12の精霊核

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36. raven vs. team dyure(黒の翼 対 闇の炎)

「では、その本領を見せてもらおうかな」レイヴンは不敵に言い放った。
 何も恐れることはない。例えどんなことになろうと、百の実力を使うことなく彼らを撃破する自信はある。相手がマリスや迷夢でもない限り、負けない自信はある。一方のサムだって、負けるつもりはさらさら無い。そして、久須那の封印の絵さえ守れれば、勝つ必要はない。が、レイヴンに牙を剥き、止めどない怒りの眼差しを差し向けるリボンはそれでは納得できない。
「サムはすっこんでろ」
「す? すっこんでろ?」驚きがサムの緊張の表情を崩した。
「お前は関係ない――」凄まじく研ぎ澄まされ目玉を射抜くかのようなリボンの視線がサムを見る。その後、そのままの険しさを持ったまま視線はレイヴンを貫こうとした。「これはオレとお前の問題だ。そうだな、レイヴン?」
「そうとも言えなくはないが……、もう、無関係ではないだろう?」
 レイヴンは腕を組んでニヤリとした。不必要な戦いをすることはない。誰かを殺す必要もない。しかし、それが求められるのなら、戦いも辞さない。尚も好奇心が打ち勝てば逆に戦いをやめる理由が消滅する。レイヴンには百パーセント以上の確率で負けない自信がある。
「ティム。やるぜ?」
「オーケー、サム。いつでもいいぜ?」
 と言って、ティムはようやくサムの頭から床に降り立った。腕を組み、どこにそんな自信があるのか不思議なくらいに仁王立ち。サムは頭が軽くなってホッとした。元々、ここに呼び出しているティムは“幽体”みたいなもので重さはほとんどないのだが、頭に乗られては気分が悪い。
「……スタートはてめぇに任せた」
「そうかい?」ティムはちょっぴり嬉しそうにサムを見澄まし、レイヴンに向き直った。「旦那がいいってんなら、オレも遠慮しねぇぜ?」
 ティムは思わず舌なめずりしてしまった。
「バーニングトランザクションっ!」
 ティムは悪戯っ子のような無邪気さを湛えた悪辣な笑みを浮かべる。任せたというのならば、物事を派手に展開したいというのがティムの心情。周りがどんなことになろうとも知ったことではないし、二の次だ。事実、広くもない地下室は僅か数秒間で炎の海になり果てよとしている。
「バカ、よせ、こんな狭いところで、そんな魔法を使われたら、逃げ場がないっ!」
 リボンが狼狽えて叫んだ。
「落ち着けよ。シリア。てめぇは平気だろ? 精霊王が慌てるとみっともねぇぞ?」
「フンっ!」レイヴンは左手を前面に突き出した。「マジックシールドっ」
 刹那、石の床から透明なシールドが立ち上がり、床を席巻しつつある巻き上がる炎が止まった。床一面の橙色の炎。そして、レイヴンの周りだけ不自然に炎が切れていた。
「……サム、そう言った物騒なことはやめてくれ。わたしの絵が燃えたらどうするつもりだ。お前はそういったデリカシーに欠ける。思いやりが……足りないんだっ」
「大丈夫……」サムはフッと微笑みながら囁く。
「何が、……大丈夫なんだ。わたしはともかく、キャンバスは布だぞ、油だぞ?」
「大丈夫。俺とティムはそんなへまはぜってぇしねぇ! 安心しな」
「安心できないから……!」
 そこまで言って久須那は口をつぐんだ。信じる他ない。シルエットスキルの自分ではいくら久須那と同じだけの力、経験を持っているといっても限界がある。本人と見まごうばかりの全てを持っていても、所詮は本人ではないのだ。
「判った、信じる。……お前たちだけが頼りだぞ……」久須那はフイッと姿を消した。
「さぁ、ティム。お遊び終了。俺たちの本領発揮としゃれ込もうぜっ!」
 きつく研ぎ澄んだ眼差しをレイヴンに向けつつ、いつの間にか鞘から引き抜いた剣を高らかに掲げる。それはティムへの合図だった。サムが狙うのは炎の魔法剣。物理的な攻撃力しか持たない剣に魔力を宿らせ、魔力で対象物を切り裂くのだ。
 ティムがすっと、サムの背中に寄り添った。気味が悪い。と言うのはリボンの弁。
「さぁ、異彩の精霊、サラマンダー。俺さまにてめぇの力を貸しやがれ」
「了解、旦那ぁ。いっちょ、派手にぶちかましてやろうぜ!」
「炎の魔法剣」
 二人が声をそろえると、鋼色の剣に異変が起きた。それは本来、あり得ざる光景だった。鋼の刀身から炎が立ち上る。サラマンダーのティムの魔力を受け、激しく燃えさかる。
 瞬間、レイヴンはニヤリとした。素直に興味を引かれたのだ。
「なかなか、面白い。だが、それくらいでいいのか?」
 レイヴンは虚空より自前の剣を眠りから呼び覚まそうとした。魔法剣の揺らめく橙の炎とは対照的な漆黒の炎。サムはこのレイヴンが虚空から剣を取り出す一瞬を狙っていた。剣技には自信がある。しかし、天使を相手にした時は純粋な剣の戦いにはならず、どうしても魔力の大きさに左右されてしまう。だから、僅かな隙を突くのが最も確実だ。
 サムは剣を可能な限り、身に寄せつつ疾風の如く駆けた。レイヴンの剣が完全に実体化するまでが勝負。サムの目が珍しいほどの真剣な輝きを宿す。剣の束をがっちりと握りしめ、下段から上段への逆袈裟切りを狙う。普通なら斬れるはずなのだ。
 しかし、レイヴンは目先だけでサムの切っ先を確実に追っていた。剣が虚空から実体を持ちつつある間も、全く、動ずる様子も見せない。間に合う。それは明らかに勝ち誇った態度だった。サムの剣が閃く。ほぼ同時に、レイヴンの黒炎の剣が完全に実体化した。ひゅん。レイヴンは惑うことなく、サムの剣を目掛け、振り下ろす。
 ガキィン。黒と橙の炎がもつれ合い、瞬間、辺りが途方もない明るさに包まれた。
「甘いっ!」
「ちぇっ、パワーズともなると流石に強いな。もはや、一筋縄とはいかねぇか」
 息も切れ切れになる。サムとしては全力を出し切っているのだが、どうも敵わないらしい。
「……伝説の勇者の名を持つだけのことはある。サム、いや、協会魔法騎士団長・イクシオン殿とお呼びした方がいいのかな?」
 言いたいことを言い終えると、レイヴンは剣を構え、キラリと瞳を煌めかせた。
「そこまでです!」さほど広くもない地下室にデュレの凛とした声が響き渡った。
「デュレ?」リボンが振り返り様叫んだ。「来るなっ。やられるぞ!」悲痛な声。
「逃げます……」デュレは口の動きだけで言った。
「……ダークエルフと島エルフ。アルケミスタから無事に戻って来れたようで何よりだ」レイヴンは嘲りを含んだ眼差しを向け、どこか軽蔑を感じさせるように口元を歪めて髪を掻き上げた。「邪魔者も増えてきたことだし、そろそろ、用事を済ませて、帰らせてもらおう」レイヴンの目が悪辣な光を湛え、ギラリと煌めいた。「――封印の絵はもらっていく」
「ダメっ! その絵はあたしんだっ!」
 セレスの口をついて出た言葉はそれだった。
「それはセレスのじゃありません!」デュレは思わず否定した。
「うるさいなっ! その絵を持って行きたかったら、あたしたちをぶっ潰してから持って行け」
 セレスの大胆発言に度肝を抜かれたのはレイヴンではなく、味方サイドの面々だった。
「これはまた、大きく出たな。勇猛果敢な戦士か、それとも身の程知らずのただのバカか……」
「……オレはただのバカの方に賭けたい気分だ」
「俺の分も賭けておいてくれよ」
「きぃ〜、どいつもこいつも。誰か、あたしたちの勝ちに賭けろ!」
 セレスは地団駄を踏みながら、呆れ果ててる面々に怒りの眼差しを向けた。
「そんなの何でもいいです。逃げます。撤退、早く!」
 デュレはいきり立ってバタバタしているセレスの襟首を掴まえて引っ張った。さらに闇護符を左手に掲げつつ封印の絵を狙う。レイヴンが間に入っている上に、距離があるから上手く行くか判らないが、直接、運べないのならやる他ない。
「俺は……やるだけ無駄だと思うぜ?」レイヴンは余裕の笑み。
「そんなこと、やってみなければ判りません」
 デュレは背中に冷や汗が落ちるのを感じつつ、不敵な笑み。そして、未だにぎゃーぎゃー言ってるセレスのふくらはぎを蹴飛ばしつつ、地下室から退去しようと踏ん張っていた。
「俺が邪魔するんじゃない」意味深にレイヴンは言う。「この監獄が邪魔する。入ってきて判ったが、護符ごときの簡易魔法ではここの結界は越えられないんじゃないか?」
「しかし、一度は成功しました」デュレは言ってからハッと口をつぐんだ。
 言ってはいけない言葉。アルタと共に行動したレイヴンは勘づいてしまうかも知れない。未来を知らない者に未来を教えてしまうことは紡がれ“た”歴史を壊す行為に他ならない。すでに何度も破られたかもしれないタブーだが、不用意な言動は慎まねばならない。
「さあっ!」デュレはレイヴンを牽制しつつ、サムとリボンに向け怒鳴る。
 さらに、手にした闇護符に魔力を送り込み発動準備に取りかかる。護符に描かれる小さな魔法陣と梵字に仄かな明かりが湧きいづる。
「おい、シリア、行くぞ。あとはデュレに任せろ」
 サムは足下でうなるリボンを気にしつつ、トトッとバックステップを踏む。レイヴンに殺意はないとはいえ、いつ豹変するかは判らない。
「そんなワケいくかっ! 封印の絵はオレが守る」
「つべこべ、言うんじゃねぇよ」悪態をつきつつ、サムはシリアを抱えようとした。「てめぇ、重い。体重は一体どれだけあるんだ?」何とか抱え上げるとサムは階段を登る。
「バッシュは軽々だったぞ。……じゃない! 降ろせ」
「てめぇの親父だって一人では天使をどうにも出来なかったんだろう? ゼフィと久須那と……おまけで迷夢が居て、しかも、マリスが冷静さを失っている状態で辛うじてだろ?」
 そこまで言われると、リボンも何も言えない。リボンも決して力が足りないわけではなく、普段魔法を使わないだけにその実力は不明なのだが……、現世では精霊王の名を冠せられるほどの圧倒的パワーを誇っている。しかし、異界の住人とも呼ばれる天使になると話は別だ。
「何でもいいんだよ! 天使が相手なら頭数は一人でも多い方が……」
 リボンはすっかり冷静さを欠いてサムに食ってかかった。
「どうした、てめぇらしくもねぇ。――少し、頭を冷やせ」
 サムには珍しく冷えた声色。それには流石のリボンも焦りのようなものを感じた。
「……すまん……。もう……、何もなくしたくないんだ……」
 うつむいて呟く。そして、サムとリボンは地下室を飛び出し、螺旋階段を駆け上がる。デュレは二人が居なくなるのとを確認すると、最後の一言を唇から発した。
「行きますっ! キャリーアウトっ!」
 デュレの紫色の瞳が真紅に染まる。デュレが魔力を思い切り解放する時にはその紅はより深く、深紅になる。闇護符を使う時はそれ程でもないが、正式に呪文を詠唱する時には研ぎ澄まされ鋭く突き刺すよな眼差しとなり、さらに瞳を血の赤に染め上げれば、実際に魔法を使わなくても相手を恐怖のどん底まで突き落とすことが出来る。
「どうやら、――上手くいかなかったようだな……」
「くっ」デュレは短く声を漏らした。
 レイヴンの指摘の通り封印の絵はそこから消えもせず、少しも動いていなかった。
「……構わない。お前たちも行け」
 久須那のシルエットスキルの声がキャンバスの近くから聞こえた。
「ほう……、健気だな。エルフどもを逃がす犠牲になろうというのか」
「いいや」久須那は目を閉じ首をそっと横に振った。「いいか、デュレ。時期を見計らえ。お前はこの絵の行く末を知っている」久須那はカッと目を見開いた。「未来を信じろ!」
 その一言で、全てが通じた。1516年で見て聞いてきたことを疑うなと言うことだ。
「……! セレス、行きます。久須那さんの意図、あなたにも通じましたよね?」
「わ、判ったような、そうでないような気もするけど、何となく……」
 半信半疑の様子は否めないが、何となく掴めているならそれで構わない。細かいことは後でもゆっくり説明できる。それより、今はレイヴンの傍を離れることが先決だ。長居をしたら、分が悪い。レイヴンが自分の優位が揺るぐことがないと思っているうちに居なくなってしまうのがもっとも理想的なこと。デュレはセレスの左手首をひっ掴み、先に行ったサムたちを追おうとした。
(思い通りに事が運ぶとは思うなよ……。お前たちはすでに俺の手のひらの上)
 レイヴンがニヤリと笑った。
「うぎゃっ??」バシンと乾いた音がして、セレスは何かにぶつかった。
「きゃっ」ゴンっ。
 デュレは額を激しくぶつけて、そのまま床にうずくまる。もはや、再起不能かと思われるくらいに頭が割れるかと思った。しかし、長々とうずくまっていられるはずもなく、デュレは出来る限りのスピードで起きあがったけれど、よろめいて壁に手をついた。
「何これ? 何、この透明なガラス? 壁?」
「サムとシリアには正直興味ないんだ。あいつらだけでは何も出来ない。と言うと少し悪いかな。出来なくはないが、決定打に欠ける。……居たところで何も出来まい? それより、お前たちをここで消した方がずっといい。波打ち際にたどり着いた小舟はここで沈める」
 レイヴンは垂らしていた剣をスッと持ち上げて、身体の正面で構えた。目は本気だ。全神経を戦いのみに集中させる。その他のことは思考の外側へと追放した。
「――あいつ、本気みたい……」
 セレスはつとデュレの肩に身を寄せ、その耳元で囁いた。
「ええ……。このままだと、勝ち目はないと思います。隙をついて、あれを破らないと」
 デュレはトンと肩をぶつけて、視線で出入り口を指し示した。魔力の“シールド”と言うよりはむしろ、“ガラス”のように見えた。セレスと自分がぶつかった時の様子を見て考えるに、通常、魔力を伴うシールドに触ると静電気、もしくくは雷撃を食らったような衝撃を受ける。それがないと言うことはエネルギーとして存在しているのではなく、半ば物理的に存在しているようだ。
「簡単には壊せないぞ」囁きとも呟きとも似つかぬ、ひどく低く聞き取りにくい声色だった。「……まあ、案ずるな。お前たちはともかく、この絵を今すぐ、破ってしまおうとは考えていない。……これは……」
 これはレイヴンにとっても思い出の絵に他ならない。儚い笑みを浮かべ森に佇む久須那の裏にはかつての仲間たちがいる。それを容易く滅ぼすことはいかなレイヴンでも出来ないことだ。
「――未練があるんでしょ?」セレスは腕を組み、視線でレイヴンを突き刺す。
「はん? 言いにくいこともサラリと言ってのけたな」
「セレス。思ってることを何でも言って、いたずらに刺激するのはよしてください」
「あん? 今更、何がどうなったって、大したことないでしょ? ど〜せさ、やり合わなくちゃならないんでしょ? その時が早まるか、遅くなるか、それだけの話でしょ?」
 デュレの言葉に対してセレスは猛反発した。
「確かにそれだけの話かもしれません。でも、明後日、アルタの指定した場所に行きたいなら、ここで無用な戦いをすべきじゃないんです。何で、そんなことも判らないんですか」
 何故だか、デュレは哀しくなってきた。どうして、セレスはこうも聞き分けがないのだろう。自分だけが頑張ってると言うつもりもないけれど、やるせなくなってしまう。
「アルタと会うのか? お前たち……?」レイヴンに感じるものがあったらしい。
「そ、そうだよ。会っちゃいけないって言うの?」憮然と言い放つ。
「いや……。小娘どもにアルタと接点があるとは……。興味をそそられた。――どうせ、命懸けにはならない。少しくらいなら遊んでやってもいい」
 セレスはギリリと奥歯を噛みしめ、デュレは鋭い眼差しをレイヴンに向け思案を巡らせる。
「――あなたにとって命懸けではないというなら、ハンデをもらってもいいですよね?」
 デュレは得意の駆け引きにでた。クールで冷徹な表情を崩すことなく、デュレは挑戦する。レイヴンの方がデュレよりこういった駆け引きを多く経験してるだろうし、結果を有利に導くノウハウに長けているはずだ。デュレはイニシアティブをレイヴンに取られないように奮闘する。
「……袋のネズミのくせにやけに強気だな……」やれやれ。
「窮鼠猫を噛むとも言いますよ?」負けじとニヤリ。
「ふんっ。論戦なんて幾らやっても不毛なだけなのよ」
 セレスはそう言いつつ、デュレの傍らをすり抜けた。姿勢を低く、セレスはベルトに仕掛けた短剣の留め金を外して、右手で逆手に持った。まだ、腰の裏側に短剣は隠れているものの、レイヴンはセレスが身にまとった雰囲気がガラリと変わったことに気がついていた。殺気立つ。元来、セレスは感情を押し殺し、気取られないようにするのは不得手だった。
「やめ……」デュレは止めようとしたが、もう遅い。
 レイヴンがほくそ笑む。
 セレスが不敵な笑みを浮かべる。互いに譲る気などないし、負ける気もない。セレスは自分の背後から短剣を素早く振り抜き、レイヴンの首筋を狙う。レイヴンは慌てる気配も全く見せずに、セレスの挙動を目で追いながら剣を動かした。
 二人の視線が出会い、熱く激しい火花を散らす。と、同時に短剣と長剣が交錯した。瞬間の鬩ぎ合い。セレスはこのままでは力負けすると察し、身を翻した。
「ちっ!」セレスは悔しそうに舌打ちをした。「ダメか」
 セレスは一気に間合いを広げようとした。長く、レイヴンの剣の届く範囲にいるのは危険だ。
 その一方、デュレには攻撃のチャンスが訪れていた。セレスがレイヴンとデュレの一直線上に入り、デュレが死角に入ったのだ。無論、逆も真なりだが、優位性はデュレにある。デュレは全くの不意に訪れたこの機会を最大限に活かす方策を考えた。
 闇護符。レイヴンに気付かれることなく魔法を放つにはそれしかない。
 どの魔法が最高か。その自分自身への問い掛けに、デュレは答える。
「……何を選んでも、大差はないんですよね……なら……」
 デュレの瞳が悪辣な光を宿した。どうせなら、今までに一度も使ったことのない魔法を使ってやれ。デュレにしては珍しく新しい魔法を早く試してみたいと言う衝動に駆られていた。相手がレイヴンだし、ここは閉ざされた空間だ。安全性を考慮しなくても被害は最小限度。最悪の事態に陥ったところで、セレスに恨まれるくらいでどうにかなるだろう。
 デュレは極瞬間的に心を決め、一枚の闇護符を手に取った。
 身を翻したセレスと目が合う。レイヴンはまだセレスの身体の向こう側。遺跡の発掘やら何やらの幾多の共同作業を経、培われた経験で極限状態での二人の意思疎通の速度は極めて早い。セレスはデュレの意図を察して、衝立の役割を果たす。
「……?」しかし、レイヴンも勘は鋭い。何かがありそうなことくらいはすぐに判る。
「――ありがとう……セレス」
 蚊が鳴くように細く、声自体はセレスには届かない。が、セレスはデュレの意図を感じた。セレスはデュレの唇の動きを見て、何となく読めた。デュレは余程のことがないと感謝の意を表現しない。そのデュレがちょっぴりの間だけど目を伏せ、恥ずかしそうな雰囲気から察していた。
「闇の魔術師・デュレの名に於いて、護符の深淵に封じし魔力を解放する」
 デュレの唇から言葉が発せられると、闇護符に描かれた梵字、小さな魔法陣、そして眼に仄かな光が灯る。同時に、デュレの瞳の色が深い紫色から深紅に変わる。それは波長が短くエネルギーレベルの高い紫色から、全ての魔力を出し切って赤くなってしまうかのように。
 デュレは息を呑む。一秒にも及ばないはずの刹那の時が永遠に感じられた。
 心臓が期待と不安に高鳴った。あと、一言だけ言えば、護符から魔法がほとばしり出る。
 セレスがレイヴンとデュレの直線上から外れた。その次の瞬間、
「スクリーミングハリケーンっ、キャリーアウト!」
 デュレは実行の合図を大気中に放った。闇護符は“待ってました”と言わんばかりの勢いで、灰燼と化す。そのことにより、闇護符に封じられた魔力が解放され、魔法に転ずるのだ。デュレの選んだスクリーミングハリケーンはいわば、闇の嵐。風と雨による自然の演目ではなく、風も雨もない。これに近い魔法はサクションだが、それとは明らかに趣が異だった。
「これは……何?」壁際まで逃げたセレスが当惑するのも仕方がないことだった。
 眼が一対、虚空に浮かんでいた。ひゅぅぅ〜〜と静かな風音がする。恐ろしいまでに静まりかえる空間。足を僅かに動かしただけでも石床の欠けらと靴のすれる音が大きく聞こえる。心臓が恐怖に震えるのをセレスは感じた。今まで、デュレが使ってきた闇魔法とは明らかに何かが違うのだ。黒い炎がほとばしるのでも、槍が飛ぶのでも、三日月状のカッターが飛んでいくのでもない。ただ、それはそこにあるのだ。しかも、とんでもない威圧感を伴って。
 そして、セレスが当惑するのと一緒に、レイヴンも驚きは隠せないようだった。光を失いかけいつもより僅かに見開かれたレイヴンの瞳が物語っていた。しかし、それは一瞬のこと。レイヴンは覇気を取り戻し、一言だけ言った。
「それがどうなる?」
 デュレは答えない。代わりに一対の眼の挙動が全てを示した。眼は眼でないものに変貌を遂げようとしていた。じっとレイヴンの方を見詰めている。禍々しさを放ちつつ、眼は渦を巻きつつ一つに融和しようとしていた。見ていると、回る渦巻きに酔って気持ち悪くなってくる。
 その挙動は意味不明だが、周囲のものに訳の判らない恐怖を植え付けるには十分だった。
 やがて、それは完全に一つに融合した。もはや、眼ではない。薄暗がりよりもより深い暗さと闇を持った虚空への通路。真横から見ればただの平面にしか見えないが、相対するレイヴンの方向から見ると呑み込まれそうなほど深い不気味な穴に見えた。
 オオォォォォオォオ。穴の深淵から獣のうめき声のような気味の悪い音がする。
 セレスはピッタリと壁に張り付き、そっちを見ないように試みた。身の毛がよだつほどに本能的に怖いのだ。いわゆる、“善良なる闇魔法”ではなく、“邪なる闇魔法”の部類だろうとセレスは感じていた。危険すぎるほどに危険だ。無論、デュレもその危険性は承知していた。が、練習して使いこなせる魔法では足りないことが判っている。だから、スケールを小さく闇護符に封じた形で使ってみようと少し以前から考えてはいた。
 ネットリとした闇が蠢いている。邪悪な何かを感じさせ、その奥底から何かが飛び出して来そう。そして、突然だった。不穏に落ち着いた状態から、一気に展開した。晴天から前触れもなく暗転し、暗雲に閉ざされ嵐が吹き荒れるかのように。
「な、何だ。これは?」
 レイヴンは右腕を額に当て、風に煽られて宙を舞う小石から顔面を守ろうとした。生温い風が穴の底から吹き付ける一方で、おいでおいでするかのような心地よい風も届く。それは船乗りの心を惑わすというセイレーンの歌声にも似て、甘い。
「ねぇ、デュレ」セレスはそっちを見ないようにしながら、あらん限りの声を出した。そうでなければ、デュレに聞こえないくらいの轟音が轟く騒々しさだ。「これって、デュレの習った封印破壊と何か通じるものでもあるのぉ〜? これ、シェラの言ってたことに状況が似てると思うんだけど」
「っ!」
 思いも寄らないセレスの言葉にデュレはセレスに振り向いた。もしかしたら、セレスの言うとおりなのかもしれない。スクリーミングハリケーンでは絵の封印こそ破壊できないが、闇の奥底へと吸い込む、引きずり込もうとする点では酷似している。デュレは思う。これでも大変だというのに、封印破壊となれば、桁外れなことになると。『やれるかも』と根拠のない自信が湧き上がる一方で、制御しきれるのかという不安も増大する。
(……呑気なもんだ……)闇の嵐に霞んでも、微かにデュレとセレスのやりとりが見えた。
「マジックシールドっ!」
 レイヴンは左手を身体の正面に掲げて、ショートスペルを唱える。手のひらからシュッと透き通った何かが現れるような小さな音がして、シールドが立ち上がる。
(シールドでは防ぎようがないのかもしれない……)レイヴンは思った。
 レイヴンが次の手を講じようとした時。それは唐突に途切れた。デュレの落胆したような表情から考えると、この魔法を失敗したしい。と、ピンと来た。闇護符に封じたはずの魔力が少なすぎて、途中でブレークダウンしてしまったと推理するのが最も正しいのではとレイヴンは考えた。
「……やっぱり、闇護符では容量が足りないのかしら……」デュレは囁く。
「……圧倒的に切れが足りないな」
 どこかで言われたことがあるような台詞だ。しかし、ホッとしたのも事実。
「お前の魔法は肝心なところで伸びないんだ。センスも良くて、魔力も人並み以上。だが、決定的に足りないものがある……」レイヴンは揶揄するように、ちょっぴり楽しみながら言葉を繋いでいるようだった。デュレの恨みのこもったような鋭い眼差しを楽しんでいるのかもしれない。
「――何が……足りないって言うんですか……?」
 と、問い掛けつつもデュレは判っていた。そして、レイヴンも判らない訳はないだろうと言いたげにひどく曇り、訝しげな表情で不機嫌に微かに頬を膨らませるデュレを見ていた。
「実戦経験に決まってるだろう? だから、いざという時の本領の発揮の仕方が判らない。どのタイミングで、どういう攻撃をして、どう守るか。追い詰められたら、どう切り返し、反撃するか。全然、なってない。それは……」レイヴンはスッとセレスを指さした。「島エルフのお前も同じだな。こっちのダークエルフいくらか経験は積んでいるようだが、それだけだ。――マリスには二人がかりでも勝てないな……」
「……試合じゃないんでしょ?」
 一人考えに沈みそうになるレイヴンの思考を遮るかのようにセレスが言った。
「ああ、試合じゃない」レイヴンはほくそ笑む。「ダークエルフ、お前の望みは曲がりなりにもお前の望みを叶えてやったぞ。今度は俺の望みをきけ」
「イヤです」デュレはきっぱりと言いはなった。
「そう言うだろうと思っていた」瞬間、レイヴンの顔がニヤリと歪んだのが見えた。
「な、何をするつもりですかっ!」
「別に……。無用の人殺しは性に合わないんでね。そろそろ、帰らせてもらおうとね」
「ダ、ダメです。それを持って行かれては困ります」
「お戯れを。俺はこれをもらっていけないとお姫さまにどやされるんだ」
 レイヴンはデュレとセレスを意に介することなく、ツカツカと久須那の絵に歩み寄った。
「――君らが無事にここから出られたら、また会おう」
 レイヴンは久須那の絵に手を触れると、聞き取れないような小声で呪文を唱えた。魔法の名前はパーミネイトトランスファー。すでに途中まで密かに詠唱を完了していたらしく、ほとんど最後の方にある実行の文句を唱えただけのようだった。
 絵と共にレイヴンの姿がかき消すように背景に溶け込んでいく。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あ〜、どうすんのよぉ、デュレぇ」
 セレスが消えゆくレイヴン……とデュレに向けて幾分投げやりに言葉を投げた。絵を持って行かれてしまったのは諦めるとしても、自分たちがここかどうやって抜け出すかが問題だ。デュレの試算では確率は五分五分。二人を閉じこめた壁は魔力としてだけではな、半ば実体化しているようで、この手のものを壊すのは容易ではない。
「触れても……」デュレは硬質ガラスのようなそれを触れた。「ショックも何もありませんね……。これはちょっと厄介かも……」
 デュレは腕を組みつつ、左手は顎を触れていた。眼差しは険しく、隙を探るかのように入口を閉ざす透明な壁を隅から隅までねちっこく眺め回していた。
「ねぇ、ホントにちょっとなの? あたしにはちっともそうは思えないんだけど」
 デュレは自分の後ろに立ってぶつくさ文句をたれるセレスの声を何とか意識の外に遮断していた。黙っていればうるさくてしようがない。無論、セレスがごたごた言いたがる心情も判るが、一生懸命ありとあらゆる知識を総動員して考えているデュレとしては静かにしていて欲しい。
 デュレはキッとセレスを一睨みした。
「な、何よ……」ドキッとしてセレスはデュレから視線を外して口篭もった。
「闇の使い手、デュム・レ・ドゥーアが命ずる。光を滅せよ、闇の剣」
 すると、デュレの手元から虚空を切り裂いて長剣が姿を現した。普通の何の変哲もない鋼の剣に見えるが、それには明らかに闇の意志とも言える躍動が感じられた。
「……デュレ、剣なんてまともに使えるの?」
「つ……、使えなくたって使うしかないでしょ」
 デュレはぎこちない仕草で剣を握ると透明な壁に向かう。正体に構えて、デュレは透明な壁を斬りつけた。同時にギャリリリと激しくガラスと剣がせめぎ合う耳障りな音が響く。セレスは反射的に耳を押さえ、デュレは手から剣を落としそうになった。
「――傷が入った……」
 瞬間、デュレは闇の剣を虚空にしまい込み、闇護符を手に取った。大チャンスだ。傷に魔力を叩き込めば、そこから破壊できるかもしれない。淡い期待でありつつも、それが今できる最大の攻撃。
「闇の間隙よりいずる漆黒の矛先。さあ、来てください。アルティメイトランスっ!」
 刹那、虚空より一振りの巨大な突撃槍が姿を現した。デュレは槍を手に取り、まさに正確無比に出来たばかりの傷に槍を打ち付けた。ランスはデュレの魔力の結晶でもあり、体力には比例せず、魔力に比例した力を持つ。だから……。
 ピキキィ――。透明な壁に亀裂が入った。
「いけるっ! セレスも手を貸しなさい」
「で、でも、あたしはぁ……」セレスは物怖じしてしまって、一歩後ずさった。
「わたしが貸して欲しいのは“魔法”じゃありません。セレスの“魔力”を貸して欲しいんです。魔法は全然ダメかも知れないけど、魔力では誰にも負けていない。さぁ……」
 デュレはセレスの瞳を見澄ました。目と目が出会って、互いに頷きあう。
 二人で突撃槍の掴み、有りっ丈の力と魔力を込めて、突っ込んだ。ビキィ。亀裂を広がり、魔力が伝播して、レイヴンの作り上げたガラスの障壁が一気に崩れ落ちた。
「やった、やったっ、デュレ?」セレスは思わず、大喜び。
「呑気に喜んでる場合じゃありませんよ。レイヴンを相手に……しかも、テキトーに手加減されて、これじゃあ、マリスになんか歯も立ちません」それから、デュレはポツリと言った。「……スクリーミングハリケーンがフル活用できたらひょっとするかもしれないけど……。途中で止められちゃったら、きっと、大変なことになるだろうし……。それもちょっと……」
 思案投げ首とはまさにこのこと。打つべき手はあるけれど、どれもその標的たるマリスに通じる自信がない。デュレは考えれば、考えるほど不安になって、胸が締め付けられて押し潰されそうになる。けど、セレスは深刻そうにしている反面で、意外にあっけらかんとしていた。
「あん? じゃ、ヴァーチュズとあろう迷夢に特訓を頼もうかしら?」
「――迷夢には悪いですけど、ドミニオンズのマリスには見劣りしてしまいます」
「ま、ね。けど、迷夢のあの読めない戦いぶりに少しでもついて行ければ、ちょっぴり気が楽かもよ?」セレスは疲れ切った微笑みを浮かべていた。
「余計気が重くなると思いますよ」
「それでも……、あ……。うん……。休もう……? カフェに行ってさ。珈琲でも、紅茶でも、何でも飲みながらね?」
「朝食も食べていませんよ。すっかり忘れていました。……セレスにしては珍しいですよね。色気よりも食い気、どこかに吹っ飛んでいくよりもご飯。なのにね」ちょっとだけクスリ。
「あ〜、たまにはそんなこともあるのよ」困ったように頭を掻いて、セレスはのんびりとした口調で言った。「あたしにだって、こう、真面目に考えて、ご飯を忘れちゃったりするのよ?」
「ごく希にですけどね」クスクス。
 呑気に笑っている場合でもないけれど、笑みもこぼれる。今の自分たちでは天使に、エンジェルズの久須那にさえ歯が立たないのだから、今のままではパワーズ、ドミニオンズとあろうレイヴンやマリスには敵いようがないのもどうしようもないほどに現実なのだ。
「でも、本当にどうしよう。……久須那の絵はレイヴンに渡っちゃうし。あたしたちは為す術まるでなし。な〜んかもう、このまま帰っちゃいたいくらい」
「でも、残念ながら帰りの切符は持ち合わせていません」
「なんだよねぇ」セレスは半分無意識に答えて、フと思う。「え、片道切符ってこと?」
「出発した時のことを考察すると、必要なアイテムは判るんですけど……」とデュレが言うと、興味ありありと言わんばかりにセレスは瞳を 煌めかせた。「精霊核と……恐らく、切っ掛けを作るのに精霊核の欠けらというか、何というかそんなようなのが一つ。でも、リボンちゃんは精霊核の記憶を辿って過去へ行くと言っていたような気がするんですよね?」
「だったらどうなの?」セレスはデュレの言いたいことが判らないと問い返す。
「精霊核の記憶にあるはずのない未来へはどう戻ったらいいんでしょうね?」
「い?」デュレの思わぬ答えにセレスはドキンとした。「つまり、それって帰れないってこと? ……約束が違うじゃん。リボンちゃんめ!」
 セレスは拳を握って闘争心をめらめらと燃え上がらせた。こうなったら、黙ってはいられない。次にリボンとあった時には絶対にとっちめてやらなければ気が済まない。
「……セレス。体力の無駄遣いはやめなさい」
 デュレにはセレスの考える事なんてお見通しなのだ。