12の精霊核

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24. missing you(キミがいなくて淋しいの)

 戦いは終わった。けれど、そこに一体何が残ったんだろう。久須那は思った。協会の異端狩りの名を借りた精霊狩りから始まったと記憶している。それは同時にシオーネ派とレルシア派の一種の派閥抗争でもあって、精霊核のパワーを使った枢機卿の協会乗っ取り作戦でもあり、ジングリッドの野望……『帰りたい』ただその単純な思いをぶつけた結末。そこに残ったものはそれぞれの夢の残骸。そして、行き場を失い煌めきを失いつつある様々な色の精霊核。
「ひい、ふう、みい……」指さし数えて。「――十一個、あるな……」
 亀裂が入っていたり、崩れかけて崩壊までもう間もないような精霊核もある。一個壊れたら崩壊の連鎖反応に歯止めがきかなってしまい、ジーゼの精霊核やリテールを巻き添えにしてしまうのと言うのに。精霊核の崩壊にブレーキをかける方法が判らない。
 と、不意にジーゼが久須那の背中に抱き付いた。
「ひいっ?」考え事をしていた久須那は飛び上がるくらいにびっくりした。「ど、どうした」
「――怖い。みんな怒ってる。絶望して、どうしたらいいか、判らないでいる」
 ジーゼに言われて久須那は精神を研ぎ澄ますよう努めた。すると、感じる。怒りや哀しみ色んなものが入り交じった複雑な感情。でも、その中には同情が、行くべきところを失い強硬な手段をっとることしかできなかったジングリッドへの哀れみも混ざっていた。
「けど、みんな知ってるみたいだ」久須那は感じていた。精霊核から発せられてくる波動の全てが怒りに満ちているのではないことに。「悪いのはジングリッド――さ・まだけじゃないことに……。でも」久須那は微かにうつむいて唇を噛む。
「端的に言えば人間を恨んでる……。そうでしょう?」
「レルシアさま……」語る言葉をなくして久須那はまた押し黙ってしまう。
「違うよ。久須那の言うこともレルシアの言うことも。みんな、ちゃんと判ってるよ。怒ってるよ。けど、誰も恨んでない。だけど、突然終わってしまったことへの感情をどこにぶつけたらいいのか判らなくなってるだけだから……」
 自分自身がどうしたらいいのか一番判らなくなってる。サムがいなくなって、申がいなくなって、泣きたい気持ちをどこに向けたらいいのか戸惑ってしまう。これ以上は誰にも迷惑をかけたくない。ほとばしり出そうな感情ははけ口を求めてる。黙ってたら爆発してしまいそうだった。でも、ジーゼは我慢して何も喋らない。
「へ〜いい。元・天真爛漫 so youngでキュートなやんちゃガールのお嬢さま。やせ我慢はお体に良くないのだじぇぇ。さあ、吐け! 吐けば楽〜に……うきゅ? れれれ?」
 反応なし。
「せぇっかく、地獄の底から奇跡的な大復活を遂げたというのにぃ〜。ちゅうめたいのね。ジーゼちゃま……。ってあれ? こっちのビューチホーなお姉さまがレルシアちゃま? ――お初に。わたくし、遙かなる極東、サムライの転げ回る地よりはるばるたらいに乗って参ったちゃっきーと」
「うるさいぞ、お前」久須那が睨み付けて釘を刺す。
「まあ♪ 相変わらずお堅いんだから♪」
「……! こいつ、何とかしてくれっ! 気が散る。腹が立つ!」指さしてわめいてしまう。
「……無理でしょうね――。それがちゃっきーだから。哀しみを晴らすのにもそんな方法しか知らない。騒いで、一生懸命騒いで、忘れようとしてる。本人は自覚してないだろうけど」
 そう言いつつ、頭を抱えてため息まじり。
「みんなの心を代弁をしているのかも……」
 ジーゼがポツンと淋しげに呟いて、それから、埋めようのない長い沈黙が続いた。
「薄い草色で透き通ってるのは風のシルフ。腐葉土の黒っぽい焦げ茶のは土のノーム。燃え盛る深紅の炎は火のサラマンダー。限りなく無色、微かな水色は水のウンディーネ。閉ざされた永遠の雪の白は氷のフラウ。漆黒の闇シェイド。永久に輝く悠久の灯火ウィル・オ・ザ・ウィスプ。そして、深い緑色は森のドライアード」
 レルシアが空白に耐え切れなくなったかのようにポツリポツリとしゃべり出した。
「でも、それだと数が合わないような……」久須那は言う。
「四大精霊の上位精霊の精霊核もあるようですが……。人に確認されていない精霊や精霊核はきっとたくさんあるでしょうし……」
 どっちにしてもよく十一個も集めたものだとレルシアは思った。これだけのエネルギーを解放し指向性を定めてやれば、ホントに異界への扉が開いたかもしれない。けれども、同時にこんなことも思う。召喚魔法の練習しなければこんな結末はなかったと。そうしたら、ジングリッドは異界で平和に過ごし、玲於那は今もここに生きていたのに違いなかった。
(お母……さん。……これでよかったのかな? これで……)
 レルシアの心の声。涙がにじんでくる。ジングリッドの思いにもっと早く気がついていたら。かといって、教皇、枢機卿とくっついてシオーネ派を形成したジングリッドに何を出来た? レルシアは額に手を当てて、木の幹に寄り掛かった。
(……バックボーンをなくして、シオーネ派はつぶれてしまう。教皇さま一人じゃ、あの組織をまとめ上げる力はないし……。わたしたちのレルシア派が残る……。まだ、うまくいくかどうか判らないけれど、お母さんの夢、叶えられるかもしれない……)
 その一方で、久須那は興味を引かれて精霊核の周りを、それらをシゲシゲと眺めながら歩き回っていた。見たことのないものもある。
「――光と……闇の精霊に……精霊核があるなんて……知らなかった……」
 漆黒の闇。吸い込まれそうなくらいに深い闇色。うっとりとしてしまってそのまま目が離せなくなるくらいに心を魅惑する。そしてまた、久須那は精霊核の間を歩き出す。
「……この水色の精霊核……かなりひどいな」見上げながら久須那が言った。
 と、久須那の声に反応して、ずっと押し黙ったままだったジーゼが歩み寄ってきた。
「エルダの精霊核」ジーゼはポケットを探って手のひらサイズの精霊核の欠片を引っ張り出した。そして、淋しそうに見詰める。「アルケミスタの牧師がくれたエルダの欠片……」
 これがなかったら自分はこの森に帰ってくることはなかった。そして、申。ゴロツキから自分を助けてくれたこと。一緒にサムを捜してくれたこと。土砂降りの街に飛び出して牧師に助けを乞いに行ってくれたこと。帰り道にずっと一緒でいたこと。
「申……。また、いなくなっちゃった。いやだったのに……。こんなお別れ、いやだったのに」
 耐えて押し殺していた感情が一気にほとばしる。
「ジーゼ……」
 と、ジーゼに声をかけようとする久須那の肩にレルシアがスッと手を置いた。
「そっとして置いてあげましょう……。わたしたちだけではどうにも出来そうにありませんし、ジーゼが落ち着くのを待って、それから、みんなで考えましょう……。それくらいの時間は――」
 あるんだろうか? レルシアの疲れ切った顔を見ながら久須那は思った。ジングリッドが言ったにはもっとも古い精霊核が崩壊し出すのは今日だという。事実、エルダの精霊核は軽く揺すっただけでも壊れてしまいそうなくらいに痛んでいる。
「……久須那、心配で居ても立ってもいられないのは判ります。でも……」
「判っています。ジーゼの気持ちだって、それに! わたしだって泣きたいっ! でも……。最期にサムはわたしに笑っていろと。笑顔が素敵だって……」
 久須那は涙目でレルシアに語った。そして……。
「レルシアさま……、サムってどんな子だったんですか?」
「イクシオンですか?」レルシアは久須那の突然に質問にちょっと戸惑って答えた。
「……」久須那は地面を見詰めたまま無言で頷いた。
「テレネンセスの司祭さまに聞かなかったのですか?」
「……ちょっとだけしか……」
「そう、ですか。仕方がないですね。姉妹そろってずいぶん年下の男に恋したものです」
「ほっ、放って置いてください!」久須那は真っ赤になってレルシアに言い返した。
「はいはい♪ イクシオン……一言で言えば悪ガキでしたよ」そう言ってレルシアは久須那の隣に佇んだ。ついでに、レルシアからそんな言葉が出てくるなんて思いも寄らなくて久須那は目を丸くしてキョトンとしてしまった。「どうかした? 久須那」
「いえ、その、いつものレルシアさまと違って不思議な感じが」
「協会大司教のレルシアはお休み。この精霊核をどうにかするまで久須那の姪でいます」
「はぁ……?」どうも釈然としないような気がする。
「そう、イクシオンは最後の最後まで悪ガキでした。結局、あの日だって、ケンカして一昨日まで口を利かなかった。十五年。やっとまたお喋りできると思ってたのに……」
 みんな、それぞれに淋しい思いを抱いている。
「こんな話しても面白くないですね。久須那」
「……いいえ、ちょっとだけ聞いてみたい……」

(ここは……昔とあまり変わっていませんね……)
 テレネンセスをあとにしたシェイラルはエルフの森の小道を歩いていた。最後にこの小道を歩いたのはいつだっただろう。三十何年も前、帰らないイクシオンを捜しに来たとき? それとも、家族みんなでピクニックに来たときだっただろうか。
(変わらない。……森の時はこんなにもゆったりと流れているのに、人の世は忙しない)
 森の梢が風にさわさわと心地よさそうに揺らめいている。太陽。こんなにも空は澄み切っているのにシェイラルの心は沈みきっていた。それはシェイラルの心に二つの杞憂があったからに他ならない。一つはサムや申の安否。二つ目はジングリッドの集めただろう精霊核。どっちが勝者だったとしてもシェイラルは精霊核を封じたかった。いや、封じるしかなかった。
(みなさんはどこへ……?)
 シェイラルはトボトボと歩いていく。不思議な気持ち。忘れていた何かを思い出しそうなくらいに。テレネンセスが壊滅状態にあるというのに、清々しい気分。木々が風にそよいで、小動物たちの息吹がする。ただ、微かに感じる淋しさと哀しみの空気がここで戦いがあったことを教えてくれた。
(ちっぽけですね、人間なんて……)梢から空を仰いでシェイラルは思う。
(確か、この辺りでしたね……)
 シェイラルは朽ち果てた鐘と館の跡に辿り着いて一息ついた。二百年以上も昔から語り継がれた昔話の舞台。色褪せない思いを抱いた女の子の亡くなったところ、ジーゼの生まれた場所。ミステリアス。色んなことの始まりと終わりが交錯した淋しげな小さな原っぱ。
 と、シェイラルは広場の奥の方から話し声が聞こえてくるのに気がついた。
「……わたしは――こんな終わりは望んでいなかったのに……」
(……この淋しそうな声色は……久須那ですか……)シェイラルはそのまま声のする方に向かっていった。そして、見知った顔も見つける。(ジーゼも……レルシアもいますか)
「わたしはサムさえ生きててくれれば、それだけで良かった。レルシアさま……」
 淋しい。そのたった一言に久須那の心は支配されていた。協会の呪縛から解き放たれたときの空白よりも大きく、いつの間にかサムばかり見ていた自分に気がついた。『久須那はサムのもの』誰かが言った。
「利己的だって言われてもわたしは……」
 胸を締め付けられるようなどうにもならない複雑な気持ち。天使として生を受け、もう長いけれど、こんなに切ない(?)思いをしたのは初めてかもしれない。自分一人だけではどうすることも出来ない。現実を突きつけられて久須那は苦悩する。
「……初めて、好きになった……」
「みんな同じです。みんな、イクシオンが好きでした」
「そ、そお言う意味じゃなくて」何故か慌てふためいてしまう。
「フフ……。判ってますよ。少しからかってみただけです……。少しだけ――」
 木陰に隠れたままその様子をうかがっていたシェイラルは姿を現すチャンスを逸してしまっていた。ジーゼやみんなの思いを聞いて、どんな顔をして出てゆけばいいんだろう。銀縁眼鏡の奥の瞳に涙がたまっていく。自分を不甲斐なく思ってしまう。サムや申はこの森を守ったのにもかかわらず、自分は一体何をしてきたのか――。
「司祭さま――?」聞き慣れた声がシェイラルの耳元で聞こえた。
「ジーゼ? ジーゼですか? 無事だったのですね」
「ええ……。サムと申のおかげでわたしは……。でも――」
 手を前で合わせ、ジーゼはシェイラルの瞳を淋しさに潤んだ眼差しで見詰めた。
「――そう・ですか……。そんな予感はしていました」
 すると、今までどこかに消え失せていた光の玉が不意に舞い戻ってきた。今までに一度も見たことはない。けれど、それは……。
「あなたが……人の姿をして帰ってくるのは……いつ頃……なんでしょうね……」
 シェイラルは光の玉にまとわりついた微かな雰囲気を感じ取っていた。何かを言いたそうにフワリフワリとシェイラルの近くを漂っているけれど、喋れないのだからどうにもならない。そして、瞬間、淋しげな色を湛えたかと思うと、光の玉はスッと久須那たちのところへ飛んでいった。
「……? こら、あんまり懐くな」
 そして、光の玉に誘われるままに振り向いた。
「お父さん……!」レルシアは大きく目を見開いて呆然とした。「どうしてここに……!」
「司祭さま?」
「一年ぶりくらいでしょうかね? レルシア……」懐かしさの瞳。
「テ? テレネンセスはどうなったの?」
「テレネンセスは……」目を伏せた。「なくなりました」
 シェイラルにはそうとしか言えなかった。他になんて形容したらいいのか適当な言葉が見つからない。なくなった? 最初からそこには廃墟しかなかったのではと思わせるくらいの惨状だった。シェイラルの教会で残ったのは半地下の玲於那の祭壇だけ。
「お、お母さんは……?」
「一応、無事でしたよ……。それと……これが……」シェイラルは懐から木製の何かを出した。
「あ……」久須那とレルシア、二人で同時に思わず声を上げた。
 見覚えのあるもの。久須那にとってはついこの間、シェイラルに見せてもらったもの。レルシアにとってはずっと思い出の彼方にあったとっても懐かしいもの。
「ヘボ十字とへにょへにょ十字……」久須那。
「他のものはみんななくして……。しかし、崩れた教会を出てくるときにどうしてもこれだけは置いて来られなくて。……散々、瓦礫の山を探し回りましたよ……。ふふ。久須那が見たいと言わなければ今頃、炭になっていましたよ」
 淋しげな微笑みを浮かべてシェイラルは二人の墓へと進む。何故、申を止めなかったのか。無理にでも帰れと言わなかったのか悔やまれる。でも、「自分の目で最後まで確かめてみたい」と決意のある真摯な眼差しで見詰められたら、無下には出来なかった。
「行くなと言っても、申なら来てしまったでしょうね……」
 かける言葉も出てこない。ただ、哀しさだけが込み上げてきてシェイラルの顔を濡らす。
「必ず生きて帰ると約束したのに……。あなた方は死ぬにはまだ早すぎた」
 シェイラルはうなだれ、地面に膝をついた。
「イクシオン……。これはあなたのものです」シェイラルは手に持った二つの十字架をイクシオンの墓に捧げた。「覚えていますか?」
 風が吹き抜けていく。心地よくて、まるで遠いあの日に感じた風のよう。ずっと昔の教会の庭で玲於那とレルシア、イクシオンと家族団欒を過ごした日々。ここにはまだあの遠い日々が生きている。森の梢と下草がさわさわと小気味のいいハーモニーを奏でてる。そして、シェイラルはつとジーゼの方に振り返った。
「ジーゼ、イクシオンと申をこれからもずっと暖かく見守ってあげてください……」
「あ、はい。もちろん」手を前で組んで、髪が風にながされるに任せて、ジーゼは言った。
「じゃ、おいらも〜♪」雰囲気なんて読みもしない、一際明るい声。「ここ。居心地がいいしさ。愛しのサムっちが奇跡の大復活を遂げるその日まで。いる〜♪」
 キュートなつもりで小首を傾げてジーゼに哀願。けれど、ジーゼは。
「却下します!」瞳を閉じてきっぱりと拒否。「でも、大人しくしてるって約束できるなら森の隅っこにおいてあげてもいいわよ」片目を開いておしゃまな少女?
「え〜っ? ちょっとくらい騒々しくってもいいじゃんねぇ?」
「……いったい誰に同意を求めてるんだ?」久須那の冷たい視線がちゃっきーを向く。「わたしはうるさいのよりも静かな方が好きだ」
「う〜きゅ。……あ! そこのビューチホーなレルシアちゃまは〜?」
 味方を探してちゃっきーもあっちキョロキョロ。こっちキョロキョロと忙しい。でも、四人しかいなくて、ちゃっきーは結局、しょぼんとしていた。ちょっとだけ可哀想な気がしないでもないけれど、ノンストップトークが始まったら。と、ジーゼは頭を抱えそうな気分になる。
 そんな微かに和みかけた空気の助けを借りて久須那がこわごわと問い掛けた。
「司祭さま、あの……これから、どうしたら――。当面の火種はなくなったと思うけど。でも、これで終わりになってしまうような気がしないんです。まだ、何かが起きそうな」
「ここしばらくはきっと、何もないでしょう……」青い空を見上げて、シェイラルが言った。「仮にも世界最強を誇った天使兵団がやられたんです。ですから、このことが歴史の奥底に沈み、本当に忘れ去られてしまうまではバカな考えをおこす輩もいないとは思いますが……」
「あ、わ、取り越し苦労だったらいいけれど……」久須那の顔にわずかな安堵の表情が浮かぶ。
「ですが、それはそれです」シェイラルの瞳に険しい煌めきが宿る。
「封印、するのですね?」久須那の背中からジーゼのたおやかな声が届く。
「そうです。壊れかけた精霊核を封じます。そうしなければ、リテールがなくなってしまうかもしれない。だから、封印します。しかし……」シェイラルの顔に杞憂の色が見える。「どれだけの期間、もつかは」
「おおよそのタイムスパンは判らないのですか?」久須那が問う。
「……これほど大がかりな封印はやったことがないし、実例がないので何とも言えないのですが……。短ければ数十年。運良くいけば千数百年くらいは何とか――」
「随分とあやふやなんですね」
「ほとんど確率の問題ですからね。しかし、永遠ではない。封印が融けかけたとき、また誰かが封印を強めないと、今度は長い時を超えただけに猶予なく砕けてしまうでしょうし」
「ちゅ〜まり、誰かが優しく、やさし〜くお守りしてなきゃダメなのね」ちゃっきー。
「そう言うことにもなりますね」とっても静かな穏やかな口調でシェイラルは言う。「が、守ってくれる人がいても封印は永久には持ちません。拠り所がないですから、無理なんですよ。精霊を失い、場所を移動された精霊核は消えるしかないのです。……ジーゼなら知ってるはずです」
 話を振られて、ジーゼはドギマギしてしまった。ちょっと落ち着かなくて視線は下を向く。
「――そう、長い年月をかけて記憶のエネルギーを失っていく。そして、いつか消えてしまう。壊れるんじゃなくて、ホントにスッと消えてしまう」
「しかし、本来あるべき場所から強制的に移動させられた精霊核は違う」
「ええ……。記憶のエネルギーを解放しきれなかった精霊核は穏やかに……安らかな眠りにつくことは出来ないの。だから、わたしは知ってる……。封印して、急激に魔力が失われるのを防ぐ。でもね、こんなこと、稀にしかない――」
 その“稀”なことがいっぺんに十一個もある。
「一個一個、封印していくしかありませんね……」
「元の場所に戻してあげてもダメなのか?」
「――一度切れた“糸”を繋ぐ術はありません。結べたとしても“一本の糸”とは本質的に異なります。しかも、十一個全てを元に返せるかは判りません。仮にジーゼのこの森のように色々と残っていると返す意味があるし、安定してくれます。いずれ、新しい精霊核が生まれてくるまでは。しかし、本当にそこに何も残っていなかったのなら……」間をあけた。
「エルダのように。ですか?」ジーゼが切なさそうな色を湛えた目線でシェイラルを捕らえた。
「……」シェイラルは瞳で頷いた。「彼女をアルケミスタに戻すことは出来ません」
 あったはずのエルダの湖は既になくなっていた。そこへ精霊核を戻しても、却って危険が増すだけ。守ってくれる衣のないところに一人ポツンと放っておくことなんて出来なかった。
「――帰る場所のない子たちはわたしが預かります」
「危険ですよ、それでもいいのなら、お願いしたい」
 シェイラルの温和な眼差しが緊張を微かにはらんだ鋭いものに変わる。それを見てジーゼには緊張が走った。シェイラルの瞳を強く見詰め返してしばらく沈黙のやりとり。
「ありがとう。ただ……精霊核たちに何かがあったらあなたも巻き込まれてしまうことを忘れないでください。誰かが未来に渡って封印を守っていられるとは限りません」
「ええ……、承知の上です」
 一人きりはいやなんだ。それはジーゼがよく知っていた。生まれてからずっと一人。それは好意を抱いて長い間とどまってくれる人もいた。けれど、辛かった。自分よりも先に人はこの世を去ってしまうから。だから、ずっと一人。もう、そんな思いをさせる必要はない。
(これからはずっとわたしがそばにいるから……。淋しくないよ――)
「では、ジーゼと久須那は下がっててください。ここはわたしとレルシアが……」
 と、言われれば、久須那とジーゼは手出しの出来ないことだった。
「久須那……。向こうで、広場で待っていましょう」
「そうだな。ここにいてはあれだし。……こっちにおいで」フヨフヨ漂う光の玉に声をかける。
「でも、お父さん。わたしは封印なんて……」
「いてくれればいいんです。それだけで十分」ニコリと会心の微笑み。
 それから、狂おしいほどにのったりと時が過ぎていく。空に浮かんだ雲でさえ、風に流されることなくとどまって見える。ジーゼは木陰に腰を下ろして、久須那は落ち着かなくて広場を縦に行ったり来たりしていた。
「ねぇ……。久須那はどおしてサムを好きになったの?」
 ジーゼの思わぬ問いかけに久須那は立ち止まってそのままの姿勢で固まってしまった。
「久須那ちゃまは超弩級のうぶなのよ。そんなストレートに聞いちゃだ・め。もっと、や・さ・し・く、ソフトに。ね? へ〜いぃ、久須那! サムっちとデキてるってほんと〜かい?」
「どこがソフトなんですか!」ジーゼはちゃっきーをゴインとげんこつで殴った。
「いったぁ〜いの〜」両手で頭をさする。
「……あっけらかんとしてて、開けっぴろげで。優しかった。――ホントのわたしを見つけてくれた。サムと一緒にいると……たった四日だったけれど、楽しかったから――」
 細い声で語られた久須那の思いをジーゼはちゃっきーを適当にあしらいながら聞いていた。
「ホントのわたしを見ようとしてくれた初めての人」久須那はクスリとする。「こ〜考えたら、わたしは二百何十年も何やって生きてたんだろうな……」
 フと思った。クールさを装って、その暖かい内面をずっと隠そうとしてきたことは何だったんだろう。自分は自分らしく。そう教えてくれたのはサムだけだった。
(いつも、どこかで怯えていた。誰もわたしを必要としなくなったら。……協会のあり方に疑問を挟んだときからわたしは……誰かに救いを求めていた。レルシアさまじゃない誰かに)
「そっか! そうなんだね」ニコリ。そして、瞳を悪戯っぽく閉じて、開く。「久須那はそぉ〜んなにイクシオンのことがだぁ〜い好きだったんだねっ!」
「い? わ、わたしはそんなつもりで……」
「照れなくても……いいんだよ。わたしはみんな知ってるだから……」
「――ジーゼに隠そうとするだけ無駄か……」照れ隠しに頭をかいて真っ赤になってうつむく。
「……もし、イクシオンが帰ってきたら、久須那にあげるよ?」
「あの、その、『あげる』って言われても……」あたふた。
「そうだよね……けど」その先をジーゼは言わない。
(サムの思いは久須那のもの……)
 ただ、黙って久須那の顔を見つめていた。サムの心はジーゼになかった。サムが森に来て何となく気がついていたこと。思い出して、優しく暖かかったけれど、少年の日の思いは遠かった。それがどこか胸の奥で悔しくて。その思いが天使に向いたことを知った。
(久須那なら、許してあげる……。許してあげてもいいよ――)
 と、茂みの奥からシェイラルの声が聞こえた。
「久須那、ジーゼ、待たせましたね。終わりました」
「え〜っ? おいらは無視なの〜」そこらで寝そべっていたちゃっきーがむくっと起き出す。
「忘れていませんよ」朗らかに笑む。「……? しかし、イクシオンの、光の玉がいなくなってますね――」シェイラルは目線よりもちょっと高めのあたりを探してみる。
「言われれてみると、見あたらない……」
「どこへ――?」ジーゼと久須那、二人で中空をキョロキョロと捜してみるがいないらしい。
「未練がなくなったのかもしれませんね……。一応、これで、イクシオンの望みだった“ジーゼと久須那を守ること”は叶ったのですから」
「ちゅまり、彼女を二人も残して未練だらけのあやつもすこしゃあ大人になったってことかな?」
「……」ジーゼはじと〜っとちゃっきーを見つめた。「意味不明なこと言わないでください」
「んにゃんにゃ」ちゃっきーはきょとんとした表情で首を横に振った。「No. Sir! 判らないなんてことはありえねぇ! 実にちょ〜単純明快。いいですかい? ジーゼちゃまと久須那っちがサムっちのラブリーな彼女。そんでもって、おいらが」
「世界一の騒音発生装置! うるさいからどっか行って」ジーゼが横取り。
「はにゃ?」小首を傾げてさらにきょとん。
「『はにゃ?』じゃないの。でも、ま」あきれ顔でため息をつく。「ちゃっきーには何を言っても無駄かしらね?」
「おう。いえす! おいらはgoing my wayなのね。人の言うことなんか関係nothing。おいらの思いは風まかせ、波まかせ。自由気ままに旅するのねん」
「……元気ですね、あの二人。どこからエネルギーが溢れ出すんだろう」
「精霊にパワーがあると森が回復するのは早いですよ」
「……羨ましい。空元気でも、明るく振る舞えて。それなのに、わたしは」
 久須那はうつむいて唇をかんだ。
「……久須那は久須那らしくあればいい。イクシオンはそう教えてくれたんじゃないんですか?」「あ……」久須那は手を口に押し当てて、思わずシェイラルを見上げた。
『てめぇはてめぇらしくやってりゃいいんだよ。違うか? 久須那。協会が何だってんだ? 協会が変だってんなら、てめぇの思うとおりにやってみりゃいいさ』
『天使のくせによく泣くやつだな。え? おい。ま、そんなてめぇ、嫌いじゃないぜ』
 そんなことを思い出せば、涙が止まらない。もう二度と、サムのポケットからは汚れた白いハンカチなんか出てこないのに。初めて、一緒に空を飛んだよ。幼少期を垣間見せてもらって。二人で喫茶店に入って、珈琲をぶっかけられて。夢を見ていた。夢を見ていたんだ。
「え……?」うずくまった久須那の目の前に白いハンカチ(綺麗)が下がってきた。
「そんなに泣かないでください。美しい顔が台無しですよ」
「お父さん。確か、そうやってお母さんを口説き落としたんでしょ?」
 シェイラルの後ろについてみんなのやりとりを眺めていたレルシアが急に口を挟んだ。
「は? いや、そんな、バカな? だ、誰から聞いたんですか、レルシア?」
「もちろん、お母さんから」
「い、いつですか?」シェイラルから冷静さの色が消える。
「ふふ、そんなに慌てなくてもいいじゃない、お父さん」
「わたくしと生涯ご一緒しませんかぁ〜? ジーゼちゃまぁ」
「あら♪ ちゃっきー。ご一緒だなんて、ご冗談をっ!」ポキャ。ちゃっきーを殴る。
「い、いや、その話はやめにしましょう」クールに見えたシェイラルもしどろもどろ。そして、落ち着くために赤面しながらの咳払い。「あ、あとは精霊核をそれぞれが干渉しあわないように運ばなくては……なりませんね――。久須那、頼めますか? もちろん、あなたの翼の傷が治ってからで結構です」
「こんな大きなものをわたし一人で運べるのですか?」
「見かけは重そうですが、実は軽いのですよ。これ」
「はぁ……」精霊核を見上げてあまりのことにちょっとだけ呆然としてしまった。「でも、目立つんじゃないですか? いくら奪うものがいなくなったと言っても、これは……記憶の宝庫。この中には何千年もの間の英知を蓄えているものもあるかもしれない」
「欲しがる輩はいくらでもいるでしょう。協会がやめたなら、次が動き出すでしょうね……。いつか、きっと。だから、わたしたちは封印し安全な場所へ、元あったところへ返します」
「でも、精霊核は邪な心を持った人には見ることの出来ないもの」ジーゼが言う。
 けど、シェイラルはジーゼの言葉に静かに首を横に振っていた。
「ジングリッド天使長のやり方を忘れてしまいましたか? ジーゼ」
「……」ジーゼの顔が恐怖に引きつる。そう、後先を考えない凶暴なことを出来る人もいる。
「出来るだけ、すぐには見つけられないようにしておかないと。……今すぐ、どうのと言うこともないとは思いますが、不用意に触られると何が起きるか判りませんし」
 シェイラルが真顔で言うと言うことはよっぽどのことだとジーゼは思う。
「とりあえず、簡単に説明しておくと、比較的程度のよい精霊核六つは元の場所に返します。多分、それらのあったところは健在です。問題は残り五つ。火、水、土、風、氷の下位精霊ですね、恐らく……。封印したと言ってもウンディーネの精霊核はもう……」シェイラルは切なそうに首を横に振った。「あと四つも時間の問題かと……」沈痛な面もちになってしまう。
「いいんです。この子たちにもう淋しい思いはさせたくない」
「そうですね。……では、この森で最も安定させられる場所を探して、そこへ……」
「はい。でも、エルダの場所だけは決めてあるの。森のせせらぎ、小さな泉の湖畔に……」
 ウンディーネは水のある場所に。そうしたら、きっと、心が和むのに違いない。今更どうなのかは判らない。けれど、ジーゼのささやかな心遣い。
「しかし、シルフ、サラマンダー、フラウとくると……。ノームは大丈夫ですか、一応。ここには火も氷もない。風も絶え間なく吹くわけでもなく、凍らない……。多少居心地はよくないかもしれませんが、彼らには我慢していただくほかありませんね……」ため息も混じる。
「大丈夫です。ちゃんと居心地のいいように、いろいろ考えるから、安心して」
 シェイラルは正直言えば傷んだ“精霊核”よりもジーゼの方が心配だった。精霊核を預かった重圧に負けないで欲しい。
「気負いすぎないでくださいね。ジーゼが倒れてしまってはどうにもこうにも……」
「ええ、そうですね」
「それから、いいですか? これはわたしたちだけの秘密です。公言してはなりませんよ。知るものがなければ、このことはやがて歴史の海の中に消えてゆきます。……そんなにうまくいくとも思いませんが、それでも、精霊核の在処は不明。少しはましでしょう、多分」
 それがレルシアや久須那たちと言葉を交わした最後の日だったことをジーゼはよく覚えていた。風の噂ではみんな、協会の再建に携わっていたのだという。「また会おう」と約束をして別れたはずだったのに。そして、それは遠い思い出の中のワンシーンになる。
「約束の時が来たら、また、会いましょう」
 みんなとは別に久須那にもそう約束していた。いつか、サムが地獄の淵から帰ってきたらこの森でお話ししようと。けど。そう、けど、消えてしまった……。気がつけば、ジーゼは一人きり。ただ、ちょっとだけ違っていたのは思い出が残ったこと。
 そして、ジーゼはずっと後になってから知った。久須那は……。