12の精霊核

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25. say hello to new age(時は過ぎゆき)

 あれから、一体どれだけの時が過ぎ去ったのだろう。すべての思いは遠く記憶に溶け込んでゆこうとする。忘れたくないはずの思い出さえ風化してゆこうとする。記憶のエネルギーが精霊核の根元。とは言っても、精霊が生きたすべての時を永久に覚えていられるかというと、そうでもない。ジーゼにはそれが悔しくてならなかった。
(久須那……イクシオンはまだ帰ってきてくれないよ……)
 その久須那でさえ、消息が知れなくなって久しくなる。ドライアードの独自ネットワークを駆使してみてもいい情報はまるで出てこない。どうにもならないくらい心配だった。そしてまた、最も信憑性のある情報はジーゼの心をより騒がせるものだった。
(久須那って言う天使、知ってる? 知ってるよね、あなた? 驚かないでね。驚いちゃだめだよ。心を落ち着けて、深呼吸して。大丈夫? 話してもひっくり返らない?)
 確か、聞いた精霊には何度も何度も念を押された覚えがあった。
(絵にされたって聞いた。おっきな絵に封じられたって聞いた――)
(え? だって、だって? え、その誰が何のために?)
(久須那が邪魔だから。わたしが知ってるのはここまでなんだ……)
 森を離れて真相を確かめに行きたい。けれど、今度はあんな偶然が起きるとは思えなかった。あの時は申が助けてくれたから、事なきを得た。だから、久須那を捜しに出てしまったら、二度とこのエルフの森には帰って来られなくなってしまうような気がした。
「サァ〜ム、し〜ん、久須那〜、レルシア〜、司祭さまぁ……。みんな、いなくなっちゃったね」
 誰に言うわけでもなく、ポツリとジーゼは呟いた。最後の日。あの七日の中で最も鮮烈に焼き付いた記憶。サムが死んで、申が自分の腕の中で息を引き取った日。
「たった……七日だった。それなのにこんな淋しいなんて……」
 全ては束の間の夢だったのか。ジーゼの手元に残ったものはほとんどなかった。記憶とサムの微かな温もりと。久須那の千切れた何枚かの羽……。申の薬箱。二人の墓に立てられた剣も錆び付きボロボロになっていたし、木製の十字架はだいぶ昔に土と同化していた。
「皆、本当にここにいたのかしら……」
 ジーゼの夢の中の出来事だったのか。近頃になって、ジーゼはふと思うようになっていた。全ては自分の淋しさが作り出した幻だったんじゃないだろうかと。
「おいらは、まだ、いるじぇえ」
「ちゃっきーは論外なのよ」ちょっとだけ機嫌を損ねたかのようにつーんとしてた。
「論外たぁ、いい度胸してるじゃねぇか、このクソせ〜れ〜め!」
「クソでけっこ〜ですっ! 放っておいてちょうだい」プイッ。
「へぇへ。どーせおいらはお呼びでねぇもんね。じゃ、テレネンセスに酒盛りにいくしかねぇな」
「え、ちょっと待ちなさい、ちゃっきー。そのサイフ……」
「お〜、ジーゼちゃま、お目が高いのねぇ。そりは古の薄幸の美少年より賜った超貴重な品物。世界中どこを探したって見つからない逸品よ」
「いえ、それは……」ちゃっきーに妙な力説をされてジーゼは期せずに及び腰。
「ノンノン、ご安心召されい!」ちっちっちと指を振る。
「だから、それはわたしのサイフなのよ。返しなさい!」なけなしの財産を空っぽにされてはかなわないとジーゼが動く。「あんたの酒代を払えるほど、わたしはお金持ちじゃありません」
「え〜遠慮しなくてもいいのよ」
「遠慮するのはちゃっきーですっ!」
 ジーゼはすばしっこいちゃっきーを自分の手で捕まえるのを諦め、ひゅるっと蔦を伸ばしてとっつかまえた。この間、やられたときには所持金不足で店の主人に大目玉を食らった覚えがあった。わざわざ、迎えに行ってお説教まで聞いかされたのでは割に合わない。理不尽すぎる思いをした。
「そんな底なしズダバッグ胃袋になんか石でも詰めておけばいいんです!」
 サイフを奪い取るとジーゼはつっけんどんな険悪なムードを湛えたまま森の奥へ歩いていった。
「あいや〜。ご機嫌損ねちったみたい……」少し反省気味に頭をぼりぼりとかいた。「でも、そんなこたぁどうだっていいのねん。今宵はジーゼちゃまのツケで朝まで〜」
「なんか言いました?」
「うへぇ、地獄耳だぁ」思わず、目を閉じて肩をすぼめる。
「ちゃっきーの声がでっかいだけです! 全く、人の気も知らないで」
 ジーゼはもの凄く不機嫌になって更に奥へと行った。でも、こんなにも長い時を耐えきれないほどの淋しさ孤独感に押しつぶされることもなく過ごせてきたのも、ちゃっきーの底抜けな明るさのお陰なのかもしれない。
(ここで久須那と初めて会った……)
 森の泉。凛とした久須那の声色。弓引き険しく煌めいていた久須那の瞳。いつここに来ても、背後から久須那の声が聞こえてくるような気がした。振り返ったら久須那が、物騒だけど、矢をつがえて冷めた眼差しを向けているんじゃないかと。でも、淡い期待はいつも裏切られた。
(ねぇ……エルダ。あなたはどう思う?)
 ジーゼは木の枝に座って、泉を見下ろしていた。申と久須那と、おまけにちゃっきーとここに座って夜が来るのを待っていた。みんなと過ごした最後の夜。戦いの最中にあってもちょっとだけ楽しかったひととき。
(……帰ってきて欲しい……。サムも申も、久須那も。ずっとわたしと一緒にいてくれなんて言わないから……。でも――もお、ダメなのかな? 時間、経ち過ぎちゃったのか・な?)
 ため息をついて、ジーゼはゆらゆらと光が乱反射する水面をぼんやりと眺めていた。ずっと変わらない風景。周りは、人の世は忙しなく移ろっていったのに、森は変わらない。もちろん、幼木は大木に育ち、老木は土に帰った。植物相も微妙に変わっていったけど、エルフの森が持ち合わせた雰囲気は昔も今も変わりなかった。
 でも、あの日にこの森から消えたものが一つだけあった。
「ねぇ、ジージェちゃまぁ……。また、泣いてるの? もう、笑顔は見られないの?」
 ジーゼが哀しげにしていると、どこでかぎつけるのかほぼ百パーセントちゃっきーが現れた。
「泣いてなんかいませんっ!」気丈に振る舞う。
「でも〜。オメメが真っ赤っかなの」
「!」ジーゼは慌ててそっぽを向いた。「あ、赤くなんかありません」
 肩が震える。ちゃっきーに隠したってもう意味のないことなのに、それでもつい隠してしまう。そして、同時に何故、自分がちゃっきーのお守りをすることになったのか不思議になる。
「ね〜」
「うるさい。あっちに行ってなさい」ちゃっきーに背中を向けたまま、まだ穏やかな口調で話す。
「おう! うるさいの結構。それでちぃ〜とでもジーゼちゃまが元気になるのなら、それだけで本望よ! で〜、少しは元気になった? ジーゼちゃま?」まん丸オメメで小首を傾げた。
「あっちに行ってなさい。それに動物たちに迷惑でしょ? 静かにね――」
 と、とてつもなく淋しげな口調でジーゼに言われれば、ショボンとして自分の居場所に帰っていく。ちゃっきーだって淋しい。サムがいなくなってから気の合う相手がいなくて、あっちちょろちょろこっちちょろちょろを繰り返す。まるで、根無し草のようにふらふらしていた。共鳴できるパートナーがいなければちゃっきーだってつまらない。
「ちょっとお散歩してくる……」
(ごめんね、ちゃっきー)
 淋しげなちゃっきーの背中を見送りながらジーゼは思った。けれど、大抵あっという間にしんみりとした気分なんてケロリと忘れて、次の日には「Hey! Girl! ご機嫌麗しゅう?」などと変に歪曲した愛情表現ですり寄ってきた。
(司祭さま……。わたしはどうしたら……)
 ジーゼはシェイラルがエルフの森を最後に訪れたときに聞いたことをフと思い出した。

『天使の召喚は禁止されました。こんな哀しいことが二度と起きないように……』
『では、今までに召喚された天使たちは……帰れる・の・ですか?』
『……』シェイラルは静かに首を横に振った。『これから新しい方法を模索します。時間はかかるでしょうが、きっと見つかるはずです』
『も、もし、帰れるようになったとしたら、あの、そのぅ……』
『久須那、ですか』ジーゼが頷いていた。『久須那は帰らないと言っていましたよ。その訳はジーゼ、あなたが一番よく知っているはずです』

 その理由、ジーゼは痛いほどに知っていた。だから、久須那はずっとこの世界にいたかったんだと。けど、久須那が絵に閉じこめられたと聞いたのはあれから一年も経っていなかったと思う。それから、百年もしないうちに“逆召喚”が完成して天使たちはほとんど異界へと帰ってしまった。急進的に野望を実現しようとしたジングリッドが哀れでならなかった。
 天使たちの時間で百年なんて人に例えたら十年にも満たないはずなのに。
 そんなドタバタな百年が過ぎて、それからはエルフの森界隈は平穏な時が流れていった。旅人たちが時々、ジーゼを見つけて簡単な世間話をしていくだけ。その間にも、世界は移ろい混沌としていったのにエルフの森にはほとんどと言っていいほど関係のない出来事になっていた。
「せんごひゃく・ろくねん……か」木の上でフとつぶやく。
 ただ淋しさと哀しみの毎日を繰り返して長い年月が去っていった。
「あの街にわたしをホントに知ってくれてる人はいないんだ……」
 泉からは見ることのできないテレネンセスの方角を向いてジーゼは言った。自分は心のどこかで人間の親友を作るのを恐れている。死に別れだけはもう絶対にいやだったから、臆病になっていたのかもしれない。深い仲になって、自分だけがまた独りだけ取り残される。
 幾度となくそんなことを繰り返してきた。“淋しさと戦うこと”それが精霊核の傍からあまり遠くに行けない精霊、自分の宿命みたいなものだと諦めたこともあった。でも、待ち続けたって何も変わらない。それはあの時に学んだはずのことだった。けれど、そんなことにハタと気がついたのは比較的最近になってからのことだった。
(……やろう。もお、遅すぎたかもしれない……けれど、やってみよう――)
 涙で潤んだジーゼの瞳の奥に明るい煌めきが帰ってきた。ジーゼは身軽にひょいと枝から飛び降りて、もと来た方へと戻っていく。この道はいつか来た道。まだ、覚えてる。夜目を利かせて、泉から広場に抜けたり。久須那と一緒にエルダの精霊核を泉の畔に運んだときもそうだった。
『久須那は――これからどうするの?』
『わたしか? わたしはレルシアさまと協会に戻ろうと思う』
『それから?』
『それから? う……、あまり考えてないな、けど、協会が落ち着いたら旅をしてみようかと思ってる。せっかく、サムのくれた“自由”だからもっとあちこちを見て歩きたい。そしたら、また、ここに帰ってくるから――、どんなことがあっても』
 その時、久須那が自分よりも遙かに大人に見えた。何だかんだ言っても久須那は強い。でも。
(ウソつき……。どんなことがあっても帰ってきてくれるって……)
 ジーゼはその途中に作られた二人の墓に立ち寄った。いつも手入れはしていたけれど、経年には耐えられない。錆び付いた剣だけが二人の証だなんて哀しすぎる。いや、この森と自分の存在が二人の存在証明だったのかもしれない。
 再び、ジーゼは静かに静かに歩き出した。
 そよ風がジーゼの頬をなでていく。長い髪の毛がふわっと透き通るように宙を舞った。ジーゼはそれをなれたように手櫛でさっとまとめ上げた。
(思い出は思い出に。これからはこれから……)
 新しい決意を胸にジーゼは広場に入った。ここで新しい自分を始めよう。この森にすっかり居着いてしまった“哀しみ”を払拭したい。ずっと昔々の楽しかった雰囲気を取り戻したい。そんな思いを胸にジーゼは深緑の自分の精霊核の前に立った。
 そして、そっと優しく見上げた。
(……あなたはわたし。わたしはあなた――)
 けれど、それは一つと一人に別れたときからそれぞれ全く別の存在でもあった。精霊は精霊核に依存するが、精霊核は単独でも存在する。精霊核をぼんやりと見つめたままで、もにゃもちゃとした曖昧な思いがジーゼの頭の中を吹き抜けていった。
(けど、ずっとあなたが憎かった……。あなたさえなければわたしは自由だったって何度も考えた。でも、あなたが生まれなかったら、わたしもここにはいなかった)
 と、不意にジーゼは動き出した。迷いを含んだ決意が確固たる意志に変わる。
(――わたしの精霊核から“娘”を作る……。ねぇ、だから、いいでしょう? エルダ……。あなたの力をわたしに貸して……。わがままかもしれないけど、お願い……)
 ジーゼはずっとポケットにしまい込んでいたエルダの欠けらを取り出した。そのエルダの精霊核はもうだいぶ前に崩壊して霧散してしまっていた。だから、ジーゼの手元に残ったのはホントの欠けら。申がアルケミスタで手にした水色の欠けら。
「みんなの思いをそっと集めてみたい……。だから、力を……」
 ジーゼは目を閉じてギュッと欠けらを握った。
 そして、ジーゼは深緑の精霊核にそっと手を触れた。取り出すのは精霊核に刻まれたサムと申の記憶。ちゃっきーはいるけれど、一人はもういい。独りきりのやるせなさはもういらない。だから、思い立った。サムや申の暖かさを持った“子”を生み出したい。
(名前は、もお、決めてあるの)
 しかし、うまくいくかは判らない。シェイラルの封印と同じでこんなことをやってみようと考えたのは初めてだった。危険かもしれない。でも、やめたくない。エルダの魔力を触媒に自分の精霊核の一部を切り取って新しい精霊を生み出す。
(うまくいく。絶対にうまくいく。失敗を考えちゃいけない……)
 ジーゼは深く息を吸った。そして、フォレストグリーンの精霊核を両手で優しく抱き留めた。(思い出して……。もっと、もっと、小さかった頃のやんちゃボーイ。そして……無意識に森に足をのばしてくれたサム。――アルケミスタで格好良かった申……。一本気でとっても優しかったみんなの思い出を一つに集めて……)
 と、不意に精霊核が一際明るく輝きだした。脈動するかのように光が動いていた。それはやがて激しさを増し周囲を白さの中に呑み込まれていく。ジーゼの見慣れた緑色の風景が白い闇に埋没していく。こんな経験はジーゼにも初めてだった。
 でも、もうやめるわけには行かない。精霊核は既に分離を始めていて途中で止めることはかなわない。失敗だったとしても最後まで実行しなくてはならなかった。そして、やり直しはできない。ジーゼの精霊核から分離させようとしたのは“サムと申への思い”何か不測の事態が起きてしまったら、小さく結晶化して精霊になろうとしているそれは粉々になくなってしまう。しかも、チャンスは一度きり。精霊核の中にサムと申への思いは“一つ”しかなかったから、失われたらもうそれはジーゼの中に曖昧に残る記憶だけになってしまう。
 ジーゼの額から汗が零れ落ちた。ゆっくりゆっくりと精霊核の下の方から小さな“雫”のようなものが成長していき、やがてそれはジーゼがひょいと抱けるくらいの大きさの“まゆ”みたいな不思議な物体になっていた。ジーゼはその“まゆ”を抱き上げて草むらに腰を下ろした。
(この娘には……辛い、淋しい思い出だけは作らせたくない……)

*** 更に十年後 ***

「ジーゼ! ホラ! 早く早く。約束の時間に遅れちゃうよ。せぇっかく、デュレとセレスが来てくれるのに。遅れたら悪いよぉ」
 走りながら後ろを向いて、ジーゼに話しかけるかわいい女の子がいた。鳶色の瞳と金色の腰まで伸びた長い髪。ポニーテールを大きな青いリボンで縛っている。
「こら、よそ見しながら走るんじゃありません! 転んだらどうするのっ」
「へへ〜ん。大丈夫だよっ! クリルカには頭の後ろにも目がついてるのだ」
「嘘おっしゃい。この間、すっころんでび〜び〜泣き散らしたのは誰だったけな〜?」
「う……。そ、そんなこと知らないもんね〜」
 ジーゼに口答えして、そのまま元気いっぱいに木々の間を軽快に駆け抜けていく。
「あ〜っ! ジーゼ、約束の時間過ぎちゃってるよぉ。どぉしよっ! セレスはルーズだからどうだっていいけど、デュレは捻くれ几帳面だから。くどくどくどくど、長〜いお説教が始まっちゃうよ。クリルカはヤダ! ジーゼが聞いてあげてよね?」
「わたしだって聞きたくありません」
「じゃあ、急げ〜」クリルカは更にトトトと元気よく走っていく。
 緑でいっぱいのエルフの森を駆け抜けて、テレネンセスからつながる街道筋に出る。昔はシメオンまで延びた森抜けの街道も今ではエルフの森を越えてすぐ近くのピスティでぷっつり途絶えた。
「ほぉら、ジーゼっ! 来た、来ちゃったよぉ」泣き出しそうな声色。
「あ、あ、な、泣かないで、クリルカ」何故だか、ジーゼの方がより深刻そうに慌てていた。
「だあって、ジーゼを捜しに行ったから、おもてなしの用意が何もできてないんだもん」
「あわわ。わたしがお手伝いしてあげるから、落ち着いてね、ね?」
「落ち着くのはジーゼでしょ?」遠慮なくビシリと言い当てる。
「あ、あら?」口元に押し当てて思わずキョトンとしてしまった。
「あれれ、ま、いいや、クリルカ、お店に行ってるから、デュレとセレス、連れてきてね」
「はいはい……」
 クリルカを泣かせないようになだめようとしたはずなのに、何故だか自分がなだめられてる。ついでにジーゼにしてみたら、クリルカがこんなに元気あふれるお転婆娘に育ったのか謎すぎて仕方がなかった。確かに、彼女の元にあるサムも申も元気なほうではあったけど、ジーゼの中では微妙にイメージが合わない。でも、クリルカが元気っ子なのはジーゼの救いになったのは違いない。
 と、そこへ遠くから金髪の快活そうな女の子(?)が勢いよく手を振りながら近づいてきた。矢筒と大きな狩人用の弓を背負っていた。
「あっ! ジーゼ、ジーゼぇ!」
「こらっ! セレス。はしたない。全く、これだからあの娘は……」
 無邪気にはしゃぐセレスの後から悪態をつきながら、もう一人、女の子が歩いてきた。セレスのブロンドとは対照的に漆黒の髪と瞳。
「まあ、デュレ。今日はお祝い事ですし、大目に見てあげましょうよ……」ジーゼがなだめる。
「でも、ジーゼ。あの娘、一体いくつだと思ってるんです? あれじゃ、クリルカと変わらないじゃない!」デュレは遠慮なしに思いっきりセレスを指さした。「セレスってあれで二十……」
「デュレ! な〜んかよくない噂してない? あたしが二十……いくつだとか……。あん? い〜ですか、デュレ。あったしはお肌ピッチピチの十代なの。いいこと? デュレ」
「全然っ、よくありません! お肌の曲がり角なんてとうに通り過ぎちゃってるくせに。なぁ〜に言ってんだか、この娘ったら」大きなため息をついてデュレは頭を抱えた。「何でこうなんだろ。ついでに、どうして、わたしがこの! じゃじゃ馬のお守り役なの〜?」
「だぁれがじゃじゃ馬だってぇ?」片目を細めて憤慨中。「あたしがじゃじゃ馬だってんなら、デュレなんか冷血女! いえ、そもそもデュレに血なんてもの流れてなかったけ?」
 意地悪な笑みを浮かべてセレスはデュレを挑発していた。
「あ〜、結局、セレスはわたしにケンカを売ってるのね? 血気盛んで懲りない娘。この前、魔法でコテンパンにされたことを忘れちゃったのかしら?」デュレは自分の頭をつんつんと指した。
「わ、忘れてなんかないもん。も、もしかしたら、今日は勝てるかなぁ、なんて」もごもご。
「って言うかねぇ、どうして、あんたはあたしを目の敵にするのさ」
「それはこっちの台詞です! ことあるたんびにケンカを吹っ掛けないでください」
 こうなってしまってはジーゼには手の施しようがなかった。ここに賑やか好きのちゃっきーが何の気なしにひょんとでも現れようものなら、この世の地獄が展開する。
「あたしがいつ、ケンカを吹っ掛けたってのさ」
「今です、今、たった今!」デュレは今にも地団駄を踏み出しそうだ。
「ほうっ、どこに証拠があるってんですかぁ?」
「……」デュレはセレスの挑発に乗りそうなのを賢明にこらえていた。もう一押しあったなら、とんでもない闇の魔法を辺りに炸裂させてしまいそうだった。
 と、そこへとってもいいタイミングで、クリルカが店からひょっと顔を覗かせた。
「あれ〜? デュレとセレス、またケンカしてるの?」
「そお、みたいですね……。でも、ホラ、ケンカするほど仲がいいって言うし……」
 ジーゼは二人を止めていいのか悪いのか、複雑な表情で見つめていた。
「なぁかがいいってどういうことよ? ジーゼ!」
 顔をつきあわせていがみ合っていた二人の視線がいきなりジーゼをとらえた。
「あたしたちはねぇ、ひっじょうに仲が悪いの! こんな捻くれたのと同類にしないでくれるっ」
 セレスは腕を組んでプイッとあっちを向いてしまった。
「何をカリカリしてるんだか、セレスったら。だいたい、今日はここまで口げんかしに来た訳じゃないでしょう。所期の目的を忘れたんじゃあないでしょうね?」
 その問いにセレスは勢いよく首を横に振った。
「忘れてなんかないよ」声がひっくり返った。「魔法の呪文を忘れても忘れない」
「じゃ、言ってみなさいよ? 今すぐ!」デュレは思いっきりご機嫌斜めだ。
「あの〜。クリルカの十回目のお誕生日をお祝いに来たの……」
 自信なげな上目遣いでセレスは言った。
「それとっ!」
「えっ??」セレスの瞳が瞬間、まん丸になった。「ふ、二つもあったっけ? う、あ、いえ、何でもありません。あの、ちょ、ちょっと待ってね」そして、セレスはうんうん唸りながらしばらくの間、本気で考え出した。デュレは呆れ果ててしまって逆にしばらくポカンとしていた。
「ジーゼにお話を聞きに来たんでしょ!」今度はデュレが憤慨する番だった。「全く、セレスは楽しいこととか、遊ぶことばっかり覚えてて、肝心なこと全部抜けちゃうんだから。これだから、みんなが困るんです!」
 デュレは腕を組んで、セレスに冷たい視線を向けた。見るとセレスがちょっとだけしおれてる。
「でも、ま、人並みはずれた勘と集中力だけは最高なんだけどな……」
「でしょ、でしょ!」セレスの顔がぱっと明るくなった。
「あはっ! もお仲直りしちゃった」クリルカが大きな眼を更に大きくしてパチンと手を叩いた。「じゃじゃ、早くお店に入って。入れ立ての珈琲が冷めちゃうよ。それ飲んで一休みしてから、ジーゼと森に行ってね。あ、お昼のお弁当も用意しなくちゃ」
 クリルカに誘われて、みんなで店の中に入った。こぢんまりとしたお店。それほど広くはなくて、お客さんが十人も入ったらいっぱいになってしまいそうな広さだった。入口の正面にはカウンターがあって、その裏でクリルカが既にニコニコしながら待っていた。
「そ・れ・と、いい? ジーゼ。ちゃぁ〜んとパーティまでには帰ってきてよね?。もお、暗くなってから森中を捜し回るのはいやだからね!」
「大丈夫だよ、クリルカ。今度は小うるさいデュレがいるから!」
「小うるさくて悪かったですね。おねぇさま?」幾分の嫌みを込めてデュレが言った。
「う、いえ、その別にそんな悪い意味で言ったつもりはないんだけどなぁ〜」
「それが悪い意味でなくて何なんです?」デュレが詰め寄る。
「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて……」ジーゼが二人の間に割ってはいる。
「いえ、ここで甘やかすとセレスのためになりません。ここできっちり締めておかないと」
「にゃにぃ。それってあたしのためじゃなくて自分のためじゃないの?」すっかりけんか腰。
「当たり前です」きっぱりはっきり言ってのけた。「こんなのを野放しにしておいたら後々困ります。ここは今のうちにすっぱりと……」デュレは意地悪そうに微笑んだ。
「……何か切っ掛けがあったらすぐにケンカ始めるんだね。この二人……」クリルカがカウンターの向こうから呆れたように眺めていた。「ね、ジーゼ。……あ」
「――いい加減にしなさい! 二人とも! 仲がいいのはいいですけどね、少しは周囲の状況を考えなさい。全く、デュレもセレスも大人げない。今度、わたしの前でケンカを始めたらお小言だけじゃすませませんよ。そうねぇ、雷でも派手に……」ちょっとだけ意地悪。
「ひぃ? そ、それだけは許してね?」本気で驚いてるのはセレスだった。
 クリルカはずっと見てた。ホントに怒ってるけど、ジーゼは楽しそう。デュレや、セレスがこの森に初めて来たその日からジーゼの淋しげな顔を見る回数は明らかに減っていた。クリルカは知ってる。だから、ジーゼが楽しそうだととっても嬉しい。自分だけじゃ埋められなかったジーゼの心の隙間が埋められていく。
「ホラ、ジーゼ。あんまりいじめたら可哀想だよ? それに、時間時間!」
「クリルカもそう言ってるし、そろそろ、行こうか? セレス」
「ん〜。待って待って、珈琲全部飲んだら」と言って、カップ一杯を一気に飲み干した。「ぷはっ。いいよぉ。さぁさ。お出かけ!」
「じゃあ、ジーゼ。今日はお願いします」デュレとセレスがジーゼにお辞儀した。
「ちゃぁ〜んと時間までに帰ってくるんだよ!」
「はぁ〜い、でも、クリルカ。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。このあたくしがクリルカのお誕生パーティをすっぽかすわけないじゃん。じゃじゃ、お出かけしましょ、デュレ、ジーゼ。急がないと、クリルカのパーティに遅れちゃうよ。クリルカの大目玉をみたいなら別だけどね♪ じゃあ、行ってきま〜す!」
 クリルカをお店に残して三人はエルフの森へと歩みを進めた。口を閉ざし、誰にも語らなかったジーゼの思い出。リテールの表舞台から遠く離れた小さな出来事。でも、それは確実にリテールの未来に影響を与えた歴史の向こうに隠されたホントのこと。
「じゃあ、そうね……どこから話そうか?」
 ジーゼはデュレとセレスに振り返りながらにこやかに微笑んだ。