでよく退魔師だなんて仕事やってるな。ま、どけや、小僧」
 だみ声の男が申をドンと突き飛ばした。その時、体勢を崩した申とジーゼの瞳があった。緑色の虹彩 。違和感は全然なかったけれど、明らかに人間のそれではない。そして、その瞳は申に助けを請うっているように見えるような気がしていた。
「はは、そっかそうなんだ。だったら、尚、おっさんたちにこの娘を渡せなくなった」
「あ? ど〜いうことだそりゃ」
「困っている化け物を助けなければならないんだ。……俺が本気にならないうちに消えな」
 申は身体の真正面に剣を構えると、瞬間、瞳を閉じた。それから短く何事かを呟くと、鋼色だった剣に何者かが宿ったかのように微かな青白い輝きが見え隠れするようになった。
「おい、魔法剣……みたいだぜ? 相棒」肩を寄せてちょっと相談。
「噂には聞いたことはあるが、本物は初めてだな。しかも、電撃系かな、あれは」
「どうする?」もう一人の頼りなげな男がだみ声の男に持ちかけた。
「対魔法シールドはあっても、……物理攻撃あんど魔法剣だろ?」
「金貨三百枚の割に合うのか」
「……」だみ声の男は目を閉じて腕を組んで、う〜んと唸った。「……逃げる」ぼそっと言った。
「あ? 何だって?」
「逃げるって言ったんだよ! このボケが!」
 と言うが早いかだみ声の男が一目散に走りだした。
「Hey, you! 情けないにも程があるぜ!」ちゃっきーが駄目押しに中指立ててファックユー!
「ハンターを名乗っても、ありゃ、ただのゴロツキだな」額に手をかざして、走り去っていく二人組を眺めて言った。「狙った獲物は逃がさない。そんなプライドの欠けらもないんだな。あれ」
 姿が小さくなるまで見送ると、剣まで抜いたのがあほらしく思えてくる始末だった。申はそんな思いを振り払い、剣を収め、薬箱を背負い直すとジーゼの方に振り向いた。
「さてと……、ケガはないか? 化け物」そう言いつつ、申はジーゼに手を差し伸べた。
 その言葉を聞いて、ジーゼは迷わず申の顔面に鉄拳を喰らわせた。
「な? 何すんだよ! 人が折角助けてやったのに……」
 驚きよりも先に鼻が痛くて、申は涙目で鼻をさすってジーゼを見た。そして、ジーゼの碧眼にうっすらとたまった涙を見付けた。十字型の銃をギュッと抱き締めて淋しそうな瞳がじっと申を見詰めていた。人とさほど変わらないその姿のどこが化け物だったのか。
「わたしは、……化け物なんですか? 教えてください……」
 申は面食らった。ホンの軽いつもりで深い意味なんてそこにはなかったのだ。消え入りそうなジーゼの声は明らかに申に後悔を感じさせるに十分だった。
「いや、特に……、そんなわけはないような――」口ごもる。
「へいへい、に〜ちゃん。か〜い〜女の子を虐めてんのはてめぇじゃねぇのかぁ〜」
「俺は……そんなつもりは……」
「言い訳は見苦しいじぇ〜。それとも東方遊牧民はそれが美徳〜?」
「だぁ〜、判ったよ! キミは化け物なんかじゃない! 可愛らしいドライアードさ」
「ホント?」
「ああ、ホントさ。俺が保証する」
「どぉ〜やって? ジーゼ、ノットイコール化け物って札掛ける?」
「さっきっから、このツチノコに羽生えたようなんは何なんだよ!」
「新たな表現が生まれました。あたいはぁ〜、何の子〜、土の子だよぉ〜」
「黙れ!」
「黙りません。チミはおいらの性癖を理解しておらんようなのだ。まだま〜だ。心の奥底からこのちゃっきーを判っていただくまで黙りません! Are you OK?」
「オーケーなわきゃないだろう! この腐れ外道が!」
「ノンノン! ちゃっきーは腐らなくてもおいし〜よ? まろやかなチーズケーキのお味」
「てめぇなんか気色悪くて食えねぇよ!」
「いやぁ。サムのやつなんて非常食だって喜んで食ってたけどね?」
「そのサムとかってやつと俺を一緒にしないでくれ。俺はこう見えてもナイーブなんだ」
「あら、不細工ってこと?」
「違うって。繊細ってこと!」
「い? 神経質ってこと? あら〜、結構ずぶとそうに見えるのに。実はなよなよ?」
「こいつ、何とかしてくれ! 苦手だこう言うの」
「そう言うときはこ〜してくださいね」
 ジーゼは笑顔でちゃっきーを取っ捉まえると、その細い腕で繰り出せるのかと思うほどの豪速球ばりの勢いでちゃっきーをどっかに投げ飛ばしてしまった。
「は〜ん。すっかり見えなくなった……ね」申は妙に感心していた。
「これでしばらく、二人っきりで話ができます」
「ふっ? 二人きり?」うろたえた。「そ、それはちょっとまずい」
「? 何がまずいんですか」
「い、いえ、緊張感が高まると突然ひっくり返るかもしれないから気を付けなさいとお医者さまから……。あ〜何だか目の前が暗くなってきたかも。心臓もバクバクいってるし」
「ちょ、ちょっとしっかりしてください!」
「あ、もうダメみたい」そう言って申はそのまま後にひっくり返ってしまった。
「……。何なのこの人。――と言うかどうしよう」思わぬ展開にジーゼはオロオロとしてしまう。
「フッ。そお言うときは焦らず、騒がず、お近くの蔦植物のお力など〜」
「うきゅぅう」ちゃっきーに諭されるとは思ってもみなくてちょっぴりショック。
 だけど、ジーゼは精神を集中させて植物の力を借りる。すると、どこからともなくするすると植物が伸びてきて申の足やら、荷物・剣をきゅっと縛り上げて引っ張り出した。地面 をズルズルと少しばかりの土煙をあげて、服の糸くずを残しながら。
「あ〜、どうしてこんなおかしな道連ればかり増えるのかしら」ため息をつく。
「お〜い。そりっておいらのことも入っているのかなぁ」
「あっ当たり前です!」ジーゼは歩く胃袋に悪態をつきつつ今夜の宿を探し始めた。

 大きな湖のほとりに老人と少年が佇んでいた。時刻はそろそろ日暮れ時。辺りの景色もだいぶん橙色の中に沈み込み、次第に黒さに埋没していく。凪いでいる湖面 に映って、ゆらゆらとする陽の光。時折、ちゃぽんと魚の上げる水飛沫が不規則に水面 を揺さぶる。
『申……』白く長い髭の老人、地面に節榑立った杖をついてずっと遠くを見渡していた。
『はい』申と呼ばれた少年は老人の顔を仰ぎ見た。
『西に向かい、最初に救いを求める魔物を助けよ。その後、魔物とともに北へ進み、果 てに辿り着いたとき、母に会うだろう……』
 二人の間にはそのまましばらくの間、気まずい沈黙が流れた。どちらとも口を開こうとはせず、ただ暮れゆく湖面 を眺めていた。そして、老人は黄ばんだ紙切れを少年にそっと渡した。
『……それがお前の両親を探る唯一の手がかりだ。十五年前、寺の前に捨てられたお前のゆりかごに入っていた。捨てたことを許せと、十五年後、このことを告げよと……』
『お師匠さま』
『何だ……? 申』
『いえ――、何でもありません』
『遠慮せず、今のうちに聞けることは聞いておけ』
『いえ……、何でもありません……』
『そうか……。ならば、日の暮れぬうちに出立するがよかろう』

「何で今更、そんなことを夢にみるんだ!」申はガバッと飛び起きた。「……って、あれ?」
「お? ナイト気取りだったけど、ひっくり返ったカッコわる〜なお兄さんがオメメぱっちり」
 ちゃっきーは申の転がっていたベッドから、窓際の応接セットの椅子に座ってうつらうつらのジーゼの膝の上にポーンと飛び乗った。
「ジーゼちゃまぁ」
「うん?」ジーゼは目を擦りながら目を覚ました。「あ。気がついたんだね」
「キミは? ここは?」申はフッと思考の縁の上ったことを無意識のうちに聞いていた。
「いっぺんに聞かないの」ジーゼはテレネンセスで会ったシェイラル司祭のことを思い出してクスリとした。「そう……、わたしはジーゼ。あなたは……?」
「俺は……サラフィの申だ。退魔師と、……一応というかおまけで薬売りもしてるけど」
「退魔師って、何をなさるお仕事なんですか?」天真爛漫に聞いた。
「簡単には悪魔祓って言うのかな。――人間に仇をなす化け物……え〜っと、魔物を祓う」
「そ、それはわたしたちのような精霊も含むのでしょうか?」ジーゼはオズオズと尋ねた。
「え?」一瞬、返答に困った。
 ジーゼの心の奥には申の放った言葉がずっと引っ掛かっていた。サムが森を出ていったわけはホントは協会に追われているせいではなくて、自分が化け物のせいなのでは。不安と淋しさが積もればあらぬ ことを色々と考えてしまって、よりいっそう心細くなってしまう。
「俺は協会公認とかのハンターとは違う。精霊核とかにも興味はないし」
「そうなんですね。少し安心しました」
「だけど、気は許さないほうがいいかもよ? 俺、金に困ってるんだ。キミを協会に売れば金貨三百枚。これから、旅を続けるのには十分な資金が手に入る……」
「……♪ あなたは絶対にそんなまねはしませんよ」
「ど、どうしてそんなことが言い切れるんだよ」
「申の瞳を見れば判ります。それに……」ジーゼの瞳に意味深な輝きが宿る。「協会は異邦人を嫌います。申がわたしを協会に売れば、あなたも一緒に牢獄の中ですよ、多分」
「ぬうぅ。リテールくんだりまできてその有り様じゃあ困るんだよなぁ」
「でしょう? じゃなかったら、わざわざ重たい申を引っ張って宿探しなんてしなかったよ。ここ、みんな、よそ者や精霊には冷たくて大変だったんだから、感謝してよね。そ・し・て、申! そこどいて!」ジーゼは立ち上がってベッドの傍らまで行くと、申をまくし立てた。
「はいはい。どければよろしいのですね、お美しいドライアードさま」申は嫌み交じりに言った。
「今度はわたしが使わせてもらうの」
 ジーゼは申に全く構わず潜り込んでしまった。男が寝ていてどうだとか、生ぬ るいベッドはいやだとか、そんなのはすでに細かいこと。硬い椅子で長い間、微睡んでいたら身体のあちこちが痛くて仕方がないのだ。これなら自分の森の草のベッドの方が遥かに寝心地もよくて暖かかった。
「あっ! それから、申!」急に思い出したようにジーゼは叫んだ。「お宿代、申のつけにしておいたからよろしくね、じゃ、夜も遅くなったからお休み」
「え? な? そんなの一言も聞いてねぇぞ。俺だってたいして金持ってねぇんだから」
 とぽんぽんと肩を叩くものがあった。首をひねって肩の上を見るとちゃっきーが乗っていた。
「ジーゼちゃまの狸寝入りは凄いから、諦めちまいなよ!」
「何だ、チーズ! 三人分……いや、二人かのこ〜んな立派な部屋の泊まり賃を払えるほど金持ちじゃねぇんだよ。商売上がったりだし……。明日から野宿だぞ!」
「へっへっへぇ。チーズたぁ暴言吐いてくれるじゃん? どうせなら、ツチノコの方がいいの〜」
「ど〜でもいいけど、お前、さっきからうるさいよ」
「Yes, sir! そいつがおいらのモットーなのさ。最新サラウンドシステム搭載、および重低音再生専用ウーハー付き超強力騒音発生装置の異名を持つおいらだじぇい?」
 申は止まらなくなったちゃっきーのお喋りにほとほと困り果ててしまった。捨てたいけど、どうもジーゼの持ち物みたいだから勝手には捨てられない。ここは無視を決め込んで、タオルケットをかぶって、毛布を丸め込んで横になったジーゼを揺さぶってみた。
「ジーゼ? 寝た? ホントに寝たの……?」
 返事がなかったので、申は大きなため息とともに肩をがっくりと落とした。このままだとホントに宿代を全部払わされそうな雰囲気だ。あそこで二人きりになったとき気絶しなかったらこうはならなかったのに、と思っても後の祭り。
「じゃ、俺も諦めてそろそろおネムとしますか」申は大あくびと一緒に伸びをした。「そして、俺は硬い硬〜いソファで眠るのですか。はぁあ」
「そして、一晩の宿代ととほ〜もないお食事代を支払うことになるのでした♪」
 当然、そのことを申が知るはずもなく、翌朝、請求金額をみて驚愕する姿をちゃっきーは喜々として楽しみにしているのでした。