12の精霊核

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50. we're still here(それでも、ここに居る)

「……み・み・な・が・て・い……ここかぁ……」
 黒い大きな翼を負った人影が一つ、エルフの森の入口の耳長亭前に佇んでいた。背丈はあまりなく、人で考えると十代前半くらいでクリルカとほぼ同程度のようだ。その人影は扉にぶら下げられた営業中の札を見て、何かムカムカするようなことを思い出したらしく、目を三角に眉間にしわを深く刻んでパタパタと足を踏み鳴らし始めた。
「ったく、ど〜して、場所を教えてくれないのよ、くそチビめっ! ――ついでに、迷夢とあろうあたしがどうして、こんな様なのよっ! 折角、復活できたと思ったのに。いつまで経っても子供の大きさのままだし、魔力も最大マックスまで回復できないなんて……! あ〜もう、何でなのよ」
 ぶつぶつと悪態をつき、それに満足すると迷夢はおもむろに扉をノックした。コンコン。乱暴に蹴破ってみるのもいいけれど、聞けばここの主人は怒らせると超弩級に怖いらしい。普段ならば、遠慮会釈なしに突っ込んでいくところだが、力が十分ではない今は避けた方がよいと判断した。
 それから、迷夢は大きく深呼吸。どんな人物が出てくるのか興味津々、ドキドキだった。リボンと再び会えると言う胸の高鳴りもあった。けれど、同時に不安だった。ここのマスター、住人がもしも自分のことを全く知らなかったら……?
「――どなた?」優しそうな女の声がすると同時に扉が開いた。
 鮮やかな緑色の服を着てショールを羽織った腰までの長髪の女性。いつか、リボンが言っていた森の精霊・ドライアードのジーゼの容貌そのものだった。
「キミがジーゼ?」迷夢はマジマジと見詰めて言った。
 すると、今度は緑色の服を着た女が迷夢をマジマジと見詰めた。品定めするかのように。ジーゼの前に立っているのはどちらかというと可愛い女の子だったけれど、どう見ても黒い翼の天使なのだ。黒い翼の天使に、そもそも天使にいい思い出はない。
「ねぇ、ジーゼ。誰か来たの? お客さん。それとも、ただの冷やかし?」
 ジーゼの陰からひょと小さな女の子が顔を覗かせた。
「クリルカ、えぇ、お客さんよ。……ちょっと、シリアくんを呼んできてください」
「うん、判った」クリルカは返事をしてトトトと奥の部屋に走っていった。
 クリルカを見送ったあとで、ジーゼは迷夢を店内に促した。本来なら、怪しげな人物は絶対に店内に導いたりはしないのだが、彼女からは取り立てて禍々しさや邪気は感じられなかった。それにその姿はジーゼの深緑の精霊核の中に久須那とシリアと一緒に仄かな記憶として残っていた。だから、ジーゼはもしかしたら……と言う自分の直感を信じたのだ。
 けれど、ジーゼは“迷夢ですか?”と聞くでもなく、黒い翼の女が何者なのか特に確認しようともしなかった。ジーゼはカウンターの裏に回り接客の準備を始めた。
「ねぇ、あたしが誰なのか聞かなくてもいいの?」痺れを切らして迷夢が問う。
「お客さまの名お前を聞いたりはしませんよ」にこやかに言う。
 そこで迷夢は不審に思った。
「あれぇ? リボンちゃんから聞いてないの? おかしいなぁ。確か、話は通しておくからなと白いモヤモヤの塊に言われた記憶があるんだけど……? 聞き違い、気のせいだったのかなぁ? あっ! それとも、エルフの子猫ちゃんその二から聞いてない?」
「……エルフの子猫ちゃんその二って誰ですか?」ジーゼはそれでもにこやかに答えた。
「金髪碧眼の女の子。え〜と、名前はぁ、何だっけ? ……あ、そう、セレスちゃん」
 その時点で、ジーゼはこの天使は少なくとも敵ではないと判断した。完全には言い切れないが、セレスの名を呼んだ時の親しげな口調が全てを物語っている。
「特に聞いていませんけど……?」
「なにぃ! 何でよ。万一を考えて最低でもセレスが戻った頃合いを見計らったつもりなのに。でないと、あたしのこと説明してくれるの誰もいないじゃん! そんなの困るっ! ――じゃあ、リボンちゃんを呼んできて。直接会えば、絶対に判るはず」
「今、クリルカが呼びに行ってますから、もうすぐ戻って来るはずです」
 ジーゼは和やかに言う。しかし、それとは対照的に迷夢は険しい表情をしていた。
「もうすぐっていつよ? もう、イヤってほど待ったんだから、一秒だって待てない!」
 迷夢はジーゼに顔を近づけて、勢いよく食ってかかった。あの日から二百二十四年。サスケの魔力を借りて復活を遂げてから、十数年。迷夢ははやる気持ちを抑えて待ち続けた。自身の魔力が回復するまで大人しくしていようと心に決めた。けれど、もう限界だった。
「早く連れてきてよ!」
 迷夢はダンと床を踏みならして、ジーゼに迫った。と、そこへ。
「ねぇ、ジーゼ、ジーゼいる?」
 ジーゼと迷夢が押し問答を繰り広げる中に、突然、セレスが飛び込んできた。周囲を驚かすことも厭わずに扉をど派手に蹴破っての登場だ。ちょうどいい具合にドアの前に立っていた迷夢は軽く前方に弾き飛ばされて、床に額からズベベと着地してしまった。
「いったいなぁ、もうっ!」迷夢は額をさすりながら、戸口を向いた。苛々しているところにこの仕打ち、腹が立って腹が立ってしようがない。「あっ! セレスっ! 来たわね。あたしのことを説明してないなんて、どういうことよ!」
「――あら、……誰?」
 何となく誰なのかは判ったけれど、セレスは敢えて問うた。実際にセレスが知っているのはフツーサイズの迷夢なのだが、サイズが大きかろうが小さかろうがこれは間違いようがないくらいに迷夢だった。態度のでかさと騒々しさのこの二つの指標がマッチングしてるなら他のコトなんてどうでも良くなるくらいの代物なのだ。
「……目が笑ってるよ。判ってて言ってるんでしょ、キミの場合は」
「ううん」セレスはブンブンと首を横に振る。「ジーゼも知ってるよ」
「何っ!」迷夢はキッとジーゼを睨んだ。「知ってるなら、最初から言ってよ!」
「でも、少しからかってあげたら、喜ぶからって、セレスが……」
「こっちは消耗して、ひーひー言ってるのにあたしで遊ばないでっ」
 迷夢はマジな目つきで必死になってセレスに訴えた。けれども、セレスはあまりやる気もなさそうに左手をヒラヒラと迷夢を追っ払おうとした。
「……この間、遊ばれたお返しよ」
「何だと、このっ! あ〜、こんなつまんないことで、消耗してる場合じゃないのよ。も〜、回復しきれなくて、ここんとこずっとお子ちゃまサイズでやりきれないんだからっ」
 両手を広げてオーバーアクションで迷夢は言った。
「そうだと思ってるなら、少しは大人しくしてたらいいじゃない。時間、あまり、残ってないんだから。デュレが戻ってくるまでに出来るだけ体制を整えておかないと……。あの娘、癇癪持ちだから、やれと言われたことはやっとかないと、あとが怖いの」
「あら?」迷夢はいいネタを仕入れたとばかりにニヤリとした。
 それならば、体力や魔力の消耗の云々を考えるより、楽しそうだ。セレスがデュレにとっちめられるところを是非にでも観戦してみたい。今まではそんなチャンスはなかったから、迷夢のどうしようもなくてシチュエーションを選ばない時として破滅を導く好奇心が頭をもたげる。
 そこへ、クリルカを先頭にしてリボンとウィズが緊張の面持ちでやってきた。これまでの経緯をふまえるとここに現れるだろう“黒い翼のお姉さん”はマリスしか考えられなかったのだ。そして、現れたのがマリスだったとしたら、コトが穏便に運ぶこともないだろうと。
「来ましたよ」ジーゼはつと振り向いて、迷夢に言葉を投げた。
 迷夢はジーゼの声に鋭く反応して、俊敏にジーゼの示した方を向いた。
「あっ、ハロー、リボンちゃん」
 迷夢は馴れ馴れしく声をかけて、破顔してリボンに手を振った。
「……誰?」リボンはひどく訝しげな顔をして迷夢を見やった。
 目の前に立っている天使がマリスではないことは瞬時に理解できた。けれど、マリスの他には黒い翼の天使の知り合いはいないはずだったのだ。迷夢やレイヴンがいたが、リボンの記憶が正しければ、迷夢はその昔にアルケミスタの洞窟でレイヴンを道連れに死んでいるはずだった。
「誰って、そんなぁ。あたしのことを忘れちゃったの? お前は必ず戻れ、お前はこんなところでは死なないって言ってくれたのは……あれ? サスケだったっけ?」
 迷夢は自分の発言に自信が持てなくなって腕を組んで唸りだした。そんな様子を見せられてもリボンにはちんぷんかんぷんもいいとこだった。けれど、その幼い顔にはどこか見覚えがあった。遠い昔、自分が幼かった頃に見たことがあるような気がしないでもない。
「……。あ〜。あたしは迷夢なんだけど……」
 自分の名前を言い忘れたことに気付いて、迷夢は名を告げた。リボンはしばらくキョトンとしていたが、やがて、ハッとして気がついた。記憶の狭間に面影が埋もれていたのだ。レイヴンの描いた“肖像画”最後に見た迷夢の姿はアルケミスタの洞窟の中で。
「な? 迷夢? おま……迷夢??」
 信じられないと言うようなとても複雑な顔をして、リボンは目を白黒させつつ迷夢を上から下まで眺め回した。ずっと、昔に見た姿と比べると違和感がある。もっと、背が高くて大人じみた印象があったのだが、リボンの目の前に立っているのはどう見てもお子さまなのだ。
「そ、その姿はどうした? と言うか、どうしてここに居る? あの時、レイヴンにやられて? 巻き添えにして死んだじゃなかったか? 確か、いや、絶対そうだ」
「……ん〜?」迷夢は左手の人差し指を顎に当てて考えた。微妙にリボンの事態の把握がかみ合っていないような気がする。そして、何かに気が付いた。「あ、そっか。キミとあたしはまだ会っていないんだものね? あっちのリボンちゃんはこっちのリボンちゃんの将来なのかな?」
「何、訳の判らないことを言ってるんだ? お前」
「こっちのこと、気にしないで。それよりさ、折角、久しぶりに会ったんだからマリスが来るまでちょおっとだけ、お話しない? まだ、それくらいの余裕はあるわよねぇえ?」
「と言うか、お前、何だ?」ウィズ。
 リボンと迷夢が噛み合わない会話をかわす中で、とうとうウィズが口を挟んだ。迷夢は突如、冷めた眼差しをウィズに向け、足の爪先から頭のてっぺんまでつまらなさそうに眺め回した。
「――何だって言われてもねぇ……。説明するのに一週間はかかるわよ」
「手短に言ってあげたら?」セレスがのほほんと言う。
「そんなお気軽に言ってくれるけどさぁあ? キミだって当事者の一人じゃん?」
「そうだけど、キミほど長く関わってるワケじゃないから」
「……ま、面倒くさいってコトよ」
 迷夢とセレスの二人はしばし見合って、同時にウィズの方を見ると口を開いた。セレスにしてみたら、一体どこから話せば一番すっきりとウィズに理解してもらえるのか判らないし、そもそも自分自身が一連の出来事をきちんとは把握できていなかった。迷夢はきっと言葉の通りに長々と説明することに乗り気ではないのだろう。
「それで納得すると思うのか?」
 ウィズはズイッと迷夢に迫った。が、迷夢はウィズの疑問に答えるつもりは全くないようだった。その様子を見て“脈なし”と悟ったリボンはさっさと話題を変えてしまった。
「そう言えば、セレス。帰ってきてたのか?」
「うん、帰ってきてたよ」セレスは頭を掻いて照れくさそうに笑った。「本当は一週間前くらいに戻ってきたんだけど、やることだけやって、あとはじっと大人しくしてた。あはんだ」
 セレスはちらりと目だけでジーゼを見やる。
「二人でぐるだったってコトか……」
「そうよ。何か文句あるの? ……だって、しゃあないじゃん。他に頼れる人がいなかったんだもの。母さんのこともあったし、封印の絵もどうにかしなくちゃならなかったし……。とにかく、尋常では考えられないくらいに大変だったの」
「大変ね……。それにしても良かった……、黒い翼のお姉さんがマリスじゃなくて……」
 へろへろと力も抜け果てて、リボンは床にへたり込んだ。緊張していたのがバカみたいだ。セレスとデュレを過去に送り出して数時間、セレスたちには一週間近くになるのだが、ようやく一息ついて対マリス戦に向け体制を整えようとしていたところにまさに寝耳に水の展開に具合が悪くなるほどに気を張りつめさせていたのだ。
「――なあ、こいつはあれか。マリスとは関係ないのか?」
 ウィズは迷夢を指差しつつ、床にうずくまったリボンを注視した。タイミングを見計らって質問していかないと、最後の最後まで蚊帳の外にされてしまいそうな雰囲気だった。
「と言うか、キミ、誰? さっきからうるさいんだけど」
 迷夢は両手を腰に当てて、不機嫌に言い放った。
「だ、誰って。エスメラルダ期成同盟のウィズだ」
「知らない」キョトとして目をパチパチとさせた。
「知らないってなぁ、人に尋ねておいてその態度はないだろう」腹立たしげにウィズは言う。
「あははっ! 気にしない、気にしない」
「……セレスが二人いるみたいだ」げっそりとしたようにウィズは言った。
「言っとくけど、セレスとあたしを一緒にしないでよね。格が違うのよ」
「それはあたしの台詞よ。こんな性格ブスと同列に扱われたらたまんないのよ」
「何ですって?」
「何よ。文句ある?」
 二人は額がくっつきそうなほどの極至近距離まで近づくと互いに睨み合った。ジーゼは呆れた様子で二人を眺め、クリルカはカウンターに肘をつき頬杖をして興味津々、好奇心爆発とばかりに迷夢とセレスの子供じみたやりとりを見ていた。一方、リボンはやりきれなさそうに首を横に振った後、姿勢を正してギンとした鋭い眼差しをセレスに向け発言した。
「――デュレは?」
 セレスは暫くの間、リボンの瞳を真摯に見詰めて、首を静かに横に振った。
「あたしと一緒には戻ってこなかったの。キミと迷夢と一緒にマリスをぶっちめるんだって息巻いて行っちゃったよ。でも、きっと、もうすぐ帰ってくるから。あたしは信じてる……」
 その言葉は物静かでセレスにしては珍しく明らかに自信なさげだった。判らない。嵐の時計塔で別れてからこっちの消息は全く不明。デュレだったら、歴史の流れに何かを刻みつけてくれるのではとも期待したけれど、それらしき便りは一つもない。
「そうか、二手に分かれて帰ってくるとは思わなかったな」
 そのことはリボンにも誤算だった。セレスとデュレが旅立ってからさほどの時間は経っていなかったが、無論、こうなるずっと以前から策は練っていたが、同時に帰ってこないとは思っていなかった。では、どうするか。リボンの頭の中で様々な仮定と、それから導き出される結論が渦巻いていた。何がどうだったとしてもマリスがもうすぐ覚醒するだろうことだけは確実なのだ。
「二手でも三手でもいいけどさ。何か食べるものない?」
「……何なんだ、あれ?」ウィズは迷夢を指差しつつ、リボンを見下ろした。
「昔から、ああいうやつなんだよ。理解しようと考えるだけ無駄だ」
 思考するのを邪魔されたことに少々腹立たしそうになった。けれど、すぐにいつもの様子に戻った。自分の力だけでどうにも出来ないことに苛々するだけ無駄なような気がしてきた。
「あら、酷いんじゃない。それは。あたしとリボンちゃんの仲なのに」
「そんなこと言われてもな。親交を温めたのはオレじゃないんじゃないのか? オレとお前は千年以上も昔にアルケミスタの洞窟で会ったきりだ。オレはまだまだガキで、ホンの短い間だった。他の誰かと勘違いしてるんじゃないのか? 親父とか、親父とか、親父とか?」
「あ〜。やっぱり、そういう風になっちゃうのかぁ、残念!」迷夢は項垂れる。
「残念でも何でもないだろ。フツーの関係で十分だ」
「そおかしら。あたしとしてはキミとは特別の関係に……」
 と言ったところで、迷夢はセレスが物凄い形相をして自分のことを見ていることに気がついた。それは“リボンちゃんはあたしのもん!”と無言の圧力をかけているかのようだ。
「……キミはエルフの子猫ちゃんその二の抱き枕ちゃんだっけ」
「誰が抱き枕ちゃんなんだよ」落ち着いた口調だったが、凄みはあった。
「……しっ、静かに……」
 今まで、黙ったままみんなのやりとりを聞いていたジーゼが口を開いた。周囲の空気があからさまではないものの微かに変化したのを感じたのだ。ウィズもセレスも誰ものその微妙な変化に気付くことはなかったらしく、ジーゼの挙動が理解できなかった。
「大きな力を感じる」
 ひっそりとした様子でジーゼは言った。以前のも感じたことがある。天使の波動。久須那のような温かな波動ではなく、敵意をむき出しにし烈火のような怒りも同化した幾ばくかの禍々しさをも含んだ憎悪とも呼べるような雰囲気だった。それは故郷をなくした天使の憤りに他ならない。
 ジーゼの様子の変化に気付いたのはリボンだけだ。
「――ジーゼ、何を感じた……?」
 リボンは険しく真剣な眼差しをジーゼに向け、ジーゼはそれをしっかりと受け止めた。そして、ジーゼの口が返事を返そうと微かに動いた瞬間、それは聞こえた。
『――シメオンに来い!』突然、声ならぬ声が脳裏にビリビリと響いた。『それとも、わたしがそちらに出向いた方がいいか? 貴様らの大事な森を蹂躙されたくなければシメオンに来るがいい』
 それはある意味待ち受けていたものの精神波とも呼べる声だった。
「マリス……。とうとう来たか……」
 一度はマリスの声を聞いたことのあるセレスとリボンはそう思った。しかし、何故、わざわざ宣戦を布告してきたのかは判らなかった。マリスほどのパワーと魔力があるならば、ここを吹き飛ばすことも訳ないはずだ。それとも、シメオンから離れられない理由があるのだろうか。
「……何故、ここに来ようとしない。目的のものはここにあるのに」
「マリスなりの配慮じゃないかしら」迷夢が言った。「マリスはああ見えて心は広いのよ。エルフの森を犠牲にしなくても済むように考えてくれてる……訳ないわ。何か罠を仕掛けようと企んでるはず。一度ならずも二度までもやられて、策なしのマリスだとは思えない」
「行くべきじゃないと俺は思う。最初から、こっちの有利に運ぶには……」
「そう言う訳にはいかないのさ。デュレはシメオンに帰ってくる。クロニアスはデュレの帰着点にあの場を選んだんだ。闇の精霊と契約させるためか。……或いは“未来を見透かす不死鳥の卵”をマリスではなく、デュレの手に握らせるために……?」
「何にしても、マリスがデュレを見つける前に俺たちがデュレを確保しなくてはならないんだな。そうしたら、自ずとやることが見えてくる。いつ帰ってくるか判らないんじゃ、急いで行動に移った方がいい。こうしてる間にデュレが帰ってきたら、即、アウトだろ?」
 ウィズは左手を喉元に当てて、首をはねる真似をした。
「縁起でもない真似はよせ。……マリスが相手ではシャレにならない」
『貴様らはわたしの前にひれ伏し、土に還れ。わたしは負けない!』
 ただただマリスの声だけが響く。当人がいないのに声だけが聞こえる不思議。そんなあり得ないことを超越して、一同はマリスと間接的に対峙していた。マリスは明らかに甦っている。しかし、現時点でマリスがどこからこの威圧的なメッセージを発しているのかも判らない。
「……迷夢……、お前なら知っていそうな気がする。1292年で何があった?」
「……それをあたしの口から言えと言うの……」
「――いや、言わなくていい」リボンは迷夢の様子から何となく察した。
 あの時、自分を救ってくれた未来の自分はきっと帰れなかったのに違いない。何もなければ、二人はあの日、デュレを交えてもう一度会えるはずだった。それが叶えられなかったと言うことは。ただの漠然とした予想が確証に代わった瞬間だった。
「でも、マリスを封じるのには成功したんだよ」
「……地下墓地大回廊か……。満天のお星さまの下が希望だったんだけどな」リボンは気にしてない風に努めて明るく振る舞った。それから、すぐにいつもの調子に戻った。「……が、マリスの封印は解けた。“未来を見透かす不死鳥の卵”の影響か、一度かければ、千年以上は持続可能なはずなんだけどな……。少なくとも親父がやったときは――」
「そんなことグチャグチャ言っても始まらないでしょ。与えられた状況で最大限の力を発揮する。それしかないでしょ。このあたし、策士・迷夢。軍師・迷夢がステキな作戦を伝授してあげるわ」
 迷夢はリボンの鼻先にしゃがみ込むと頭や顔をなでなでした。
「――俺の美しい毛並みが絡まるだろ」
「後で櫛でとかしてあげるからいいじゃない」迷夢はさらに調子に乗って毛をかき混ぜた。
「ちっとも良くないぞ」リボンは怫然と言う。
「じゃれてる場合じゃないでしょう? みんな、テーブルについて」
 ジーゼはそう言いながら、トレイにティーカップと軽食を乗せて現れた。マリスの声が幻聴のように聞こえたというのに、緊張感はまるでゼロ。マリスの語調から今すぐ何かが始まるのではないと、ジーゼは読んだ。ならば、戦いに向け腹ごしらえ、準備万端にしなければならない。
 めいめいは最年長たるジーゼに言われると、素直に従った。
「さあ、どうします?」と言って、ジーゼはクリルカと共にカウンターの向こうに下がった。
「どっちにしても、選択は二つに一つ。迎え撃つか、こちらから出向くか……。だろ?」
「そして、時間短縮、被害を最小にとどめるためには出向くしかないわ」
「あまり気は進まないんだけどなぁ」ポツンとセレスは呟いた。
「うるさいのよ、キミは。作戦会議中は作戦のこと以外は発言しないでちょうだい」
「は〜いはい。思う存分、会議でも何でもしてちょうだい。あたし、寝る」
 セレスはダラーンとテーブルに突っ伏した。考えることは嫌い。ややこしいコトを考えるのは迷夢たちに任せて、自分は行動のみに徹するのだ。それが一番だろうとセレス自身も思った。
「迷夢の言うとおりだろう。予定通りならばデュレは封印を解く魔法を手に入れて帰ってくる。出来れば、エルフの森に来て欲しいが、そうは問屋は卸してくれないだろう。クロニアスは時間を優先していたようだからな。場所がどうなるかは正直判らん。どこで、デュレを待ち受けるにしても賭だな。――まだ、帰ってこない可能性も否定しきれない――」
「だが、信じて待つしかないんだろ?」
 ウィズはティーカップを右手に持って、サンドイッチを口に運んだ。
「そうだ。それまでの間にオレたちは対マリス戦に備える。どっちにしろ決定打は久須那になるだろう。封印の絵を持って。……ウィズ、セレス、迷夢、オレの四人で行く」
「で、その大きな絵をどうやってシメオンまで運ぶつもりだい?」
「あ〜、こうなるなら、シメオンから運び出そうなんて思わなければ良かったね、それ」
 セレスはテーブルに伏したままの姿勢で壁際に置いてある封印の絵を見やった。
「あたしがいることを忘れてない? シメオンなんて、パーミネイトトランスファーで一っ飛び。時間短縮、経費節減。デュレのフォワードスペルと比べても遜色なし。と言うか、あたしの方が上手いに決まってるんだから、安心して任せてちょうだい」
 と言われても、セレスは心中穏やかならざるものがあった。
「……自分で言っておいて何だが、普通に行ったら鴨が葱を背負ってくるようなもんだな」
「その辺は大丈夫。カムフラージュする方法は考えてる……つもりだから。ま、うまくいえばいいけどね。そうでなくても、取りあえず、死にはしないからいいでしょ?」
 否定的な発言をして、尚かつ朗らかな表情をしている迷夢をウィズは訝しげに眺めた。
「そんな明るい顔をして、平気で暗いことを言うんだな。それで、久須那封印の絵を持って、オレたち四人でシメオンに乗り込むとして、勝算はどれくらいあるんだ?」
「――ないのよ。はっきり言って」
 セレスはムクリと起きあがると、頭の後ろで腕を組んで半ばぼやいた。リボンに聞いた“残り半分の伝説”セレスは直接対決はしなかったけれど、マリスの圧倒的なパワーを肌で感じた。久須那の絵を守ろうとしてマリスに斬られそうになったあの時のことを思い出した。そして、マリスの持つ魔力ばかりではなく、彼女の発するオーラのようなものが勝利への執着を萎えさせることも。
「……例えて言うなら、赤子と巨人。奇跡が起きても勝てっこない」
「ない?」ウィズは眉間に思い切りしわを寄せてセレスを凝視した。
「ない。ゼロに等しい」楽観主義者のセレスでも明るい見通しは持てなかった。急に疲れたような表情をして、髪の毛を掻き乱した。「ウィズ。キミは天使の戦いを知らない」
「天使なら知ってるさ、トリリアンも天使を擁している。俺たちはその為に久須那を……」
「捜そうとしていたんでしょう? それは知ってる。でも、キミは天使がどれほどの魔力をもっていて、それを行使するとどうなるかなんて何も知らない!」
「ま、街一つ軽く消し飛ぶでしょうね」あっけらかんとした様子で迷夢が捕捉した。「それに相手がマリスなら、手加減はしてくれないだろうし、二度とはね」
「あ、あれで手加減してたの?」
 驚いたように目を丸くしてセレスは言った。迷夢とマリスの戦いを見て天使の戦い方を見知ったつもりでいたけれど、実際にはそれ以上のぶつかり合いが繰り広げられると言うことだ。
「そお。マリスが本気だったら、時計塔ごとキミたちを吹き飛ばしたはずよ。けれど、しなかった。つまり、マリスには未練か何かがあるのよ……。ま、久須那なんだろうけどさ。シルエットスキルじゃなくて、本物と決着をつけたいんでしょうよ」
「だが、封印を解いたら、マリスの呪詛が進行するんだ。一週間しかない」
「マリスに呪詛を解除してもらうか、呪術の専門家、そうねぇ、退魔師か何かを連れてくるしかないわね。久須那がちらっと言ってたんだけど、東方の退魔師・申だったかな。何か、そんなような人の名を言っていたような気がするのよねぇ。それはいいんだけどさ」
「人捜しはジーゼのドライアードネットワークを頼ってみたらどうだい」
 ウィズが何の気なしに発言したのをジーゼの耳はしっかりとらえていた。遠い昔、エルフの森のために戦った少年を思い出した。アルケミスタでごろつきに絡まれていたところを助けてもらい、“ドライアード・ジーゼ”としての命を救われたのだ。その申が転生している……? 普通ならあり得ないことも、ここではあり得ないことではなかった。エルフの森で息絶えたものは極稀に現世に還ってくることがあった。それはエルフの森の誕生の仕方とも深く関わりのあるコトだった。
「申……」ジーゼはうつろな眼差しをシンクに向けて、呟いた。
「ジーゼ……? 具合でも悪いのか」
「ううん」ジーゼは首を横に振った。「大丈夫。その申という子、捜してみるわね」
「頼むよ。……これで全ての案件に答えを出せたのか?」
「多分ねぇ。それだけだと思うけど」セレスは頬杖をついて、面倒くさそうに答えた。
「そいじゃ、行きますか」迷夢は朗らかに言った。「ホラ、時は金なり。寸刻を惜しんで始めないと、始める前に負けちゃうわよ」
 冗談にもなりはしないと一同は引きつった表情をした。
「あらぁ? 何、みんなで辛気くさい顔しちゃってさぁあ。ほら、早く。みんな、絵の前に集まって、まとめて行っちゃいましょ?」
 迷夢はニンと笑って、全員を久須那の絵のおいてある一カ所に集めた。魔力は分散させずに集中させて使った方が効率がいいのだ。無駄なく使うことが出来たら、一回のチャージでかなりの距離を節約できる。シメオンなどは極至近距離の部類にはいるだろう。
「パーミネイトトランスファー!」
 簡易的な呪文を唱えて、魔法を実行に移すと迷夢はしばらくそのままの姿勢で固まった。
「……? どしたの、迷夢?」不安になってセレスが問う。
「――ところで、あのさ、シメオンのどこに行けば良かったんだろうね?」
「! ちょっと、待って。出口をどこか考えないで魔法を使ったの?」
 既にパーミネイトトランスファーは発動し、全員の身体は足先から虚空に溶けかけていた。こうなってしまっては途中停止は不可能だ。最後まで実行されるまで終わらせることは出来ない。
「待ってって言われても、もう、待てないんだけどね」あっけらかんとして迷夢は言う。
「そんなぁ。ダメ、あたし、降りる」セレスはふるふると首を横に振った。「空間転移系の魔法はいやなのよぉ。デュレに実験台にされてたし。それなのに、行き先不明だなんて信じられない」
 セレスは肩を怒らせて、一団から離れようとしたが、ウィズに肩を押さえられた。
「何事も諦めが肝心だ。命まで取られることはないだろう? 今のところ」
「あら? 判らないわよ。あたしは迷夢なんだから」
 意味を成さないはずの迷夢の一言がやけに重々しくセレスの耳に残った。