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53. eve of final battle(決戦前夜)
何が起きたのか、まるで判らなかった。闇が飛び出してきて……そこから先の記憶が一瞬欠落していた。目映いばかりの光の中から一転、気がつけば漆黒の中。目に映るのはサムの地下室よりもなお深い暗闇だった。
「……ここは……“目”の中なのかしら……?」
「判らない……。判らないけど、怖いの」
シルトはデュレにしがみついて離れようとしなかった。闇属性の中で闇の精霊が怖がるとはどういうことを指しているのか。もしかしたら、それが“邪”と“善”の差異なのかも知れない。混乱気味の頭でデュレは考えた。
「邪なる闇魔法に対する認識が甘すぎたようです……、どうしたものかしら……」
ネットリとした怪しい闇に囚われてデュレは途方に暮れそうだった。今のところは動きを見せない。けれど、何もないままで終わるはずがない。その上に、妙なくらいに蒸し暑くて、じっとしていても汗が滴り落ちてくる始末だった。
とそこへ陽気なセレスの声が届く。
「やっほ〜、デュレちゃん、大丈夫だったぁ?」
「……。セレス……? どうやってここに? それよりその緊張感のなさは一体なんですかッ!」
「ど〜やってってあたりは迷夢に訊いてよ。あたしはここに蹴り込まれただけなんだから。それに差、落ち込んでたら、励ましてやろうと思って。だって、こぉ〜んなパターンは初めてでしょう?」
「セレスこそ、暗くて狭いところは大嫌いだったんじゃない? やせ我慢して」
「だ、な、だって、あたしがキミを助けに行かなきゃダメだって、リボンちゃんが――、だから、折角来てやったのに、なぁんだ、その言いぐさは!」
「では、嫌々来たんですか?」ちょっと意地悪。「と遊んでる場合ではないですね。今は小康……平衡状態にあるようですが、この先どうなるかなんて、予測不能ですし……。どうやって、ドローイングが破壊されるのかすらも全く判りません……」
と、デュレはぞっとするような寒気を背筋に感じた。何者かの視線を感じたのだ。
デュレは肩に力を入れて、ギュッと手を握り視線を感じた方に振り向いた。誰もいない。しかし、何かが悪意を持って様子を窺っている。或いは三人を包み込んだもの全体から眼差しが降り注がれているのかもしれない。三人は背中を寄せ合って、迫り来る闇に立ち向かった。闇の中で闇を覗き、闇に覗かれる。最悪の気分だった。
もしかしたら、呪文をどこかで間違えたのだろうか。だから、こんなシェラやレイアから説明されていないことになったのかもしれない。まさか、闇魔法に囚われの身になって、この状況下で魔法が進行していこうとは。しかも、初めての魔法でサポートしてくれるものもなく、悔しいがデュレだけではどうにも出来ない。流れに展開を任せるしかない。
『生贄の命と引き替えに光を滅そう……、生贄は……お前か……』
声は一点からではなく周囲全体から聞こえてくるような妙な感じだった。突如、デュレの前にぎょんと目玉(少なくともデュレにはそのように知覚された)が開いた。
「ひぃ〜。そんなのヤだよぉ〜」
「弱音を吐かないっ! どうしたらいいか一生懸命考えてるんだから、苛々しますッ!」
デュレはキッとセレスを睨み付けて、目玉と対峙した。邪なる闇魔に引き込まれた状態では幾らも足しにならないだろうが、無防備な姿はさらせない。デュレの額から脂汗がたれる。最善の策などあろうはずがないが、せめてベターの方策を選びたい。と、デュレはあることに気がついた。目玉はデュレの前にあるが、その視線の先はセレスを向いている。
目玉は後からこの場に投げ込まれたセレスに大変大きな関心を寄せているようだった。
「こ……、この娘をくれてやりますっ」
「ちょ、な、言うに事欠いて何てことを言い出すんよ、あたしを売る気?」
セレスは自分たちの置かれている立場を忘れて、デュレに突っかかった。
「自分のすべきことを考えなさい」デュレは脇腹を突いて、セレスにだけ聞こえるように小声で囁いた。「何のためにセレスとわたしが久須那さんに選ばれたのか、考えてみてください」
「――キミが魔法を行使して、あたしがその間のキミを守る……。判った、やる。ただ、責任は持てない。無事に戻れるように頑張る。でも、……ううん、何でもない。あたしはキミを信じた」
セレスは考えながら喋っているかのようだった。引き締まった表情をしてセレスはデュレを見詰め、デュレはセレスを見詰めていた。シルトはデュレとセレスを交互に見比べていた。
「で、どうしたらいいの?」
「封印が破壊されるまで上手く立ち回ってください。考えて行動してください」
「考えるの嫌い。って言うかさ、何で今更、ネゴしなきゃならないのよ。この魔法、変っ!」
「どれが正常なのか異常なのか、判らないです。けれど、これはネゴシエーションではありません。予定調和です。その証拠に……その目はずっとあなたを見てる」
「じゃあ、あの変なのをこじ開けて、ここに来るのも予定のうち……?」
そんなものを打破できるのか。セレスは言い知れぬ恐怖を感じていた。だからといって、このままでは状況は悪化する一方だろうし、それはどうしても避けなければならないことだ。
「必ずしもそうだとは思いませんが、あれはあなたが好きなようですから」
セレスはデュレの発言に渋い顔をした。得体の知れない目玉に好かれているなんて冗談じゃない。何とかして、“もらわれない”ようにしなくては。セレスは右手を背後に回し、短剣の柄を握った。瞳を虚空に浮かぶ妙なめん玉と対峙させ、時機を見計らった。マリスと再度、相見える前にくたばる訳にはいかない。しかし、恐らく、封印が破壊されるまで下手な手出しは許されない。
『盟約を遵守……』
久須那の描かれたキャンバスに異変が生じ始めた。
上から徐々に絵が入れ替わっていく。全体的に白く淡い色遣いだった絵が力強く濃い色調へと変化を始めた。ドローイングが解け、下になったレイヴンの絵が姿を覗かせている。しかし、“破壊”と呼ばれるからにはもっと激しいものだと思っていたのだが、違った。
ここまで来れたなら、魔法は最後まで実行されるだろうとデュレは考えた。
『盟約の破棄は許されない。遵守せよ……。ここから帰せない』
「つまり、そう言うことか。あたしがここに居るワケは」
セレスは短剣を逆手に持ち替えた。
生贄として魔力の高いものを要求する。もしかしたら、これはある種の魔法生物なのかもしれない。通常の魔法の形態を借りつつも闇の属性を持つ魔法生物を召喚、封印の破壊に貢献させているの可能性もある。どちらにしても何か行動を起こさねばならない。
『盟約は破棄された――』目玉はギロリとセレスを睨め付けた。
「セレス! そいつを早くっ! 攻撃力を持つ前にっ」
「りょ〜かい」
セレスは駆け出し、目玉を狙う。けれど、足を取られて派手にひっくり返った。急いで、体勢を整えて立ち上がってみると、足下でぬねぬめとしたものが奇妙な感じに蠢いていた。そいつが伸びてて来てセレスの足をすくったのだ。
「デュレっ、そっちは」セレスは一瞥して、眉間にしわが寄った。
闇がデュレたちを襲っている。デュレは封印の解けかけた絵を危険から守るので精一杯、シルトが奮闘しているが効果は上がらないようだった。そして、自由に動けるのはセレスだけ。
「ちっ。封印が壊れる前にあいつをやっつけたらダメなんでしょ? どうするのよ?」
「こ、ここまで来たら、すぐに封印の破壊なんて済むと思ってたんです」
とデュレが言ったのはセレスが攻撃を仕掛けようと動いた瞬間、封印破壊の進行が止まったからだ。生贄が要求通りに来なければ、魔法は中断されてしまうのだろうか。万が一にでも魔法が中途半端になれば、久須那がどうなってしまうか判らない。
「……想定外か……」セレスはギリリと奥歯を噛みしめた。
デュレが想定外だと言い出すのはさして珍しくもないが、今は間が悪すぎる。
足下にぬめぬめドロドロしたものが絡みつき、おぞましさを増してくる。その中でセレスとデュレはじっと絵を観察した。魔法は完全停止をしていない。壊れる速度は落ちてきた感があるが、それでもなお進行しているようだ。恐らく、止められないのだ。
「この変なのに喰われる前に終わると思う?」
「終わってくれないと困ります。――シルトは……?」
「ワ、ワタシは何も出来ない。ワタシの魔力はこのフィールドを形成するまでで、あとは拒絶されてるの。ここの闇とワタシの闇は質が違うみたい」
何かをしようとすると魔力に斥力が働くのか、反発し、目玉どころか近くのおかしなぬめぬめ二さえ影響を与えられないでいる。シルトはもどかしくて仕方がないようにジタバタ頑張っていた。
「は〜。“親しいものがいい”って、こりゃそうだろね。あたしに犠牲になれってことか? 迷夢め。あれはずっとあたしを見てる。選り好みしやがって。ふざけるなっ! あたしたちは生きて帰る。封印破壊もきちんとこなす。――デュレに寄るなっ! この」
セレスは立ち上がってくる闇をなぎ払った。しかし、迫り来る闇は数は増えるばかりだ。より禍々しく、より危険に、より悪意に満ちて。もはや、やられるのは時間の問題だ。
早く、封印が解けろと念じずにはいられない。一方で、キャンバスから引きはがされていく表面の箔のようになった絵柄は散ったり、霧散することなく集積しヒトガタを形作り始めていた。ひょっとすると、キャンバスから久須那の絵柄が全てはがされた時、久須那が甦るのかもしれない。一同は固唾を呑んでその瞬間を待ち侘びた。
「……今ですっ、やってっ!」
表面の絵が完全になくなり、“思い出の肖像”が姿を現した時、デュレは叫んだ。
「よしゃぁぁあっ!」気合い十分の雄叫びをあげる。
急げ。闇に捕らわれて動けなくなる前に目玉を潰せ。どうなるかは判らないが、目に見えての攻撃対象は目玉しかない。だから、とにかく仕掛けるしかないのだ。
セレスは渾身の力を込め、目玉のど真ん中に短剣を突き立てた。
『ぎゃぁあああぁぁぁ――!』
この世のものとは思えない耳をつんざくような悲鳴が目玉から轟いた。耳を塞ぐも、手のひらを突き抜けて、頭の中で激しくこだました。その次の瞬間、目玉に亀裂が入り“ぱぁ〜ん”と言う乾いた音と共に目映い光を放ちながら空間ごと崩壊し始めた。亀裂によって出来た数百ものパーツがバラバラと重力に従って崩落した。すると、闇がなくなり、代わりに灰色の瓦礫が目に映った。
「――よっ、どうやら無事、帰還を果たしたようだな」
「サム……?」呆然としたようにセレスは囁いた。「これは……どういうこと……?」
「大成功ってこと、あれを見てごらん?」
言われた方を向くと、見慣れた表面の久須那の絵は消え、その代わりにレイヴンの描いた思い出の肖像画が甦ったいつものキャンバスがある。そこまではセレスも確認していた。しかし、今はさらにキャンバスの右と左に一人ずつ久須那が立っているのがはっきりと見えた。
「久須那が……二人になった……?」
「わたしはシルエットスキルだよ」セレスに答え、右側にいた久須那がスッと歩き出して、左側に佇んでいる久須那に歩み寄った。「これでわたしの役割は終わりだな。――還るよ、久須那の中に」
「――長い間、ありがとう……」
「わたしはお前だ。気にすることはない――」
それだけを言うと、久須那のシルエットスキルは久須那の胸へと溶け込むように消えた。
「――待たせたな、サム」久須那はずっと閉じていた瞳を開いた。
「……やっと、オリジナルと会えたな……。長かった」
「ああ、――会いたかった。もう、二度と会えないと……。だから、お前がキャンバスの前に現れた時は……」もはや、言葉にもならない。「サムが……帰ってくるなんて……」
「俺もな……。夢で見たてめぇが実在してるとは思ってなかった。――シリアとバッシュにあの街角で出会わなければ、夢の中の出来事――俺の妄想で終わるところだった……」
「そ、そんなことはない。お前とわたしは。絶対にどこかで――もう一度……」
「藁にもすがるような確率だろう? こうやって、てめぇと会えたのだって、十分すぎるほどの奇跡だぜ? 奇跡は二度起こらない。だから、奇跡って言うんだろ? ――今、一緒にいる。今度は久須那を残して先に逝ったりはしない。と言ってもよ、天使のてめぇの方が長生きなんだから、その辺は勘弁してくれよ」
サムは久須那を抱き寄せて、髪の毛をクシャクシャとした。
「サム……。お前がおじいさんになっても……、わたしはもう、放さない――」
セレスはみんなから少し離れて、キャンバスの前に立った。当然、表面に描かれていた儚い久須那の絵はなく、レイヴンの描いた思い出の肖像が最も上になっていた。
「……これが迷夢が取り戻したかったものなんだね」セレスが言った。
「誰が取り戻したかったものだって?」
迷夢はセレスの言葉を聞き咎めて、セレスの首筋に顔を寄せて耳元で囁いた。迷夢にとって僅かだけど弱味になる部分。例え味方であろうとそれを握られたくない。ひょっとすると、そのことは強がりなのかもしれなかった。迷夢はセレスの耳を引っ張った。
「いてて、やめてよ、迷夢。あたしの耳はデリケートなんだから」
「ああん? いいコト? あたしに取り戻したいものなんかないの。欲しいものはいつだって“この”手のひらの上よ。そんな人聞きの悪いこと、一言だって言って欲しくないわぁ!」
さらに迷夢は調子に乗り、セレスを羽交い締めにして思い切りよく締め上げた。
「ちょ、ちょ〜!」セレスは悲鳴を上げた。
「――封印を解いたものにこのメッセージを送ります……」
全くの不意に聞こえたのは一度は聞いたことのある優しく儚げな声だった。デュレは下唇を噛みしめ、ドキンと心臓が一つだけ大きく脈打つのを感じた。テレネンセス旧市街の壊れかけた教会の“玲於那の祭壇”で確かに聞いた覚えがあった。レルシア。
「――全ての始まりにレルシアがいる……」デュレは愕然とした。
十二の精霊核の伝説を紐解いていくと、ジングリッドを召喚したのはレルシアだった。それにリボンに聞いた残り半分の伝説でマリスを召喚したのもレルシアだった。偶然の一致なのだろうか。それとも、必然の産物なのだろうか。必然だとしたら、この問題は根が深い。
「或いは封印を破ったものにこのメッセージを送ります。あなたが正しい目的で久須那を解放したのなら、助力となせる魔法が授けられるでしょう。そうでないのならば、即刻、この場を離れるのです。偽りの申告はあなたに破滅をもたらすことでしょう」
淡々とした口調で恐ろしいことが平然と述べられている。
しかも、何故、レルシアは絵にメッセージを残す不確実な方法を選んだのだろう。しかも、助力となる魔法と言うだけで、それが何なのかも示されずにメッセージは途切れてしまった。
「――メッセージに回すだけの魔力が足りなかったんだな」サムがポツンと言った。
「助力になる魔法って何ですか? リボンちゃん」
「オレに訊くくらいなら、サスケに訊いてみろ。もしくは久須那本人に」
リボンは言い、レイヴンの描いた“思い出の肖像”を見詰める久須那を見やった。デュレはリボンの言葉に従うべく、久須那の傍らにつと歩み寄った。どうも、声がかけにくい。久須那は“思い出の肖像”を見入ったままで、過去の一点にでも思いを馳せているかのようだった。
「あの、久須那さん……?」デュレは遠慮がちに声をかけた。
「何だ?」久須那は応じ、デュレの方に振り向いた。
「レルシアさんが残した魔法が何であるかご存じですか……?」
「知っている。それは……禁呪として封印された逆召喚魔法だ……。わたし……正確にはわたしのシルエットスキルが話を聞いた。さっきは何とも思わなかったが、案外、それが解決策かもな」
久須那は誰にも聞き取れないような呟きを漏らした。
「それを使って、久須那さんと迷夢さんが異界に帰るんですか?」
「わたしは帰らない」決然とした態度。
「あたしもよ。ここ、居心地がいいもの」迷夢が久須那の背中からぴょこっと顔を覗かせた。
「じゃ、何のために……?」デュレはちょっと考えた。「マリスを強制送還する? でも、それでは根本的な解決にはならないような気が……?」
「そおかしら。こっちから向こうにはアクセスできるけど、向こうからこっちにはアクセス出来ないのよ。そもそも“召喚”なんて概念は異界にはない訳だし。もし、異界からこっちに来れるなら、もう少し、ここに天使がいてもいいと思わない? 千四百年前にほとんどみんな帰っちゃったけど、ここを気に入ったあたしみたいなのがそれなりの人数いたのよ」
「つまり、帰っちまったら、二度と戻ってこれねぇってことだな」
サムは頭の後ろで腕を組んで、流れる雲を眺めながら言った。
「そう言うことだ。やっつけてしまおうとするより、幾分わたしたちにも勝機があると思う」
「……マリスは鋭いぞ」険しい眼差しを久須那に向け、リボンは言った。「逆召喚はかなり大がかりな魔法だ。準備にも時間が必要だし、発動するまでにも多くの時間が必要だ。……あのマリスが最後の最後まで魔法に気がつかないとは考えられない」
「だったら、勘づかれないようにやればいいだろ?」ウィズは楽観的な意見を述べた。
「ウィズと言ったか? マリス相手には何をやるにしても易くはねぇんだよ。ま、文献とかでよ、マリスってのを、その怖さってのを知ってるつもりになったるんだろうが、実物はそれ以上だぜ。フツーなら見た瞬間、けつまくって逃げ出したくなるね」
「しかし、七対一で押しまくれば、幾ら最強と言われるマリスでも……」
「押しまくれればな……」意味深にサムは言う。「何なら、久須那か迷夢に手合わせしてもらえばいい。てめぇは本気度二百パーセント、天使のお二人にはちゃぁんと手加減してもらえ。それで俺の言いたいことが判る。七対一じゃなくても十分にな」
ウィズにはサムの瞳が冷たく感じられた。あからさまには言わない。けれど、明らかにその瞳は“てめぇは何も知らねぇんだ”と言っていた。心臓が締め付けられる。バカにされてたまるか。
「何だよ、その目は……。口で言っても判らねぇなら、迷夢、ウィズの相手をしてやれ」
「ほ〜、キミがあたしに命令する? 後でどうなっても知らないんだからね」にこやかに朗らかに迷夢は受け答える。「けれど、ウィズ。キミは本当に手合わせしたい? どんなことになってもあたしは責任を持たないよ。それでいいなら……」
ウィズは迷夢のきつい眼差しを受け止めながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「そんなに死にたいなら、かかってきてごらん」迷夢は右手を突き出して、人差し指を手前にクイクイと引いた。眼差しは絶えず鋭く、恐怖心を煽りつつ、尚かつ、挑発する。「正攻法だろうと、邪道だろうとキミがあたしを止められると思うことを試したら?」
このビリビリと感じられる威圧感は何だ。抑えられないこの震えは何だ。ウィズは剣の柄を握り、真剣な眼差しで迷夢の目を見詰めた。剣を抜けばきっと後戻りは出来ない。
「……あたしはやめた方がいいと思うけどな」
ウィズのずっと後ろの方からセレスのやる気のないだら〜んとした声が聞こえた。
「やめるのは今のうち、キミがその剣を構えたらお終いよ」
その言葉がウソではないことは険しくキラキラ光る瞳を見ていたら判る。それに迷夢の右手に宿る仄かな光が強固に証明していた。ウィズはチラチラと迷夢の右手に視線を動かした。何の魔法を発動させようとしているのか。発動されたら、その魔法を防御、回避できるのか。結論、この至近距離では回避も、防御も不可能。背中にじわじわと汗が噴き出てくるのをウィズは感じた。
「わ、判りました。遠慮しておきます……」
「うん♪ キミは賢いね。そうゆう謙虚な男って、あたしのココロの柔らかいところを絶妙な感じにくすぐるのよねぇえ。――ちなみに、これを解放するとどうなるかというと……」
ドオオオオォンン!
ウィズは魔法が放たれた方を向いて呆然とした。風化した瓦礫の山が一直線に綺麗さっぱりなくなっていた。もし、あれを喰らっていたらと思うと背筋が凍るほどにぞっとした。
「な? 判っただろ。七対一でも押しまくれるとは限らねぇって」
「そ、そうだな。身の程を知れと言うか。身の丈にあったことをしないと、天使相手では命が幾つあっても足りないような気がしたよ」
「人間がまともにやり合ったら、勝てねぇよ、絶対に」
「しかし、宣戦布告までしておいて、現れないか……」
結局その日、マリスは現れなかった。戦々恐々としながら準備を進め待ち受けた。迎え撃つより、先制攻撃を仕掛けたいが、マリスの所在は全く判らない。この朽ち果てかけたシメオンにマリスの“名残”が残っていないことを考えると、ここにはいない。ここではないどこかにいる。いつ、マリスの襲撃を受けるか判らない状態では落ち着いていられなかった。
「あのせっかちなマリスちゃんがね。怖じ気づいたか……焦らし戦法にでたか。ま、マリスの性格からしたら、夜襲、奇襲は仕掛けてこないはずだから、今夜はゆっくりお休みよ」
迷夢はしななど付けて、可愛らしくウィンクをした。
「それ、信じて大丈夫なんだろうね?」訝しげに眉間にしわを寄せる。
「あら、やだ、セレス。あたしを信用できないっての?」
「だって、寝てる間に取り殺されたら、末代までの恥じゃない」
「キミもマリスと接触しておいて学ばないやつだねぇ。ま、そんなんがキミだから、とやかく言うだけ無駄だと思うけどねぇえ。でさ、ウィズ、木の木っ端でも集めて、火、つけてよ。炊飯の道具を持ってきてるんでしょ? もちろん。夕食にしましょ」
緊張感、ゼロ。迷夢はしっしとばかりにウィズを追い立てた。
*
それから、小一時間が過ぎたころ、シメオン遺跡に焚き火が灯った。石ころばかりの遺跡から枯れ枝、燃えやすいものを探すのは大変だったらしく、ウィズは枝を投げ捨てるようにばらまくと火をつけようともせずにその場に座り込んだ。
「どこまで行っても瓦礫ばかりで、それを探すのも、骨が折れて嫌になったよ……」
「そんなことを言ってないで、飯よ、飯。ホラホラ、火をつけて……。と言うか、あたしがつければいいか。魔法の方が手っ取り早いし。ファイア」
迷夢の指先からほとばしった魔法は木に燃え移り、パチパチと軽い音を立て始めた。
「炊飯なんてしなくても、お弁当があるのよ。ジーゼが用意してくれたの」
「ふ〜ん。意外と気が利くのね、ジーゼって。で、中身は?」迷夢はセレスから包みを奪い取って、嬉々として開いた。「お〜、サンドイッチと紅茶ですか。夜なのに?」
「軽食なんだから、グタグタ言わない」
「しっかしよ、何でこう、緊張感が全くねぇんだ? 世界がかかってるってこともねぇが、自分たちの命はかかってる。しかも、相手は天使ときたもんだ」
「楽観的になれる要素なんて一つもないが、悲観的にならないのがあいつらのいいところだ」
リボンはわいわいしているセレスたちの方に視線を向けた。サンドイッチを手に持って、くだらない話に談笑しながら楽しんでいる様子だ。決戦前夜の騎士たちの状態を知るサムとしてはこんな極度に緊張状態にないことがあるなんて考えられない。しかし、思い起こしてみると彼女たちは1292年でも同じふうに行動していたような気がする。
「ステータスって訳か……。ある意味、羨ましいな」
「無謀なだけかもしれないぞ」リボンはクスッとした。「だが、それがあいつらの強さだ」
「なるほどね。いいような、悪いようなだな……」
軽い夜食をすませて、夜も更けゆくころ、一同は焚き火を囲んでいた。
「……前にもこんなことあったよね……。みんなで集まって焚き火を囲むの」
セレスは膝を抱えてパチパチと音を立てる炎をじっと見詰めていた。
「遺跡発掘キャンプでのことですか?」
「あれ〜? やっぱ、気のせいだったのかなぁ」頭をポリポリ。
「俺はあるぜ。もちろん、てめぇはいなかったけれどな。こんな経験は誰でも持っているだろうさ。道端で火を囲んで、酒をあおりながらのんびり夜明かし」
「あっ! いいねぇ、そう言うの。お・サ・ケ、持ってないの?」嬉しそうにセレスは言う。
「お酒なんて誰も持ってるはずないでしょ。暇さえあれば、セレスはお酒ばかり」
デュレは焚き火に薪をくべながら、面白くなさそうにしていた。
「もう、一週間以上、一滴も口にしていないのよぉ、だからぁ――」
「――禁酒しなさい」
「禁酒ぅ? そんなこと出来るワケないじゃん。三度の飯より酒よ、酒」
「無い物ねだり。時間の無駄です」つんつんしてデュレは言う。
「うるさいよ、キミは」ブチブチ。「リボンちゃん、ちょっと傍に来て……」
普段なら、一言二言文句を言わねば気の済まないリボンが何も言わずにセレスの傍に来た。
「傍にいるだけだぞ。抱き枕にしたら噛みつくからな」
「しないよ、多分……」セレスはリボンの尻尾をギュッと握り締めた。
「多分?」眉間にしわを寄せ、リボンはセレスの顔を間近で見上げた。
「いいから、気にしないでそこに寝そべって。うん?」
どうなることやら。こういった約束は守られた試しがない。別段、悪い気はしないのだが、枕にされると身動きがとれなくて腰のあたりが痛くなるのが最悪だ。セレスはリボンの気持ちなんかお構いなしに、リボン脇腹に頭をどすんと乗せた。
「あ〜、これよこれ。このふわふわ感がたまらなく気持ちよくて……」
白い毛並みに顔を埋めて、スリスリ。けれど、リボンは嫌な顔一つせずにされるがまま。そうやっているうちにセレスはスヤスヤと眠り込んでしまった。
「どうせ、こうなるんだよ。判ってたんだ」ブチブチと文句を言う。「ところで、――迷夢、不死鳥の卵はどこにあったのか覚えているか?」
「さっきからずっと探してるんだけど……いまいちよく判らないのよねぇ」
「マリスの手にあると言うことはないのか?」
「あ、それはないない」迷夢はあっけらかんとして首を横に振った。「マリスが持ってたらすぐに判るわよ。シメオンにあるには間違いないと思うんだけど、色んなのに干渉されて一を特定できないのよ」迷夢はとても残念そうにため息をついた。「どうしても見つけたいんだけどなぁ」
「当面の間、関係ノン誘うなものを見つけてどうするんだ?」
「う〜ん、判んない。ただ、万里眼と不死鳥の卵の融合でしょ。卵でさえ孵ったのを見た人はいない。でもさ、何か、予感がするのよね。取りあえず、あれは生きてあたしたちの前に姿を現す。そしたら、やっぱり、あたしのロミィちゃんって名付けてあげるの♪」
「もしかして、それだけのために探そうってのか? お前」
リボンは呆れたような素っ頓狂な声を上げた。
「あん? そんな訳ないしょ。あたしはセレスじゃないんだから」
「セレスが聞いたら怒るぞ」
「あははっ! 気にしない、気にしない。寝てるし。聞こえないでしょ? 聞こえててちょっかいを出してきても返り討ちにするだけよ」大笑いして、ピタリと真顔になった。「……子猫ちゃんにもそろそろ大人になってもらわないと。甘えん坊、卒業してもらわないとね」
「大丈夫。あいつは成長するさ。いや、しなければならない。さっき見てて判ったろ?」
「まぁね。シルトちゃんがセレスちゃんの居場所を奪うだろうね。あの様子だと」
「オレもいつまでもセレスの傍にいられるワケじゃないし」
「そう……だね……」迷夢は淋しそうに言った。そして、すぐにいつもの調子に戻す。「って言うかさ、話がずれた」いつもなら、話をかき回す迷夢が珍しいとリボンは思う。
「そうか? 別にいつも通りだと思うぞ?」
「ま、ね。――でも、不死鳥、ロミィはデュレの前に必ず現れるのよ。デュレが名前を付ける前に見つけて名前を付けなくちゃ! じゃなくてさ、まずい予感がビリビリとするの。――あいつ、今日か、明日か、明後日か、近いうちに孵化するわ。これだけの魔力が集中するんだから、餌場にはうってつけ。と言うのは関係ないけど、生まれるタイミングによってはロミィを必ず味方につけないと、あたしたち、何も出来なくなるわ」
「だから、孵化する前に見つけたいのか?」
「上手くいくか判らないけど、刷り込みが出来るんじゃないかと思って」
「デュレを里親にでもするつもりなのか?」
「それもいいけど、敢えてセレスになるように仕向けてみよっかなと思って。あたしの垣間見た未来ではデュレとロミィが一緒にいたんだけど、なぁ〜んかしっくり来ないのよね。それにさ、不死鳥は炎の属性があるから……情熱的なセレスと意外に相性がいいんじゃないかと思って。それに頼られるってことがセレスを成長させるんじゃないかと期待してるんだ――」
「暫く見ない間にお前も随分大人になったな。以前のお前なら絶対にそんなことは言わなかったぞ楽しければそれでいい! ハチャメチャなやつだったのにな?」リボンは暖かな眼差しを送る。
「あは、それは言わない約束よ」
「そんな約束はした覚えはないぞ♪」
「あははぁ」迷夢は困ったように微笑んだ。「このままじゃ、終わらないから、きっと」
「――終わらないか……」
「ええ……。さて、寝よか? 明日は津波で地獄が押し流されるような怒濤の一日になるわよ」
迷夢はリボンの腹の上に頭をのせてゴロンと横になった。リボンにはずっと拒絶されていたから、ここぞとばかりに実力行使。リボンを枕にするという“夢”を強引に果たしたのだ。
「……お休み、リボンちゃん」
「――。全く、どいつもこいつもオレを枕にしやがって、どういう育ちなんだ、こいつら?」
リボンは悪態をつくと、仕方なさそうにそのまま丸くなって眠りについた。
*
セレスたち三人が眠りにつき、デュレ、シルト、ウィズはシルトを中心にして闇談義に花を咲かせていた。そして、三つ目のグループ、サムと久須那は肩を寄せて炎を見詰めていた。
「――サム、二度とわたしを離さないで。……あんな思いをするのはもう嫌なんだ」
「ああ……。今度はあの時とは違う。一人じゃねぇしな……。みんながいる。だから、きっと、大丈夫。誰も死んだりはしねぇよ」
気休めなのかもしれないと思いつつも、サムはそう言わずには居られない。
それぞれの思いを揺りかごにして決戦前夜の乾いた夜が更けていった。
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