どたばた大冒険

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05. first impression of angel(第一印象)

 一〇九九年、初春。トリリアンの歴史はひっそりと幕を開けた。三年ほど前、正式ではないにしろ、新しい教派を立ち上げたときよりもずっとささやかなものだった。アリクシアと、行動を共にすると心に決めたマリエルと、アドバイザーとして陰に日向に力になってくれるラナ。そして、メリアル公会議以降も付いてきてくれた数人の仲間。
 アリクシアの生まれた街、クアラパートでトリリアンは産声を上げた。
「……静かですね……」
 マリエルは言った。協会に籍を置いている頃から、アリクシアを慕い今までついてきた。それを思えば、アリクシアのもとに集まったヒトの少なさを思い、静かさに淋しさを感じた。アリクシアが教区長だった時には数百人を超える人たちが集まってくれた。けれど、あれは権力に群がるだけの人たちだったに違いない。ここに集った人たちは真にアリクシアの思想と理想を信じてここまで来た人たちなのだろう。
「……これがアリクシアさまの門出だと思うと淋しすぎるような気がします……」
 協会でアリクシアの秘書として行動を共にするようになったマリエルは言った。
「??そうでしょうか……?」アリクシアは哀しそうな表情を見せるマリエルとしばらく見つめあった。「確かに、始めのうちは淋しいかもしれません。ですが、やがて、協会の力に屈しない人たちが振り向いてくれるはずです。その時まで、じっと待つのです。慌てる必要も、淋しがる必要もありません。必ず誰かが振り向いてくれます」
 それはアリクシアの願望でもあった。そうなって欲しいという願い。リテール協会という力はあまりに大きく、容易に背を向けられるヒトは数少ないだろう。それでも、アリクシアは信じていた。自分の信念に付いてきてくれる人たちがいると。
「そのようになるといいですね……」
 しめやかに幕を開けたトリリアンを前にラナはそっと呟いた。
 このまま、トリリアンの成長を見守っていくべきなのだろうか。ラナは思った。自分たちのしていることはきっと正しい。けれど、将来に渡って正しくあり続けられるのだろうか。レルシア派の流れを考えるとそうはならない気がしてならない。
 アリクシアの人望があれば、トリリアンは大きく育つだろう。そうなった時、トリリアンはアリクシアの理想を持ち続けていられるのだろうか。ラナの出した答えは否。恐らく、没落していくだろう。しかし、芽吹いたばかりの小さな組織を信じてみたい。
「ラナ、どうかしたのですか?」
 黙って窓の外を見つめるラナにそっと歩み寄りアリクシアは声をかけた。
「このまま、進んでいってもいいのかなとふと思ったんです」
 それはアリクシアにとっても難しい問いかけだった。このまま進んでいけば、協会の二の轍を踏んでいく可能性も否定しきれない。これまでの状況を踏まえて考えていくと、リテール協会アリクシア派の姿を変えたトリリアンには人が集まるだろう。大きくなるとやがて理想や理念だけではなく、権力に群がる連中が現れるものだ。協会と渡り合っていくために必要な力がやがて自らを蝕んでいくことになる。
「ラナの危惧も当然かと思います。……しかし、今は進みましょう。まだ何も見えない将来のことを憂えても始まりません。それに未来にわたしたちの理念を継いでくれる人たちのことを信じないと、何も始まりません」
「そうですね……」ラナは呟くように返事をした。
 かつて、レルシアも信じていた。未来に向かって協会を継いでいくものたちを。けれど、大半のものは俗世に染まり、また同時に権力へと溺れていった。杞憂は杞憂では終わらない。過去はそのことを証明し、歴史は繰り返す。

 デュレの話を一通り聞き終えた頃にはいい時間になっていた。高かった陽も暮れかけ、空は黄金色に染まっている。トリリアンへの入信の意志を聞くのもホンの形式だけのつもりで、何時間も話を聞かされる羽目になるとは少しも思っていなかった。実際問題として、最後まで聞かなければならない理由もなかったのだが、真剣に語るデュレを遮るわけにもいかずベリアルは最後まで話を聞き通した。
「……それがあなたが生きてきた“時”なんですね……」
 話を聞いたところでは、デュレは十一歳の時に母親と父親を亡くしたのだという。楽しい思い出も多くあったようだが、辛い思い出も多かったらしい。聞き流せば、それはよくあるエピソードとも思える。けれど、ベリアルはどこかに違和感を感じていた。理屈抜きの直感的に。幼いデュレが直接感じてきたことのはずなのに妙なほどに客観的な話。大きなわだかまりが何かを封じているかのように欠落した時間さえもある。
 本人の自覚は全くないようだが、両親が亡くなったというデュレが十一歳から十二歳にかけての一年あまりの思い出が見事にどこかに消えていた。そして、その周辺の整合性をとるためか、かなりの矛盾を含んでいるように思えていたのだ。
「……どうかしたんですか、ベリアルさん……?」
「いいえ、特にどうもしませんよ……」
 それでも、本人はきっと本当のことを話しているつもりなのだろう。別段、ベリアルがデュレの真実の過去を知らなければならない理由はどこにもない。デュレと連携が組めたらそれだけで十分なのだから。けれど、このままデュレの“真実の過去”を白日の下にさらさなければ、後々その過去がデュレ自身を浸食していくような気がしてならない。
「……あなたは本当のことを……言っていますか……?」
 言うつもりはなかった。その言葉はデュレ個人に深入りし、彼女を深くえぐるように傷つける言葉かもしれない。なのに、ベリアルの口を突いてその言葉は飛び出してしまった。そして、デュレは発せられた問いの意味が理解できずに、キョトとしていた。
「わたしは……本当のことを言っています……。わたしはウソなんか……」
「??そうですね。……あなた自身だけでは気がつきようのないことですから……」
 幾分、沈んだ表情をデュレに気取らせぬようにしながらベリアルは言った。
「どういう意味ですか……?」
 ベリアルの言葉の意味がはっきりとは判らなかった。だけれど、何となくニュアンスを感じ取れた。そう、本当のことを言っているつもりで、それが真実とは異なってしまうことは時たまはある話。そして、今、デュレ自身にも自分が本当のことを言っていないかもしれないという不安がデュレの心に大きく巣くっていた。
「??本当は……自信がないんです……。わたしは……ホントに思い出の通りの時を過ごしてきたのでしょうか……。??喋っていると……紙のように薄っぺらなんです……」
 このまま何も知らなかったふりをして、やり過ごすのがいいのだろうか。どことなく自分と似たデュレを放って、ただやるべきことをこなすだけでいいのだろうか。ベリアルの出した答えは否。迷夢との計画にはなかったが、今日一晩くらいデュレのために潰す時間はある。出会っただけの仕事仲間で終わってはいけないような気がベリアルはしていた。
「少し……精神シンクロを試してみませんか……?」
 ベリアルは逡巡と迷いを隠しきれない複雑な様子だった。けれど、それを試してみない限り、デュレの本当の心の内を知ることはできない。例えそうだとしても、デュレ自身が知らず知らずのうちにでも内在する“過去”と“今”の亀裂を埋めていけるのなら、何もせず見守っていても構わないとベリアルは思う。でも。おそらく、デュレはこのまま時を重ねていく。肥大する心の闇を抱えたまま。その闇はやがて、心の全てを食い尽くす。
「精神シンクロ……とは……何でしょうか……?」
 ことが大きくなってきた感じがして、デュレは物怖じしたか細い声で答えた。
「心を落ち着かせる魔法みたいなものです。??試してみませんか?」
 心を落ち着かせる。短い間にデュレは自分自身に問い掛けた。迷夢にこの協会に行けと言われ、アルケミスタに着いてから心にさざめきを覚えてどうにもならない。いや、この場であの人とよく似たベリアルと出会ってから何かがおかしい。デュレはうつむいた視線を上に向け、ベリアルをじっと見つめた。
「……害は何もないんですよね……?」
「??ありません」どことなく歯切れの悪さを感じさせた。
 害はないが、安全とは言い切れない。お互いの精神の波長を同期させ、術者が被術者の記憶を追体験するそれが精神シンクロだった。そのシンクロでは術者の力量によっては記憶の奥に封じられた思い出さえも蘇らせることができる。だから、精神的な治療を施せる反面、中途半端になると心を壊してしまうことになりかねない。
 ベリアルはそれを隠した。
 自分とよく似たデュレの内面を知ってみたいと思ったのか、それともただの哀れみか、或いは迷夢の隠された思惑に乗せられたのか判らないが、とにかく何かをしなければという衝動にベリアルは突き動かされたに違いない。
「わたしは……ベリアルさんを信じます……」
「……では……、そこに座ってください」ベリアルはデュレを執務机の傍に促し、椅子に座らせた。「目を閉じて、心を落ち着かせて……」
 ベリアルはデュレの正面に立ち、左手を額にそっと当てた。ベリアルは深く息を吸い、呼吸を調えた。精神シンクロには高い集中力が要求される。僅かな感情の揺らぎも精神シンクロの失敗につながってしまう。失敗とは二人の精神の崩壊を直接意味する。
「……いいですか……、これからあなたの記憶を探る旅にでます」
 今夜は長い夜になりそうだとベリアルは思った。

 空気が異様にぬめっている。そう言う時は大抵何かよくないことが起きている。誰が言ってるわけでも、確信があるのでもない。ただ、迷夢の経験上そう言うことが多いのだ。空気がぬめり、風は生暖かい。
 そんな時は現世に悪魔が降り立った後なのだ。
「??もっと早く、動き出していれば、拗れないですんだかもしれない……」
 迷夢はベリアルから手に入れた情報を元に独自に諜報活動をしていた。エスメラルダ期成同盟軍を対トリリアン戦において勝利に導かねばならない。さらに、その前に期成同盟とトリリアンの戦いをお膳立てしなければならない。ありとあらゆる手段と情報網を駆使して、トリリアンから仕掛けられることとなる戦いに勝つ。それが現時点での目標だ。
 そして、迷夢は胸騒ぎを感じながら、テレネンセスから南東方向のヴェルセーヌに向けて飛翔していた。ベリアルからもたらされた情報ではトリリアンが破壊活動の標的に選んだのはイヴリーヌ地方の小都市だった。協会総本山のあるテレネンセスを囲い込み、最後にテレネンセスを落とすのだという。
 無謀な策略と言えなくもないが、今のところトリリアンの作戦はうまくいっているらしい。実際、トリリアンの私設軍、ガーディアンによる攻撃の対策にリテール協会は後手後手に回っているし、いくつかの重要拠点を奪われていた。
 それ故、協会はかつての敵とも言える期成同盟と手を組んだ。破壊活動を続けるトリリアン、トリリアンは協会施設の破壊はしていないと公言しているが、その関与は疑いようのないレベルにまで達していた、を期成同盟が制する。そのイタチごっこがすでに数年続いていた。期成同盟と協会が手を結んだのは極々最近のことだが、こんなことは迷夢がリテールに来る前からあったのだという。
 そして、やはり、吹き抜ける風は生暖かい。春の風、初夏の風とは明らかに違う。かといって真夏のぬるい風でもない。その風が肌に触れると激しい嫌悪感をもよおしてしまう。風は不吉なことが起きたことを密やかに迷夢に告げていた。
「ユーリスカが跡形もない……」
 一足、いや二足は遅かった。でも、早く来たからといってこの惨状を免れたかといえば、答えは否だろう。結局、天使同士の争いになれば迷夢の意に関わらずユーリスカの街は相当の被害を被る。そもそも、ユーリスカ攻撃の優先順位は低く、攻撃されるにしてももっと後になるはずだった。トリリアンのスケジュール進行はかなり正確だ。無論、検証ができたのはベリアルから内部情報を手に入れられるようになってからの話なのだが。
「間諜のいることがばれたのか……。あたしがかぎ回っているのを知られたか。ただ単純にトリリアン内部で予定の変更があっただけなのか……」
 迷夢はぶちぶち言いながら、無惨な姿をさらすユーリスカを上空から見下ろしていた。
 と、全くの不意に背筋も凍り付くような視線を感じた。迷夢は反射的に身体をそちらに向け、守りの姿勢をとった。相手は“できる”そんな気がする。
「天使……」
 微かに姿が見えた。近寄ってくる素振りは見せないので遠くから確認するほかないが、あれは明らかに天使だった。光り輝く光輪に黒い翼。手に持った幅広の剣は魔力で構成されているのが判る。あいつがユーリスカを粉々にした天使。トリリアンにいるリテールで最後に召喚された天使。


「お前は何者だ!」向こうから張りのある声が発せられた。
「……キミが答えてくれたら、答えてあげてもいいわよ?」
 イニシアティブを握られないために迷夢は強気に出た。ここで主導権を握られると特に戦うための用意をしていない迷夢は辛い。向こうはウオーミングアップを済ませたばかり、これからまだまだ全力で立ち向かえそうな勢いなのだ。
「??」
 答えはなかった。ただ、遠くの天使は迷夢を探るのかのようにじっと見つめていた。自分と同じような姿をした迷夢に興味を覚えたのかもしれない。それから、ふっと視線をそらすと、一気に飛び去り、あっという間に迷夢の視界から消えてなくなった。
「……もっと早く気がついてたら……」
 自分自身の不甲斐なさが悔やまれてならない。トリリアンが天使を擁していることは早くから知ってはいたのだ。トリリアン五代総長ソノアの時代に封印された天使召還魔法を復活させ天使を召還した。黒い翼の天使。
 迷夢と同じ黒い翼の天使。召還されたときその天使はホンの幼子だったという。話に聞くところでは、当時のトリリアンはかつて協会が犯した過ちと同じく天使の力を使い全てを手に入れようとしていた。しかし、天使の力を使い切れなかった時の総長・ソノアはトリリアンを自滅させかけた。実際、迷夢はその時にトリリアンが潰れてしまっていたらこんな面倒くさいことにはならなかったと心底から思うのだ。
 迷夢はその後の調査予定を全て破棄し、テレネンセスへとって返すことにした。行き当たりばったりと何と言われようとも、計画の変更をせざるを得ない。となれば、迷夢に計画変更を余儀なくさせたトリリアンは一枚上手だ。
 端から苦戦すると判っている対トリリアン戦がますます苦境へと追い込まれていく。トリリアンが天使をまともに使えるとなると期成同盟の勝機は限りなくゼロに等しい。これまで幾つかあった天使が使われたなかではここまでキレイに恐らく短時間に街が更地にされてしまった記録なんてない。
 トリリアンは天使の魔力と意識を制御する術を確立したのに違いない。
 懸案材料が増す中で、期成同盟の臨時司令部に踏み込んだ。
「??キミたち、当然知っているわよね?」
 迷夢は険しい表情をしたまま、バンとアズロのいる机に手をついた。
「……もちろんです??。ユーリスカがやられたそうです……」
 アズロはそこで一旦言葉を切った。言葉をつなぐのが憚られるかのように。けれど、迷夢は容赦しない。強い視線でアズロの発言を促そうとした。
「攻撃部隊に天使がいたそうです。そう……あなたと同じ黒い翼を持った。??黒き翼の天使。名前は……ジェット。天使の魔法攻撃は尋常ではなく、ユーリスカの街はものの数分でほぼ壊滅。ガーディアンが主力だったときには考えられなかったことです」
 アズロは机上で手を弄び、ずっと指先を見つめていた。
「それがあたしたち、天使の力よ。見せて、あげようか???」
 迷夢は口元を歪め不吉な笑みを浮かべ、スッと右手を持ち上げた。それから、右手の平の前方に白い光が凝集し光球が形成され始めた。アズロはゴクリと唾を飲み込み、迷夢の育てる光の球をじっと見ていた。
「……何をなさるつもりですか……、迷夢さん……?」
「何をなさるつもりでしょうねぇ、アズロ・ジュニア」
 アズロと迷夢の間には巨大な光球が形成されつつあった。これの全てが魔力によって作られていて、もし、迷夢が解放してしまったら、どうなってしまうのだろう。アズロや期成同盟の構成員に天使の魔力を目の当たりにしたものはほとんどいない。
「迷夢。お遊びが過ぎるぞ。??盟主が困っている……」
 いつの間にかウィズがドアのところに立っていた。
「あら、ウィズ♪ どうして、お遊びって判るのかしら?」
「……そいつはただの光の球だろ? 魔力を込めて攻撃を仕掛けようというなら、もっとこう雰囲気が違う……よな? 刺々しいというか、禍々しいというか、声の緊張感が違うよ。??そこはかとなく……だけどね」
 かなりまともな発言をするウィズを迷夢はマジマジと見つめた。よくよく考えれば、ウィズは期成同盟の中でたった二人しかいない天使の戦い、魔力を知る人間なのだ。迷夢も普段から頼りなさそうに見えるウィズがそういった希有な存在だったことをすっかり忘れてしまっていた。そして、同時に重要な戦力になりうることも。
「ふ〜ん。ぽ〜っとしてるように見えて結構使えるんだぁ、ウィズ。??そ、こんなのはまやかし。ウィズが指摘したようにこれはただの光の球よ。あたしが本気になれば……と言うか、これが本物の魔法ならこのオンボロ本部なんてもう消し飛んでるわよ」
 と言って、迷夢はふいっと光の球を消してしまった。
「ということで、被害が拡大する前にトリリアンをぶっ潰すのに計画を前倒しするからよろしくね。ジェットとの決戦場は??ここよ」
 迷夢は地図上の一点をズバッと指さした。
 その間、アズロにもウィズにもほとんど発言させることはなかった。一週間あまりの猶予を与えて、ノンノと進めるつもりだったが、そう呑気にしていられる事態ではない。エスメラルダの去就がどうのと言うことは迷夢にとって正直に二の次だ。トリリアンに使役されている無垢な魂を取り戻したい。それのことが迷夢をエスメラルダ期成同盟に与することを決断させた最大の要因だった。
「……テレネンセスとアルケミスタのちょうど中間地点ですね……」
「そこに意味があるのかい、迷夢?」
「意味なんかあるワケないだろ。こいつはいつだって行き当たりばったりだ」
 カタンと小さな物音がしたかと思ったら、サムが姿を現した。期成同盟軍の隊長が二人もいるのならば、このまま突っ込んだ話をしても構わないだろう。けれど、その前にサムを締めておかないと気が済まない。
「はら? あたしに向かってそんな口をきいちゃっていいワケ?」
「てめぇが怒ったところで、久須那ほど、怖かぁねぇからいいよ」
 サムはアズロの事務机の前にしつらえられた椅子にドスンと腰を下ろした。
「ほぉ……」迷夢はちょっぴり不機嫌そうな様子を見せた。「まぁ、久須那より優しそうだってならいいけど、キミの場合は絶対に他に何かあるのよ。……ま、いいけどさっ! で、本題ね。正直なところ、予想はつかないんだけど、ガーディアンと天使を分断したいのよ。キミたちはアルケミスタでガーディアンと対峙。あたしはこの場所で天使と向き合わせてもらうわ」
「??それでケリがつけばいいけどな?」
「……無理でしょう」アッケラカンと迷夢は言い放った。「でも、ま、せーぜーあたしのイメージを鮮烈に植え付けてあげる。気になって気になって仕方がなくしてやれば、向こうからアプローチを仕掛けてくるんじゃないかと、淡〜い期待を抱いてるのよ」
「てめぇの計算通りに事が運べばいいけどな」
 サムは取り澄ましたように言った。
「うん? そのためにもキミたちが重要なんじゃないの。今度の作戦でエスメラルダ期成同盟の存在をしっかりとガーディアンに焼き付けてあげなさい。トリリアンが権力を恣にしたいのなら、協会よりも先に期成同盟を潰さなきゃと思わせて欲しいのよね」
 迷夢は“判るでしょ”と言いたげに流し目で一同を見渡した。
「そこからエスメラルダの存在価値を引き出せってことか」ウィズだ。
「その通り。今回はアルケミスタを落とせなくてもいいから、本当の敵が誰なのかを判らせてきて。そこからが期成同盟の“レゾンデートル”よね?」
「宣戦布告……というわけですね」アズロが口を開いた。
「そう……。天使が頻繁に出てくるようになる前に決着をつけないと被害が拡大する。全てを焼き尽くされた上に国を再建したり、信じろって言っても無理な話よね?」
「聞いたな? ウィズ、サム。計画は前倒しし、三日後、アルケミスタに総攻撃を仕掛ける。トリリアンに痛手を被らせ、協会にわたしたちの存在を認識させろ。……そこからですね、迷夢さん。わたしたちの“レゾンデートル”が問われるのは」
 アズロは机上でクッと手を合わせ、真摯な眼差しで一同を見渡した。

 道を切り開こうとするものに運命は過酷な茨の草原を用意した。静かに幕を開けたはずのトリリアンには多くの困難が待ち受けていた。もちろん、アリクシアも順風満帆にやっていけるとは欠けらほども考えてはいなかったが、短い期間に様々なことが巻き起こった。
 理想と現実の狭間にある溝に落ちてしまったような感じだった。
 協会との全面抗争。当然のことながら、協会はアリクシアたちの立ち上げたトリリアンに対して攻撃の手をあげた。論戦で挑むのではなく、攻撃の火を伴って。紀元後間もない頃の悪名高き精霊狩りを彷彿させる。
「みんな、無事ですか!」
 アリクシアはできる限りの声を出し、安否を気遣った。
「これでも、無事だというのなら、無事だと思います。誰も、死ななずにすんだから」
 ラナは事も無げに言った。実際、アリクシアの立ち上げたトリリアンは既に数度に渡って、協会から攻撃を受けていた。協会の軍事力は産声を上げようやく形をなし始めたばかりのトリリアンの比ではない。そもそも、トリリアンは自警するための手段を持たない。ハーフエンジェル・ハーフエルフのアリクシアについてなら、その気さえあれば魔法を駆使し、協会を撃滅させることさえできたはずだ。しかし、アリクシアは敢えて、そのようなことはしなかった。力を持って力を制したら、協会と何も変わらない。
「この状況がいつまでも続くのかと考えると……考え直したくなりますね……」
 アリクシアは崩れ去った床に倒れ込んだマリエルを助け起こした。
「アリクシアさん、弱音を吐かないでください……」マリエルは言った。
 マリエルの言うことも最もだとは思うが、このままトリリアンとしての活動を続けていく意義があるか改めて考えてみる必要がある。そういう時期が来たのだ。協会の真の理想を実現するためのトリリアンの理念をもう一度、考え直すときが。
「ラナ、こちらへ来てください」
 ラナは無言で従い、アリクシアの正面に立った。問われることは判っている。トリリアンがトリリアンとして存在するようになってからそれなりの月日は経った。今、何を為し、トリリアンはどうあるべきか。
「……非常に難しい問題ですね」ラナはアリクシアの質問を予期していたかのように言った。「このまま行けば、トリリアンは外圧により崩壊していくでしょう……。仮に協会の圧力を切り抜け、生き長らえたとしても前途はあまり明るいとは言えません。わたしたちも外界の圧力に抗う力を身に付けていかないと……」
「ラナもそのようなことを言うんですね」
「理想と現実は違いますよ。事実、往年のリテール協会も“天使兵団”と言う強大な軍事力を持ったからこそ、リテール全土に影響力を持てるくらいになったのです。??宗教的組織が軍事力を持つことはよいこととは言えませんが、力なきものは……わたしたちのようになるほかしかありません……」
 自分の一族の過去を思いラナは言った。度を過ぎた力は身を滅ぼすが、自らの居場所を守る最低限の力は必要だと常に考えていた。自ら戦いを挑むのではなく、自らを守っていくために。けれど、それは危険すぎる気がしてならない。自分たちを守れるようになるのと同時に協会にトリリアンを攻撃する口実を与えることにもなってしまう。
「ラナの一族のように……。??ラナの提案も考えてみるべきときなのかもしれません。自分たちの存在を守る最小限の力……」
 アリクシアは右手の平をじっと見つめた。そう、力はあるのだ。アリクシア自身の力を使えば、協会の攻撃を跳ね返し、協会のトリリアンに対する方針を変えさせることが出来るかもしれない。けれど、それでは意味がない。アリクシア、トリリアンにとって力で手に入れた“存在”など意味がないのだ。周囲の民に祝福され、地に足を着けた信仰の対象であり続けなければトリリアンの存在する意味がなくなってしまう。
「簡単な武術を学ぶようにしましょう……。魔力……、魔法を使えるものは魔法の鍛練を。相手を倒すことは出来なくても、目眩しが出来るくらいには??」
 ラナの指摘とアリクシアの思い。それが後の世に協会と渡りあい、トリリアンを守り抜く力……ガーディアンへと成長を遂げる。そう、アリクシアの思想が寸分違わずにトリリアンに息づいていた健やかな時代には??。

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改