12の精霊核

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33. each expectation(それぞれの思惑)

「ちっ、参ったな。どこに行ったか、全然、判りやしねぇ」
 サムは舌打ちをして、立ち止まった。こうなっては闇雲に歩き回っても意味をなさない。レイアの目的が判りさえしたら見つけようもあるだろうが、今のサムには手掛かり一つなかった。
「頼りは――シェラか――バッシュか――、シリアってことはねぇな」
「それとも、オレっちか?」ぽひゅんと異音を立ててちゃっきーがサムの右肩に現れた。
「何だ、てめぇか。てめぇにゃ用事はねぇんだよ。しっし」
「しっしとは連れねぇな、旦那。おいらと組めばかわいコちゃんの居場所なんかあっという間に判るんだじぇ?」ちゃっきーはその身をサムの頬にすり寄せた。
「あ〜うざいっ。――てめぇに判るには俺やティムみてぇな煩悩の塊だけだろうがよ。悪魔みてぇな女はターゲット対象外。興味なんかありゃしねぇくせに、よく言うぜ」
「ノンノン♪ オプションにて悪女検知器を搭載すれば何のその。てめぇ、お望みの悪女を捕獲するのだって可能でさぁ。へっへっへ。この悪代官めっ!」ちゃっきーはすり寄る。
「何、ワケの判らねぇことを言ってるんだよ、このチーズ」
「それはおいらの趣味でさぁ。真に受けちゃ、いけねぇなぁ」
「悪趣味だな……。しかし、姿を眩ませたレイアはどこに行くか」
 サムはちゃっきーを肩に乗せてまま歩き出した。自分がレイアだとしたらどこへ行くか。サムの知るところではレイアにはシェラの傍ら以外、身を寄せられる場所を持っていなかった。つまり、今は即席の流浪の民。そんな人間の向かう場所をサムは想像する。その一、行きつけのバーにしけ込む。その二、態勢を立て直し、思惑と居場所を壊したものへ復讐する。
「デュレたちが動き出したとしたら、俺ならその行動を追い掛ける。付かず離れずチャンスを狙い、背後から手間をかけずにやっちまうのが理想的だな……」
「あら、旦那。ひきょ〜ですのね? そんなんは人間に非ず。天下一品、男の風上にも置けねぇ野郎がやるにゃぁもったいねぇ作戦だじぇ? おいらが推薦する方針は……目指す得物の前にがぉ〜っと参上っ! ついで、恐れおののくおなごの前に立ちはだかり、急襲! がっちり抱きついて、もぉ、二度と放さないのだっ!」思い切り大声で力説する。
「……追い掛ける方も女だ……」
「オロ? けっ、今更、そんなこと構うめぇ。どっちも、サムっちが襲えば同じことよぉ」
 炸裂マシンガントークをやめる気配を見せないちゃっきーにサムは辟易とした。しかし、そのちゃっきーが相手の気を逸らせるのに役立つこともままあるのも正直なところで、今回はただ投げ捨てるのも少しばかりはばかられた。
「全く、迷惑なだけか、役立つか、どっちか片一方にして欲しいもんだぜ」ため息が漏れた。

 デュレとセレス、そして、リボンは雑踏に紛れつつ、シメオン大聖堂を目指していた。初夏の日差しはとても心地よく、これから起きることなどただの妄想のように思われた。南中にはまだ遠いその時刻、街のメインストリートは穏やかな賑わいを見せていた。
「……わたしたちがしようとしていることは一体、何なんでしょうね……」
 デュレは行き交う人々の表情を観察しながら、誰に問うわけでもなく言葉を漏らした。
「……深刻に悩むだけ、無駄だぞ。――答えは……お前たちが帰れたら、きっと、判る」
「そうですね。悩むのはいつでも出来ます。今はまず、目先のことをどうにかしないと」
「――だね」セレスが相槌を打った。
 何かを守る。そんな大それたことを出来やしないことはよく判っていた。今できる最善のことを尽くす。ただ、それだけ。しかし、それだけのことをするのが如何に難しいか思い知らされることになろうとは夢にも思っていなかった。
「ねぇ、封印、解けたらどうなるのかな? ……解けなかったら、どうなっちゃうんだろう」
 不安げにセレスは先を行くリボンの背中とふわふわ揺れる尻尾を眺めていた。
「判らん」リボンは一瞬だけ、セレスに眼差しを送る。「……様々な思惑が交錯しだしたカオスの中では正確に“予兆”を掴めない。色々なことが曖昧さに埋没してしまって……そう、霞がかかったようになってベールの向こうは読み取れない……」
 リボンは少しばかり悔しそうに歯がみした。
 その後、しばらく無言で、トテトテと石畳を踏みしめて歩いた。心に去来するものがあった。いずれ消えゆく“黄昏”の街並みが過ぎ去っていく。路地から響く子供たちの笑い声、買い物中の奥さま方の他愛のない世間話。何事もなく穏やかに流れてゆく時。日常。
「……みんな、なくなってしまうんですか?」
「三人とも、そこで止まれ」凛と響く険しい声。
 声がした方を振り向くと、民家の壁際に寄りかかって佇むレイアの姿が見えた。腕を組み、どこかに悔しそうな色を湛えた険しい眼差しで一同を見渡す。デュレ一行がここを通ることを予測、待ち伏せしていたのではなく、まるで出来過ぎた偶然のように。
「レイア?」デュレ。「い、今までどこに行っていたんですか?」
 しかし、レイアはデュレの問いを完全に無視し、フラリと一行の前に立ちはだかった。
「もう少しだった。もう少しで全てを手中に収めることが出来た。お前たちが来なければ、わたしは全てを思いのままに操ることが出来たんだ」
「……。レイヴンもか?」思い当たる節があり、リボンは尋ねた。
「そうだ。レイヴンは久須那に復讐することばかりを考えている。わたしが――」
「言わなくていい」リボンは遮った。
 全てを理解しきったのだ。レイアの望み。それはシェイラル一族の伝承を断ち切ることであり、その行いの報酬としてレイヴンから何かを受け取る手はずになっていたのに違いない。としたら、デュレたちがこの時代に封印を解く、或いは封印破壊の禁呪を教わりに来なくてはならなくなったのはレイアの所行が直接の要因とも言えるのだ。
「お前だよ、レイア。切っ掛けはオレじゃない。お前だ」
 リボンは奥歯をギリリと噛みしめて、レイアを見やった。しかし、レイアには何のことか判らない。レイアにとって、デュレたちが演じる戦いなど関係のないことだ。シェイラル一族の誰かとの確執が燃え上がる復讐心を呼び込み、レイヴンとの取引を思い立たせたのかもしれない。が、その一方で時を越えた妄執劇は興味もなく、知りもしない。それがリボンには歯がゆかった。
「何の切っ掛けがわたしにあるって?」
「……独り言だ」振り絞るような声色でリボンは言った。レイアにそのことを判らせたところで、今更、無意味だ。動き始めてしまった事象はもはや終わりを見るまで止められない。
 哀しくもあり、厳しい現実だが、全てを受け入れる他に道は残されていない。
「デュレ、セレス。お前たちは自分の目的を果たせ」
 リボンはレイアから視線を外すことなく、後方に佇む二人に指示を送る。
「待て、まだ用事が済んでいない。止まれっ」
「止まるな、行け」叫びながら、研ぎ澄んだ眼差しをレイアに突き刺す。「ここまで来たら、お前の望みなど明白だ。“封印の絵”の在処だろ? 解呪と封印破壊の魔法を手に入れた。魔力はレイヴンでもマリスでも分けてもらえばどうにでもなるよなぁ?」
「……何が言いたい」押し殺した声色。
「ふん? 別に。……とうとう見つけられなかったんだな。――オレがお前を選ばなかったことは屈辱だったか? だが、今となったらその訳は自明だろ?」険しく睨む。
「どこまで、わたしをバカにするつもりだ。許さないぞ」
 レイアの瞳が怒りに燃え上がった。
「バカにはしていない。むしろ、その狂った情念を褒め称えているのさ」
「ふ……、ふざけるな――」
 刹那、レイアを包み込む空気が不穏に動いた。注視しなければ判らないほどに僅かに唇が動く。呪文の詠唱。レイアの瞳が閃き、次にはオレンジ色から真紅の輝きを宿す魔法陣が虚空から湧き上がった。そして、一呼吸。絶対に後れを取らない自信があり、それはホンの挨拶に過ぎない。
「……。ファイアボール」
「アイスシールドっ」余裕の笑みを浮かべつつ、リボンは呪文を叫ぶ。
 突如、地面を突き破り、幅一メートル厚さ五十センチあまりの氷柱が一気に立ち上がった。それは地中に含まれる水分を瞬時に凍結させ、且つ、空気中に潜む湿気を取り込み氷柱と為す魔法だ。レイアの放ったファイアボールを容易くブロック、鎮火させてしまった。そして、それはデュレとセレスが初めて目にした魔法だった。
「リボンちゃんっ!」
「構うな、行けっ。お前たちは振り返らずに先に行け。ここはオレが何とかする」不敵にニヤリ。
「判りました。行きますよ、セレス」デュレはリボンの意図を察して即答した。
「で、でも……」セレスは躊躇う。デュレはその腕をひっ掴んで引っ張った。
「仕方がありません。レイアの相手をみんなでしていては時間の無駄です。……こっちは人材不足、向こうは全て万全、抜かりなし。不利なんですよ、わたしたち」
「そりゃ、もちろん、判ってるんだけど……」釈然としない。
 目的のためとはいえ、仲間を置き去りにするのは気が引ける。セレスは振り返り振り返り、後ろ髪を引かれる思いでデュレに従った。
「大丈夫だよね。リボンちゃん、大丈夫だよね?」
 セレスはいつしかデュレの服の袖をキュッと掴んでいた。
「――! 行かせるかっ!」レイアは叫ぶ。
 ウォォォオォオオ――。リボンが吠える。大気が共鳴し、ビリビリと激しく振動した。それは普通の遠吠えではない。魔力を声に乗せて放出することにより、フィールドを己の領域と化す。微かな気流、空気の分子でさえもセンサーとしたかのように、その領域にいるものの動きを捕捉する。しかし、レイアの知らないことだ。
「お前の相手はこのオレだ。それとも……オレが怖いか?」
 レイアの負けず嫌いの性格を逆手に取り、リボンはレイアを挑発する。レイアはリボンの言葉に過剰に反応して、ピクリと身を震わせるとギュッと拳を握って立ち止まった。
「……何だって? もう一度、言って見ろっ!」憎悪に身を焦がし、レイアは振り返る。
「ああ、何度でも気の済むまで言ってやる。……卑怯者……め」
「貴様にそこまで貶される筋合いはない」声が怒りに震える。
「それは――どうかな?」リボンはレイアの感情を察し、ほくそ笑む。
「待たせたな、シリア」
 とそこへ、ティアスの背に乗ってバッシュが現れた。バッシュはリボンとレイアの姿を上空から見咎めるとティアスにそこへ降ろしてもらうように頼んだのだ。遠くから見ても、二人は不吉な雰囲気を醸しだし、一触即発の状況に感じられたのだ。
「あら? ……ふっ。まさか、こうなるとは思わなかったな」リボンは目を閉じて小さく笑う。
「あたしもだ。覚えてるんだろう? あの日のこと。尤も、あたしにとっては今さっきのことだけどな。……お前、必死だったぞ。あたしをここに来させないために」
「ふ、二百年以上も昔の話さ。しかし、今更持ち出されると恥ずかしいな」
「恥ずかしがる柄でもないだろ?」
「まあ、そうだな」リボンは微笑んだ。
「――お前ら、いつまでじゃれ合ってるつもりだ」苛立ちは隠せない。
「妬くな……」リボンは目を細めて、レイアを見やり、口元を微かに歪めた。「バッシュ……。レイアは非常に高度な魔法使いだからな。一筋縄にはいかないぞ」
「それは判ってる。だから、あたしはレイアをシェラに紹介したんだ。レイアなら必ず……。でも、見通しが甘かったな。どこで踏み外ししまったんだ?」
「――嫉妬。オレがお前と組み、レイアを久須那に挑戦させなかったこと……かな……」
 リボンは神経をレイアに向け、研ぎ澄ませながらバッシュの内なる問いに答えた。
「あたしのせいなのか……」
「それは違う。――オレはあいつの自惚れが嫌いだった。強いのは確かさ。今のデュレやセレスよりもずっと頼れると思う。けどな、レイアに久須那を任せたくなかった。信用できない。……過剰な自信家くらいだったら、何も必要以上に毛嫌い何かしない。過去、千年の腕試しの中にそんな連中は掃いて捨てるくらいいた。ただ、何か、肌で感じるというのか。本能的にイヤだった。……そう言うと、レイアを信頼していたバッシュには悪いんだけどな……」
「別に遠慮する必要はないだろ? それとこれとは別の話だ」
「何をごちゃごちゃと言っているっ! わたしをコケにするのも大概にしろ」
「勇気があるなら、後ろめたい思いがないのなら、何をそこでとどまっている」悪辣な意図を込めてリボンはニヤリ。「己の思いに自信があるのなら、構わずデュレを追えばいい、オレたちを打ちのめせばいい。違うか、レイア! オレたちの出方を見た等という言い訳は通用しないぞ」
「っ!」レイアは逆上した。
 その様子を見定めつつ、リボンはバッシュに短いコメントを聞かせた。
「今更、何を言っても仕方がない。取り返しは付かない、むしろ、これからどうするかに力を注ぐべきだ。バッシュは知っているはずだ……」
「今更、言われるまでもないよ」バッシュは儚い笑みを浮かべていた。
 キィィィィィイン……。全くの不意に金属音のような音の高鳴りが聞こえた。
「まずい……!」しかし、もう、シールドは間に合わない。
 レイアの十八番、異属性魔法の複数展開。数瞬の差で違う属性の攻撃魔法にさらされると、防御が厄介なことになる。一口にシールド魔法と言っても幾つか種類があり、どんな属性にもでもオールマイティに機能するものはないと言ってもほぼ間違いない。無論、効力ゼロと言うことはないが、適切なシールドを選択しなければ期待する防御力は得られない。
「来るぞっ!」リボンは叫び、バッシュを突き飛ばして共に地面に倒れ込んだ。
 ドドド。今まで、いた場所に漆黒に染まった槍が数十本突き刺さっていた。しかし、それでは終わらない。ホンの序の口に過ぎないようだ。ひゅいんと小さな何か円盤状のものが回転するような音がすると、数秒の時間差で幾つもの魔法陣が現れだした。最初の方から、順次展開してくるらしく、ただの白い線で描かれた魔法陣がそれぞれの属性を象徴する色の輝きを放ち出す。
「お前たちはここで去れ。わたしの世界にお前たちはいらない!」
「くそっ! バッシュ。守護結界のの二重展開、付き合えっ!」
「判った。あたしが外をいく、シリアは内をやれ」
 その判断には魔力的な考慮がなされていた。魔力や魔法の熟練度はフェンリルのリボンがバッシュよりも幾分上だった。同じシールド魔法を使っても、バッシュよりリボンがより高度に隙のないものを作ることが出来る。ならば、先に弱めのシールドでレイアの魔力を受け流し、最後には強固なシールドでブロックした方が得策だと考えた。
 リボンの選んだ魔法は数ある中でももっとも無属性に近いもの。それならば、一つの属性だけに大きな効力を発揮することはないが、際立って危険な弱点もない。異属性複数展開の魔法を防御するにはそれくらいしかない。放たれる魔法に沿って、同じ数だけシールドを立ち上げることも出来るが、魔力を悪戯に消耗するだけでとても現実的な作戦とは思えなかった。
「オレが先だな。よし、簡単なので行くぞ。――氷雪の王者・シリアの名により、神聖なる闇の神・シルト。闇の無限の吸収力を用い我らを邪なる精霊使いより隔絶する結界を形成せよ。――守護結界っ!」正式には魔法陣を描かねばならないが、短時間の駆動で済むのなら触媒となるものがなくても結界の維持は可能だ。リボンの結界が完成すると、さらにバッシュが続ける。
「深遠なる闇の神・シルト。バッシュの思いを聞き届けよ。ダブルスペル! 闇の無限の吸収力を用い我らを邪なる精霊使いより隔絶する結界を形成せよ、守護結界!」
 ギィイィィィン。耳障りな音が響く。結界に当たり、弾け飛ぶ魔法もあれば、シールド面に激しい揺らぎを残して吸収されていくものもある。とりあえずはシールドを破壊、越えるほどの威力を出す魔法は異属性複数展開の魔法の中に混ざっていないようだった。
 しかし、レイアもバカではない。ブロックされるがままにはなっていなかった。
「まずい」リボンはいち早く、兆候に気が付いた。「シールドブレイクがあるぞ」
「何? 流石、見込んだだけのことはある」バッシュは不敵な笑みを浮かべた。
「何、呑気なことを言ってる」期せずにリボンは狼狽えてしまう。
「ただ、受け止めることが防御じゃないだろ? 任せておけ、あたしの魔法の腕はちょっとしたもんなんだぞ。レイアくらいのレベルには後れは取らない自信はあるっ!」
 バッシュの瞳にギンとした張りつめた煌めきが宿る。
「ミラーフレーム!」闇魔法の一つ。リボンもこれには度肝を抜かれたようだった。
「おま、そんなのまでいけるのか? セレスはてんでダメなくせにどういうことだ?」
 腑に落ちない。そして、リボンがバッシュから回答を得る前に空間に縦に数メートルの亀裂が入り、左右に展開、高さ二メートル、幅一メートルあまりのミラーフレームが完成した。刹那、レイアの魔法がミラーフレームにぶち当たり、見事な反射角でレイアに向けて跳ね返った。
 その戦いの様子を高みの見物と決め込む黒い影が一つ。
「……レイアと……シリアが始めたか……」
 そして、視線を移すとリボンの援護を受けて、逃げていくデュレとセレスの姿も見えた。レイヴンは二人の姿を追い続ける。そのルートの先には大きな建築物が一つだけあった。脇目もふらず、横道に折れることなくメインストリートを行く二人の姿を確認して、レイヴンはその目的の場所がそれであると確信した。シメオン大聖堂。
「なるほど、封印の絵はあそこにあるんだな……。あんなところに隠すとは……。ふん、小賢しい」レイヴンは遙か上空から、下界を見下ろしていた。「アルタの話も的外れでもないわけだ。流石は時の渡り鳥とでも言っておこうか」
 僅かに感心したかのようにレイヴンは一人呟いていた。
「しかし、随分と手間取らせたな。あの連中……。在処が判れば、レイアには用はない。いや、待てよ。もう一働きしてもらおうかな……」
 レイヴンは空から降りてくると、アルタの待つ民家の屋上に降り立った。
「セレスたちが動けば絵の場所が判ると言ったのは本当だっただろう?」
「ああ。だが、どうして、俺には見つけられなかった? シリアの奴は腕試しと称して、久須那のシルエットスキルと色々と悪さをしていたと言うことだが……?」
「……今日はシリアが一緒ではないだろう? 途中でレイアに掴まってる……」
 そのアルタの一言で、レイヴンはピンと来たようだった。
「あいつか……。サスケの息子」やはり、思い至るところがあった。
 千年以上も昔、結局、サスケにはいいようにあしらわれてきただけだった。サスケのせいで迷夢を取り逃がし、命からがら逃げ出さねばならい憂き目にあった。
「きっちりと借りは返させてもらう」
「借りか……。俺もあいつには大きな借りがあったな……」
 囁き声の独り言。アルタは呟く。あの日、あの時、二人は居合わせた。いや、二人以上その場にいたのは間違いのない事実。これから行く場所で全てが終わってしまった後に、アルタは白い毛並みの“奴”に助けられた。
「どうした? 顔色が悪い」気が付くと、訝しげな眼差しでレイヴンがアルタの顔を覗いていた。
「いや、何でもない」アルタは額を押さえてよろめいた。
「レイヴン、そっちの様子はどうなっている?」
 レイヴンに言葉をかけながら、黒い翼の天使がその傍らに舞い降りた。マリス。アルケミスタの閉ざされた封印の洞窟から初めて姿を現した。アルタが本物のマリスを目撃するのももちろん初めてのこと。その存在感に圧倒されて、立ち尽くす。
「マリス」レイヴンはそっと顔をマリスに向ける。「こっちは首尾よくいっている。迷夢はアイネスタの方角に飛び、久須那の封印の絵の在処について目星がついた」
「……そいつは?」マリスの疑心暗鬼の厳しい眼差しがアルタに降り注ぐ。
「段取りに手を貸してくれた味方だ。心配には及ばない」
「――お目にかかれて、光栄です。マリスさん」アルタは儀礼的に挨拶をする。
「社交辞令など、いらん。何かあるなら、行動で示してくれ。で、レイヴン。必要な魔力と魔術師の人数は確保できたのか?」
「出来た。近頃の独善的な協会に異を唱える連中をトリリアンを通し、かき集めた。上級で数十人。中級クラスでほぼ百人になる。その他、有象無象も含めると二百人はくだらないと……」
「ならば、わたしたちは真の目的に注力しても問題はないな?」
 その間、アルタは疑問を挟むことなく二人のやりとりに耳を傾けていた。興味は尽きない。しかし、アルタは二人が何を求め、どういった方法で何を為すかすでに知っていた。時を渡り、未来の一部を垣間見たアルタには歴史の一ページの追認に過ぎない。
「キャロッティでの予備実験では必要出力の八十九パーセントまでクリア。明日に控えた本番では百パーセント以上の出力も問題なく出せるかと」
「――目的は明かしているのか?」
「連中には協会を退かせ、リテールを掌握するのも夢ではないと」
「そうか、ならば、やるぞ……。迷夢がこの街の魔力を源に例の魔法を実行に移す前にな。――シメオンを魔に落とす。他にこれだけ巨大な魔力をもつ都市はないから……迷夢の思惑は成し得ない。そして、――二人とも始末する。もう、仲直りする必要などない……」
 しかし、そう言うマリスの口調には一抹の淋しさが宿っていた。

 リボンの援護を得て、デュレとセレスは大聖堂裏の隠し扉前に辿り着いていた。その扉を見れば見るほど、この間はよくぞ無謀なことをやってのけたと考え込んでしまう。リボンやバッシュがいたからこそ、部外者がしかも裏から大聖堂にはいるという大胆な行動が何の臆面もなくすることが出来たのだと考えが及んだのだ。
「ここから先は二人きりです。助っ人は望めません」
「判ってる。……あたしを信用して。何があってもキミを守ってみせる」
「わたしとしてはセレスに守られるなんて不本意なことなんだけど……仕方がありませんね」
「そ、そんなこと言うなら、守ってあげないんだもん」
 セレスは拗ねてプイッとデュレから顔を背けた。デュレはため息をつき、隠し扉をそっと開けた。内側に人影はない。協会関係者には忘れられてしまった出入り口のようで、近年はよりいっそう、リボンとバッシュ、腕試し挑戦者専用の色合いが濃くなっていたのだろう。
 二人は左右をよく確認し、おもむろに内部に進入した。
 そして、デュレは全くの唐突に胸の内を喋り出した。
「レイアは……味方だと思ってました。たったの一日限りで全部を叩き込まれた特訓は大変だったけど……。それでも、厳しけど、優しいお姉さんで。とても強くて。――レイヴンから守ってくれたんだと思ってた。けど、それが演技だったのかと思うと、もう、泣きたくなるくらいに……」
 デュレは語る。ショックだった。追撃の危険もほぼ解消されて、落ち着いてくるとレイアのことが思い出される。強く逞しく、優しいお姉さんに思えたのに。
「デュレ……」セレスには何も言うことが出来なかった。慰めようにも、いい言葉が何も思い浮かばない始末だった。「あの……生きていれば、そのうちいいことがあるよ」
「それは慰めているつもりですか……?」
「う……うん。一応、そのつもりなんだけど……。余計なことを言っちゃった? もしかして」
「ううん……」デュレは目を閉じて首を横に振った。「ありがとう……」
「ひぇ? どうしちゃったの? キミらしくもない」
「人が折角、お礼を言ってるのにそんなことを言うんですか?」
「あははっ、あたしらしくていいでしょ?」大笑い。
 人目をはばからなければならないところを歩いているのに、そんなことは全く気にも留めもせず、セレスは大股に回廊を進む。まるで、迷夢の人生訓を自分のそれとしたかのような行動。と、この間の階段を下り、この間の地下室を目指す。薄暗がり、湿気、苔むしたような階段。数日前も、これから先もあまり大きな変化を見せないのはこの場所のだけのようだ。
「ここ……。前、来た時とまるで一緒だね」
「まだ三日しか経っていませんよ?」
「うん、でも、こういう時って大抵何かあるもんでしょう? それなのに、レイアに邪魔されただけで、あとはな〜んにも起きない。上手くいきすぎてる時って怖いのよね。きっと、大丈夫なんだろうけど、どこかで何かの手抜かりがあるような気がしてヤなのよ」
「判るような気がしますけど、考えすぎだと……?」
 大分、下まで降りてくると、トタトタと足音が聞こえ、サスケが現れた。
「デュレに……セレスか……」大あくび。「今日は何の用事だ?」
 どこか間の抜けたようにサスケは言う。眠くてどうにもならないように見える。実際、壁際にでも丸くなって眠っていたのかもしれない。そして、サスケを見るにつけ、デュレの中である一つの疑問が湧き上がってきた。それはこの時代のシリアだと思っていたシリアが実は自分たちの時代のリボンちゃんだったと言うことにも起因していた。
「サスケ、あなたは本当にリボンちゃんのシルエットスキルなんですか?」
「いきなり何だ? ……お前はどう思う?」とりあえず、サスケはそのまま問い返した。
「はぐらかさないでください。答えをくれとは言わないですけど、ずるいです。……正直なところ、あなたがサスケでもサスケのシルエットスキルでも、リボンちゃんのシルエットスキルでも何でも構わないんです。けど、わたしはサスケが生きてるような気がしてならないんです」
 しかし、デュレは自分でサスケをリボンのシルエットスキルだと言い、リボンに確認を取っていることが心に引っ掛かっていた。久須那のシルエットスキルの例を考えると、二人は同じ名を持ち、同じような行動規範を持つ。そもそもシルエットスキルとは実体を持たない本人そのもののはず。としたら、この“サスケ”は一体何者なんだろうという思いが再び頭をもたげたのだ。
「……そんなことか……。……サスケは死んだよ。――もし、生きているとしたら」サスケは一瞬、思わせぶりな態度を見せた。「迷夢のブレスレットの中にひっそりと……」
「それは聞きました。今日の夜更けに……」
「ね、一ついいかな?」セレスが口を挟んだ。「キミがリボンちゃんのシルエットスキルだって言うなら、気が付いてと言うか、もちろん、知っていたんだよね?」
 言葉足らずだったが、サスケはセレスが尋ねたいことを察していた。
「もちろんだ」サスケはうっそりと答えた。
「それともう一つ」とセレスが言うと、サスケはちょっと嫌そうな顔をした。しかし、拒否されたのでもなさそうだと、セレスは遠慮なく言葉を繋いだ。「どうして、キミはここから出ないの?」
「……出ないんじゃない。出られないのさ」
 その言葉を聞いた瞬間、セレスは訊いてはいけないことを訊いてしまったような気がした。
「オレは封印の絵を守るためにここにいる。まぁ、いつも“姿形”を持って存在してるのでもないが、絵とオレの結びつきは強固だ。誰かが絵を運び出してでもしてくれない限り、オレはどこへも行けない。あまり、どこかへ行きたいとも思わないが……?」
「――淋しくないの?」つい、訊いてしまう。
「淋しい? 話し相手には久須那がいるしな。色んな挑戦者が来て面白かったよ」
 特にそのしがらみを苦にしている様子もなくサスケは平然としていた。
「しかし、オレに用があるんじゃないんだろう? 行けよ。久須那のシルエットスキルに認められたお前たちだ。絵の番人として、拒絶する理由はない」
「ありがとうございます」
 デュレは手短にお礼を言い、軽く会釈をするとさらに奥へ行く。そこはついこの間、久須那と腕試しをかねた模擬戦を行った場所。相変わらず、暗く湿気っていて、居心地がいいとはお世辞にも言えない場所だった。デュレは久須那の封印の絵の前に立つと久須那を見澄ました。そして、胸に左手を当てて、大きく深呼吸をした。
「……久須那さん、聞いていますか……。いえ、愚問ですね。聞いているはずですよね」デュレはゴクリと唾を呑み、意を決する。「ドローイングを解くか、それが無理なら封印破壊をします」
 薄暗がりの地下室を完全な静けさが支配した。身じろぎすると、微かな足音、服がすれる小さな音までもが部屋中に響き渡る。
「やめろ。封印を解く……壊すことはわたしが許さない」
 聞き覚えのある張りのある声が広くもない地下室に響き渡った。それは毅然とした口調で、デュレとセレスがしようとすることを拒絶しているかのようだった。
「どうして……ですか、久須那さん」困惑しきったようにデュレは尋ねた。
「シリアは何も言われなかったのか?」強い口調が返ってくる。
「いえ、その、言われましたけど……」モゴモゴ。「やらない方がいいって……」
「ならば、待て。急いては事をし損じるぞ」とりつく島もないように久須那は言った。
「しかしっ」デュレはダンと大きく前に一歩踏み出した。「機が来るのを待つだけがいいこととは思えません。今じゃない。今じゃないと。あなたもリボンちゃんも声高に叫びます。けど、それは本当なんですか? 仮に過ぎ去った歴史が正しいものだとして、わたしたちはここであなたの封印を目の前にして何もせずにただ待って、わたしの時代に帰ったと?」
 デュレの発する威圧感に久須那も少々押され気味だ。
「わたしはそうは思えません。わたしたちが何もせずに手をこまねいて帰るはずがありません。何故なら、今、わたしがそんなことはあり得ないと考えてるからです。純白の年代記にない過去はわたしたちの未来です。わたしたちが歴史そのものです。今じゃないと言えるのは全てを知ってたリボンちゃんの視点からものを見るからですっ! わたしたちはこの先を知らない。だから、思うがままに行動する。そう、決めたんです」
「……凄い饒舌ね。デュレ。あたしにゃ、そんなこと言えないわ……」
 感心しきりの様子でセレスはパチパチと半ばやる気のない拍手をデュレに送る。
「――正直、言えば、条件がまだそろっていない。申が……まだ帰ってこない」
 久須那は消え入るような、聞き取るのもままならないように囁いた。だが、辛うじてデュレはその言葉を耳にした。知ってる。申。サムと並び、“トゥエルブクリスタル”の伝承に語られる東方はサラフィの退魔師。ここでその名が出てくるとは思っていなかったが。
「それはどういう意味ですか?」デュレは厳しく問う。
「マリスの呪詛を解けるのは申しかいないと言うことだ」
「何故? 転生を待つと? ……サム……はいたかもしれないけれど、そんなのは非論理的です。大河に流れる水の一雫もないような確率にすがれと言うんですか? どうして、申なんですか? 呪詛を解ける呪術師、退魔師は他に幾らだっているんじゃないんですかっ?」
 デュレは久須那を目前にしても怖じけることなく詰め寄っていった。